SEASONS~紅葉~ 17
「なんで、でしょうか……」
修也が私のお財布事情を心配してたから、そっち経由で探りを入れられてるのかと思った。だとして、私に断りなしで親戚方面に相談を入れる? 目線を向けると不思議そうな顔をしてこちらを見てくる。この様子からして、電話の内容を知っている感じはないな。もし知ってたら私の電話番号が知りたいなんて回りくどい言い方ではなく、話したいことがあるって伝言を頼むだろうし。
『沙世子ちゃんのお父さんの元職場から、うちの方に連絡が来たのよ。退職したけど荷物が残っていて、引き取りに来てくれないかって』
あの男、本当に仕事辞めたんだ。夏前に帰ったときにそんな話をしてたけど、貯蓄が守られているかも怪しい状態で無職になれる勇気があるなんて驚きだ。逆に、言い出したことを撤回するのが難しかった可能性もある。見栄とか体裁とか気にするくらいなら、振舞い方を変えるべきでしょうに。
何にせよ、辞め方も綺麗じゃないのは大問題。立つ鳥跡を濁さずという言葉を知らないのか。緊急連絡先にでもしていたのか、伯母さんたちにご厄介をおかけしている。
「父が大変ご迷惑を……」
私に電話が来ても嫌だったけど、人様に被害が行くより何倍もマシだった。職場に教える連絡先に大学生の娘の電話番号を教えるなんて普通はないけどさ。
『良いの、気にしないで。うちの人と荷物を取りに行って全部引き上げて来たんだけど、永治さんに電話をしても番号を変えたのか繋がらなくて。おうちに行っても留守だし、悪いと思ったけどポストを見たら督促状が溜まってるし、一体どうなってるのかと心配でね』
あー、マジかぁ。
思わず天を仰いでしまう。事態は想像より悪いらしい。
「本当にすみません……」
『違う違う、謝ってほしくて電話したんじゃないの! まさかこんなことになってるなんて知らなかったから、どうしたんだろうって家の皆で話しててね。そしたらおじいちゃんが「沙世子ちゃんの学費は大丈夫か」って言い出してハッとなったのよ。私も全然気が回らなくて、慌てて電話したのが今。遅くなってごめんなさい』
なんで伯母さんが謝る必要がある? 悪いのはすべてあの愚父です。
ポストを開けてないとなると、家には帰っていないのか。それか見て見ぬふりしてるとか? 一度家に帰って諸々を整理しないと不味いな。
「ご心配とご迷惑をおかけします。不義理をした上にご面倒を更にかけてしまうんですが、父の荷物は処分して頂けると助かります。処分費用は後で支払います」
『だから、そうじゃないのよ沙世子ちゃん。あぁ、もう! 電話じゃ駄目ね。顔を見てお話したいから、明日そっちに行くわ』
わかってる。伯母さんが謝罪を求めてる訳じゃないって知ってるんだけど、口から出てくる言葉はすみませんの連続で……って、明日?
「えっ、明日? 明日ですか?」
『沙世子ちゃんの都合のいい時間で良いから。明日が無理なら明後日でも。朝一番に車で行くから、お昼以降の空いてる時に伯母さんたちと会いましょう』
伯母さんたち、ってことは伯母さん以外も来るの? えっ、どうしよう。学祭がどうこうなんて言ってる場合じゃなくなった。これはお断りできない一大事だ。
「わかりました。こちらに着いたら連絡ください」
うちに来て頂くにも駐車場がないので、最寄りのファミレスでお話ししましょうとお願いして電話を切った。
「伯母さん、明日来るの?」
隣で話を聞いていた修也。電話の向こうの声は聞こえなかったようなので、一応セーフってことにしたい。
「私に話しておきたいことがあるんだって。伯父さんの車で来るみたい。ごめん、明日の学祭は案内できないわ」
折角休みを貰って遊びに来てくれる予定だった修也には申し訳ないけど仕方がない。サークルメンバーたちに明日の欠席を一斉送信すると、同期たちからOKの返信がすぐに来た。太刀川からは『今日休んだ後輩をシフトに入れたから平気』と個人宛に届いた。仕事が早くて笑ってしまう。明日もドタキャンに一票。
「伯母さんたち来るなら俺も一緒に行くよ」
「大丈夫。私と話したいことなんだって。浩人君と久しぶりに会ったんだから、遊んでおいでよ」
金銭面の心配をさせたくないのよりも、父親の話に関わらせたくない気持ちの方が強いからここは譲りません。浅見兄弟と波風を立てずに楽しくお出かけしててくれると助かる。
「……俺、姉さんが思うほど子供じゃないよ」
修也が言う。知ってるよ。
「子供じゃないけど弟だからね」
庇護する必要はないとわかっていても、弟は可愛い。ただ、それだけ。微妙な顔をされたけど、揺るがぬものなので諦めてね。
あぁ、疲れた。明日のためにも早く寝よう。
その夜、夢を見た。
幼稚園の前の道路で錯乱する母親と、ざわつく他の保護者達。先生たちが慌てて何かを叫び、園児は何が起こっているかわからない様子だった。
『――ちゃん、――ちゃん』
転がっている何かを揺する男の子。駆け寄ってくる違う男の子。
『起きて、 いたくない? 起きて、目、あけて』
男の子の声がそばから聞こえる中で、遠くでは車が走り去る音がした。
『違う、そんなはずない。違うわ、絶対ちがう。やめて、うそ、沙世子……!!』
この声は知ってる。
「お母さん」
私はあの時、交通事故に遭っていた?
夢の続きはなかった。
起きてから夢の意味を考える。
私は事故になど遭っていない。
あの日、道路には飛び出したけれどお母さんが助けてくれて傷一つなく未遂で終わった。なんであんな生々しい映像を夢で見たんだろう。浅見弟に会って、昔を整理しようと脳が働いたのかな。記憶処理が雑なのは気になるけど、夢に整合性なんてないし、見聞きしたものをごちゃまぜにして作り出されるものだよね。
俯瞰で見る夢は初めてだったから戸惑ったし、起きてもまだ少し心臓がバクバクしてる。自分が死にかけている姿を客観視するのは怖い。夢占いとか信じないけど、嫌な意味だったら気持ちが沈みそう。
顔を洗って身支度。大学に行く格好ではなく、少しだけフォーマルに。怒られそうだから悩んだけど、手持ちのお金から綺麗なお札を数枚用意して紙袋に入れる。親しき仲にも礼儀あり。本当ならこちらから頭を下げに行くべき相手なのに、ご足労頂くんだからこれくらいはしないといけない。
「おはよう」
修也が眠そうな様子で起きて来た。疲れているんだろうけど、あまり眠れてない感じ。弟のためにもいろいろと蹴りを付けなきゃ不味いなと気を引き締める。
「おはよう、修也君。朝ご飯どうする?」
「ん-……姉さんは?」
食べる気がないというか、胃が重すぎて何にも入る気がしない。お腹の中に鉄の球が入ってる気分だ。
「ごめん、お腹空いてなくて朝ご飯準備してないんだ」
「だと思った。伯母さんたちと会う前に、どっかで遅い朝飯食べようよ。飲み物だけでもいいからさ」
修也の提案に身構える。修也は出かけるつもりがないのか、私とご飯をしてから友達と会うのか、どっちなの?
「あそこのファミレスなら、昼前に行けば混まないでしょ」
名前を出されたのは伯母さんたちと会う予定のファミレス。こいつ、絶対ついて来る気だ……
「諦めなよ。俺、姉さんの弟だから頑固だよ」
全部を見透かしたように言うものだから、呆れて肩の力が抜けてしまった。まるで私が頑固者みたいな言い方じゃない?
「誰に似たのかしら」
こめかみに指を当てて大袈裟にため息を吐いてみれば、ケタケタと笑い出す始末。
「そりゃ、俺たち二人とも母さん似だよ」
私の記憶の中のお母さん像が少しぼやけた。




