第14話
集落付近から深い森の中へと入っていくと、ユフィアとノルンは移動が困難な様子だった。
「こういった所が不便だな」
「だからこそ、森へ追いやられても暮らして行ける。火は魔物を刺激するだけだからな」
人間の居住区から外れると、亜人種の他にも“魔物”と呼ばれる大型な生物が生息している。
ただ、無闇矢鱈に人を襲うわけでもなく、熊等の大型獣と同じく、危険から身を守るか食事のために狩りを行うだけに過ぎない。
そのため、闇夜を移動する亜人達には特段攻撃的でもないし、人を喰うような魔物は大方が駆逐されている。だが、火などは普段は森とは無縁のものであり、その灯火は彼らを不用意に刺激することになる。
「灯り抜きでも大丈夫なように夜目が利くわけね。にしても、どうなの?」
「確証はない」
各種族達から教えられた集落の場。それらと王都からほぼ等距離にある区域。かつ川や街道からはそれほど離れていない場所を割り出し、いくつかに分けて捜索に当たってもらっている。
人間が出入りしているとなれば、亜人達の集落に近づけばどうしても目立ってしまうし、王都に近ければ近いに越したことはないが、補足の可能性が高まる。
そのため、街道に抜けやすいか川へと逃げられる場所――逃走路を確保出来る場所であることを考えれば場所は絞れる。
ノルンから交易商人が利用する隠し通路などもいくつか教えてもらっており、岩山や小高い丘など、地下に施設を作りやすい場は絞ってある。
何も無い森の中を掘り出すのはさすがに目立つし、労力を考えれば自然洞窟などが存在しやすい場を選ぶ。
少なくとも、水晶に映されていた場所の作りは、粗末な小屋などではなかったのだ。
それなりの施設あるのではないかということは容易に予想できる。
ソフィーの匂いに関しては、キュオ族特有の“共有”と言う能力でルゥルゥから他の者達に伝えられ、彼女の存在を探らせてもいる。
その他、有翼人種達には空から森を探らせるほか、アルベルト家の動きも見張らせている。
前者はともかく後者は危険でもあったが、それを承知で承諾してくれたヒュウという少女には感謝しかない。
「でも、本当にこんな近場で?」
「ソフィーを攫ったのは夕刻であるし、あの映像を記録する時間を考慮すればな。加えて、夜明けが一次期限と言う事はそれまでにアルベルト家からの返事を聞き、持ち帰れる場所でなければ意味がない」
「んじゃ、持って帰るまでの時間は猶予があるって事か」
実際、自分とソフィーが別れてからの時間は僅か。その間にソフィーを監禁場所へと連れて行き、アルベルト家を脅迫した。
移動距離はわずかと見るのが正当だろうし、転移法陣と呼ばれる高等法具を使役すれば、逆に捕捉され易くなる。
「いえ、その可能性は低いと思います。水晶体に映像を記録するというのは、相当な高位法術。おそらくは、高速での伝心も可能ではないかと思います」
そんなユフィアの言をノルンがやんわりと否定する。
実際、“映像記録”等という者は、科学分野で言えば恐ろしく長い時間を経ての事。
それを法術で補うのだから、相当高位な法術使いがいる事は予想できる。だからこそ、危険な橋を渡らずに自分に解決させるよう仕向けてきたのだろう。
「たしかに……。どっちにしろ、急ぐしかないか」
「姫さん。気が急くのは分かるが、少し静かにしておけ。ルゥルゥとテトリが探れなくなる」
そして、自分を落ち着かせるように呟くユフィアに対し、シウ・ニュン族のギエルが落ち着きにある声で宥める。
外見は少年のようであるが、この中では一応一番の年長者であり行動も冷静だ。
そんな彼の言に、ユフィアも黙って頷き、周囲へと視線を向けている。
本人の弁では、実戦経験は一応あると言う事だが、喧嘩などとは違う事は理解している。
だからと言うわけではないが、彼女に関しては特段の心配は無い。
武術に関しては負けなしであるし、何よりあのアティーナの娘である。実戦感覚に関しては天性のモノがあるはずだ。
加えて、軽はずみなことをする時もあるが、致命的な失敗をすることはないという不思議な信頼感がある。
王族であるが故なのか、何なのかは分からなかったが。
「ん~?」
「あれ??」
そして、しばらく息を殺しながら森の中を移動していると、ほぼ時を同じくしてルゥルゥとテトリの両者が顔を上げる。
何かを察したのか、静かに意識を向けて周囲の匂いを探っている。
「う~ん、なんとなくは分かるんだけど。なんか嫌な臭い……」
「うん。なんだろう? ……死体でもあるのかな?」
そして、二人は顔を顰めてそんな事を口にする。
悪臭の類……それも、“死体”のような臭いと言う事は、人がいる可能性が高い。
「二人とも、一旦探るのは止めて良い。先に進んでみよう」
キュオ族は深く匂いを探ることは出来るし、用途によってその能力を強化することも可能である。ただ、下手に能力を強化していると、毒素を含んだ臭気に当てられた時に手ひどいダメージを負ってしまう。
少なくとも、手がかりを掴めた以上は無理をさせる必要は無い。
それからさらに進むとわずかに水の気配を感じる。皆に止まるように告げ、フードを脱いで地に耳を付ける。
すると、それまでよりも湿った土の感触とわずかに何かが蠢いているような音が耳に届く、ほんの僅かであったが、どこかで水の流れがあるはずだった。
「この辺りに川は?」
「地下深くに水脈があるな。だが、川になっているとは聞いたことがない」
そう言って、ギエルは地図にその水脈の流れを指し示す。
それは森林地帯の奥深くからハルハ川の支流へと流れ込んでいる。鍛冶などを主業とする彼らにとっては、水の確保は絶対であり、その言は信用できる。
「となると、人工的に作られた水路か……当たってくれたな」
「何でそれが?」
「水脈があるなら、飲料用に井戸を掘るし、排泄などをかねて下水路を作った方が疫病の予防になるし、いざという時の脱出路にもなる」
「陸を行くよりは、流れのある水路を通った方が遙かに早いしな。お嬢さんもそうやって連れ帰ったんだろう」
ギエルの言も受け、おそらくではあるがこの先に人のいる何かがある事はたしかである。
「他の連中を集めた方が良いな。テトリ、悪いが行ってくれるか? 俺達はすぐ先まで行っているから、姫の匂いを辿って他の連中を連れてきてくれ」
「わかった。それじゃあ、お姫様、失礼しますよ」
「どさくさに紛れて胸に顔を埋めるなっ」
「えへへ。それじゃあ、行ってきます」
探りはルゥルゥに任せ、足の速いテトリに伝令を頼んだのだが、匂いを覚える名目でユフィアの豊満な胸に顔を埋めたテトリ。
ユフィアからの叱責にも、悪戯を見つかった子どものような笑みを浮かべて駆け去っていく。
「まったく、緊張感が削がれる」
「それは削がれた方が良い。行くぞ」
ぶつくさと文句を言うユフィアを無視し、静かに先へと進む。これから先は罠の類も用意されているかも知れず、わずかな物音で気取られる危険性も出てくる。
テトリ達が戻ってくるまでまだ時間はあるため、慎重に先へと進んでいく。
すると……。
「岩山だな。黒くなっているところは穴か?」
「そのようだな。人工的に作られたものだと思うか?」
「うーむ……、今少し近づけば分かるが、見る限りでは、自然に開いたもののようにも思える」
眼前の闇の中に、月明かりに照らされる形でぼんやりと浮かび上がる小さな岩山。ところどころ岩石が露出し、ユフィアの指摘通り、岩石の表面や間には空洞や切れ目がいくつも見てとれる。
ギエルの見立てでは、人工とも自然のものとも言い難いらしい。
「死角を探すしか」
「うわっ!?」
となれば、彼の言うとおり今少し近づくしかないのだが、ちょうど森の切れ目にある岩山であり、闇の中を身を隠すにしても、夜目が利く者がいればすぐに見つかってしまうだろう。
そんなことを考えていると、突然ルゥルゥが鼻を押さえて踞る。
慌ててユフィアやノルンを抱き寄せるように伏せ、ルゥルゥに対して声をかける。
「どうした?」
「な、なんだか、気持ち悪い臭いがする~」
「むっ? フソラ、見ろ」
そんな言の通り、気持ち悪そうに顔を顰めながら応えるルゥルゥ。何事かとも思ったが、ギエルの言に従って顔を上げる。
すると、先ほど見つめていた穴の中に、小さな火花が灯っていることに気付く。そして、ほどなく小さな炎が上がると、照らし出されるひげ面の男の顔。
「やっぱり」
「静かに」
しばらく男の動作を見つめていると、男は灯した炎から何かに火をつけると、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「あれは……」
「どうやら、事態はそんなに簡単じゃ無さそうだぞ?」
「どういうこと?」
そんな男の動作を見てギエルが顔を顰めつつ口を開くと、ユフィアの疑問を耳にしつつもそれに頷く。
「ここで待っていろ。テトリ達がやってきても、軽率な行動はするな」
「どうするの?」
「男を追って中を探ってくる。もう一度言うぞ。軽率な行動はするな」
「き、危険では?」
「承知の上だ。少なくとも、他人を行かせるわけには行かないほどにな」
不満げに顔を顰めるユフィアと不安そうに眉を顰めるノルン。対照的な反応である両者であったが、現状、一人で“穏便に”事を収められるのは自分しかいない。
大暴れして逃げてくるなら、ユフィアやギエルでも出来るだろうが、そうなればソフィーの運命はそこで潰える。
となれば、自分が行くのがどう考えても最善だった。
そして、4人に決して動かないように鋭く伝えると、闇の中を音もなく岩山へと駆け出した。




