枯れる季節 前
店内の人はまばらで、私たちに気付いた店員さんが何名か訊ねてくる。
「四人です。あとから連れが来ます」
その言葉のおかげか親切に道路に面した窓際のボックス席に案内された。これなら伯母さんたちの姿に気付けるだろう。何も頼まずドリンクバーだけだと割高だからという理由で、修也にご飯を食べるように再三言われて一番安いモーニングを頼んだ。注文するには時間がギリギリだったけど、滑り込みセーフだ。
携帯を開くと、サークルの皆からメールが来ていた。前日の騒ぎもあってか今日も大盛況で、午前中には全部終わりそうだという。夕方からの打ち上げに来られるかと聞かれてるけどこの話し合い次第かな。行けたら行くと返事をして財布の中身を思い返す。本音を言えば行きたくない、お金かかるし。
向かいに座る修也を見てこれではいけないなと気を引き締める。私に気を遣って同じものを食べている姿を見て申し訳なさしか抱けない。ごめんね、私が不甲斐ないのとあの男が馬鹿なせいで。
「姉さん、聞いて良い?」
視線はゆで卵に向いたまま、話しかけてくる修也にどうぞと答える。
「ぶっちゃけ、どれだけ困ってる?」
私が困ってない日なんて年に十日くらいじゃないかな。レポートは終わらないし、朝は眠いし、新作ケーキ食べたいけど食べたら太るしやたらと高いし。困ることが山ほどあるよ。
「そんなにないかな。大変だけど、楽しいよ」
楽しいと思わなきゃやってられない人生を十何年も送って来てるからね。
「聞き方変える。お金はどれだけ足りてないの」
お外でお金の話をするなんてはしたないよ。それをするためにここに来てる私が言うのもあれだけど、自分のことは棚の一番上に置かせて貰うね。
「大丈夫、修也君が思うような怖い借金とかはないから」
あの親父のせいで伯父さん伯母さんに負担をかけてしまったのは借金だけど、闇金とかじゃないから怖くはない。耳揃えて返すには手持ちが不足し過ぎてるので分割払いをお願いしようと思う。
「姉さんって、大丈夫しか言わないよね」
トーストにバターを塗りたくった。いつの間にか修也の視線がこちらに向ている気がして、前を見れない。
会話は続かなかった。
伯母さんたちが到着したのはそれから一時間もしない後だった。
夏休み以来の再会になる伯父さんと伯母さんは田舎で見た時よりきっちりとした恰好で、私たちを見つけると早足で向かって来てくれた。
私が立って挨拶をしようとするとすぐに手で制され、代わりに修也が席を立って一礼して、私の隣に移って来た。
「伯父さん伯母さん、すみません。本来なら私が伺うべきところを……」
「沙世子ちゃんやめて。違うでしょ、貴女が謝ることじゃないの」
一旦落ち着かせてね、と深呼吸をする伯母と、店員さんを呼んでドリンクバーを二人分頼む伯父。それを聞いてすかさず動いてお茶を取りに行く修也、なんという連携。私は叱られる覚悟、説明すべき点、これからの身の振り方などを頭の中で巡らせておく。
トレーにウーロン茶を二つとコーラ、ミルクティーを乗せた修也がすぐに戻ってきた。ウーロン茶は二人に、私の前にミルクティーが置かれるかと思ったらコーラを渡された。好きだけど、よりによってなんでコーラ。
手を付ける気には到底なれず、手はお膝で背筋を伸ばしたまま相手の言葉を待つ。
「話は昨日電話でした通りよ。沙世子ちゃんのお父さんのことと、沙世子ちゃんの学費のこと」
父親に関しては私が知ってることがないので言えるような話がほとんどない。若い恋人作って仕事辞めて家に帰ってないっぽいです、金は多分ありません。
あの少年と関係は続いているとは思えないけど、次にまた新しい男か女を作っていないとも限らない。
「父とは連絡が取れてなくて、私の電話にも出ないので今どうしているかさっぱり……」
「私たちもおうちには行ったけど、鍵がある訳じゃないから入れなくてね。万が一のことも考えたんだけど、ご近所さんからは変な感じはないって聞いたから、まずは沙世子ちゃんと修也に話を聞こうってなったのよ」
万が一のこととは? と考えてから、あっ、と声が出た。
そっか、そうだよね。単身者と連絡が取れないって失踪の他にも孤独死とかそっちの可能性があるんだよね。失念してました。だって殺しても死ななそうじゃない? あいつ。
「家に帰って確認してきます。何もなければそれでいいんですけど、長い間留守にしているんだったら色々様子も見なきゃいけないと思うんで。完全に空き家になっているならガスとか電気とか止めた方が良いですよね」
督促状が来てるってことはもう止められてる可能性もある。新聞は契約をしてないのかな。放置されているのが見てわかるとなれば、空き巣に入られるのも時間の問題だ。行くなら早い方が良い。今月、いや年内ギリギリになるかも。
やだな、面倒だな。でもやらないともっと大変なことになるもん。
父親であったはずの人間に対して呪詛を吐きたくなるのを堪えていると、物静かな伯父さんが口を開いた。
「鍵さえ預けて貰えれば、僕たちがやっておくよ」
なんですと?
「中の様子を見ていないからはっきりとは言えないが、ごみの処分と契約関係の整理、あとはご近所さんに挨拶をしておけば、半年くらい空けていても問題はないだろう。沙世子ちゃんたちがたまに戻るときに困らないよう、整えて来よう」
「そんな、そこまでやって頂くわけには」
いつから人が居ないかわからない家だよ? 下手したらゴミ屋敷になってるかもしれない。
「すまないね、これはもう大人たちの話し合いでほぼ決まったことだ」
大人たち。
おじいちゃんおばあちゃんと、伯母さん夫婦と叔父さん夫婦かな。母方の親類一同のご意見だ。
「私たちは永治さんに甘えてたし、沙世子ちゃんに頼り過ぎていたわ。きっと永治さんもストレスを溜め込んでしまっていたのね」
きっとそれが爆発してしまって……と涙ぐむ伯母さんに、そういうんじゃないんで、とツッコミは出来なかった。親戚の間であの男、美化されまくってる? そんなばかな。
第三者視点で考えると、再婚相手の妻を亡くして実子と連れ子を育ててるシングルファーザーなんだよね。内情知らない人間からするといいお父さんだよ。腹立つなぁ。
「永治さんのことはどうでも良いと言ったら失礼だけど、私たちが一番気にしてるのは沙世子ちゃんと修也のことよ」
改めて、姿勢を正す。
「沙世子ちゃんは永治さんから仕送りを貰ってる?」
「……貰ってました」
「貰っていた、つまり今は送金がないのね?」
前からの二人分の視線に加えて、横からの厳しい目が向けられている。ここで嘘を吐いたっていいことはないし、あいつを庇う理由もない。
「数カ月前からありません」
「来年度の学費は? 預かってる?」
「ありません」
「預金通帳は」
「私の分は高校生になってから自分で管理しているので、今はバイト代の振込先として使ってます」
「学費には足りないわね?」
「……はい」
何この尋問。今までにない圧を感じる。まるで取り調べのようで、ここがファミレスの一角であることを忘れそう。伯母さんがベテラン敏腕刑事なのか、私がなんでもポロポロ喋っちゃうお喋りなのかは想像にお任せする。
伯母さんのハンドバッグから出されたのは小さなメモ帳。
「毎月現金書留を送られても困るでしょうから、ここに振込先を書いて頂戴」
「はあっ!?」
らしくない大声が出てしまった。いかん、常日頃から大人しくたおやかにを心掛けている私としたことが。伯母さんは真剣な顔だし、伯父さんも頷いている。おかしいって、それとこれとは別問題だよ。
「沙世子ちゃんに拒否権はないわ。私やうちのおじいちゃんたちには貴女たちに不自由をさせないっていう義務があるの」
妹の義理の子供相手だよ。せいぜい実子までじゃないの?
真の甥っ子である修也は伯母夫婦にありがとうございますって頭を下げている。駄目だよ、こんなに良くして貰っても私には返せるものがない。就職して給料をもらうようになるまでまだ時間がある。
「いつ返済できるようになるかわかりません」
学費だってまだ貯められてないから、下手したら来年春には退学だ。高卒で仕事を探すにしても私には資格も経験もない。
大きなため息が二つ。
「姉さん……きっと、違うよ」
修也からは何もわかっていないと言わんばかりに首を横に振られた。
わかってる、少し期待もあった。だからこんなに意固地になっているっていうのもある。でもさ、有り得ないんだよ。今まで生きてきた中で、こんな蜘蛛の糸が垂れて来たことは何回もない。糸にしがみついて周りの人間を振り落とそうとしたら、あっという間に切れるんだよ。
一度助けられたからって、二度も三度も頼っちゃいけない。
視線を落とすと、まだ元気にはじけるコーラの泡がコップの外に飛び出している。
この場で勢いがあるのは君だけだ。
なんて思っていたら、ダンッ!と威勢のいい音がした。
ビクッとなって顔を上げると、お母さんがいた。
違う、伯母さんだ。お母さんに似た、お母さんのお姉さん。
「選びなさい。今すぐうちの養子になって田舎に帰って一緒に生活するか、ここでありがとうございますって笑顔を見せて生活費も学費も受け取って大学卒業するか」
「……え?」
何言ってるんだこの人。
「お母さん」
伯父さんが静かに止めるが、伯母さんの勢いは止まらない。
「もうダメ、言わせて貰います。貴女のお父さんは父親に向いてません。失格です。子供にこんなこと言うのは悪いって思って黙ってたけど、限界。もっと早くに修也も沙世子もうちの子にしておけば良かったんだわ。自分の生活一つまともにできない男に、小さな子供ふたりを育てさせるんじゃなかった。ほらご覧、いい子をはき違えてこんな拗れた子に育っちゃったじゃない!」
こ、こじれた子……もしかして、私のことですか。
あまりの剣幕に伯父を見ると静かに頷かれた。そうじゃない、誰に同意してるんですか。伯母にですか?
「沙世子、貴女は大丈夫って言うけど何が大丈夫なの。お母さんは死んじゃって、父親はあんなんで。家を出てきた弟の面倒まで見て、なんでそこまでやる必要があるの!?」
お母さんが死んじゃったのは悲しいけど仕方ない。父親があんなんなのはこういう世界だから。弟の面倒を見てるのは修也が可愛いからだけど、面倒を見ないと、みないと……
私のこの世界での存在意義がなくなるじゃない。
だってもともと、この世界は私のためのものじゃない。浅見郁人を中心に回っている世界で、周りの人間は何故か私を嫌っていて。だったら少しでも居場所を作るために、いい子じゃなきゃ、良い人として生きて行かなければいけないんだ。
理解ある娘、面倒見のいい姉、優しい女友達。
意思を持たない、害をなさないただのモブ。
だって、原作ゲームには私なんて存在がないんだもの。
置いてくれてありがとう、存在を許してくれてありがとう。
これくらい謙虚な気持ちでいなければ、きっと私は消されてしまうバグだから。
「……いい子じゃなきゃ、生きていけないし」
この世界で、初めて口にした本音だった。




