第20話
ジュドーの手元より放たれたそれは、まるで生き物のように蠢き、回避しても即座に自分に襲いかかってきていた。
おそらくは、無数のワイヤーの類であろうが、その斬れ味は先ほど自分の等身大の岩を輪切りにしてみせたほど。
加えて、腰に下げていた剣は初期にワイヤーに括られてミンチにされてしまったため、剣の強度と切れ味すらも優に上回っている。
だが、それだけの切れ味と強度を誇っていても、まるで糸のような柔軟さを持って襲いかかってくる。
すべてが画一的に動くわけでも無し、それぞれが意志を持って居るかのように蠢いてくるのだから始末が悪い。
「どうした? 逃げているだけでは、私には勝てんぞ?」
そして、回避に徹し隙をうかがっている自分にたいし、ジュドーはほくそ笑みつつそう口を開く。
状況的にはこちらが圧倒的に不利であり、笑みを浮かべるだけの余裕もあるのだろう。
実際、隙を突いたにも拘わらず、こちらの銃撃は二度も躱されているのだ。
狙撃できるほどの余裕がなかったとは言え、正直なところ驚き以外の何ものもない。
そして、弾は二丁合わせて10発ほど残り。
大事に使用してきたが、補給など不可能なこの世界にあって、一撃で仕留めることが不可能な相手と対峙した以上、弾をケチるわけにもいかなかったのだが。
「むっ!?」
そんなことを考えつつ、再び躍りかかってくるワイヤーを躱すが、その刹那に感じる悪寒。空中で身を捻ると、それまで首があった場所をまるで縊り取るようにワイヤーが蠢いていく。
回避に徹しているこちらの動きを鑑みて、一気に仕留めに掛かったのであろうか?
「ぐっ!?」
しかし、そんな攻撃を回避したのも束の間。身体の到るところに走る激痛。
視線を向けると、それまでのワイヤーよりも数段細い二本のワイヤーがそれぞれ右肩と左腿付近を貫通し、それぞれ背中を腰辺りに突き立っている。
「ちぃっ……、こざかしい真似を」
「ジェネシスっ!?」
他のワイヤーに混ざり、攻撃の機会を窺わせていたのであろうか、動きを止めた自分に対し、ジュドーははっきりとした笑みを浮かべ、苦戦を悟ったのか、ユフィアの声が耳に届く。
彼女はヴェルナとソフィーの援護を受けて、ジュドーの後に続いていた黒装束の者達を一人一人確実に叩きのめしている。
隠密を担う人間達のようであったが、こちらの見立て通り、ジュドーほどの手強さ無く、ヴェルナが法術で巧に牽制し、ユフィアが確実に討ち倒すという連携が出来ているようである。
とはいえ、肝心の自分がこの様では彼女等の奮闘も無駄になる。
「心配するな」
そう言って、ジュドーを睨むも、身体に突き立ったワイヤーはさらに動きを増して身体を貫通し、再び各所へと突き立つ。
身体を上手く操って急所は抜けているが、腕や足を突き立っているため、激しい動きを取ることができない。
「ふふ、その余裕がいつまで続きますかな?」
そんな自分の様子を悟ったのか、さらにワイヤーを蠢かし、激痛を与えてくるジュドー。
激痛に思わず声をあげそうにもなるが、他のワイヤーを自分の周囲で這わせ回している所を見ると、形勢の有利を悟って遊んでいるようにも見える。
「ふん、お前も十分余裕じゃないか。ひと思いに殺さぬのか?」
「貴方も、この様な状況にあって反撃の機会を窺っている……、下手に手を出す危険性は熟知しているのですよ」
「そうか。どちらかというと、理由を付けて俺が苦しむ様を見てみたいように見えるがな」
「ふふ、たしかに、貴方のように我慢強い男が泣いて許しを請う様を見るのは愉快なモノかも知れませんね」
「そうか……、貴族達が戻ってくるまでに出来るかな?」
「あのような小者。取るに足らりませんよ」
探るような問いかけの間も、身体を貫通しているワイヤーは身体中をかき回すように動き回る。
外傷による傷以上に、身体の芯にまで突き通るほどの激痛。とはいえ、この男の思い通りになってやるのは癪であった。
「ジュドー、もうやめてっ!! どうしてそんな事をっ」
「っ!? お嬢様。なにを?」
そんな時、突然ソフィーが自分を守るように目の前に立ち、ジュドーに対して声を上げる。
ソフィーの行動に、ジュドーも動揺したのか、一瞬ワイヤーの動きが弱まる。
「貴方も私を助けに来てくれたのでしょう? だったら、何故、この方を……。それに、王女様に剣を向けさせるなど。今すぐ止めさせなさいっ!!」
「お嬢様。この男は、お嬢様を誘拐し、御館様を脅迫した大罪人。加えて、そこにいる少女は、王女ユフィアーナ・パルティアではなく、ユフィア・オルヒデア。と言うことになっております」
「っ!? 貴方、はじめから……? まさか、お父様も」
「まさか。御館様がそのような謀略を好むはずがないでしょう。自身の立場を守るために、貴女様を見捨てようとした御方ですよ?」
「…………見捨てる?」
そんなジュドーの僅かな動揺を察したのか、ソフィーはさらに詰問するように口を開く。
だが、ジュドーの口から帰って来たのは、アルベルト家にて話されたとおりの回答。
ソフィーの身に大事があれば、自分やユフィアはそう言った形で処理されることになっているのだ。
そして、世間知らずとはいえ、聡いソフィーがその言葉の意図に気付かぬはずもなく、さらに一連の出来事で父親に対する不信感も芽生えていることが感じられる言葉も口を付く。
そして、そんなソフィーに対し、追い打ちを掛ける言葉をジュドーは口にしようとしていた。
「ジュドー。黙れ」
「ふん。あの御方はこう仰いましたよ。『どのみち、貴族の馬鹿息子たちにくれてやる娘……身を汚されようが、生きて帰ってこようが関係無い』とね」
それを察し、ジュドーを鋭く睨むも、手を出すことが出来ぬこの状況にあっては彼の口を止める事は適わず、リヒャルトの、自分達が聞くことの無かった言葉の終わりまで余すことなく口にする。
それが本心でないことは、自分に分かる以上、普段のソフィーでも気付いたであろうが、今回の事は彼女に父親に対する不信感を植え付けされるには十分な出来事であったのだ。
案の定、目を見開いて凍りついているソフィーは、言葉を発することが出来ずにいる。
「貴様っ、本気で死にたいらしいな」
「ほう? 良いですよ。その顔……亜人の獰猛さが良く現れています」
「亜人?」
「おや、お嬢様は知りませんでしたね。では、ご覧下さい……この男の正体を」
それは、ジュドーに対すると同時に無力な自分に対する怒りであったのか、声色が怒りによってどす黒く沈んでいる事を自覚する。
そして、それはジュドーにも伝わったらしく、彼の加虐心を煽ったのであろう。
先ほどまで周囲を舞っていたワイヤーが唸りを上げると、頭部を覆っているフードと該当の一部が斬り裂かれ、虎のような毛に覆われた耳と尾が姿を現す。
「ふふふ、どうです? この男が必死に偽ってきた姿。所詮は亜人の浅ましさですな」
「それで?」
「え?」
そして、現れた耳と尾に、心底軽蔑するような視線を向け、満足げに笑ったジュドーであったが、一応の主であるソフィーからの反応は予想外のモノであったようだ。
「ジュドー。貴方は普段から優秀で紳士的な男性でしたわ。ですが、そのような下品な品性を持って居たのですね」
「な、なんですと?」
「亜人だから? ジェネシス様が亜人だから何だというのです? 私は、彼との僅かな会話で自身の在り方を考えるほどに感銘を受けましたわ。それこそ、貴方が数年に渡って私に教えてきたことがまるで意味がないほどに」
そして、今度はソフィーからの冷えきった視線がジュドーへと向けられる。
「お、お嬢様。何を言われるのです? 彼奴は、獰猛な亜人にして、お嬢様を利用して」
「王女の腹心なのに、わざわざ敵の令嬢に取り入らんわ」
「黙れっ!! 亜人風情が」
「だから、亜人だから何だというのです? 現に、彼は殿下等とともに危険を冒して私を助けに来てくださいました。彼だけではございません。森に住まう若者達が私のために危険を冒してくれました。それを、貴方は……」
「ぐっ……、小娘が。調子に乗りおって」
「どちらが? 少なくとも、現状私にとって、野蛮なのは彼らではなく貴方の方ですわ」
「っ!?」
そして、ソフィーの言動がジュドーの怒りに火をつけたのか、それまで周囲を舞っていたワイヤーが唸りを上げる。
それはまるで、彼の怒りを体現しているかのように蠢き、それは本能のままにソフィーを八つ裂きにせんと襲いかからんとしていた。
そして、そこには、先ほどまでの理知的な男の姿は無く、ただただ怒りに驕れる愚者の姿しかなかった。
「死ねぇっ…………ぐふぉっ!?」
そして、怨嗟に満ちた声とともに、ソフィーに向けてワイヤーを襲いかからせんとしていたジュドー。だが、彼はこの時忘れていた。
少女に対する怒りに意識を奪われ、眼前にて正対する自分が何を得意としているのかを。
「目の前の事実しか見えない。今のお前にはピタリの言葉だな」
背後より、腹部へと貫かれた腕。その爪先は人間のそれ以上に鋭く、それで居て強靭なモノである。
そして、先ほどまで自分が立っていた場所には、全身をワイヤーで穿たれた自分の姿。
ほどなく、それは虚空へと霧散し、その場には行き場を失ったワイヤーが落ちた翼のようにゆっくりと舞い降りていった。




