SEASONS~紅葉~ 13
浅見は俯いたまま動かなくなった。
別に責めたい訳ではなかった。単純に事実を伝えただけなのだから。でも浅見からしてみたら、嫌われていると思っていたらそれ以前に記憶が綺麗さっぱり残っていないという土俵にも立てていなかった状況も問題なのか。私が悪い箇所ってなんだろう。記憶に残っていないっていうのは私自身の責任ではないけれど、私自身の事象でもあるから難しい。
……ここで先生と浅見がキスしてたのは知ってるよって言ったら回復不可能になっちゃうかな。弱り目に祟り目みたいな、泣きっ面に蜂みたいな?私にサディスティックな趣味はないので死者に鞭打つような真似はしない。
本当は休ませるつもりでここに来たのに、瀕死の重傷を負わせてしまったのは流石に気まずい。いや、当初からの予定通りなんだけど浅見の体調が思った以上に思わしくなくて、そこがいけなかった。けどなぁ。今からどんな優しい言葉を口にしたところで、浅見のメンタルが回復するとも思えない。今更過ぎるけど一人で家に帰れるくらいには持ち直さないと、浅見の体調もだけど家族の反応がやばそう。
信じて送り出した甥っ子、従弟が体力気力ともにボロボロになって帰って来たとなれば、家族総出で私のこと訴えそう。これに関しては何も言い逃れが出来ない。犯人は私でしょうか? 多分、そう。
お縄になることはないとはいえ、浅見を振った罪とか秘密裏に存在しそうなこの世界。ゲームだったら主人公を振った女キャラは早々にご退場となるんだろうけど、その場合の捌け方ってどうなってるの? 振られた人はふっきれてイイ女となり我が道を行くパターンがあるけど、振った人って主人公の魅力をわかっていない駄目な奴扱いでは…… その先の未来が薄暗い気がしてならない。
覚悟決めるしかないのかな。ハッキリ言って、ここ最近の生活を見ていても明るさが見えないのは気付いていた。お金がないのがその筆頭。薄々気付いていたけど、バイトの数を増やしただけじゃ、学費の支払いなんて無理。生活費を切り詰めたところで出て行くお金が減らないし、一カ月に稼いだお金も微々たるもの。そもそも、あの男の扶養に入っている時点で詰んでいる。
未だに後頭部をこちらに向けている浅見を見て、ため息を吐きかけたので牛乳と共に流し込んだ。お金がないのは浅見のせいではない。ゲームだ主人公だと原因を余所に押し付けたいのは私の考えであって、これが真か偽かは置いといて諸悪の根源をそこにしてしまうのはいけないことだ。浅見が私を好いて周りを巻き込むことと、私の周りの環境が変わることの因果関係は今のところないのだ。あの男が浅見に惚れて家庭崩壊してたら、真っ向からぶん殴れるけど、あいつに関してはむしろ浅見にお世話になったのでなんも言えない。
「ごめんなさいね。記憶力が低くて」
今の私に言えることはこれくらいだろう。覚えていないのは、本当にごめん。
「なんで、沙世ちゃんが謝るの?」
その声は恐ろしいくらいにいつも通りだった。顔を上げた浅見は、やはりまだ青白い。
「俺たちが、沙世ちゃんと仲良く遊んでたのは幼稚園の時。小学校に上がってからは……ごめん。あんまり遊んだことはなかった」
……おい待て、どういうこと? 遊んだことがない?
目を見開いて浅見を見ると、胸の前で手を組み懺悔のように言葉を吐き出している。
「小学校に入学してから、クラスは別々だったし、お互いの家に行くこともなかった。沙世ちゃん、放課後は誰とも遊んでなかったから。最初のうちは学校内で沙世ちゃんを探したりもしたけど、別の教室には入れないしクラスに新しい友達が出来て、その子たちと遊ぶことが増えてた。沙世ちゃんのことは……忘れてはいないけど、思い出す回数が減った」
まあ、新しい環境になれば人間関係が変わるのも仕方ないね。入学や進級で友達が増えるのはよくあること。友達が知り合い程度になることもわからなくはない。けど、浅見が私をそうだというと、今までのあのやり取りは全部茶番だったの?
「二年生の冬に、沙世ちゃんのお母さんが亡くなったことを知った。母さんに連れられて、俺たちはお通夜に行った。おじさんが喪主で、泣いてる修也君の隣に立って、参列者に頭を下げてる沙世ちゃんを見た時、なんで一緒に居なかったんだって凄く後悔したんだ」
お通夜の記憶も曖昧だ。母方の親戚が集まってお通夜や葬式の手伝いをしてくれて、母の死に呆然としていた父はかろうじて挨拶が出来る程度には疲労していた。私は泣いている修也の背中をさすりながら、お母さんに会いに来てくれた人にお礼をするのよという親戚の言葉の通り、ただひたすら頭を下げた。同級生やその親御さんも来ていた気がする。「これから頑張ってね」という無責任だけど、それ以外にかけようがない励ましを沢山貰った。あの中に浅見がいたのか。
……え? それを私に思い出せってずっと言ってたの? 無理があり過ぎるでしょ。
「それから、沙世ちゃんのことが改めて気になって、沙世ちゃんが大変なときは近くに居たいって思うようになったんだ。お葬式の後もあんまり学校には来てなかったり、三年生になってからも沙世ちゃん忙しくしていて声もかけられなかったけど……」
「あの頃は家の片づけとか、家事を覚えるのに必死だったから」
親戚が遺品整理に来るのは父親が居ない平日の昼過ぎだった。立ち会う必要はなかったのかも知れないけれど、知らないうちにお母さんの思い出を持って行かれるのが嫌で、遺品のひとつひとつを眺めながら箱詰め作業を廊下から眺めていた。
家のこともそう。お母さんが倒れてからは家事の手伝いはしていたけれど、全部をこなしていたとはとても言えず、家の中でこなすべき仕事について祖母や伯母に手ほどきを受けていた。
掃除は週に一回、洗濯は二日に一回で良い。ご飯は全部作らずとも、夕飯はお父さんに買って来て貰いなさい。そう言って小学三年生に出来ることだけを教えて帰った祖母。思えばあれも優しさだった。言いつけを守っていれば良かったのだろうけど、母を亡くした喪失感を埋めるため、父と弟に不自由をさせたくないという小学生なりの自尊心から無理をしながら頑張った。一日じゃ掃除は終わらない、洗濯は毎日しないと溜まる、夜ご飯は温かいものが食べたい。全部お母さんはしてくれていたからという理由で家のことをやっていた。当たり前だが、小学生には難しく時間がかかることばかり。放課後、友達と遊ぶ時間はなかった。
「あ」
わかってしまった。
私には記憶がないんじゃない。思い出がないのだ。
学校からまっすぐ帰って、ランドセルを置いたら私は『お母さん』になった。私より少し早く帰っている修也に宿題をやらせ、遊びに行く彼を見送ってから掃除機をかける。日が傾く前に洗濯物を取り込んでたたみ、冷蔵庫の中に詰まった食材を眺めて自分でも作れるおかずを考え、お米を研いで味噌汁を作る。夕焼けに染まる空を見て玄関とリビングの電気を付ける。夕方のチャイムが鳴る頃に修也が帰って来るのを出迎えてから、お風呂の準備を始めていた。
家から一歩も出ないで、明るい家で家族を待つのが日課だった。家に誰もいないと、お母さんが入院したあの日の、真っ暗で静まり返った家に帰った時の寂しさが蘇ってしまうから。
とにかくがむしゃらに家事をこなし、周囲の大人には心配もされていた気がする。だけど覚えていないのは周りが見えなかったから。見ようともせず手元と足元だけを必死になっていた。今ならわかる。あれは悲しさに押し潰されないように、自分なりの心の防衛手段だった。そんな姿を、修也はきっと怖がっていた。父親も、娘が壊れたとでも思ったのだろう。家族の会話が減ったのは母の死と、私の暴走のせいか。
家族のうちの一人が変になれば、残りの二人の仲は深まりますね。考えたくないけれど、そういうことだったのかも。
じゃあ、そんな私を浅見は見ていたの? 恋心を抱くにはちょっと無理があるのではないか。怖すぎるでしょ。空回りして生き急いでいる、そんな小学生。
学校では普通に授業を受けていた。友達は、ほんの少し居たけれどみんな女の子。放課後に会う人はいなかった……
いや、居た。
毎日のように遊びに出ては、家に帰り辛かっただろう修也。だけど毎日決まった時間に「ただいま」と玄関を開けて帰って来たのは、ちゃんと見守ってくれる人が居たから。家に入る前にいつもバイバイと手を振っていたのは覚えている。その先に友達がいるのだろうなとは思ったけど、顔を見たことは一度もなかった。
「いつも、修也を送り届けてくれたのは、浅見?」
白かった顔が、見る見るうちに赤く染まって行った。




