note.3 手紙
「リアちゃーん、いるー?」
サラリアは棚に収めようとしていた数冊の本を脚立の上に置いて、店内のカウンターに急いだ。
揺れるのが面白かったらしい。背負っていたトールが楽しそうな声をあげる。しつこい風邪なのか微熱が続き、怠さのせいかずっと機嫌が悪いので、久し振りに聞いた笑い声にサラリアは安堵した。
「こんにちは、ハンナさん」
「これ、沢山作ったから貰って頂戴」
ハンナはこの町にある商家の先代夫人。品のいい老婆で、引退した夫と共に隠居して趣味の読書と料理を楽しんでいるそう。カウンターに置かれたハンナのお裾分けのカップケーキは、綺麗な焼き色がついてとても美味しそうだった。
「この前すっかりお友だちと長居しちゃったでしょう? そのお詫びでもあるのよ」
「そんなこと気にしないでください。ここはそのためにあるカフェですから」
ブックカフェ『トゥロール』。
サラリアの店。生きるために必要ではないけれど在る意味はある時間や場所の意味を込めて名づけたブックカフェだ。
「ここにあった本屋さんは、私が子どもの頃から好きだった店なの。私は本を読むことができる環境にあったけれど、本を読むことはなかなか時間的にも金銭的にも難しいから書店はなかなかね……本を共有してみんなで読む。リアちゃんのおかげでたくさん本が読めるし、読書仲間もできたわ。だからリアちゃんのブックカフェに感謝しているの。ありがとう」
◇
サラリアがこの町に定住したのは2年ほど前、それまでは各地を転々としていた。
あの日、腕輪で転移した先は海辺にある名前も知らない小さな町だった。
面した海の名前から王女時代に見た地図のこの辺りくらいは分かったが、特にサラリアは詮索しなかった。場所よりもサラリアにとって大事なことは生きること。つまり衣食住。
サラリアは目立つ髪をバッサリと切って『リア』と名乗り、住み込みの求人だった宿の食堂の給仕として働くことにした。
元王女のサラリアだったが働くことに苦はなかった。王女時代も番時代も閉じ籠もっていたため『働く』ということが新鮮だったこともある。
衣食住に問題はなくても、問題がないわけではない。
小さな町の人々は突然町にやってきた縁もゆかりもないサラリアに興味をもった。サラリアは周りから関心を寄せられた。突然善意もあれば悪意もあり。
特に男性の場合、親密になろうとするのでサラリアは面倒に思っていた。妊婦であったが男たちは気にしない。寧ろ夫の気配がないのに妊婦であるサラリアを腰の軽い女とみて、短期間の関係を楽しもうという明け透けな提案が多かった。
サラリアが腹の子の父親を竜人だ暴露したのは、連日の誘いに疲れていた故の気の迷いだったとサラリアはいまも思っている。でも効果には後悔していない。
屈強な体に強い魔力。すべての種族の上位に君臨する竜人の影響力は予想以上で、男たちは潮が引くようにサラリアから距離をとるようになった。
しかしそれが噂となって竜族に届いたのか、それから約半年後、町に竜族が数人やってきた。
竜人は存在が目立ったのでサラリアは事前にそれを知ることができ、急ぎ荷物をまとめると雇い主に簡単に挨拶をして、町を出たところで転移した。飛んだ先は農村。丁度その地域に子どものための学び舎ができたところだった。
サラリアは先生としてこの村で過ごしながらトールを産んだが、トールは縦に細長いスリット状の瞳孔の目と額に鱗という竜族の特徴があったのですぐに竜族の子どもだと知られてしまった。
善意か面白半分か分からないが、誰かが竜族に情報を漏らしたのだろう。トールが生まれて3ヶ月後に竜人たちが村にきたためサラリアはまた腕輪で逃げた。
大人の女が一人で逃げるのとは違い、子連れで逃げるのは大変だった。
トールを隠せて一人にもせずにすむような内職の仕事を探していくつも町を移動した。しかし竜族の特徴のあるトールはいつも目立ちすぐに竜族がやってきた。
◇
トールが1歳になった頃、サラリアは音を上げてラーシュに手紙を書いた。
逃げ回るたびに家と仕事を探すのに大変だから居場所を教える、監視しても構わない。しかしトールをドラコニアに連れていこうとしたり、ラーシュが会いにきたら逃げる。次に逃げた先では体を売ってトールを育てる。
卑怯なことを書いた自覚はあった。
自分からラーシュの番であることを否定したくせに、『他の男』を盾にラーシュを脅したのだから。
ラーシュからの返事は大きな封筒できた。
封筒の中身は宛先に【サラリア】とだけ書かれた手紙と家の権利書。
手紙には竜族の子は力が強くて貸家だと壊してしまうからこの家を贈りたいとあった。元は書店だったこの家はサラリアがブックカフェを開くのに適していると思って選んだとも書いてあった。
いつだったか違う人生だったらなにをしたかったと質問しあって、ブックカフェをやってみたいと答えたことを思い出した。
サラリア本人も忘れるほど、叶うとは思っていなかった夢。よく覚えていたなと感心すると同時に、ラーシュに囲われて叶うとは思っていなかったことをラーシュに叶えられたこと皮肉に思った。
そして手紙の最後は【すまなかった】と、言い訳のひとつもないシンプルな謝罪の言葉で締められていた。
罠かと思わなかったわけではないが背に腹は代えられない心境で、サラリアはラーシュが用意してくれたこの家に移ってきた。手続きは全て済んでおり、あとはサラリアたちが住むだけになっていた。
ラーシュの用意した家に引っ越したのだから手紙は不要だとは思ったが、約束だからと住所に簡単な礼の言葉を添えた手紙をラーシュに送った。
後日、サラリアのもとに一通の手紙とデルフィニウムの花束が届けられた。手紙には【あなたの幸せを願う】とデルフィニウムの花言葉が綴られ金貨が一枚同封されていた。引っ越し祝いとトールの養育費だと思うことにして、どちらも受け取ることにした。
花瓶がないことに気づき、花束をもらうのは人生で初めてだと思った。それを言ったらラーシュはどんな顔をして驚くだろうか。そんなことを自然に考えながら、前の持ち主が残していたガラクタの中から花瓶になりそうな壺を探した。
花を包んでいた紙を開いたとき、隠れるようにあった一輪の青いアネモネ。花言葉は『後悔』。サラリアの胸に苦いものが拡がった。受け入れられないけれど捨てにくい。どうしようかと暫く考えたのち、サラリアはアネモネを押し花にして、それで栞を作ってラーシュに送った。
数日後、ラーシュから手紙と本が届いた。
手紙には他愛のない話と、やはり金貨が一枚が入っていた。一緒に届いた本はサラリアが読みかけていた本だった。あのいざこざで忘れていたし恋物語に心をときめかせる気分でもなかったが受け取ることにした。その口元が緩んでいることにサラリアも気づいていなかった。
それ以来、ラーシュからときどき手紙が届き、サラリアも気紛れに返している。
先日はただ一言「伸び伸びと育ってほしい」と書かれた手紙が送られてきて、サラリアはそれがラーシュのトールに対する言葉だと思い便箋を額にいれて飾った。いまもトールのベッドの脇にある。
ラーシュとの関係をどうしたいのかをサラリアは決めかねていた。
採算の取れないブックカフェでも母子が生活していけるのはラーシュの経済援助があるから。しかし、トールはともかくラーシュを拒絶した自分がラーシュの世話になり続けるのは間違ってもいるとサラリアは悩んでいた。
(それに、シーラ様のこともあるわ)
竜族の情報はほとんど地上にこないのでラーシュとシーラがどうなったのかは知らない。手紙で尋ねれば教えてもらえるだろうが、サラリアは尋ねるつもりはなかった。
ただトールは紛れもなくラーシュの後継者で、トールにはあの国の王になる権利がある。あのシーラがトールの継母になるのは嫌だがその道を自分の一存で決めるのも間違っているとサラリアは思っていた。
「あら、トールちゃんの顔が赤いわ」
「そうなのです、どうやら風邪をひいたみたいで」
風邪といったがトールの異常がサラリアには気になっていた。
この一週間ほどトールの体がずっと熱い。最初はサラリアも風邪だと思って医者にいき解熱剤をもらったが、解熱剤をもらっても下がらないのだ。
(竜族特有の病気だったら……)
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