SEASONS~紅葉~ 9
学祭二日目の朝ご飯は茹で卵。台所で殻を剥いて塩をかけて食べようとしたら、修也に止められた。ウインナーを焼き、ご飯をよそい、茹で卵を半分に切って簡易どんぶりを完成させる。本職の手際の良さを見せられて思わず拍手だ。
「今日はそんなに急ぐ必要ないんでしょ?ご飯くらいはしっかり食べて行ってよ」
ごめんなさいと頭を下げて、今日も二人で食卓を囲む。当然の如く、話題はうちの学祭についてだ。
「店長が休みをくれたから、明日は学祭を見に行く」
「そうなの?」
なんでまた急に。
「お客さんに姉さんたちの大学に行かないのかって訊かれて、仕事ありますからって答えたら、店長が折角なんだから遊びに行きなって休みにしてくれた」
断ったけどその場の全員に後押しをされて断れなかったと話す。そういう空気になるとNOとは言いづらくなるよね。わからなくもない。
無理に来る必要はないよ、と言葉が出かけたけれどそれを決めるのは私ではない。
「明日は最終日だから、早めに終わるよ。時間気を付けてね」
「うん、ありがとう。友達がこっちに来てるから午前中から一緒にまわるつもり」
松戸や浅見と合流するのかと思ったのに、ちょっと意外な答えが返ってきた。
「友達……?」
口ぶりからして、地元の友達だよね?中学高校と友達がいるのは知ってたけど、こっちに来ても連絡を取り合っている子がいたのかと驚いた。よほど仲が良い人なのか。
「昨日からこっちに来てるんだって。忙しそうだけど明日は時間空けるって言ってくれたから、二人で行くよ」
来たところで大したおもてなしも出来ないんですが。でも修也の話だと私の知ってる相手らしい。
「その子の」
名前は何?と聞こうとしたところで、携帯が鳴る。相手はサークルの後輩だ。ご飯の最中にごめんと断りを入れて、電話に出た。内容としては急用が出来て今日は休む、シフトに入っているのにすみませんというもの。バイトじゃないし、強制力もないので別に良いよとしか言えない。意地が悪い先輩なので、アイドルが来ることは伝えなかった。後輩は昨日も前日準備にもいなかったし、元から学祭に参加する気はなかったんでしょう。男性アイドルオタクという噂は聞いてるけど、噂は噂だからね。
電話を切ると、修也的にはさっきの話はもう終わったことのようで、地域猫のドラさんの活動範囲の広さについて語られた。
友達については明日になればわかることだ。期待せずに待っていよう。
我がブースはは朝から初日の比ではないくらい客が集まっていた。ホットドッグ屋に沖智弘が来た、沖智弘がホットドッグを買った、沖はホットドッグが好きで買い占めている、ホットドッグ屋巡りをしている、サプライズでホットドッグ屋の売り子をしている等。伝言ゲームの失敗例を見ているような話が学内を駆け巡っていた。
お陰で開始早々に『うちはただの日本古典文学研究部』『有名人はいません』『噂はほぼデマです』という謎の張り紙をする羽目に。効果はまずまずで、それを見た外部の女性陣は散り散りに去って行った。その次に学内の女子が
「沖君ってサークルに入ってないよね?」
と念のために確認を取ってきた。
「忙しくてサークルなんて入ってる場合じゃないのでは?今日はどこかのゼミで発表があるんじゃなかったでしたっけ」
沖智弘の所属ゼミなんて知らないけれど、ファンはしっかり情報を握っている。複数あるタレコミの中から信用性の高い順に狙って行くはずだ。……ここの情報の信用度は如何ほどかしら。
商品を買いもしないお客が去った後に残ったのは、野次馬根性で来てついでに買ってくれる人と、騒ぎの理由を聞きに来たサークルメンバーの知人友人と、昨日あの場に居たミーハーな人たち。聞こえたんだろうね、11時に予約商品を受け取りに来るって。
まだかな~と店先でボーっとしていると私の目当ての人が来た。
「せんせー!!」
私を見つけて、大きく手を振りながら小走りで向かってきたのは私の待ち人、里奈ちゃんだ。
「里奈ちゃん、待ってたよ~!」
私服で来るのかと思ったら、キッチリと制服を着こなしているその姿はどこからどう見ても素敵な女子中学生。良い所のお嬢さん感が満載で、先生は少し心配になりました。
「一人で大丈夫だった?変な人に声かけられてない?」
そこそこの人数がいる場所だから、馬鹿な大学生の一人や二人がいてもおかしくはない。変な絡まれ方をしてないか不安になったけど、全然!と首を横に振ってくれたのでホッとした。帰りに送ることを提案して間違いなかったかも。
「駅を降りた時から興奮しちゃって!一歩歩くたびに心臓が飛び出そうで、門と建物見たら怖いくらいドキドキしてて、もう本当に息が止まりそう!!」
それだけ饒舌に喋っているんだから息は出来ていると思うけど、確かに少し呼吸が浅そう。まずい、AEDの場所を確認すべきだったか。
冗談はさておき、深呼吸を促し落ち着かせた。時計の針がもう11時を示している。この状態で里奈ちゃんは呼吸を忘れずにいてくれるか、私もドキドキしてきた。
「先生、本当にありがとう!」
今お礼を言われても。
「すみません、昨日お願いした沖です」
この後どうなるか。
「……え?」
ほら、固まっちゃった。
「お待ちしてました。ご注文の品です」
用意していた特注品、これだけ渡せば終了。里奈ちゃんへのサプライズも無事に達成できた。めでたしめでたし、だから帰っておくれ。ああ、でもちょっと補足も。
「中に浅見君への連絡が入ってるので、お手間でなければ渡してください。お忙しいようでしたら、渡さなくていいです」
名前が出た途端に眉を顰めるのわかりやす過ぎて笑います。今まで何十回も見て来た表情です。
「郁人に?」
「三石汐里さん、お友達なんです。最初に汐里さんが買って、それが浅見君に回った。浅見君がホットドッグをまた欲しがった。そう思ったんですが、違いました?」
推理でも何でもない簡単な連想ゲーム。ついでに今まで来たのが浅見周りの人間だったから。
「君は浅見の何?」
なんでしょうね、本当に。
「何と聞かれるほど付き合いもない、昔からの知人ですね」
「そう」
アイドルは引き下がるのも早かった。外野が増えて来たものね。人は増えているけど半径1mには入って来ない。これが芸能人オーラの効果なのかな。一番近いのはテーブルを挟んだ私ではなく、隣に立っている里奈ちゃん。口があんぐりと開いている。里奈ちゃん、閉じよう。
「ウサギ」
沖君の視線は里奈ちゃんのカバンについているぬいぐるみに向かっていた。そしてそこから目線をあげて、里奈ちゃんを捕らえる。
「ありがとう、一緒に連れて歩いてくれて」
私に向けていた時とも、ホットドッグを買いに来ていた時とも違う、彩度が跳ね上がった笑顔を向けて里奈ちゃんにお礼を言い、その男は立ち去った。
里奈ちゃんは腰を抜かした。
これはもう学祭どころじゃなくなったね。




