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止まった季節 中・1

 祖父母と叔父夫婦に改めて挨拶をした後、仏壇に手を合わせた。そうしているうちに叔母からお昼の支度が出来たと声をかけられ、修也と二人で居間に向かった。用意された料理は和食が中心で祖母と叔母が腕によりをかけて作ってくれたものだった。どれも素晴らしく、そしてどこか懐かしい味がしてここが母の育った家だということを再認識した。修也も久しく食べていなかったお袋の味に感動したのだろう。見たときは少し多いと思っていた量だったが、気がつけば二人ともしっかり完食していた。



 食後のお茶を頂き、お腹が落ち着いてきた頃に祖父母たちには何から話せばいいものかと考えた。勿論、全てを馬鹿正直に伝える気はないが近年の不義理についての謝罪は当然必要だ。

当初は修也が話すと言っていたが、変な罪悪感を抱いていることから自身を卑下した話しかしそうにないのでやんわりと制した。ここは年長者に譲れ、と。

 意を決して私が口を開いた時だ。

「わしはね、修也と沙世子、それに永治君には悪いことをしたと思っているんだよ」

 食事中もずっと静かにしていた祖父が喋ったのだ。何かあるとしたら祖母だろうと思っていたため、祖父からの話があるとは少々虚を衝かれた。

「綾子が亡くなった時、自分より先に子供が先立ったことへの悲しみと無力感で周りが見えなくなっていた。沙世子の父親へ八つ当たりもした。何故守ってくれなかったのかと見当違いに責め立てた。綾子の病気はどうしようもないことだとわかっていながら……」

 親からして見れば、まさか我が子の葬式に出ることになるとは思いもしなかっただろう。当時は祖父母もまだ若かった。訃報を聞くことがあっても、それが自分の娘のものだったと思うとその時の気持ちは計り知れない。

「色々と理由を付けて綾子をうちの墓に入れたことは後悔こそしてないが、悪かったとは思っている。いつでもうちに来て墓参りをしてくれればと思ったんだが、わしがあんなことを言ったが為に永治君も遠慮してしまったんだろう」

 ……遠慮じゃなくて、面倒だったんじゃないですかね。そういう男だよ、あれは。

「永治君だけではない。沙世子から母親を奪ってしまったことは本当に申し訳ないことをしたと悔やんでも悔やみきれずにいた」

「私、ですか?」

 修也じゃなくて?首を傾げて祖父を見れば大きく頷く。隣にいる祖母はハンカチで目頭を押さえているではないか。何事だ。

「正直に言おう。綾子の死の直後、修也のことは私たちも気にかけていた。綾子が腹を痛めて産んだ子で、わしたちにとっても可愛い孫だ。幼くして母親を亡くし、さぞ辛かろうと毎日考えていた。三回忌を終えた頃に夏子か正太郎の家の養子にしてうちで育てようかと話し合ったりもした」

 夏子は伯母で、正太郎は今日迎えに来てくれた叔父だ。まさかそんな話まであったとは知らなかったが、母の死により姻族関係が終了したら修也の居所がなくなることもあり得る。祖父としては当然考えておくべきことだったのだろう。驚きこそしたけれど私もそこには納得する。義弟が家にいない方が良かったと思うのは酷い姉かも知れないが、その方が修也にとっては幸せだったかもと言う思いが頭の中にチラつく。こんな平和な場所で親戚に囲まれてのびのびと暮らしていたら……

 たられば話は過ぎるとウザいが、そんな修也を想像したら今の状況に申し訳なく感じてしまう。

「だけれども」

 祖父は言う。

「毎年遊びに来ていた修也の口から出てくる言葉はあちらでの生活が楽しいと言うものばかりだった。学校の話や友達の話。何より家の話も沢山してくれた」

 隣に座る修也を見るもこちらに視線を合わせてくれない。子供の頃の話はやっぱり恥ずかしいのだろうか。

「一度、修也にこちらに引っ越して来ないかと聞いたことがあった。修也は『お父さんとお姉ちゃんが良いよって言ったら来る』と答えた。子供ながらに一人で来ることになると察していたんだろうな」

「……母さんが死んでから、姉さんたちとこっちに来ることなかったから」

 修也がポツリと溢した。子供ながらに複雑な大人の事情を汲んでいたのだ。

「自分たちの勝手な考えで修也から再び家族を奪ってしまうところだったと大いに反省した。同時に家族三人の生活が上手く行っているんだと安心もした。ならばそっとしておこうと決めて、それ以上言うのはやめようとばあさんと話し合ったんだ。何かあれば、あちらから言ってくると信じてた」

 修也が中学以来こちらに来なくなったのはその時期だったらしい。進学だけが理由ではなかったのか。

「七回忌も十三回忌も知らせは出したが誰も来なかった。君らにとって綾子は過去の人となったのだと虚しさをも感じたが、わしらが忘れなければそれで良いと諦めもしていた。だが今年、修也からの電話が来てそれが過ちだと知ったよ」

 法要の知らせが来てたなんて知らなかった。どうせあの親父が後ろめたいとか面倒くさいとかそんな理由で闇に葬ったんだろうな。中学生の私が七回忌まで頭が回らなったのは仕方がない話だが、痛恨の極みである。当時は私も精神的に参ってた時期だったから仕方ないが、過ぎたことへの言い訳にしかならない。

「沙世子がずっと綾子を大事にしてくれて、一人暮らしの部屋に遺影を連れて行ってくれていると聞いた。墓参りに来たいと思ったけれど血縁関係がないからと遠慮していたことも、修也のことを本当の弟のように可愛がってくれていることも、修也のことで永治君とあまり上手く行っていないとも」

 後半は少々誤解があるな。修也の主観が伝わったから仕方がないんだろうけど、これは訂正せねばいかん。

「勝手な思い込みで修也だけではなく沙世子からも母親を奪って申し訳なかった」

 頭を下げる祖父とおいおいと泣く祖母、俯く叔父夫婦。なんだここはお通夜の席か。

「あの、謝られることは何もないのでお願いですから頭を上げてください」

 私は今日墓参りと不義理をした謝罪に来たのになんで逆に謝られているんだ。

「私と、その……父については修也君の誤解です。不仲って訳じゃないですけど、その、馬が合わないとか性格の不一致とかそんな感じなので、少なくとも修也君のせいではないです。だから修也君が気にすることではないんです」

 はっきり言えばおぞましいほど嫌いで血の繋がりを絶ちたいような間柄だけれども優しい物言いに変えてみる。修也がいなくてもあれとはいずれ一戦を交えることになっていた筈だ。

「あと、修也君は私にとって『本当の弟のよう』じゃないんです。『本当の弟』なんです。だから困っていれば助けるし、私も頼ってしまうんです」

 私の義母が母であるように、修也は義弟だけれども弟で、私たちは姉弟だ。

「今日は今までご挨拶とお墓参りに来れなかったことを謝りたくて修也に無理を言って連れて来て貰ったんです。本来は父が来るべきところですが、色々とありまして私がお伺いしました。本当に申し訳ありませんでした」

 そう頭を下げると、テーブルの向かいにいた祖母がこちらに回ってきて私の手を握る。

「違うのよ、沙世子ちゃん違うの。私たちが悪いの。修也君のことしか目に入らなくて、沙世子ちゃんだって綾子の子供なのに、修也君のお姉さんなのに、ちゃんと守ってあげられなくてごめんね。辛い思いをさせてごめんねぇ……」

 なぜ祖母が泣くのかが分からなかった。祖母は悪くないのに、なぜ私に謝る?

 戸惑う私を感じたのか、修也がやっとこちらを向いて話してくれた。

「姉さんが母さんの子供なら、ばあちゃんは姉さんのばあちゃんでしょ?姉さんが大変な思いをしてたら悲しいし、心配になるんだよ」

 祖母の中では私がどんな波乱万丈な人生を送って来たことになっているのだろう。男運は壊滅的にないけれど、母亡き後もそれなりにやってきたつもりでいるのだが修也が話を脚色し過ぎたのではないか?

 私はただ日々を波風立てることなく生きていけるよう気を付けていただけだ。母の代わりに家事をして、母恋しさに泣く弟を慰めて、仕事と称して家に帰らぬ父を待ち、成長途中で思い出してしまった衝撃の記憶に心が折れかけ、周りの男共の関係に戦慄して……


 たまに人恋しさと先の見えない恐怖で一人泣く。


 それだけのこと。誰にでもある日常。何も大変ではないのに、そんな私を心配して守りたいなんて言ってくれた人が居ただろうか。

 分からない。分からない。だけどいつの間にか溢れてきた涙が止まらない。


「ごめん、なさい」


 理由のない涙なんて初めてだ。祖母の温かい手が私の手を包み、修也の手のひらが私の背中をさする。

 私は壊れたレコードのように謝罪の言葉を繰り返していた。

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