何か見たことのある精霊
「俺が来た理由はわかっていると思うが、その精霊をこちらに譲る気はないか、という話だ」
「嫌よ」
バラダーの要件に即答するのはいつものことだ。バラダーもそうなるのは分かりきっている。しかしルミはバラダーの言葉にやっぱり来たかと思い、同時にもし譲られたりしたら──と不安になったのだが、一瞬で否定するアイシャに少なくない感動を覚えた。
「そうだろうな。一応言ってみただけだ。ちなみに対価はもちろん用意してある。今後の一切の労働の免除に生活の支援、国内の一等地の邸宅に執事とメイド、料理人もつけてその他要望も出来るだけ聞くという殆ど王族並みの処遇を約束するものだったが──」
「その話、詳しく聞かせてもらえる?」
「ママ⁉︎」
完全にモノと待遇に釣られているアイシャにルミの感動は露と消えた。
「──と、まあそれくらいの価値があるのだと言う話だ」
ルミを震撼させたアイシャとバラダーの商談は架空のものとなった。職務に忠実なバラダーにも人の心というものがある。そしてこの男は自由意志を取り上げられて誰かの言いなりになるような不安定な立場には無い。アイシャとは違う意味で自由なのかもしれない。それはもちろん積み上げてきたものによる勝ち取った自由なのでアイシャの何を成すでもなくただ寝て過ごしたい欲求と一緒にされれば恐らくは激昂するだろう。
「つまり、それを言うためだけに来たわけ?」
「いや、譲ってくれるならそれに越したことはないが、お前が手に入れた“友達”をそんな風に扱うわけはないからな」
だから──、と言葉を繋ぐバラダー。
「精霊術士ギルドにきちんと顔出ししてもらう、というのが本来の用件だ」
お役所とでも称すべきギルドの中には◯◯ギルドという部署がいくつも存在しており、近接戦闘職などはまとめて“冒険者ギルド”と括られている。魔物討伐や近隣の警戒、必要があれば徴兵されもする戦闘特化組だ。
“魔術士ギルド”というのはマイムが所属することになる部署だが魔術士適性でありその道で生きていくならまずそこに登録することになる。マイムが可視化して区別出来る様に魔力には波長の違いと言われるものがあって、登録するというのは主にそれだ。自身のチカラだけで不思議現象を引き起こせる魔術はどんな事に活用され悪用されるか分からない。
マイムとアイシャの初対面の時の水球のように、誰がやったのか分からない魔術で溺れさせることも、もちろんその先もあり得る。なのでそれを未然に阻止するために登録するのだが、第二次性徴期を迎えると多少の変化があるために、聖堂教育後に正規登録をするのだ。アイシャが以前にマイムより「一線を越えた」と聞かれたのはそのためである。
そして“精霊術士ギルド”であるが、それはこの広いお役所ギルドの中の奥まった薄暗い一角に存在している。
「こ、こんなところにあるのね」
「ああ、ここがそうだ。この街での所属人数は5人。うち4人は精霊との契約が出来ておらず、普段は魔術士ギルドに出向していてアルバイトで生計を立てている」
明るい光の魔道具で照らされた他とは違い、正面から入ってきて曲がり上り、下りまた曲がりと繰り返して辿り着いた薄暗いそこは路地裏の占い部屋みたいな雰囲気を醸し出している。
「あれ? 局長? 珍しいですね」
「ああ。久しぶりだな、エスプリ。毎日欠かすことのない日報ではよく目にしているのだが──」
「ふふ、書く内容が1番少ないですからまとめるのに苦労したりもしませんものね」
「1行で終えた日報の空いたスペースを埋めている“今日のノームちゃん”を綴じたファイルも既に10冊目に入っている」
バラダーが言うノームとはエスプリと呼ばれた女性の頭に乗る精霊のことだろう。気だるそうにしているノームは細長い体をしており、半目を開けて寝息を立てている。
「この精霊は相変わらず、だな。まあこの子のおかげでこの辺りの地盤も揺れることなく安定しているのだが」
アイシャはノームと呼ばれた精霊を目にしてから心が落ち着かない。そしてその動揺は肩に乗るルミにも伝わっているが内容までは分からない。
「そういえば局長はあの時にはまだ街に居なかったのですよね。いえ、つい最近──地揺れがあったんですよ」
「そうなのか? それは報告になかったが」
「あー、いつものノリでノームちゃんのスケッチに夢中になってました」
「かまわん、特になにも騒ぎになっていないのなら特筆すべきところもなかったんだろう」
「いえ、じつはノームちゃんが脱皮したんですよ」
「──この光るミミズみたいなのは脱皮するものなのか」
長い体はさながらミミズのようで、そして何故か尻尾の先をぼんやりと光らせている。
アイシャはどこかで見たその姿に冷や汗が流れるのを感じた。




