85、水晶の中での攻防戦
「お待たせ。私復活よ」
サラは海里の腕から降りると、セイジの隣に立った。
肌に纏わりつくような重い風に、サラリと長い髪が軽やかに舞う。
今までずっと封印されていたことを微塵も感じさせない笑顔を浮かべたサラに、セイジは腕を伸ばした。
腕に抱き込み、しっかりとその身体の体温を感じる。
涙が出そうだった。
これこそ、待ち望んでいた瞬間だった。
口から零れる押し殺した声を、サラは笑顔で受け入れ、セイジの背中を優しくポンポンと叩いた。
「ルーチェ。迎えに来てくれてありがと。でも、まだ私達にはやることがあるでしょ。再会の喜びはその後よ。ね、アル、エミリ。泣かないの、エミリ」
「ばかあ! 泣くに決まってるでしょ! ごめんね、来るのが遅くなって……後で、抱きしめてもいい?」
「もちろんよ。まずはあの黒いのを何とかしましょ」
サラの姿を見て涙をこぼしたエミリは、サラに苦笑されて腕でぐいと顔を拭いた。
嬉しくて高笑いしそうよ、と呟いたのをアルに聞かれ、笑うアルに蹴りをお見舞いすると、エミリは魔王に向きなおった。会話ができるほどには、前衛の異邦人たちが魔王を引き付けてくれている。
「瞬殺してやるわ」
「エミリらしいわね。でも、もう少し時間がかかるかも。まだ少しだけ足りないのよ」
「足りない?」
サラの呟きに、セイジとエミリが同時に反応した。
それに応えることなく、サラは先ほどまで自身の中にいた大きな闇の塊を見上げた。
魔王を討伐しきれなくて封印に踏み切り、自身を依り代としたサラは、セイジの手によって水晶に収まると同時に意識も途切れると思っていた。
事実、しばらくの間はただ水晶の中で意識をなくしていたと思う。
しかし、その意識下、何者かがサラの意識を蹂躙しようとしたことで、サラは目覚めた。
目を開けると、そこには闇の塊がその閉じられた世界を呑み込もうとしていた。咄嗟に魔法を唱えると、途端に闇の塊が霧散していく。ただ、消したわけではなく、ただただ隠れて身を潜めているという感じだった。
自身の身体の中での出来事のはずなのに、それはまるで一つの世界のようだった。
サラ自身も動けたし、闇が隠れるほどの色々なオブジェクトが点々と浮かんで、置かれて、そして、沈んでいる。
しかしそのオブジェクトはほぼ黒ずんでおり、闇の塊が少しずつ浸透しているということが手に取る様にわかった。
『なるほど。ここでの役割は、この黒いのの行動を阻害することなのね』
サラはそう納得すると、闇の塊をまた自身に封印するために、後を追い、回収し始めた。
そんな中、闇の塊の欠片を追っていると、真っ暗な空間に足を踏み入れてしまった。
自身の手の先すら見えない闇の空間は、サラの目にはすでに闇に取り込まれた場所に思えた。
しかし、目を凝らすと、なぜか何かが浮いているように見える。
空間に溶け込んでしまった闇を探すのを後回しにして、サラはその空間に浮かぶ何かに近付いた。
それは、小さな小さな歯車だった。
目を凝らすと、その歯車は無数に浮かび、そして消え、常に動いているようだった。
『面白いわ』
すぐ間近な物すら見えないのに、歯車はしっかりと目で追えることに興味を抱いたサラは、たびたび闇の者を追いながらその空間に足を向けた。
時間の感覚のないその空間の中で、サラはある日、またしても闇の塊を追って歯車の空間に足を踏み入れた。
いつもとは違う、闇のすべてがそこに集結しようとしている動きに、サラも何かがあると確信しながらそこに行くと、今までにないほどに宙には歯車が溢れかえっていた。
一瞬その光景に目を奪われるが、しかし闇の塊が歯車を呑み込んでしまおうと手を伸ばしていたのが視界に入り、サラは咄嗟に邪魔をし、その闇を全て自身の身体に封印し直した。しかし後から後から闇の塊がその空間を壊そうと集まってくる。魔法を駆使しながら闇の塊を回収していると、その空間に異常が現れた。
闇と歯車だけだった空間に、一筋の光が現れたのだ。
まるで闇の先の先にまで伸びるようなその道の光に、闇の塊はさらに苛烈さを増してその道を消そうと動いていた。
『あなたたちの好きにはさせない。きっとこの道が消えたら、あなたのような闇が喜ぶのでしょう。だったら、私はあの光の道を守るのみ』
サラは全魔力をもって、道を消そうとした闇を阻止することに成功した。
身体の中には、だいぶ逃げ出した闇が戻ってきているのがわかる。
そして、封印したはずなのにかなりの闇が逃げ出していたことも。
不甲斐なさと疲れで息を吐くと、今度は光の道を歩く一人の女性が目に入った。
『ここは私の精神世界では、ない?』
女性を目の当たりにしたことで、封印された水晶の中の世界での出来事だと思っていたのは間違いだと悟ったサラは、まだ隠れていたらしい闇の塊が彼女に迫っていったことに驚き、焦りを覚えた。
彼女が歩くごとに、その後ろに歯車が増えていく。もしかすると、彼女はこの世界を救う足がかりとなる者なのかもしれない。
道を歩く彼女は、時折不安そうに後ろを振り返りながらも、しっかりと歩いていた。
取りこぼした闇の塊の欠片がまさに彼女に襲い掛かろうとした時、サラは咄嗟に彼女を守るべく残りの魔力を駆使して闇を消し去った。
彼女が無事光の道の先に消えていくと、その後には様々な大きさ、様々な形の歯車が大量に浮いていた。
その空間を闇に壊されないよう、サラはそこを出た後、空間の入り口を魔法で隠した。
時折闇の塊を封じた身体が悲鳴を上げる。
その苦痛を押さえつけるため、サラは深呼吸して目を凝らした。
何の作用か、見ようと思うと、あらゆるところが見えてくる。自身の身体は魔大陸の水晶の中に封印されているというのに、今まさに見えているのは、小さな村の、小さな建物の中。
そこでは両親が穏やかな表情で会話をしていた。声は聞こえなかったけれど、元気そうなその姿を見ると、苦痛が和らぐ気がした。
視線を動かすと、慣れない机仕事に四苦八苦し、疲れたような表情で伸びをする親友が見える。
若い騎士たちに追い回されながら、愛しの王女様を抱き締めている親友も。
そして。
いつでもボロボロだった彼。
いつでも、サラを迎えに来れる様にと手を尽くしてくれていた彼が見えて、口元が綻ぶ。
目当てのものが手に入って、一緒に戦った仲間と手を合わせて顔を綻ばせる彼を見ると、スッと身体の苦痛がなくなっていく気がした。
口元はいつでも『待ってろよ』と動くのが、泣きたくなるほどに力をくれる。
見ることしかできないのがとてももどかしい。
もどかしくてもどうしようもなかった。




