第10話
遅くなって申し訳ありませんでした。
リリアとの顔合わせは色々と考えることが多くなりすぎてしまった。
本音を言えば、自分の迂闊さを呪うことから始まるのだが、やはり、実家の力を軽く見過ぎていたという事であろうか?
オルフェノ、ジェノン、ヒュプノイアと親しい人間と慣れ親しんだ地を離れることになり、結果として目と鼻の先。
言わば、王都アヴェスターはロリシオン家にとっての中庭である。
自分を警戒しているとなれば、目の届くほど近い場所に置いた方がいい。遠き地にて監視しようにも、ヒュプノイアやジェノンの妨害があったことは想像に難くない。
だが、それらの人物を引き離してからはどうか? むしろ、己が力でどこまで自分を、そして王女を守れるかと言うことを仰ぎ見ているかのようにすら思えてくる。
「んで、何を話してきたの?」
そんなことを考えていると、珍しく書見をしていたユフィアが書物を閉ざして自分に歩み寄り、口を開いてくる。
ノルンはラナエル達とともに食事の用意を手伝っているようだったので、ちょうど手持ち無沙汰だったのだろう。
「お家事情ってヤツだ。どうやら、俺は思いのほか嫌われていたらしい」
「あの女に?」
「いや、実家の人間にだな。それで、お前にも面倒ごとが降りかかったらどうするべきかというのを思案していた」
「そんなもん、返り討ちにすればいいじゃない」
「殴り倒せる状況ならば心配はしとらん。俺が言いたいのは謀略の話だ」
「謀略ねえ……」
隠し立てをしても面倒なことになるのはこれまでの付き合いで認識している。
だから、簡潔に内容を伝え、それに関する懸念をも伝えたのだが、基本的に物事を簡単に考えるユフィアは、分かりやすい対処法を口にしてくる。
はじめは論理的に考えるよう説教したものだが、今となってはその長所を短所とせずに伸ばしてやればよいと考えている。
「まあ、それは今考えてもどうにもならん。それより、姫の入神の儀の事だが」
「その日を境に、私は王女にされてしまう。好きに動ける時間は無くなるかもな」
入神の儀とは、所謂成人式のことであるから、中央神殿から教皇が直々に出向いて、成人を迎えた者達に聖女神からの祝福を与える儀式である。
当然、すべての人間にそんな事をしていては身体がいくつあっても足りないことから、パルティアでは貴族階級のみに限定されている。
例外は、修学院出の官吏登用試験受験者だけであるので、ノルンもその対象になる。
そして、成人ともなれば、それまで表に出てこなかった王女の姿も公式に表に出ざるを得なくなり、これまでの生活は終わりを告げることになる。
そこから先は、両親が続けている貴族階級との先の見えぬ暗闘の世界に身を置くことになる。
「ああ。となれば、その地位を逆手にとるべきであろう。王都からは離れる事にはなるが」
「……そっか」
「ケラヌス様の事を案じているのは分かる。ただな姫、兵を養うにはそれなりの地盤がいる」
王都を離れる。と言う言葉に、病床の祖父のことを思い返したのか、ユフィアは表情を暗くする。
必要な事ではあるが、それでも仲の良い祖父と孫を引き離すことには罪悪感もある。だが、彼女の志を果たすには必要な事である。
「お母さんの近衛兵団は?」
「戦は数だ。あの練度の軍が、もう2つか3つほど欲しい」
「ふうん。随分と舐められたものね?」
「そもそも、近衛兵団をはじめから味方として考えるのは危険だな。ついでに、近衛兵団の強さも大半はアティーナ様の武勇によるものだ」
「ふふん。自慢のお母さんだもの。当然よ」
実際、一騎当千の武勇を誇る指揮官がいるからこそ、それに続く将兵も力を発揮できる。
逆に言えば、彼女の身に何かがあったときの動揺も大きくなる。
ユフィアからすれば自慢の母親であるし、今も胸を張って誇れるだけの人物ではあるだろうが、現実も知っていてもらわねばならない。
「だが、俺の祖父オルフェノが指揮をとれば相殺される。いかな“戦女神”といえど、うちの家人達が捨て身で掛かれば討ち取れぬ相手じゃない」
「嫌っている割には、随分評価しているじゃない」
そう言うと、ややふくれ面気味になるユフィア。とはいえ、母の武勇を盲信しているわけではないことはたしか。
彼女自身も教練などを通じて人と戦うことは知っているのだから、絶対なる存在が不敗のまま存在し続ける事がない事も知っている。
「そう言う話だったんでな」
「ふうん。で、宛てはあるの?」
「あるにはある。だが、予想外の事があってな。そのことを考えていたんだが……。いかんな、ちょっと頭を冷やしてくるから、姫も今日は楽にしていろ」
「言われなくてもそうさせてもらいますよーだ」
そう言うと、ユフィアは手を振って自室へと戻っていく。
アティーナの事を否定しがちにしたため不快に思ったのだとはじめこそ思っていたが、考えてみれば、自分が彼女の問いに明確な返答をしなかったことは初めてのことである。
ユフィアにとっても感じるところはあったのだろう。
やんちゃなお姫様によけいな気遣いをさせてしまったものだ。とはいえ、せっかくの機会でもあるし、言葉の通り、少し頭を冷やしてきた方が良いだろう。
夕食の用意をしていたラナエルやノルンに出かけてくる旨を伝え、市街地をゆっくりと歩く。
夕刻が過ぎても街路に人は多く、歓楽街等はこれからが最も賑わいを見せる時間帯であるとも言える。
街道や航路が整備されているため、人の流入が多く活気がある反面、賊徒の侵入も起こりやすい。
半年前にノルンの家族が被害にあっているように、治安維持部隊などは貴族階級の守護を優先するため、賊徒の跳梁を許しやすい。
正直言って、近衛兵団が真っ先に出動してくる現状など、笑うしかない状況とも言える。
だが、これがこの世界の実情であるのだ。
実際、今も派手に着飾った初老の夫婦が首輪を付けられた数人の男女を連れて繁華街へと歩いて行く。
夫婦の表情に対し、首輪を付けられた者――所謂奴隷達の表情は暗い者もいれば、ほとんど表情のない者もいる。
この両者に共通するのは、絶望やあきらめと言った言葉だろう。
実際、この先彼らに待っている未来は、文字通りの隷属の未来だけなのだから。
そして、その未来を生まれながらに縛り付けられ、脱出することは不可能であるのだ。
「……なんだ?」
繁華街へと入って行く一行を見送ると今度は街路のざわつきが耳に届く。賊の類かと思えば、事情は違う様子だった。
「何とか言って見ろよっ!! 下等国民がっ」
そう言って、5,6人の若者たちが1人の少壮の男を足蹴にしている。
身なりを見ると、若者達は貴族……とまではいかなくとも、王都中心部に居を構える上流階級の人間。
少壮の男は、所謂流れの商人なのだろう。側に屋台があることから、若者達に難癖をつけられたと言ったところか。
周囲を歩く人間達も、面倒ごとはごめんとばかりに遠巻きに見つめるだけで助けようという様子は無い。
一般市民が上流階級の不興を買えば、生きて行くことも困難になる。と言うのが、この世界の実情でもあるのだ。
「で、また、俺に何とかしろって事か」
そして、またも感じるいくつかの視線。
苛立ちをこめてそう呟くと、ビクリと身体を震わせる通行人が数人。他にも慌ててさっていく気配がいくつもある。
たしかに、神官階級は一種の特権的階級でもある。だが、賊徒が相手の時のように叩きのめせばよいと言う話もでもないのだが。
「仕方がないか……っ!?」
「お止めなさいっ!! そのような無体をして、恥ずかしくないのですかっ!?」
そして、仕方ないかとばかりに歩み出ようとしたその時、聞き覚えのある少女の声が街路に響き渡った。
◇◆◇
兄なる人との対面を終え、母とともに帰宅すると、にこやかな笑顔で出迎えてくれる父と表情一つ変えずにやってくる叔父。
幼き頃より友人同士だった両者は、義理の兄弟となってからもその交流は代わらぬまま続いている様子だった。
そして、挨拶もそこそこに部屋へ向かい、着替えを終えて広間へ向かうと、底にいたのは叔父オルフェス一人だけであった。
珍しいこともあるものだと思いつつ、対座するようにソファに腰掛け、置かれていた書物を手に取る。
すると……。
「どうであった?」
短く、そして静かな問いに思わず顔をあげる。
顔は向けてはいないが、その静かな問い掛けにごまかしは無駄であることは無言のままに語られている。
「底知れぬ方……そう思いました」
「ほう?」
嘘をついているわけではない。
王女と兄なる人が成そうとしている大望に関しては叔父もまた気付いている。そして、その大望の前に、大いなる壁となって立ちはだかるのは、このオルフェス・ロリシオンその人であることも。
「お祖父様のご寵愛を受けられただけのことはあるかと」
「……そうか。して、私に何か言いたい事があるのだろう?」
そして、祖父に関して言及すると、それまで動くことの無かった表情が、わずかにピクリと動く。
祖父の寵愛を受けた孫とそれに預かれなかった息子。
おそらく、出会った事なき二人の間にある溝の中で、叔父が最も気にしているであろうことはそれであると思う。
そして、普段従順であった私がそんな嫌味めいたことを言う意味を、叔父が理解せぬはずもなかった。
「主席順位の獲得を果たしましたが故、一つわがままを聞いていただきたく思います」
淀みなく、叔父に対してそう告げると、その独特のアイスブルーの瞳に鋭く射抜かれる。だが、せっかくの機会なのである。ここで目を逸らしては負けであると思い、私は意を決して口を開いた。




