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幕間 回想

 久しぶりの帰郷の原因となった『元』我が家には鍵がかかっていた。土曜日の午前中、もしかしたら現在の住人たちはゆっくり休日を満喫しているのでは……と言う考えは杞憂に過ぎなかった。こちらとしても好都合なことこの上ない状況。玄関の鍵を変えられていたら時間がかかって面倒だったかも知れないが、そんなこともなく持っていた鍵ですんなりと扉は開いた。


 至極当然のことだが、家の間取りは一切変わっていなかった。私が十数年の間、生活していた家はそのまま残っていて中の人間たちは少しずつ変化していった。……あまり宜しくない方向で。

 考え出すとプチ鬱どころかどん底まで沈み兼ねないので深く考えるのは止めにした。今はとにかく修也の荷物を撤収することだけに専念しなければ。

「お邪魔します」

 ここに来る途中にスーパーで貰って来た段ボールを手に浅見が上がってきた。普段だったら絶対有り得ないと言い切れるのに、今日の彼はどこか頼りがいのある男に見える。そろそろ視力もヤバくなってきたか。

「こんな形で沙世ちゃんのご実家にお呼ばれするなんて、不本意なんだけど仕方ないよね」

 あ、大丈夫。こいつは結局どこまで行っても浅見郁人だ。奴の頼り甲斐なんて、波にさらわれる砂の城並みに脆いものだ。

 しかしその脆い甲斐性に縋りついているのは私の方。

「お茶は出せそうにないけど、上がって」

 目指せ滞在時間一時間。さっさと終わらせてさっさと帰りましょう。




 修也の部屋は物が増えた気もするが、減っている物もあった。三年もあれば人の趣味や嗜好品も変わるのだと義弟の成長を改めて実感した。

 されどそんな感傷に浸っている暇はなく、急いで段ボールを組み立ててクローゼットの中の服をしまい込み、デスクの上にあった何となく必要そうなもの、修也が手元に欲しそうなものをピックアップして浅見に詰めて貰うことにした。

 私がすべきことはお母さんの位牌と遺影、保険証と修也名義の通帳と印鑑を回収。ついでにお母さんの写真が貼ってあるアルバムを漁って厳選したのち、持ち出そう。

 ここまでで既に一時間が経過しているが、この際仕方がない。何処かに行ってる親父とその恋人たちには今日の深夜までゆっくり外出してて貰いたい。


 アルバムを確認し、二冊を荷物として持って行こうと決めると、浅見が段ボールを持ってリビングに降りて来た。

「服と必要そうな小物類は纏めておいたよ。ベッドサイドとか机の周りにあった使用頻度の高そうな物も入れといたから」

 そのアルバムも入れるね、と手際良く詰めると全ての荷物が二つの箱に綺麗に収まった。意外と几帳面な男だと言うことがこの数時間で良くわかった。こいつと結婚する女性、もしくは男性は結婚生活が大変そうだ。掃除や洗濯とか超細かくチェックされるかも知れない。

「ありがとう。助かったわ」

 ただ、今回ばかりは本気で有難いので心からの感謝を述べることにした。ありがとう、浅見。今後はうざったく面倒で顔も見たくない知人から、少しうざくて面倒な知人くらいに思うことにする。あ、お礼はしっかりさせて頂きます。

「位牌と遺影はどうする?」

「私のカバンで一緒に連れて帰る。あとは鞄に入る物だから大丈夫」

「じゃあもう荷物はないね」

 最初は宅配業者に取りに来て貰おうと思ったが、最寄りのコンビニに持って行った方が早そうだと言う浅見の提案に乗ることにした。

「庭に台車があるから持ってくるわ」


 昔、まだこの家に住んでいた頃に庭いじりを趣味としていて、近所のホームセンターでプランターや肥料を買いに行っていた時に愛用していた代物だ。

 多分誰も使ってないだろうなと庭を確認したら、思った通り誰の手にもかかることなくひっそりと庭に置かれていた。雨風に晒されていたであろうそれを見て、愛用品だったんだけどな……と少し寂しくなった。だがしかしアパートに持って行っても使い道がないのでコンビニまで行ったら再び庭に放置される羽目になるのだ。ごめん、台車。

「荷物は俺が出してくるから、沙世ちゃんは少し休んでなよ」

 コンビニまで片道10分程度の道のり。大して力仕事もしていないのに疲れるわけもなく、それくらいなら一緒に行けるのだが。

「どうせ台車も戻しに来るんだし、すぐ帰れるようにおうちの片付けでもしててよ。早く帰って修也君と松戸とご飯食べに行こう」

 こんな上手い口実を使われてしまえば、頷くよりほかはない。

「ごめんなさい、お願いするね」

 彼は笑顔で了承の言葉を口にした。

 この帰郷で彼の笑顔をよく見る気がするのは気のせいだろうか。多分、気のせいだ。うん。




 浅見の言葉通り、すぐにアパートに戻れるよう室内の片付けに取りかかること数分。もともとそこまで散らかしていなかったので物を戻して掃除機をかければ部屋は帰宅直後と同じ形に戻ってしまった。

 手持無沙汰になってしまったので棚のアルバムに手を伸ばす。

 重い表紙を開くとまだ小学生だった私と幼稚園生の義弟が写る写真が貼られていた。余所行きの格好をしているそれは沖縄への家族旅行の時のものだ。あの頃はまだ母も健在だったし、親父も変な性癖を表には出して来ていなかった。隠していただけで余所では何をしていたかはわかったもんじゃないが、まだ私の心が平和だった頃の貴重な思い出だ。


 私が8歳の時に母は死んだ。35歳。若過ぎる死は無念だっただろう。小さい修也を残して行くのにどれだけ悲しく悔しかったか、私にはわからない。血の繋がっていない娘のことも気にしてくれていたら嬉しい。きっと優しい母のことだから息子と娘を区別することなく慈しんでくれていたとは思う。私自身、物心ついた頃から母と慕っていた女性に厳しくはされたが、嫌われていたと思うことは一度もなかったから。

 誕生日や母の日にプレゼントを贈り、手紙を書いては『お母さんだいすき』と繰り返していた。小学校に上がってからは照れくさくてなかなか素直に言葉に出来なかったけど、心の中にはその気持ちが常にあった。

 写真の中で微笑む母。

 趣味の園芸も最初は母がやっていたものだ。春には庭を色とりどりの花が飾り、夏はプランターに青々とした野菜が実り、秋は私の背丈よりも高い木が赤く色づき、冬になるとまた春の支度を始める。泥だらけになりながら手伝う私たちをいつも優しく見守ってくれた。


 普段は優しい母だったが、叱る時は物凄い勢いで怒鳴り飛ばされた。一番記憶に残っているのは幼稚園の卒園式でのこと。当時仲の良かった友達と同じ小学校に行けないと知り、何故だか二人で家出をしようと卒園式後に幼稚園から逃げ出した。

 が、幼稚園前の車道に出る瞬間に母のカバンが後ろから投げつけられて家では3分も立たずに終了した。思いがけずカバンにアタックされて吃驚し泣きやんだ私を待っていた物は般若顔の母だった。

『道路に飛び出すんじゃない!!』

 温厚な母から発せられた言葉にただひたすら会津地方の赤い牛の如く頷くばかりだった。家に帰ると大分落ち着いた私と母で膝を突き合わせて話をした。もちろんそれはお説教だったが、ただ怒鳴るだけのものではなく淡々と『道路に飛び出してはいけません』『あそこで車に轢かれたら、車の運転手さんとお友達とお友達の家族、そして何よりお父さんとお母さん、修也を悲しませることになります』『沙世子が痛い目に合うのは沙世子の勉強でもあるけど、避けられることに自ら身を乗り出すんじゃありません』『何をするにもちゃんと考えて、誰も悲しまないような行動を取りなさい』と諭された。

 正直、幼稚園卒園以上小学校入学未満の私にはわからないこともあったが、『お母さんを悲しませてはいけない』と言うことはしっかりとインプットされた。

 お説教の後、お友達の家に行きお友達とそのお母さんに謝りに行った。手を繋いで走って行ったのだから二人とも悪いと言うことになり、お互いにごめんねをして別れた。帰り道、二人だけで喫茶店に行きホットケーキを食べたのは修也には内緒だったりする。

 一緒に家出までしようとした友達なのに、それ以来会っていないのは寂しい話だな。と言うか相手の名前も忘れてるかも。幼稚園の記憶とは言え酷いな。

 小学校に上がるとクラスメイトも増えるし、何より家族が減ると言う大きな出来事があったのでそこまで気が回らなかったのは仕方ないだろう。今度機会があれば私のアルバムを引っ張り出すのも良いかも。まぁここに戻ってくることは早々ないけど。


―ピンポーン


 チャイムが鳴る。どうやら浅見が戻ってきたようだ。

 思ったよりも早い帰宅にホッとしてアルバムを戻し、カバンを肩にかける。


 さようなら、我が家。


 リビングの窓の鍵を確認し、ドタドタと玄関まで向かい戸を開ける。



「ありがとう、助かっ「えっ?」



 えっ?

「誰だ、アンタ」

「……そっちこそ」

 いえ、90%くらい分かってます。


 浅見よりも身長が低く、私よりも少し高い。栗色ふわふわ猫毛な髪質の彼。年の頃は私たちと同じかそれ以下か。

 少し中性的な顔立ちの可愛らしい男子の表情が見る見る強張って行く。あ、これはあれだ。きっと私は『泥棒猫!』って叫ばれるんだ。


「この、」


 しかも私、こいつに見覚えあるし。

 まさかこの人が愚父の恋人とは、人生わからないものだわ、本当に。


「ドロボー!!」


 あれ、猫付かないんだ?


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