変わらぬ姿
彼女が自らの名前を〝いずみ″と明かした後、渡辺店長がメモ紙に〝維澄”という漢字を書いてくれた。
IZUMIという芸名は〝維澄〝という本名からきている。
たった一枚の写真という手がかり。しかも雑誌に掲載されたモデル写真なら、強い修正の掛かった写真かもしれない。ちょっと角度が変われば、本人と写真とは似ても似つかないかもしれない。
そんなことを思うこともあった。
私が憧れたのは本人ではなく、この写真。その写真から想像たくましく、いろんな幻想が私の頭の中にできあがっていたのは確かだ。
情報が少ない分、より想像が膨れ上がってしまっていた可能性だってある。
だからもし本人を目の前にすれば幻滅してしまう可能性が高いとすら思っていた。
だから”どうか最後まで未知の存在でいてくれ”なんて矛盾に満ちた思いもあった。そのうち熱も冷めるだろう。きっとリアルな世界で夢中になれる”異性”にでも出会えれば……
しかしそんな想像こそ、全く意味のない妄想でしかなかったことを、まさに思い知らされてしまった。
信じられないことだが、彼女は写真のままだったのだ。いや違う。それ以上というべきか。
写真の彼女は、最上のファッションに身を包み、最上のメイクを施されている。
おそらくその写真にしても、何百枚も撮影されたデータの中から厳選された最上の一枚に違いない。
そのカットは、これと言った派手なポーズをとっていなかった。両手に小さなブーケを持っただけの上半身の写真。でもその表情は、はにかみながら誰かに笑顔を送っていた。
”誰に向けた笑顔なんだろう?”
私はたったそれだけのことで心をざわつかせたこともあった。
あの写真が撮られてから何年経っているのだろうか? 今目の前にいる維澄さんの印象から推察するに、きっと今は20代中ごろだと思う。
でも今の維澄さんは全くのすっぴんだ。しかしすっぴんだからむしろ美しいと感じてしまうような説得力を感じさせてしまう透き通るような肌。
ヘアスタイルは、写真でおそらく専属のプロのヘアメイクの手が入った栗色の美しいロングヘアー。今はただ無造作にまとめられた黒髪。それなのにこの髪型こそが維澄さんに最も似合っていると感じてしまう。
それにセンスのセの字も感じさせないドラッグストアの制服。どこにでもある普通のエプロン。
こんなユニフォームを着て、こんなにも綺麗に見える人なんておかしいでしょ?
つまりそれは──
彼女の魅力とは、衣装とかメイクとか……そんな”後付け”されたものなんか寄せ付けない次元にあるのだということを思い知らされた。
”碧原維澄”です。
たったその一言で、私は放心して立ち尽くした。
それからしばらくして、私がようやく我を取り戻すことができたのは、隣にいた渡辺店長の〝突然の爆弾”だ。
「じゃあ、碧原さん? ちょうどお客さんいないから神沼さんに店内案内してもらっていい? できれば簡単に仕事の内容とかも教えてもらえると助かるんだけど」
え?……
い、維澄さんが私に店内を案内する?
渡辺店長の提案に、私は激しく動揺してしまった。
私は恐る恐る維澄さんの顔を見ると、やっぱり……
想像通りの困った顔。
凹むな〜。
憧れ続けてきた維澄さんに店内を案内してもらうなんて、天にも昇る気分なのに、そんなに嫌な顔されるのはきつい。
「じゃあ、碧原さんよろしくね!」
私と維澄さんの間にできてしまった重たい空気なんて知る由もなく、渡辺店長はさっさとスタッフルームへ消えてしまった。
維澄さんと二人きりになってしまった。
とてつもない緊張感。
私は未だ彼女を直視できず、下を向いたままだ。
「神沼さん?」
突然、維澄さんが私の名前を呼んだ。
「え? え? あ、は、はい!」
維澄さんが、自分の名前を口にしたことが想定外すぎてパニックを起こしそうになった。
維澄さんの声は綺麗なアルトの声だった。
私は呼吸が乱れ、心拍数が跳ね上がるのをギリギリの自制心で抑えつける。
「こちらから説明するから」
維澄さんは、言葉少なくそう私を促した。
維澄さんはそそくさと、まるで私の存在を無視するかのようにレジを離れ、狭い店内の通路へ向かって歩き始めてしまった。
私はただただ、慌てて後を追うしかない。
”このエリアは生活雑貨” “ここは食品” ……
維澄さんは、私の顔を見ることもなく淡々と機械的に説明を続ける。”やりたくもないことを仕方なくやっている”感が滲み出ていた。
そんなやっつけな維澄さんの態度に私はいちいち暗くなる。
しかし、無表情だった維澄さんの顔が”あるエリア”で微妙に動いた。
”そのエリア”に来た途端、彼女は下を向き……足早に通り抜けようとした。
そのエリアとは……化粧品コーナーだ。
そこには化粧品メーカーの宣伝ポスターが何枚も貼られていた。もちろんそこに写るのは今をときめくモデル達だ。
彼女は、それらのポスターから目線を逸らした。その顔はとても辛そうに見えた。
元モデルだった維澄さんが、モデル達の写るポスターを避けるように目を逸らす。
”モデルIZUMI”の情報は、過去どんなにネットを探しても何も出てこなかった。私が下した結論は、意図的に情報が削除されているということ。
そして削除される理由は、どう考えてもネガティブなことしか思い浮かばない。
雑誌の掲載号を考えると、一世代前に活躍したモデルだと思う。
でも今、目の前にいる維澄さんは二十代中盤に見える……。全然現役で通用する歳だし、もっと言えば、あの写真に写る姿と今の姿はあまり違いがないようにすら思う。
”意外に最近のことなのか?”
彼女は、私のことを警戒している。それは、過去の自分を知るかもしれない人間だからという気がしてならない。
狭い店内だ。
あっという間に店内の説明は終わってしまった。
その短い時間で、私はずっと押し込めていた本音がついに形になってしまった。
私はこの先も、この人のそばにいたい。
“これ以上深入りしてはいけない”と思っていた私は、既にどこにもいない。
私の気持ちはもう”別の方向へ”走り始めてしまっていた。
だったら、ここでアルバイトを始めてしまえばいい。
そうすれば毎日、維澄さんに会うことができる。もう迷わない。
悩んでも何も始まらない。
迷っているなら行動だ。
不思議なことに自分の想像を超えて前向きな自分がどんどん芽生えてくる。
私はそう決意したが、その決意の顔を悟られたのか……
私の決めたばかりの気持ちに「待った」をかけるように……
維澄さんが初めて”必要最低限以外のこと”を口にした。
「神沼さん?」
「は、はい……」
私は彼女の表情の変化に緊張した。
「神沼さんは、私のこと知ってるんでしょ?」
そう言った維澄さんの表情は、全身が凍りつくほどに冷たいものだった。




