落ちる季節
そこからは控えめに言っても地獄。伯母さんは泣き出すし、伯父さんは何度もすまないと繰り返すばかり。修也は黙って俯いて、私はどうしていいか分からず自分の失言をただただ呪った。怖くて周りが見えていないけれど、周囲からの視線を感じるのは勘違いじゃない。
大袈裟なことじゃない、本当なんだよ。親の保護がないと生きていけない未成年の頃に身に付けた、私なりの処世術。可愛げがない子供でごめんなさい。
「……すみませんでした」
正解じゃないことはわかってる。素直にありがとう、お世話になりますと言えば良い。だけど、大人を悲しませてじゃあお言葉に甘えて、なんて気軽に口にできる人生を送って来ていない。でもここでこの人たちの手を取らないと、きっとこの先に救いの手は差し出されない。
「少しだけ、助けて頂けないでしょうか」
カラカラになった舌でなんとか絞り出した言葉はとても掠れていた。届くかな、とてもじゃないけど二度は言えないな。
「駄目だ」
伯母さんの背中をさすっていた伯父さんがはっきりと答えた。
「少しじゃ駄目だ。助けるっていうのもおかしい。僕たちはこれからも二人を育てるつもりでいるんだ。卒業も、就職も、その先の人生も、修也と沙世子を見守っていく」
まだ呼吸が落ち着いていない伯母さんもハンカチで目頭を押さえながらウンウンと頷いている。修也は姿勢を正して伯父さんたちに頭を下げていた。
「ありがとうございます。もっと早く言わなくて、ごめんなさい」
その謝罪は受け入れられていた。じゃあ私のも良しとして欲しい。
「よし、じゃあ決まりだ」
声のトーンが幾分か柔らかく聞こえ、場の空気も重苦しさがちょっと緩和した。本当にこれで良かったのかなと私が考える間もなく、テーブルの上には書類やノートが出され始めた。
「法律関係の手続きはこっちですべて済ませておく。本人のサインが必要なものを置いて行くから記入したら送り返してくれ」
「学校の保証人の変更もしないといけないから、大学から届けを貰って来て欲しいわ。あと、修也と一緒に住んでるアパートも引っ越して貰いたいの。契約は単身用でしょうし、こっちも契約者を私たちにしないと」
「じゃあこの後に駅前の不動産屋行く?」
「そうしましょう。あと何が必要だったかしら」
「姉さんの就活用スーツ買って」
「買うわ。普段着用の冬服も買いましょう」
待て待て。話の飛躍が過ぎる。
いつの間にか用意されていた書類を目の前にして慄き、学校の手続きや引っ越しの話題、はては私物購入の話まで。伯父伯母と修也の切り替えと会話のテンポの早さに置いてけぼりを食らう。マジで養子? いや、問題ありまくりでは? 修也はさておき、私まで子供にしたらまずいって。大学の保証人になって貰うのは感謝だけど、引っ越し? まさか伯父さんたちのお金で? 修也はしれっとおねだりをするんじゃありません。一式揃えると量販店でも馬鹿にならない値段になるんだから。
「あの、そんなに急がないので全部やる必要は……」
「あります。急ぎます。手遅れになる寸前だったんだもの、今日やれることは全部やるの」
私の意見は通りませんでした。まじかぁ。
「こっちはもう遠慮はしませんから。今日、貴女の意見が通るのは服の趣味と夕食のリクエストだけだと思いなさい」
お母さんだってそんな意地悪な継母ムーブかまして来なかったのに、と思ったけどそんなことはなかった。お母さん、優しいけど譲らないとこあったもんな。三個入りゼリーのオレンジ味、自分も好きなのに絶対私にくれたもん。私がお母さんにあげるって言っても「良いから食べなさい」って押し付けられた。今の伯母さん、お母さんそっくり。
「諦めな。きっと母さんと同じだよ」
心を読んだ修也から残念なアドバイスを貰い、良い落としどころが決まりますようにと、天国のお母さんに拝み倒した。
『祭三日目、浅見くんがミスターコンに突如呼ばれて大波乱』
友達からのメールに気が付いたのは日付も変わりそうな時間になってからだった。とっくに後夜祭も終わって、各々が売り上げを持って飲み会に繰り出しているに違いない。
あいつノミネートされてた? と首を捻るも、ミスターコンにも浅見にも興味がないので覚えてない。昨日あんだけ死にかけてたのに学祭に行ったとか、真面目なのかアホなのか。詳細を聞く気はないけど、レスはしないといけない。
『今日は急に休んでごめんね。盛り上がってた?』
浅見ではなく学祭全体が、という意味で。遅いし返事は翌朝かと油断していたら、数分のうちに返事が飛んできた。
『ここ数年で一番盛り上がってたって先輩も言ってた。サプライズゲストで沖君が出て、沖君ご指名で浅見君が登壇したの。沖君だけでもヤバいのに、浅見君出たときの客席の歓声を聞かせたかったよ』
やっぱりミスターコンの話題になるのね。うちのミスコン、ミスターコンは学内限定のイベントだから一般客は入れない。後夜祭のメインイベントだ。アイドルが参加するとなると事務所NGがあるとのことで、沖君はゲストMCとして呼ばれたとのこと。学内のファンの子は幸せだったでしょうね。
『沖君が誰に票を入れるかって話を振られて、自分が入れるならこの人だけって浅見君を壇上に連れて来て、本当に凄いことになったんだよ!』
あー、これあれじゃないですか。ゲームのスチル。前後の話がどうだったのか忘れたけど、そういうイベントがあった気がする。アイドルルートに入るのに必要なアクションだったかな。もう入ってからのイベントだったかな。詳しくは覚えてないや。
主役であろうエントリーした人たちのことを思うと同情を禁じ得ないけど、彼ら彼女らは愛するカップル(未満)の男たちを温かい目で見守っていたのだろう。平和的な空間でよかったね。
『いろいろとお疲れ様。明日の片付けは参加するからよろしくね』
上手い返信が考えられなくて無難な挨拶で終わらせる。どうせ会ったら嫌でも聞かされるだろうし、今日くらいはこれで勘弁願いたい。
なんたって今日は予定外の出来事が山ほどあった。ファミレスから出てすぐに不動産屋をアポなし突撃。閑散期だったのか突然の来店にもかかわらず手厚い接客を受けて、即座に物件の内覧へ。
「娘と息子が住む部屋なので、駅近で大学に行くのも不便じゃなくて、セキュリティがしっかりしていて二部屋以上あるところ。コンビニ、スーパーが近くにあって、夜の人通りはそこそこ、だけど繁華街の近くは困る」
という伯母さんの無理難題にも笑顔で対応していた不動産屋さんはやはりプロだ。大人四人が乗れる大きな車を回してきて、候補物件を複数まわってくれた。
一軒一軒説明を受けながら内覧して、その都度伯父さんや伯母さんが質問したり気になる点を挙げているのを見て、物件選びってこうやるんだと学びを得た。今のアパートは大学合格してからとりあえず入った不動産屋で一発目に案内され、すぐ決めなきゃ他の人と契約すると言われたのだ。二部屋あるけど家賃はそこそこ安く、じゃあ契約しますとろくに見もしないで決めてしまった。決して悪い部屋ではなく、昔ながらの木造アパートで大学の下宿っぽさを感じて嫌いではない。隣に松戸が住んでいたことは結果としてプラスの要素だったし。
だけど修也に言わせれば
「悪い所じゃないけど、女性一人で住むアパートではない」
との意見。インターホンもなければ脱衣所もない、洗濯機は外置き。隣にいる松戸と他の住人の良識に守られている、と辛辣なコメントを貰った。これを聞いた伯母さんたちが今日部屋を決めると言い放ったのには参った。
結果として駅は徒歩圏内、大学に向かう路線のバス停は目の前、2DKでオートロックのアパートに決まった。オートロックは要らないという私のささやかな反論はすぐさま蹴られた。これがあるだけで家賃が二万も高くなってしまうというのに。
「家具も必要じゃないか」
そんな伯父さんの恐ろしい提案は頭を下げて丁重にお断りした。もし将来的に伯父さんたちの家に住む場合、今買って貰ってもすぐ処分しなきゃいけなくなると言い訳をすれば、それもそうかとまんざらでもない様子で頷いてくれた。嘘も方便である。
伯父さんが今のアパートの不動産屋さんと連絡を取って解約の手続きをし、伯母さんが引っ越し業者の手配と新規契約を進める。修也が日程のスケジュールを確認する中で、私だけが体を小さくして出されたお茶を啜っている。
「素敵なお父様とお母様ですね」
担当してくれた職員さんがお菓子を持ってきてくれて、そう告げてくれた。世の父母というものは全てこういう感じなのか。この人の反応を見ると、多分ちがう。伯母と伯父はとても良い親なんだろうな。なんと答えれば良いのか悩んでからお礼を言った。
「ありがとうございます、私の自慢です」
父母ではないけど否定はしない。娘を自ら名乗るのはおこがましいので、誇らしいことだけは伝えた。
二人に聞こえていたのか、その後に行った百貨店でとんでもない値段のコートを買われそうになったのでなんとか阻止した。夕飯は牛丼がいいと言ったのに鉄板焼き屋に連れて行かれた。私のリクエスト、全然通らなかった。
夜も遅い時間になったので、伯母さんたちは近くのホテルに宿泊することになって解散した。
「急に来て、本当にごめんなさいね」
最後の最後に伯母さんがしおらしく謝るものだから、こちらこそと頭を下げて謝罪合戦になってしまった。明日の昼前に帰るというのでお見送りに行くと告げたら大学に行きなさいと断れた。出勤前の修也が行ってくれるそうだ。
「またすぐに来るから」
親とはこんなに過保護で心配性なのかな。いや、きっとこの人たちは特別だ。
「ありがとうございます」
二人の背中を見送った後、修也がぽつりと呟いた。
「大人って羨ましい」
何が、と聞く前に修也が私の手を取ってそっと握る。
「俺もあんな風に姉さんの心配を解決してあげたかった」
今日だけではなく、幼い頃からずっと抱いていたという気持ちを吐露してくれた。
「俺も沢山稼いで、姉さんが苦労しない生活を一緒に送りたい」
なんていじらしい弟だ、こんな出来た子は滅多にいない。だけどそれは間違っている。
「修也君は修也君のために働いて、自分の生活を送るんだよ」
姉のために生きてはいけない。自分と、そして自分が好きだと思える人と人生を歩んで欲しい。恋に恋しているのに、どんどん恋愛から縁遠くなっている私からの願いだ。
「無理だよ、俺シスコンだもん」
思いもよらぬ単語が出て来て目が点になる。シスコン。え、そうなのかな? 修也はただ家族思いなだけだと思うんだけど。他の兄弟姉妹をあまり知らないから姉弟の距離間ってわからない。でもそれを言われたら私だって。
「じゃあ私はブラコンってこと?」
無自覚ブラコンってかなり性質悪くない?
心配になって訊ねたら、修也はケラケラと笑って頷いた。
「ブラコンとシスコン、姉弟としてぴったりじゃん」
「そうなのかな……」
仲が悪いより良いけれど、よそ様が見たらびっくりしちゃわない? 大丈夫?
「仲良し姉弟で、手を繋いで帰ろっか」
ブンブンと振り回される私の右手と、勢いをつける修也の左手。本当に小さい頃、公園からこうやって帰ったことを思い出す。小さかった修也の手は私よりも大きくなった。保護すべき相手と思い込んでいたけれど、そうじゃない。修也も大人になっているんだ。
十分大人じゃん。
悔しいけど、まだ言えなかった。心のゆとりが出来た時、いつも頼りにしてるよって教えてあげよう。
今はまだ、修也を支えることで私に意味を与えて欲しい。




