第11話
甲高い声とともに少女が若者達の元へとつかつかと歩み寄る。
柔らかそうな金色の髪を足並みに合わせてフワリフワリと揺らし、鋭い視線を向けながら、若者達の元へ向かっていく。
その歩みは、自身の正しさや正義を一片たりとも疑っていないような、そんな自信に満ちているように思えた。
そんな印象的な姿に、昼にユフィア等と揉めていた少女であることに気付く。たしか、名はソフィーと言ったか。
権門の令嬢であるようだったが、この時間まで出歩いているところ見ると、ユフィアと代わらぬ少々やんちゃな所があるのだろうか?
「な、なんだよ嬢ちゃん? 文句でもあるのか?」
「いやいや、一緒にやりたいんだよな?」
「馬鹿馬鹿しいっ!! 貴方たちも、国家の禄を食む身であるのならば、民の範たる態度をとったら如何ですのっ!? この、恥さらしがっ!!」
「な、なにぃっ!?」
「おいおい、“範たる態度”ってヤツをとっているから、こいつを躾けてやってるんだろ? こんな汚ねえ店で街路を汚しているんだしな」
「はっは、躾けか。上手いことを言ったもんだ」
はじめこそ、ソフィーの言に苛立った若者がいた者のそんな言葉に諭されるはずもなく、商人を足蹴に笑う若者達。
実際の所、非力な少女が何を言ったところでこの手の若者の耳に響くとも思えない。
しかし、そんな状況も、頬を張る乾いた音が響くとともに一変する。
「痛って……、貴様、何をするっ!?」
「汚らわしい」
若者達の下衆な笑いにあっさり激高したのか、笑っている若者の頬をソフィーは躊躇うことなく張り、侮蔑を込めて睨み付ける。
存外、攻撃的な性格をしている様子で、その後のことまでは考えていないのであろうか?
単純に、汚れを知らぬ少女の琴線に触れてしまったのかは分からない。
ただ、放っておいたところで、待っているのは破局しかないだろう。
「ちっ、男に平気で手を出す女に汚らわしいとか言われたくないな」
「そうだな。せっかくだし、男と女、どっちが上かって事を身体に教えてやるよっ!!」
「な、何をしますの? は、離しなさいっ!!」
そう言って、ソフィーに対して掴み掛かる若者達。だが、それ以上の狼藉を働かせるわけにはいかない。
「おおっと!?」
そう思うと、躓いた振りをして懐の財布をぶちまける。と同時に周囲に対して幻術をかける。
すると、飛び散った金貨が一つまた一つと増え、周囲が黄金色の光に包まれる。
実際には街路に敷き詰められた大きめの砂利であったが、幻術によって金貨の姿を砂利に投影させているのだ。
「うおっ!? な、なんだ?」
「あああ、これはこれは失礼を。ああっ!? 閣下からお預かりした寄付金が……っ」
そんな光景に目を見開く若者や通行人たち。その間に、ソフィーと若者達の間に入りこみ、慌てて金貨を拾い集めようという動作を行う。
「げ、神官かよ」
「やべえな、女の子に手を出していたところ見られていたら」
そんな若者達の声が聞こえる中、慌てて金貨を拾い集める。
その間、チラリとソフィーを見やると、どうやら彼女も自分のことを覚えていた様子で、眉を顰めている。
ただ、眉を顰めながらも正確に金貨を拾い集めてくれる。ユフィアの小遣いも預かっているため、結構な金額になっているのだ。
「いやあ、助かりました」
「ふん、とろい野郎だな。せっかく手伝ってやったんだし、分かるよな?」
そして、金貨を財布に収めると金貨を模した砂利も両手に集まる。ソフィーが訝しげな表情をしているところ見ると、彼女は幻術の類を見抜いているのだろう。
さすがに、上位成績者だけの事はある。
この辺りを見ても、誰1人気付いていない若者達が滑稽であるとも言える。
謝礼を求めているのだから、この砂利をくれてやっても良いのだが……。
「この程度の事で謝礼を求めるのですか? 恥を知らぬのかっ」
「何ぃっ!?」
しかし、せっかく場を収めたのも束の間、背後のお嬢様によってあっさりと収束の場に緊張が走る。
「ああ、これはこれは失礼を。せっかくですので、こちらの金貨を……」
「おう、話が分かるじゃないか」
そして、砂利を渡して引き下がらせたとしても、ソフィーがさらに挑発をすれば元の木阿弥である。
彼女自身は挑発しているつもりはなく、歴とした弾劾であるのであろうが、そんなものが通じるような相手でもない。
上流階級と言えど、チンピラと代わらぬ精神をしている人間は腐るほどいる。むしろ、法や階級に守られるのだから余計始末が悪かったりもする。
そう言う輩には、下手に出るか、腕力を持って黙らせるのが一番であったりするのだ。
「ええ。ですので、よーく見てくださいねっ!!」
そう言うと、にこやかに笑いつつ、親指と人差し指で金貨に見せた歴を、余すことなく粉砕してみせる。
突然の状況に唖然とする若者達や通行人。
自分の手には、砂だけが残されているものの、彼らにとっては砂金にでも見えるだろうか。
「あ、あのえっと、その……」
「寄付金を拾ってくれたことには感謝いたしますが、行き過ぎた暴力を、女神様は決して許されませんぞ?」
なおも目の前で起きた事を把握しきれていない様子の若者達。さすがに偽物では効果がなかったか、仕方がないので落ちている石を拾いかけるが……。
「ちっ、行こうぜ?」
「結局、その女を助けに来たってことかよ」
「ふむ、ばればれだったか」
そんな仕草を見て形勢不利を悟ったのか、若者達はこちらを一睨みしつつその場を去っていく。
ただ、一人鮮やかな金色髪をした長髪の若者だけが、こちらを射殺さんとばかりの鋭い視線を最後まで向けていた。
「……い、一応、礼を言っておきますわ。助けていただき、ありがとうございました。あの、大丈夫ですか?」
そんな若者達の姿が遠ざかるのを待ち、ぎこちない様子でソフィーが口を開くと、ゆっくり頭を下げる。
気の強さや正義感が今回はマイナスに作用した感じだが、それらや今の礼儀正しい態度などは素直に好感がもてる。
そして、すぐに先ほどまで暴行を受けていた商人に近づき、柔らかな白い光で商人の身体を包み始める。
「ほう? 治癒法術か。中々の腕だ」
「教練においても役立てておりますわ。ユフィアさんは幾度となく、怪我をされておりましたから」
「そうか。姫は君に事を忘れていたようだが、失礼なことをしたな」
「教練の最中のこと。その程度は些末にございます。さて、終わりました。念のため、神殿に行かれた方が良いですわ」
「ありがとう……ございます」
そして、ソフィーの治療を受けた商人は、よろよろと立ち上がり、傍らの屋台へとゆっくりと移動していく。
その商魂は買うが、現状商売を続けるのは無理があるだろう。
「無理は行けませんわ。神殿にて治癒を受けられた方が」
「それもそうだが、こちらで続けるのは危険だぞ」
「はい。ですが、資金も尽きておりますんで……。さっきの人達も料金を」
「踏み倒そうとっ!? なれば、私が証人になりますからっ、て何を?」
やはりというべきか、屋台の方は食い散らかした後が残り、好き放題した分の料金を要求したところで暴行を受けたのだろう。
正規の飯店などは、申請の際にある程度の口利き料を払っているから、こう言った狼藉に遭うことはないが、彼のような露天商は口利き料を払わない代わりに、保護もされない。
たしかに、無銭飲食の上での暴行はやり過ぎではあるが、本来であれば商売を黙認されている時点で商人もまた恩恵を受けているのだ。
仮に、ソフィーが証人となって暴行の事実を訴えたとしても、受理されるだけで対処はされないし、最悪、商人が捕縛されて終わりである。
そんな背景もあり、ソフィーの善意は否定される可能性が高い。
さらに、ここで商売を続けようにも、あの手の輩は一度目を付けたら何度でもやってくるものであるので、今は金を与えてこの場を立ち去らせた方が良い。
「店主。今はいらんが、今度ここに来た時に自慢の一品を振る舞ってくれ」
そう言って、金貨数枚を取り出して屋台に置く。
途端、商人の目の色が変わる。
当然と言えば当然で、金貨一枚でも一月分の稼ぎに匹敵するのだ。身体を癒して、新たな土地で商売を始めるには十分な金額であると言える。
商人がこのやり取りを覚えているかは分からないが、関わってしまった以上、何らかの手を打たねば、傍らの正義感溢れるお嬢様が暴走しかねない。
「っ!? で、ですが……」
「いやあ、次にあった時が楽しみだな。私の顔を覚えていてくれ? あと、この方はアルベルト家の御令嬢だ。言葉には従っておく方が良い」
「……っ!? も、申し訳ありませんです」
そう言うと、商人は置かれた金貨を手に取ると、痛む身体に鞭打って屋台を引き、その場を去っていった。
「……話は分かりましたわ。ですが、私は納得いきませぬっ!!」
商人を見送り、咎めるような視線を向けて来たソフィーに対して、事情を説明した。
なんとか聞き入れてはくれたのだが、やはり納得は出来ないらしい。
自身の理想を現実によって叩きつぶされた心境なのであろう。
「気持ちは分かりますよ。ですから、貴女は貴女なりのやり方で変えていけばよい」
「私なりの?」
「ええ。お父上は……おそらく賛同してはくれないでしょうが、それでも貴女の身に流れるお父上の血は貴女の助けになる……そして」
ソフィー自身、貴族としての立場に誇りを持ち、それらしくあろうとしている気持ちは尊ぶべきものといえる。
しかし、深窓の令嬢という立場が故か、実情を知らないというのは他者の理解を得られないだろう。
「国政を担う立場になれと言われますの? でも、父が納得しないとはっ!?」
「それは自身で考えることですよ」
そんな自分の指摘に対し、きつい口調で問い糾してくるソフィーに対して冷淡に応える。
実際、権門の血筋と官吏登用試験などを考えれば、貴族としても官僚としても国政に携わる可能性は高いだろう。
男女間の差別がほとんどないこの世界である。だからこそ、世間を知らなすぎることが不利になる。
私人としては立派な父親でも、公人としては傲慢な政治家であっては、決して民は救われないのである。
まずは身近なところから、実情を知らぬ事には、“お嬢様のままごと”で終わってしまう。だからこそ、自分で見聞きし考えることで、学ばねばならないことが必要になってくる。
「さあ、そろそろ帰らねば、暗くなりますよ。お送りしましょう」
「いいえ。大丈夫ですわ、お気づきとは思いますが、家人が影ながら付いておりますので」
「そうですか。ああ、それと、ユフィア様やノルンさんとは、これからも仲良くしていただけるとありがたいです」
「……考えておきますわ。あと」
「うん?」
「貴方の話……、時間がある時にもっと聞かせていただければと思いますわ」
「戯れ言でよろしければ」
◇◆◇
去っていく大きな背中を見つめていても、胸の高鳴りが納まる事はない。
これがなんなのかは分からない。揉め事に介入したことでの興奮かも知れなかったが、それもなんとなく違う気がする。
実際、迫害されていた男性を助けるべく男達を糾弾した時とあの人が割って入ってきて以降とで、高鳴りが異なっている気がしたのだ。
「出会ったばかりだと言うのに? どういう事なの?」
実際、彼との面識はほとんどない。昼にユフィア・オルヒデアの不正を疑って、問い糾していた際に顔を合わせたのが初めてのこと。
そして、今とその時の高鳴りも非常に良く似ている気がするのだ。
「……話はまだまだ聞かせてくれると言いましたね。なれば……」
そんな彼の言が耳に残る。実際、世辞の類だとは思う。けれど、胸の高鳴りを除外しても、彼の話は非常に興味深かったのだ。
ユフィア・オルヒデアの教育係とも聞いているのだから、まだまだ顔を合わせる機会はあるはず。
そう思うと、小さくなった背中に背を向ける。
家人がついて来ているというのは嘘。彼もそれには気付いていたのだが、彼が言うように、一人で考える時間も欲しくなっている。
「いつか、貴方を唸らせて、むぐっ!?」
いつか、貴方を唸らせてみせる。そう言おうと思った矢先、突如背後から口元を塞がれ、ほどなく意識が遠ざかっていく。
いったい何が?
そう思ったのを最後に、私の意識は静かに闇の中へと落ちていった。




