人面犬の仮面をかぶっても人面犬にはならないよ
沈黙が痛い。アイシャがそんな事を思うのはこの世界に生まれ変わってから初めてだろう。これまではちょっとズレた事を言っても周りが好意的に、あるいはやれやれと呆れられるくらいだった。
「関係が爛れるとは一体どういう──」
しかし目の前の女の子はその言葉の意味を真剣に考え出したのだ。おそらくはいいとこの家の子であろう彼女には縁のない表現のはずだ。
「アイシャちゃん、関係がただ──」
「リコさんはなんの! なんの用事だったのかなっ?」
アイシャは無理矢理話を戻す。
「関係が──」「なんの用事が私にあるのかなっ? 知りたいなー!」
リコはふぅっと息をつき、アイシャを見据える。
「アイシャちゃんはあの魔物と、いえ亜神様とどういった関係なのですか?」
「亜神、さま?」
「そうです、あのマンティコアの亜神様と」
「そこの関係は爛れてないよっ? そ、そっちの趣味なんてさすがにハードル高すぎて……まさかリコさんはそっちに?」
「は?」
アイシャの頭の中は昼寝どきの女の子の来訪はだいたいそれ、という経験則に縛られている。つい先ほど代用の抱き枕まで作ったアホの子の思考はどうしてもそっちに寄って警戒してしまう。
「やはりただれた──」
「ま、マンティコア? あの人面犬とはちょっとした知り合いなんだよ! ほら、近所のおじさん。みたいな」
「近所にあんなのがいてたまりますか。けれどもそう、やはり特別なのですね」
「う、うん」
アイシャの思考とリコの思考とのすれ違いに、さすがのアホの子も勢いをなくす。
「あのスィムバの森は別名“獅子の森”と呼ばれてますの。古来よりマンティコアが棲むと言われていたのだけれど、目撃情報はほとんどないのです。何故だかわかりますか?」
「え、うーん、犬っぽいから?」
「違います。幾度となくその目的で調査隊は組まれましたが殆どがその存在を確認できず、その他は情報を持ち帰れなかったのです」
「持ち帰れなかった」
「帰ってこなかったのですよ」
リコの語りは淡々としているだけに、アイシャをして背筋が凍るような思いにさせる。
「そのマンティコアを、それも亜神と自称するほどの魔物を呼び出して親しげに話すあなたがどういった存在か。わたくしには分からないのです。それでもはっきりしているのは、あなたと仲良くなってこちら側でいて欲しいということ」
「リコさん側?」
「いいえ、人間族側、ですわ」
「いや、私は人間やめないし?」
まさか四つ足でマンティコアみたいに生きるとか? そんなのはあり得ないよとアイシャはリコに告げる。
「そういうことではなくてですね。亜神様に見初められたとあれば我々人間族とも魔族とも異なる次元の存在に引き上げられる事もあり得るのです。そうなれば人間族も魔族もない、どちらについてもおかしくないですわ」




