SEASONS~紅葉~ 3
初バイトは大変ながらも、得るものがあった。楽しくなって閉店間際のパン屋さんを覗いて、普段じゃ買えないようなお洒落なスイーツパンを二つとフランスパンを一本購入した。30%引きだった。
とは言え、お金がなくて働いているのに無駄遣いは宜しくなかったなと翌朝になって反省した。何をそこまでハイになる必要があった?と自問自答してみたけれど、なんかこう、楽しかったんだよね。自分に対して多少当たりの強い奴が、その遠因によってダメージ食らってるの。私だって人間ですから、敵意や害意に晒されれば疲れる訳ですよ。私に構わず勝手にやってろバーカ、なんて面と向かって言えないから、ちょっと溜飲が下がった。本当に私って性格が悪いな。
これが私と縁遠い所で起きた出来事だったなら、柳のことを慰めていた可能性もある。好きな人が誰かと二人で連れ立って歩いてたら凹むでしょうね。ドンマイって肩を叩いたかも知れない。有り得ない世界線のお話だけど。
あの後、浅見と女性客は二人並んで去って行った。遠目に見た程度だけれども、浅見が女性を嫌っている様子はなく、お買い上げしていったチーズケーキを受け取って会話をしながらエレベーターに乗り込んでいった。友人か、もしくはそれ以上の関係でしょう。
浅見に姉はいない。本人に聞いたのではないが、修也が言っていた。浅見家は浅見と弟の二人兄弟だと。幼少期に一緒に遊んだと修也は話すけれども、私にはその思い出がない。いつも思うけれど、人ってどれくらい小さい頃の記憶が残っているのだろう。家族のことはそれなりに覚えているけれど、小学校の前半については認識が薄い。同級生の顔や名前を出されても、そんな子いたかな?と悩んでしまう。未就学児の頃なんてなおのこと。これから会うことはないと思うけど、記憶にない浅見の弟に心でそっと謝罪した。
とにかく、浅見に同年代かその前後の姉も妹もいないことは柳も承知済みでしょう。でなければあれほど衝撃を受けようがない。あれは恋人かそれに近しい関係だと思い込んで、勝手に失恋するパターンだ。私詳しいんだ、図書館にあるBL小説を参考書にしてるから。
オチは見え見えなのでもちろん深入りはしないけれど、もしも本当にそういう関係であったら……
「姉さん、今日は朝からご機嫌だね」
いろんなことを想像、妄想、空想していたら、いつもより豪華な朝食が出来た。
普段が目玉焼きとハムとトーストならば、今日はフランスパンのオープンサンドとオニオンスープ、ヨーグルトのドライフルーツ乗せ。オープンサンドは玉子サンドとピザトースト風の二種類となっております。冷蔵庫の在庫整理ともいう。
「楽しくなっちゃって、つい」
近いうちにスーパーに行く予定だったので丁度いい。昨日買ったスイーツパンはお昼用だ。一つは修也用なので取っておこうかと聞けば、朝ご飯に食べると返って来た。やはり男の子、胃袋の作りが違う。一応、オープンサンドも修也のは二個多く作ってあるんだけど足りないか。
「新しいバイト、そんなに面白いの?」
昨日の帰宅直後から私が楽しそうであると話すが、そこまで浮ついてたかな?と反省する。だって私ただの野次馬なのに。
「忙しいけれど、楽しいよ。ケーキ屋さんになった気分」
子供の頃の夢なんて忘れたけれど、洋菓子店に心ときめいていた時もあっただろう。
「日曜日まででしょ?休みはないの?」
「時短勤務はあるけど、基本は毎日だよ。週明けたらいつも通りのバイトだけ」
土曜日は家庭教師の仕事があるので、その後に三時間だけ。少しでも働けるのは有難い。この調子で稼がないと。
「そっか。今日も昨日と同じくらいに帰ってくるよね?」
修也はお休み。もしかしたら出かける予定かな?
「うん、同じだと思うよ。真っ直ぐ帰ってくるつもりだから、ちょっとだけ早いかも」
昨夜は目新しさが勝ってデパ地下をうろうろしてしまったから。財布の紐を改めて締めるためにもどこにも寄らず帰ります。
「わかった。ご飯作って待ってるよ」
私の弟は今日も良い子だ。ありがとう、と礼を伝えて朝食を済ませる。弟との楽しい夜のためにも、学業とバイトに励もう。
午後の講義がないので、昼食を取ってからデパートに向かい催事場のバックに入る。前日に説明された場所に向かえば、見覚えのある社員さんがバイトらしき学生さんとお話をしていた。私と同じだろうと思い近付けばやはりそのようで、身分証代わりのアルバイト登録画面のサイトを開いて見せれば、今日も宜しくと挨拶された。
勝手は一緒だと言われれば素直に頷き、仕度をしてブースに入る。そこにいたのはあと30分で勤務を終えるという私より年上のバイトさんと、死んだ顔をした柳だった。私に付いて様子を見に来た社員さんが物言いたげに柳を見る。
言っちゃっていいと思うんですよ。それ、接客する顔じゃないって。
「……山岸さんがお客様対応で、柳君は裏で段ボール潰してて」
一体いつから働いてたか知らないけれど、お前今日チーズケーキの箱に何個触れた?レジを何回打った?今日はもう触れることないと思うし、明日以降も段ボール潰しの仕事が来ると思うよ。
裏に戻った柳を目で追った後、社員さんに訊ねた。
「私と彼の時給って同じですか?」
「同じ派遣先から来てるから、そうだね」
段ボールの山に埋もれてしまえ。
たった数日、されど数日。お仕事にならないバイト仲間がいても社員さんは困惑だろうし、他のバイトさんだって接し方がわからないでしょうし、何より私が困る。
お客さんが居ないタイミングでこっそりため息をついた。
早番だったバイトさんが帰り、お客さんが増える時間になっても生きる屍である柳は裏でノソノソと動いていた。このデパートの空き段ボールを全部潰した後、奴に出来る仕事はあるか。表情筋が仕事をしないだけなら、どっかの量販店からお面でも仮面でも覆面でも買ってくれば良いのに。ひょっとこが売る有名店のチーズケーキなんて、シュールレアリスムの隅っこに置いて貰えそう。
100年後に理解されても今働いている私には関係がない。現段階の対処法を考えたい。
僅かに人の波が途絶えた時、ケーキの補充に来た柳に声をかけるつもりだった。けれども予想外にも、柳の方が私に話しかけてきた。
「お前は平気なんだな」
昨日よりも半分以下の大きさになった目をこちらに向けて来た。何が?なんて聞いて時間を無駄にはしたくない。仕事のためにも最短ルートで会話を終えるつもりだ。
「浅見君に直接話を聞いたら?思い込みで凹んで実は違いましたなんて悩み損でしょう。柳君は浅見君のお友達なんだから」
わずかに目が開き、その後に首を垂れた。俯くな、ここは店頭だ。人の目があるんだよ。
「俺は……郁人の友達なのか?」
知らんよ。そこから悩んでるの?もしくは自分は付き合っているつもりだったけど友達だと思われていてショックだった?後者ならば人格に問題ありだから早急に距離を取りたいんだけど。
仕事中の長い無駄話はNGなので、無視を決め込んだ。
柳は考え事をしているようだったが、死んだ魚の目から瀕死の魚の目までには回復していた。手と目と耳は働いていたので、夕方のラッシュ時には喋らないなりにも表で働けるようになった。明日までに浅瀬を泳ぐ魚の目くらいに戻って頂きたい。
忙しくしていれば時間はあっという間に過ぎていく。夕方から夜にかけてのピーク時を乗り越え、あと少しだと自分に言い聞かせている最中。
「最近、郁人の様子がおかしくて」
隣に立つ男が呟いた。え、私に言ってる?独り言?
「今までは普通に飯食いに行って、遊んで、大学でもつるんでたのに、今じゃ声をかけると渋い反応ばかり」
嘘でないのなら、それは友人だと思うよ。告白して関係が変わったならばご愁傷様。
「小さい頃から一人が楽で、ずっと友達なんていなかったから。大学で郁人に会ってから初めて友達と呼べる相手が出来た」
俺は一人でやって行くぜってタイプかと思ったら、コミュニケーション下手で友達がいなかった系なのか。
「誰かと一緒にいるなんて面倒だと思ってたのに、郁人とは全然疲れなくて俺の一番の友達は郁人だから、郁人にとっても俺が一番でありたかった。けど、違ったみたいだな……」
浅見の一番になりたかったから、近付くものみんなを威嚇してたの?番犬かな。今まで友達が居なかったから、距離感を測りかねての暴走にも見える。
私が柳と浅見を見かけたのは確か春先で、物凄く睨まれた覚えがある。あの頃から拗れてたのなら、もう半年近いか。言葉足らずなんじゃないですかね。心で繋がるとか言わずともわかる仲とかは存在しないんだよ。口出しする立場には居ないので黙るけど。
あの、長々と話していますけど。
「柳君は何が嫌なの?」
三秒前に思っていたことと反して、口出ししてしまった。
「嫌……?」
浅見が女の人といるのが嫌。
自分以外の友達と居るのが嫌。
浅見にとって自分が一番でないと嫌。
さあ、どれ?
「俺は、何が……」
柳は浅見と二人でいるのが楽しいらしい。そして浅見のことをなんでも知っておきたいように聞こえた。恋愛感情で好きならば女性と歩いている浅見にショックを受けるのも、私と浅見が喋ることに嫌悪するのもわかる。先程の一人語りを聞くと、一人しかいない友達を別の人間に取られるのが嫌だという主張にも思える。そして、その上で互いが互いを一番に置きたい、置いて貰いたいと願っているのも。
それは恋なのか、友情なのか、親愛なのか。
私は親切な女友達でもない。関わり合いを避けたいがバイトはスムーズにこなしたいだけの人間。冷たいだろうけど二人の関係性に一切の興味がないのだ。悩むなら自宅か深夜のファミレスでお願いします。
ケーキは売れ残り、私は終業の時間を迎えた。
そそくさと帰路に就いた私を迎えたのは、修也と見覚えのあるチーズケーキだった。
「郁人さんの家に遊びに行ってご馳走になったケーキ。三人で食べて、あと一個は姉さんのお土産にって持たせてくれたよ」
浅見と松戸と三人でゲームをし、浅見の下宿先でお昼を頂き、おやつまで食してきたそうだ。あちらのご親戚とまで仲良くなっていて姉は驚きを隠せないよ。今度、手土産でも持たせるべきかと母親のようなことを考えながら、修也の作ったパスタと食後のデザートを完食した。
修也と浅見が友達ならば、柳と浅見は友達なのか。尺度や程度の差はあれど、人間関係を一括りにするのは難しい。けどね、ライクとラブは結構わかりやすい。本人が自覚しているかはさておいて。
「浅見君って、甘いもの好きだっけ?」
食後のお茶を飲みながら、修也に訊ねた。私から浅見の話題が出たことに驚いたのか、目を見開いてから激しく頷いて来た。
「好きだよ!新しいスイーツも、老舗の和菓子屋も、人気のケーキ屋さんも良く知ってる。一緒に住んでる叔母さんが好きで、いろんなお菓子を買って来るんだって」
「このケーキも叔母さんが?」
「これは叔母さんの娘さん、郁人さんの従姉の人と買いに行ったって言ってた」
はい、解決。はい、解散。お疲れ様でした。
月並みな話だし、答えは八割がた想像できてた。これはほぼ答え合わせのようなもの。それでも綺麗に答えが決まればスッキリするね。あとはこの事実を柳が知れば良いだけ。
これが一番の難所では?
ぶっちゃければ、柳の失恋も友情の行方も私は欠片も興味がない。浅見の恋の展開なんてなおのこと。どれもこれも関わらなくて良いことなのだけど、短期とはいえ職場の空気が重たいのは嫌。
「……このチーズケーキ、私がバイトしてるところのやつなんだよね」
一か八かで伝えてみた。これが巡り巡って伝われば、最終日までに顔を見せるかも知れないな、くらいには思った。そこで一言二言、二人で会話をして解決するならご自由にって感じで。
まさか翌日の柳がバイトに入ってない日に、浅見と女性が二人で来店するとは思わなかった。




