止まった季節 後
「今、あっちで焼きそば作ってるからここで待ってて。焼きたて持ってくるから」
ビールケースに座布団を敷いた特別席に座らされ、叔父さんからウーロン茶の瓶を渡される。瓶だよ瓶。缶でもペットボトルでもない。その希少性に感動するも、ターゲットへの意識は逸らさずに目の端で捉えている。
前田光司改め、丹崎光司は青年会のメンバーと共に一生懸命トウモロコシを焼いている。
道中で聞いた「都会から結婚相手を連れて帰ってきた丹崎さんの孫娘」の婿が光司先生なんだと。
なんだそれ。なんだそれ!?
あの人は浅見の大学のサークルのOBとして現れるんじゃなかったの。細部は忘れちゃったけど、先輩の紹介で再会して小学校時代のアレの気まずさからギクシャクした関係からスタートし、ジリジリと距離を縮めて行ったような……
ゲーム内容の全部に茶々入れてたらキリがないけど、小学6年生に手を出す小学校教諭ってヤバさが群を抜いている。浅見以外の被害者はいないようだけど、大丈夫なのか。別に私が気にすることではないけれど、あの手の被害って訴えるのに期限があるのかしら。浅見が私に相談してくるなんて、大学構内にある初代理事長の銅像が巨大化して街を襲うレベルであり得ない話だけど、億が一の可能性を乗り越えて相談して来たら現在の居住地を教える程度の手伝いは可能となった。
ハレの日の空気に酔いながら、走り回る従兄の子供たちを眺める。目の前の雰囲気は最高に夏で田舎で祭りなのに、頭の中ではゲーム内容が走馬灯のように浮かんでは消えていく。走馬灯はまだ見たことがない。
そもそも、あのゲームの内容はもう薄らぼんやりとしか覚えていない。タイトルなんだっけ。浅見が主人公なのは知っている。忘れて堪るか。でも修也ってどこら辺で出てきたの?松戸って体格が変わったけどゲームの容姿と一致してるの?とまあ、おぼろげな事柄も多い。
浅見に付いて歩いてる明良っていう男子学生は覚えていた。浅見の幼なじみの田山も知ってる。この二人は顔を見たり声を聞いたりして、徐々に思い出せた。中学時代とは言え、石崎に気付けなかったのは一生の不覚。本当に悔しい。二度と忘れないが脳のデータから抹消したい。矛盾する心。
芸能人の沖君とやらはわからない。他に出会ったり見聞きした人間はどうかな。私が知らないだけで、浅見との関わりがある人物たちだったりするのかな。嫌だな、わかれば事前に距離を取れるのに。今回みたいな予期せぬ事態だと避けるにも手立てがないもの。
眉間に皺を寄せていると、近くで叔母さんたちが私の話題を出しているのが聞こえた。タイミングを見計らって挨拶に行かないと。怖くなっている表情を緩めるために、こめかみを指で揉む。愛想の良い孫、姪でなければ評判を落としてしまう。ズカズカと不躾な子になってもいけないので、慎重に。
叔母さんと話しているのは、ご近所の奥さんたちとその娘さんらしい。修也の幼少期は知っているけど、私のことまでは覚えていないと言った雰囲気。来てた回数が違うからね。修也を連れて顔を見せに行こうかと姿を探すも、従兄の子供たちに連れられて寺の敷地内を引っ張り回されている。見慣れぬ親戚のお兄さんって小さい頃は目新しくて懐いたりするよね。経験こそないけれど気持ちはわかる。ならば優先すべきはそっちだ。
ウーロン茶を飲み干して、ゴミ置き場に設置されている空きケースに瓶を入れる。そして今気づいたように叔母さんたちの輪に向かう。
「沙世子ちゃん、うちのご近所さんたちよ。それでこちらは光司さんの奥さんと丹崎のお母さん」
うおっ。
顔には出さないが、驚きが一つ。
「初めまして、沙世子です」
頭を下げればご近所さんたちも笑顔で返してくれる。一番お若い女性が光司先生の奥さんだ。
「さっき光司から聞いたの。昔の教え子さんがいてビックリしたって」
「私もとても驚きました。光司先生は6年生の時の副担任の先生だったんです」
学校の先生ってよく生徒のこと覚えてるよね。名前は勿論、子供の時の顔と今の顔が一致するのも凄い。私、良くも悪くも目立たない生徒だったと思うんだけどな。
「うちの人に言っといたから、光司君もうすぐ来ると思うわよ」
おばあちゃんの同年代の方が教えてくれる。町会でもなんでもご年配の方が仕切るから、若手は勝手に持ち場を離れられない。別に会って話したいってこともないのだけど、お礼はしっかり述べておく。
その言葉の通り、焼きトウモロコシを両手に持った光司先生が向かって来ていた。
「おばさん、ありがとうございます。おじさんがこれ持ってったら休憩だってこんなに持たせてくれて。皆さんで食べてください」
地域のお祭りだからなのか、ここでは飲食物は配っていてもお金を払う姿を見ない。事前集金制かはたまた地域の財布から出ているのか。家に帰ったら食べた分の代金を払わなきゃな。
手持ちの物を配り終えた光司先生がこちらを向く。
「久しぶりだな、山岸」
改めてのご挨拶。
「はい。まさか先生に会えるなんて思いもしませんでした」
先生の奥さんに促され、備え付けの木のベンチに腰かける。何か美味しいものを貰ってくるねとニコニコと去っていく奥さんの後ろ姿を眺めながら、めっちゃ良い人……と目頭が熱くなる。最近、人の優しさに触れると泣きたくなる。歳かな。
「今日の準備の時に与三さんが街からお孫さんが来ると言ってて、僕が勤めていた学校もその辺りですよなんて話をしてたんだ。まさか山岸だったとは」
与三はおじいちゃんの名前。
「驚きました。先生は学校を辞めて、こちらに引っ越してきたんですか?」
奥さんの実家を継ぐために退職なんて話はたまに聞く。この一帯は農家さんが多いから、跡継ぎを欲していると叔父さんが言っていた。
「いや、僕は山岸が卒業した年に小学校教諭を辞めたんだ」
……児童に手を出したことがバレて?
という言葉は飲み込んだ。胃の腑までしっかり落とし込んだ。
「そうなんですか」
「色々と自分を見つめ直したくて、三年間海外に行ってたんだ。折角だから世界を回ってみたくて」
自分探しの旅か。いいな、お金があって。幼子に手を出した自分を見つめ直した結果、今に落ち着いたのであれば素晴らしいことだと思いますよ。過ちは取り消すことは出来ないけれど。
「帰国して、東京で学習塾の講師になった。そこで知り合ったのが嫁さん」
奥様は学習塾の事務をやっていたそうで、職場で知り合って一緒に仕事をしているうちに相手から告白されてお付き合い。一年ほど交際し、奥様のお母さんが体を壊したから実家に帰らなきゃいけないとなった時に、結婚と移住の話が出たんだって。こっちでは塾講師の仕事もないだろうと心機一転で農家に転身。婿入りも果たしたと。
奥様、超勝ち組。お母様の体調は回復したそうな。さっきお見かけした女性だよね。良かった。
「素敵なお話ですね」
「そうかな?よくある話だよ」
ねーよ。全然ねーよ。
よくあるんなら私に5、6個お裾分けして欲しいわ。
しかし不思議だ。確か前田光司は小学校教諭で、浅見の先輩としてゲームに登場していたのに。しかも独身。
目の前にいるのは丹崎光司。既婚者で、大学のある土地から遠く離れたこの場所で農家として暮らしている。
「先生は学校を辞めてから同窓会とかで他の卒業生と会いました?」
浅見との接点ってあるの?
「いや。海外に行っていたし、帰って来てからは東京に住んでたからあの地域に戻ってもいないな。先生たちと個別で飲みに行ったりはしたけど、卒業生に会うのは山岸が初めてだよ」
逆に、皆は元気か?と訊かれてしまった。私も小学校の友達と会ってないので、わかりませんと答えた。
「山岸は元気だったか?弟さんの方は受け持つことはなかったけど、今日も一緒に来ているんだろう?」
「大きな怪我も病気もなくやってます。弟も」
元気の定義が身体の健康という意味であれば元気です。心身ともにとは言い難い。少し離れた場所に移動した修也は先程よりも多くの子供たちに囲まれている。あそこに、と指を差せば元気そうだと声を上げて笑った。
「与三さんはお母さんの方のご親戚なんだって?」
「はい。とても良くして貰っています」
「僕も与三さんたちにはお世話になっているよ。与三さんたちだけではなく、ここの地域の人たちはみんな親切だ」
わかる。ここの空気は温かい。
「ご飯は美味しいし、四季折々の風景も綺麗だ。冬は雪が降って大変だけれども、それもまた楽しいと言える。今度は正月に来てみたら良いんじゃないか。きっと喜ばれるよ」
光司先生がうちの事情をどこまで知っているかはわからない。母が私の実母じゃないことは知らずとも、なんとなく察している部分もあるのかな。副担任だったし、おじいちゃんと話しているんだし。
「与三さんちが大変なら、うちに来てもいい。入り婿だけど元教え子二人を招待するくらいの度量はあるよ」
「……ありがとうございます、いつか是非」
なんだかいい恩師っぽい雰囲気を出してますね。本心なんだろうな~ってわかるよ。でも私の心にはブリザードが吹き荒れてるよ。夏なのに。
こいつ、なんでこんなに普通なの……?
えー、誰これ別人?元々こういうタイプの教師だったっけな。私があのワンシーンだけを忘れられないせいで、全部の記憶がふっ飛んじゃった?あれさえなければ小学校の時のお世話になった先生と卒業生の心温まる会話を堪能できたのかな。
一つの可能性なんだけど、この人は海外に行って一部分だけ記憶喪失になったっていうのはあり?なし?いやでも、先生は私があれを見たって知らないんだから、教師としての自分だけを見せるのは当たり前と言えば当たり前。仕事とプライベートでは見せる顔は全員違うものね。
わかってる。わかっているけど、どうしても脳内で『※卒業式数日前に教室で教え子とキスをしていました』っていうテロップを付けてしまうの。
偏見ね、そうね。反省してる。
一先ず言うことは言わないと。
「遅くなりましたが、先生。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう」
奥様がラムネの瓶を両手に持って向かっている。その後ろからは焼きそばを持った叔父さんと、ハーメルンの笛吹きのように子供を引き連れている修也が来ている。
「もうすぐ花火始まるって~!」
今日はもう深く考えるのはよそう。食べて飲んで花火を満喫しなければ。私の脳みそは小さいので一つのことに集中したい次第です。
花火大会後もやることはあるので忙しい。家の手伝いをしたり、畑に出てみたり、家の周辺を散策したり。
一番のメインであるお墓参りの日は妙な緊張があり、お墓に備える仏花を渡された時は卒業証書の授与のように静々と受け取った。
お墓はおじいちゃんの家の裏山にある。丘くらいの小さな山で、中腹よりも下の所。それでも下から登ればかなりの運動量になるし、お墓のある場所からはこの辺一帯の家や畑が見渡せる。
見晴らしのいい場所でお母さんは眠っている。
墓石は磨かれていて、その周囲も草は生えていない。毎朝おじいちゃんが草むしりと掃除を欠かさないでいるため、とても綺麗だ。
『横澤家』と彫られた墓石。
お母さんが旧姓のお墓に入れたことに少しだけホッとした。仏教の詳しいしきたりはわからないけど、山岸姓だから入れませんって言われたら悲しいなと思っていた。
いずれは修也の姓も横澤に戻せたらいいなと秘かに思っている。本人に話してはいないけど、あんなことがあって山岸を名乗るのも嫌ではないかと勝手に想像している。手続きとか法的な問題とか、まだ調べてもいないけれど出来なくはないだろうと漠然とした考え。成人して本人にその意思があったら勧めてみよう。なんとなくだけど、その方がお母さんも安心してくれそうだし、おじいちゃんたちだって反対はしないでしょう。
お花を備え、おばあちゃんから渡されたお線香をあげてから手を合わせる。
長く、不義理をしてしまい申し訳ありませんでした。
私の監督不行き届きで修也に辛い思いをさせてしまいました。
私に出来ることはまだ少ないですが、彼の幸せのためにも頑張りたいと思います。
どうか、修也を見守ってください。
ついでで良いので、私のことも見ていてくれると嬉しいです。
私の平穏と幸せを、なんてお願いしそうになったけど自力で掴む気概を見せなければと、首を横に振った。
大丈夫です、お母さん。私はしっかり大学を卒業して就職をし、良き男性を見つけて素晴らしい家庭を築き上げます。自分の力で成し遂げます。
母の墓前で誓うにはあまりにも俗物的な内容だったけど、握った拳を開くことは出来なかった。
私の運命の人探しはまだ始まったばかりだ。




