SEASONS~花火~ 1
―ピーピーヒャラリ ピーヒャラリ
日本のお祭り=お囃子&和太鼓
私の中での方程式はここでも崩れることはなかった。遠くに見える人だかりと近付くにつれ賑やかさを増すその音。盆踊りでもあるの?七夕祭りなのに。
日本人のいい加減さと言うのはある意味美徳で、祭りっぽいもんであればそれでOKと言うアバウトな感じは嫌いじゃなかったりする。
「沙世ちゃんは浴衣着ないの?」
隣を歩く男が何かをほざいている。周りを見ると祭り会場が近いこともあり、同じ年頃の男女グループが目に入る。その中で浴衣を来て歩いてる人間はおよそ3割ってところ。更にその中から男女比率を考えると9割が女性。残りの1割はカップルと思わしきペアだったり、女子と合わせて全員浴衣だったりと、なんともノリの良い方々だ。でも最近の男物はやれスカルだアニマル柄だ、風流と縁遠いものばかりで嫌だね。流行りってそんなものなのかね。
「沙世ちゃんって黄色とか水色とか淡い色が似合いそうだよね」
道行く彼女たちを見るとやはりここ数年の黒地や赤地にラメと言った派手カワ系は揺るぎないらしい。蝶とか薔薇とか可愛くないわけではないが、清楚な小花系とか紺地に白の柄でスッキリとした印象を持たせた奴も好き。ぶっちゃけ浴衣とか着物とか詳しくないから細かいことは言えないけど。
「今年はまだお祭りいっぱいあるから、一回くらい着てる姿みたいなぁ」
今の子は洋服でもかんざし刺してるけど、浴衣とかだとまた映えるよね。ごたごたした飾りはいらなくて、大きなトンボ玉が一つ付いてるだけでも十分オシャレだ。
「山岸、浴衣持ってないの?」
「一枚もないよ。最後に着たのは中学の時だったかな」
子供の頃は母が着せてくれたけど、母が死んでからは着た記憶が一回しかない。中学の文化祭の演劇で八百屋お七をやった時、衣装として着たっきり。あの時は先生とクラスで着つけが出来る何人かがやってくれたのを覚えてる。
今思うと中学生がやる演目じゃないよね、八百屋お七。私の役柄はお七ではなく町娘その3くらいの端役。台詞も「ねぇねぇ、聞いた?お前さん」だけだ。ついでに言うとその時のお七役は男子生徒だった。
「覚えてるよ!俺、沙世ちゃんのクラスの次に出し物するから舞台近くで見てたもん!」
「私も覚えてるよ。浅見君、白雪姫やってたよね」
あの学校、おかしいよ。男女共学の癖に女役を女にやらせないって間違ってるだろ。うちのクラスは全員平等にくじ引きで決めよう!なんて言い出して結果、男がお七、女が吉三と言う喜劇のような悲恋をやった。野球部のお七はなかなかに笑い話になったよ。
それに引き換えあちらの白雪姫は女子が欠片も出てこない女の子の憧れる要素ゼロの素晴らしい劇でした。白雪姫は男、継母も男。それどころか狩人は白雪姫に惚れこんで森の奥まで一緒に逃げようとして白雪姫に追い払われ、七人の小人は白雪姫に求婚し始め、王子が白雪姫にマジでキスしようとするところに従者が割り込んできてその騒ぎで白雪姫が起床、そして逃亡。
自分たちの劇を棚に上げて、あれ?今年の文化祭のテーマって『コント』だっけ?と首を傾げたのも良い……わけではないが思い出だ。奴らの次にやった2年3組の朗読劇がかすみ過ぎて可哀想だった。PTA受けが一番良くて特別賞を貰っていたのがせめてもの救いだ。
少々置いてけぼりにされた松戸がそうなんだ、と浅見を見ると案の定渋い顔をしていた。お前にとっては苦い思い出でしかないだろうな。その顔が見れただけで私は満足だ。
が、
「沙世ちゃんに覚えていて貰えたんだったらあんな変な劇でも出た甲斐があったよ!」
「あ、私無性にリンゴ飴食べたくなったから先行くね。」
私、へこたれない奴って嫌い。浅見限定で。
先に行くも何も目的地は目と鼻の先だった上、修也のバイト先を知らない私に単独行動と言う選択肢はなかった。歩行者天国の両脇にずらっと並ぶお店の前には各々自分の店の商品や全く関係のない物をフリーマーケット状態に出して祭りを賑やかにしている。
イタリアンレストランは商店街の入り口から徒歩10分と言ったところにあるこぢんまりとした可愛いお店だった。お祭りと言うこともあってか、外から覗くとカウンターもテーブルも満席。これは声をかけても迷惑になるだけだ。商店街を一通り見て、もう一回覗きに来よう。それでも混んでたら挨拶だけして帰ってしまえ。出来たら店長さんに挨拶を……なんて思ってたけど祭り嘗めてたわ。
「中、入らないの?」
窓を覗きこむ私に不思議そうな松戸。目的はここなんだから外から中を覗いてるだけじゃおかしいよね。
「忙しそうだから他を回ってからもう一度来ない?」
「え、でも修也君待ってると思うよ。俺行く時間メールしておいたし」
余計なことすんなよ、浅見。あんだけ忙しそうだったらメール見る暇ないだろうけど。
「でもお仕事中に邪魔しちゃうのも悪いでしょ。落ち着いた頃に来た方が……「姉さん、待ってたよ!」
おぉ、まさかの店内からの突撃。ドア目の前にいた松戸が華麗に避けてなければ大惨事だったよ。流石松戸、身軽になったね。2年前の貴方じゃきっと避けられなかったはず。いや、その前にドアが開かないか。
食い気味に乱入して来た義弟に驚くも、あちらは気にした様子もなく話を進める。
「郁人さんからメール来てからずっと待ってたんだ。少し遅かったけど、どうしたの?」
「浅見の家で少し話してたから。ごめんな」
「全然気にしてないですよ。郁人さん、浴衣で決まってますね」
「浴衣デートは男のロマンだと誰かが言っていたからな」
「叔父さんの浴衣借りたんだって」
「何着もあったからファッションショーの如く何度も着付けられて若干疲れた」
「その中での勝負服がそれですか?良いですね」
「レトロな感じだけど浅見に似合ってるよ」
「どうも」
「……あれ。姉さん浴衣は?」
あらいけない。あまりに男三人で盛り上がってるから意識が斜向かいのクレープ屋さんに持って行かれてたわ。
普段と変わらぬ洋服姿に修也の頭上にはクエスチョンマークが見える。首を傾げられてもない物は着れないよ。
「浴衣は持ってないし、何より着付けが出来ないの」
「え、母さんの浴衣持ってってないの?」
おっ?浴衣、浴衣、お母さんの浴衣……
「あぁ。お母さん、浴衣自分で作ってたわね」
昔々の記憶だけれど、幼稚園の夏祭りに母お手製の浴衣で行った覚えがある。その時に色違いの浴衣を母が着ていたのを思い出した。確かあれは。
「ピンクっぽい布に花火の柄が描かれてたやつ。家になかったから姉さんが持ってったものだとてっきり……」
女物の衣類なんてあの家には必要ないから、あそこになければ私が持って行ったか捨てたかの二択になるもんね。残念ながら私は持ってきていない。あの愚父であれば母の遺品も捨てた可能性は高い。修也の語尾が段々小さくなるのが分かった。だがそのどちらでもないことを私は知っている。
「お母さんの浴衣は多分おじいちゃんちにあるのよ」
「じいちゃんち?」
四十九日が明けた頃、母方の祖父母と叔父夫婦が来て母の遺品を整理していった。その時に形見分けと称して母の物を一部持って行ったのだ。主に服や化粧品と言った日常的に使っていたものばかり。当時は何も思わなかったけど、今思えばあの男に女の影を感じ取り、今は亡き前妻の私物を早々に持ち出してしまえと言うある種の優しさだったのかも知れない。まぁ、今実際あったのは女の影じゃなくて男の影、もっと言えば身内なんだけどそれは言わないでおこう。
「おばあちゃんや叔母さんが捨ててなければきっとまだ田舎にあるよ」
大事な大事な母の遺品だ。そう簡単に捨てているわけはないでしょう。リメイクされてたら仕方ないけどね。
「あ、いや……別にあるなら良いんだけど、姉さんが浴衣着てなかったから……」
口では良いと言いながらも、表情はホッとしている。
「浴衣はそのうちね。それより修也君、仕事中なんじゃないの?」
先ほどから店先でずっと話しているが、中から出てきたのは修也だけだ。店内にはまだ客が溢れているのでは……
「姉さんたちが来たら30分休憩貰うって約束なんだ。だから少しだけ一緒に祭り見て回ろう」
郁人さんも、松戸さんも!と歩き出す修也に慌ててついて行く。30分って、あっという間だぞ。そんなちょっとの休憩だったら自分の為に取っておけば良いのになんでまた私たちと回るなんて変な選択肢を選んだわけ?
「だってさ。行こうか、沙世ちゃん」
まさか。
いやいや、まさか。
うちの義弟はそんなにお馬鹿な子じゃないよ。同じ轍は二度と踏まないタイプ、学習能力はしっかりある、決して茨の道は歩かないとお姉さんは信じてます。
義弟の恋愛に口出しなんかしたくないので私の思い違いだと言って下さい。
「修也君、今日もお友達と一緒?じゃあこれサービスね」
「おい、修坊!そっちの別嬪さんは彼女か。あ、お姉さん?わりぃ、わりぃ!」
「あらら。いつもの男前たちが珍しくお嬢さんを連れて遊びに来てるのね」
「これ持ってきなよ、修ちゃん。ほら友達と分けて食べな」
うちの義弟はモテるようだ。
バイト先がある商店街なのだから顔見知りが多いのは当然と言えるが、それにしてもやたらと声がかかる。ついでに浅見と松戸とセットで覚えられているのも分かる。三人で随分と仲良くなったのね。顔が知れ渡るくらい一緒にいたのね。女の私はどうせ除け者なのね。
別嬪さんなんて言ってくれた瀬戸物屋のおじいさん(商店街の会長さんらしい。御年79歳だそうだ)と固い握手を交わし、小さな招き猫の置物を貰った。
「人気者じゃない」
手のひらで愛らしい招き猫を転がせば、照れくさそうに笑う修也の顔がそれに似る。この子、ちょっと猫っぽいところあるかも。
「買い出しとかちょっとしたお使いは全部任されてるから、自然と覚えられたみたい」
「良い人たちだね、皆」
今も浅見は商店街の人たちに捕まり、松戸が隣でナイトをしてる。ケッ。だけど奴もいつもみたいに毛嫌いしてる気配はなく、集まってる人たちも他意はなく、知ってる若者をいじり倒してやれと言わんばかりの状態。現に護衛っぽい松戸も結局は一緒になって構われていて、お祭り本部のテントまで連れ込まれて祝いの一升瓶を開けている。男女混合、平均年齢はおそらく60オーバーの健全なハーレムだ。
「店長と奥さんがすごく面倒見てくれる人で、商店街の寄り合いにも連れてってくれてるんだ」
「可愛がられてるの?」
お年寄りは若い人と話すが好きだから、修也みたいに素直な子なら尚更だろう。
「若いから働け!って色々仕事任される。忙しくて大変だったけど、変なこと考える時間はなくなった」
―変なこと。
あの馬鹿親父のことか。
「姉さんには迷惑かけた。今も居候させて貰ってて申し訳ないなって思ってる。急に転がり込んできたのに嫌な顔ひとつしないで部屋に入れてくれた」
嫌な顔は表には出さないだけで、最初は心底面倒だって思ったよ。男同士の痴情の縺れとか馬鹿じゃないのって考えてた。すぐにあの男のどうしようもなさが浮き彫りにされたんで、修也単体のことは頭の外から追い出されただけ。あれやこれやと起こる出来事のせいもあり、たったこれだけの期間なのに二人で暮らすことに違和感を抱かなくなってしまった。
「仕事を始めてからも何度か家を探さないとは思って、不動産屋を見て回ったりもした。店長が住み込みでも良いぞって声もかけてくれた。だけど姉さんの所に帰るとなんか出て行きたくなくなって。姉さんに『ただいま』って言うのも、『おかえり』って言うのも久しぶり過ぎて嬉しくてしょうがなかった」
玄関を開けた時に見える修也の顔、私が出迎えた時に聞こえる修也の声。別になんてことのないものなんだけど、普通に帰って来れると言う点が大事だったのだろう。普通、一人暮らしの義姉の家に入るならば多少なりとも緊張しても良いはずなのに奴が遠慮したのは最初の2、3日くらいだ。
「甘え過ぎってのは十分承知してる。でも家族ってこういうもんだよなって実感したら嬉しくて」
あの親父は修也にとって家族でも何でもない。家族の定義として『同じ屋根の下で寝食を共にする者』を上げる場合がある。
以前の修也たちならば家族と言っても間違いではない。だけど奴らの関係上、ただの家族とは言い難い仲であったのもまた事実。あの二人がしていたことは家族としての『同居』よりも恋人同士の『同棲』に近い物を感じる。微妙なニュアンスなので捉え方は人それぞれやも知れないが、私としてあの二人ではほのぼのホームドラマは作れない、主婦も真っ青なドロドロ昼ドラ的恋愛愛憎劇に見えてならない。同居と同棲の違いってこんな感じ。もちろん私の個人的な見解だ。
修也はほのぼのホームドラマに飢えている。だから自分に無害である義姉から離れられずにいるのでは?腹の中では何考えてるか分からないこんな義姉に甘えてどうする。
「けど、この前姉さんが実家に帰って俺の荷物を持ってきてくれた時、これじゃいけないって目が覚めた。このままじゃマズイ、って」
修也の荷物とお母さんの遺影を持ち帰った日、彼は一人の世界に逃げ込んでいた。引き籠る場所を探し狭いアパートの室内をウロウロし行きついたのは、西日が強すぎて荷物置き場になっていた三畳間の片隅だった。二畳を段ボールに奪われた物置きの一畳を使い、あの家、そしてろくでなし男への想いに終止符を打ったのは翌朝のこと。静かに起きてきて朝食を作っていた私に一言
「もう大丈夫」
これだけ告げて多くは語らなかった。
「姉さんが家に帰ったことに驚いたし、俺の物を持ってきてくれたのと母さんを連れて帰って来てくれて凄く嬉しかった。同時になんで俺が行かなかったんだろう、俺自身が永治さんに怒鳴りつけて別れを告げに行かなかったんだろうって後悔した。都合の悪いことは全部姉さんに任せて自分は楽に過ごすなんて、男の風上にも置けない奴だって自分で自分が恥ずかしくなった」
あそこで私だけが家に帰ったのは正解だった。修也を連れて行ったらただでさえ収拾が付きづらかったあの現場に、男同士の修羅場と言う近隣界隈の方々に顔向けできない事態も起き得たから。この子はそのことで自分が許せないとでも言うのか。別に良いじゃん、終わったことなんだし。私に申し訳ないと思うのであれば今後は私の胃と頭を痛めないような恋愛をしてくれれば良いよ。
なので、
「ごめん、姉さん」
謝らないで。
「一つだけ、我が侭聞いてよ」
この夏にしたいことがあるんだ。
「お母さんのお墓参り、一緒に行こう」
お母さんは田舎の墓に眠っている。おじいちゃんちの裏山の寺に代々のお墓があり、自分たちが元気なうちは娘のお墓参りに行きたいと懇願する祖父母に父親が折れた。折れたと言ったが、もしかしたら内心は諸手を挙げて賛成してたのかも知れない。今となってはわからないが、山岸の墓が遠方にあることもあり、実家から車で二時間の祖父母の家は私たちにとっても行けない距離ではなかった。
だがしかし、私と母に血縁関係がないと知った日から田舎はとても遠い場所となってしまった。おじいちゃんたちの孫は修也だけ。私はおまけにもならない他人様。そんな私が一人でのこのこと母の実家に顔を出すなんて真似は出来なかった。
お墓参りはしたい。おじいちゃん、おばあちゃんにも会いたい。
だけど行けない。
そのジレンマがお盆と命日の度に私を襲った。せめて修也がいれば、
「お盆にお母さんに会いに行きたい」
だからここでお願いする。叶えてくれればチャラにしよう。
「そんなんで、良いの?」
困ったように笑うが、私にとってはかなりのお願いごとだ。正直、今日の祭りで短冊に書こうか悩んだ。あわよくば修也の目に止まってあっちから声をかけてくれないかとも考えていた。
いきなり直接お願いするには勇気がいることだったもので。
「おじいちゃんたちにも会いたいの。縁側で叔母さんと叔父さんが作ったスイカも食べたい」
「俺と姉さんが二人で行くって言ったら絶対喜ぶよ。じいちゃんは川に釣りに行くって騒ぐに決まってる」
「とうもろこしも食べたい。あとおばあちゃんのお饅頭」
「食べ物の話ばっか。お盆に行ったら花火大会もあるよ。母さんの浴衣、着せて貰おうよ」
「その時は修也も浴衣ね」
昔、まだお母さんが元気だった頃。あの時は馬鹿親父も立派に父親をしていたのか、夏休みに四人でお母さんの田舎に行った。
川で遊んだり、虫を取ったり、花火もしたし、スイカも食べた。川の中で転んでびしょ濡れになったお父さん。意外なことに誰よりも虫取りが上手かったお母さん。線香花火を逆さに持って火を付けようとしていた修也と慌てて止めた大人たち。スイカの種を飲んで種がお腹で育つことを心配した私。
多分、あの時の私たちは家族だった。
一人減り、二人減り、三人減り。だけどまた一人増えた家族。
姉と弟の二人旅、夏らしくて良いじゃないか。
「もうお店に戻る時間だね」
30分はあっという間だった。気が付けば松戸と浅見の周りには人や酒、祭りで売ってる食べ物でいっぱいになっていた。なんともお目出度い光景だ。
「うわ、流石郁人さん。相変わらず人集めるのが得意だね」
「あのさ、疑問なんだけど、なんで浅見君は名前呼びなの?松戸は松戸さんって呼んでるよね」
私の願いは弟の健全な恋愛。至って普通に世間様から後ろ指を指されない恋愛を切に祈る。
「だって郁人さんって昔うちの近所に住んでた郁人君でしょ?弟の方も知ってるのに名字呼びって変じゃん」
……あら、思ったより普通の回答。やっぱり浅見ってご近所さんだったのか。もしかして私のことを知ってるのも修也関係からだったり?弟が修也と同級生とか?
「それにそのうち身内になるかも知れないし」
熱中症かしら、頭がクラクラしてきた。




