あらたな可能性
それから、維澄さんは私の自転車の荷台に横向きに座り、全く躊躇することなく私の腰に手を回してきた。
私は、維澄さんの腕が触れた腰から“おなか”にかけて……ゾワゾワと緊張して、息も吸えないくらいに上半身が固まってしまった。
私たち三人は、和やかな空気のまま、ゆっくり、ゆっくり家路についた。
維澄さんの腕のお陰で、全く緩むことを許されなかった私の上半身は、家に着くころには、震えが来るほどに筋疲労してしまっていた。
明日、筋肉痛かも。
維澄さんの腕に緊張して筋肉痛とか、私も相当ヤバい女だな。
さて、これから一晩……
さっきのやり取りを思い出すと不安だらけだけど……
維澄さんと過ごす一晩。
胸が躍る気持ちを抑えることはできなかった。
維澄さんの指先が冷たかったことが、ずっと気になっていたので、まずは温まってもらうためにお風呂を準備した。
そして、維澄さんはお風呂上がり。
私のダサいジャージを使ってもらった。
ダサいはずのジャージなのに、妙にカッコいい。
その姿にうっとり見惚れていると、いきなり維澄さんが、爆弾を投下してきた。
「檸檬ってホント、スタイルいいよね?」
「へ?」
「今日貸してもらった下着も、このナイトウェアもピッタリだから」
ああ、そういうことか。
びっくりした。
「でも、それって維澄さん自身が、自分のスタイルを自慢してるって分かってます?」
今回の事件で、なんとなく維澄さんとの距離が縮まったのは間違いなくて、こんな突っ込みを維澄さんにできるようになっていた。
「そうじゃなくて。檸檬のスタイルの話」
自分の言った意味に気づいたらしく、珍しく赤面する維澄さん。
こんなリアクションも、お店では決して見せることはなかった。
「じゃあ、私も維澄さんのようなモデルになれるってこと?」
私も調子に乗って冗談を飛ばしたのだが──
「それはなれるでしょ、檸檬なら」
真顔で維澄さんがそう返してきたので、ドキリとしてしまった。
「そ、そんなお世辞言わないでくださいよ? 維澄さんが言うと本気にしちゃいますよ?」
「お世辞なんて言ってないけど?」
「そ、そんな無理に決まってるじゃないですか!」
「檸檬? 一応、私、元モデルだよ?」
なになに?
モデル話は、もう解禁ってこと?
前にポスターの前で暗い顔してたのは、なんだったの?
「し、知ってますよ! もう、だからこそ、そんなこと言われると勘違いしちゃうじゃないですか?」
学校の友達に言われているわけではない。
あの維澄さんが言っているという事実を、まだ受け止めきれない。
「檸檬がやる気があるなら、なれるわよ? 絶対に」
ダメ押しに、維澄さんらしからぬ力強い口調で言い切られてしまった。
え?
本当なの?
私がモデル?
そうなれば、私は維澄さんという存在に近づけたりするのだろうか?
そんな想像をしてしまうと、震えるような恍惚感に満たされてしまった。
なりたい。
モデルに。
維澄さんという存在に、もっと近づきたい。
私は突然降って湧いた、そんな未来に思いを馳せ、ついついボーっとしてしまっていた。
しかし維澄さんは、私のそんな想いには気づくはずもなく、当面の問題に話題を移した。
「夕食はどうする?」
維澄さん、話の切り替え早すぎ。
この私の興奮を、どうしてくれるの?
でもまあ、今日のところは、この興奮を何とか押さえつけて、後でじっくり思い返そうと思った。
父は転勤族。
そして看護師の母は、今日は夜勤。
我が家では、母が夜勤の日は、大抵私が簡単に料理をする。
だから……
「あ、私作るから、ちょっと待ってて」
と言ったのだが……
「私にご馳走させて!」
維澄さんが、前のめりに言ってきた。
きっと維澄さんのことだから、今日のことで迷惑をかけてしまったと心を痛めているのだろう。
私は、もしや維澄さんが手料理でも作ってくれるのかと一瞬期待したが、維澄さんは携帯をおもむろに取り出して……
ピザ屋に電話をしはじめた。
まあ、そうだよね。
食事が終わると、翔はすぐに自分の部屋に行ってしまったので、私と維澄さんは私の部屋に向かった。
維澄さんは、私と一緒のベッドで……
なんて甘い展開が起こるはずもなく、維澄さんは私のベッドで、私は来客用の布団で寝ることになった。
私は〝モデルになりたい〟という気持ちが芽生えたことが嬉しすぎて、夜な夜な維澄さんと楽しいモデル話をするつもりで浮かれていた。
しかし、残念ながら、とてもそんな雰囲気ではなくなってしまった。
二人で私の部屋に入ってから、私は維澄さんのモデル時代の写真を、机に置いたままだったことに気づいた。
維澄さんは、目敏くその写真を見つけて、しばらく見つめていた。
だって、モデル時代の維澄さんに憧れていたことは、すでにバレているし、今日の会話からは、これに関して維澄さんから不快な感情は感じられなかった。
今日「モデル」という話題が出てしまった時も、維澄さんから全く〝陰〟を感じることはなかった。
でも、なぜか私の机にある写真を見る維澄さんの目は、苦痛に満ちていた。
モデル話をしても大丈夫。
でも、彼女のモデル時代をありありと思い出させてしまう写真は、彼女にとっては苦しいということなんだ。
そんな維澄さんの、こんな顔を見てしまったら、とてもじゃないが、楽しいモデルトークなんかできるはずもなかった。
だからその夜は、微妙な空気感になってしまった中、二人で他愛もない話を少しして、いつの間にか眠りについてしまった……




