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第9話

「まずはお母様の態度。代わりに謝罪いたします」


「よせよ。それで、話とは?」


「お兄様私の事を覚えておいでですか?」


「…………すまん」



 ベンチの腰掛けたリリアはそう言って頭を下げかけるが、先ほどのリゼラの様子を深いに思ったわけではない。

 ただ、今の彼女の問いのように、記憶にない少女が自分に気づき、母親が気付かないことなどさすがにあり得ない。

 はじめは他人行儀に振る舞っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 加えて、リリアの存在は、はっきり言って知らなかった。



「やはり、そうなのですね」


「と言うと?」


「こっちの話です。……つらい話になりますが、お母様は、現在も一族内では腫れ物扱いです。功績だけを考えれば、国軍の中枢にあってもおかしくないにも拘わらず、今のような教育畑の閑職に甘んじている」


「俺のせいだな」


「そんな事はありません。ただ……」



 リリアは自分の記憶の中に自身が存在しないことを察していたのか、伏し目がちに顔を逸らして頷くと、話題を変える。

 先ほど顔を合わせたように、リゼラは教育者としてこの学院に勤めていると言う事であろう。


 母リゼラの実績に関しては、神殿に居た間に可能な限りは調べてある。

 少なくとも、一代でロリシオン家を権門にまでのし上げたオルフェノの娘として、幼き頃より天才の名を欲しいままにしていたと言う。

 十代の頃にはすでに大規模会戦にて戦功を立てていた用であるし、本来であれば後方の一教官の地位に甘んじている事は無い。


 教育の重要性は理解しているし、優秀な人物が後進の指導に当たる重要さも分かるが……。



「祖母や叔父が許さんと言うことか?」


「……カリーヌお祖母様から、お母様への当たりが強くなったのも、お兄様が例の術式を産みだしてからでした。あの方は、お兄様どころか、すべての亜人種を憎んでおいでです」


「そうか。いったい何があの人をそこまでさせるのだろうな?」



 そんな自分の指摘に、顔を落としたまま口を開くリリア。

 腫れ物扱いであったことは変わらずとも、それなりの扱いはされていたと言う事であろうか? 

 しかし、自分の為したことが、結果として母たる人を追い詰める事になっていたというのは、正直つらい。



「理由は私にも分かりかねます。ですが、温厚なお父様ですら、カリーヌ様を宥めることはありません」


「カリス様だったか。血の繋がりはないというが、考え方は似るものなのかな?」


「それは分かりませぬ。ただ、私がお兄様と会うことは、お父様だけが知っておりますし、了承されました」



 リリアの父、カリス・ロリシオン。

 カリーヌ・マリージィとは母子の関係になるが、彼女はマリージィ家の後妻という立場であり、血の繋がりはない。

 むしろ、邪魔になりかねない先妻の子であるカリスをロリシオン家に送り込むことで縁戚関係を結び、嫁ぎ先の権限強化に利用している。

 カリス自身は、カリーヌとは違い、差別主義的な政策に関しては慎重派で、国政に関しては叔父であるオルフェス・ロリシオンを良く補佐し、王室との対立に関しても両者を取り持っているとも聞いている。



「ふうん。――母上との仲はどうなのだ?」


「良好ですよ……、それで、お母様の事なのですが」


「まだ何かあるのか?」



 そんなまだ見ぬ継父?に当たる人物のことを思い返しつつ、再びリリアがリゼラに関する事を口にする。



「お兄様に対する先ほどの態度なのですが……、お母様はお兄様に関するすべての記憶を、封印されております」


「……そうか」



 記憶を封印。と言われて、先ほどの様子にも納得はいくし、リゼラのことを考えれば、それが最善であったとも思える。

 おそらくではあるが、自分が高位の法術師であったことも封印されているのだろう。

 自分のことを思い返すだけで彼女にはつらい思いをさせるだけ。風当たりに関しては、不義の類のみを知らせておけば良い。そうすることで、ロリシオン家に対するマリージィ家の立場も確保できるとカリーヌは踏んだのであろう。



「それだけですか?」


「…………それだけだよ」


「やはり、ですか……」



 ただ、そんな自分の態度がリリアには気に入らなかったのか、鋭い視線を向けてくる。実際の所、自分が何を言ったところで、仮に悲しみの涙を流したところで何かが変わることはない。

 冷たい人間だと思われるかも知れないが、母として接せられた記憶はなく、カリーヌの罵倒の場に一緒にいただけともとれてしまう。

 気の毒だとは思うが、自分が余計な想いを抱かない方が彼女にとっても幸せのようにも思えてしまうのだ。



「お父様は、お兄様に関してこうおっしゃいました。“もしかすれば、違う人間が彼の中に入りこんでいるのかも知れない”と」


「何っ!?」



 一瞬、瞑目したリリアは、静かにそう口を開く。


 彼女ではなく、カリスの予測であるようだったが、それでも、会ったことのない自分の真実を読み取ったという事実に空恐ろしさを感じもする。



「お母様と密通したとされる亜人……、ティグ族と呼ばれる尚武の一族の男性で、お父様からすればそのような不義を働く人物ではなかったと言われております。ただ、この一族には一つの言い伝えがあると」


「言い伝え?」


「はい。…………『乱起こりし御代にティグの皇女、麒麟児を産みしたまう』この、“麒麟児”なる人物とは、異なる御代よりこの地上に降り立った神なる人物であると、そう伝えられているそうです」


「おいおい」



 なんとも話が大きくなって行くことには苦笑せざるを得ないが、否定できない面もいくつかあるのがまた問題だった。

 実際、自分が異世界から転生、むしろフソラという少年の身体を乗っ取り、今を生きていると言う事実がある以上、一笑に伏すわけにも行かない話なのである。



「俺をなんだと思っているんだ? それに、母上にティグの血なんか入っていないだろ?」



 ティグ族とは、自分の種族に該当するが、虎のような種族と言えば簡単であろうか?

 実際自分に生えている尾や耳、ついでに最近身体の一部分を覆うようになった柔毛もそのような模様をしている。

 とはいえ、自分がそうであったとしても、リゼラに、加えてロリシオン家にそのような血が入っているはずもない。

 そうでなければ、リゼラが自分のことで腫れ物扱いにされるいわれがないではないか。



「ですので、一つの仮説。と言うことになります。それに、お兄様は魔王や邪神の教えを身に宿しておられるではありませんか」


「…………どこまで知られているんだ?」


「さて? 叔父様が、お祖父様を楽隠居させておくはずはない。潜在的な敵種となり得ると判断しておられるのでしょう」



 正直なところ、ラウネー……ヒュプノイアの事はある程度掴まれていると思っていたが、ルルーシアのことまで考えていなかった。

 実際、邪神としての力を失った彼女であったが、神として生きてきたその叡智は残っている。

 敵対者が放っておく方がおかしな話だった。



「まいったな」



 さすがに降参するしかないかという思いが口をつく。ただ、自分にはたしかに神なる力を使役することが可能ではある。

 とはいえ、その代償も相応であるし、こうして正面から語りかけてきた妹なる存在に対して、そのような力……ある種非常なる力を使うことなど、許されるはずはない。



「お兄様。いえ、ジェネシス様」



 ただ、そんなことを思案していると、ゆっくりを自分と正対するように身体を向けてくる。



「どうした?」



 ジェネシス。と呼ばれたことに若干戸惑いつつも、正面から彼女を正対する。はじめから凛とした面持ちの少女であったが、今では身内としての態度は消え失せ、一人の騎士のような態度へと変わっている。



「ロリシオン家は、いずれ貴方と対立する運命にあるやも知れません。ですが、私は、私だけは貴方様の味方でございます」



 静かに、かつ力強くそう断言するリリア。


 そんな彼女の態度と様子の変化に戸惑いと覚えつつも、彼女の目の輝きは、とても嘘をついているようには見えなかった。



◇◆◇◆◇



「とりあえず、姫やノルンとも仲良くしてやってくれ。姫が自立するまでは、王都にいるから」



 そう言って去っていった兄なる人の背を静かに見送る。


 幼き日、いまだ私が生まれてもいない頃に、多くの人間の悪意を向けられ、母リゼラによってその身を滅ぼされたとされる人物。


 だが、その法術が結果として今の兄なる人を覚醒させた。


 以来、ロリシオン家の人々は、彼からの復讐にどこか怯え続けている。


 父が母の記憶を封じたのも、その時が来た場合、母は自ら望んでその手に掛かろうとするであろう事が想像に難く無かったからであるという。

 だが、彼の目ははっきり言ってロリシオン家には向いていない。

 しいてあげれば祖父オルフェノに対してのみ目が向けられている感じであるが、これは単なる報恩の思いからであろう。

 彼からしてみれば、ロリシオン家は打倒すべき堕落した貴族の一つでしかないのであろう。

 だからこそ、自分もまたその取るに足らない存在の一つと思われることが気に入らなかった。

 そして、機会を得たときに会ってみようと思ったのだ。


 とはいえ。味方である。と言う言葉が口を付いたときには、自分自身に驚いていた。

 初めて対面した人物であり、本来であれば兄妹としてともに過ごしていたであろう人物でもあるのに、どういうわけか、彼とともにありたいという思いを強く抱き続けていたのだ。



「馬鹿なことを……。ですが、貴方が国を想うならば、私もまた」



 そんな得体の知れない感情を静かにそう呟きながら排すと、ゆっくりと立ち上がり、その場を後にする。

 兄なる人が去った道、その先に視線を向けると、柔らかな笑みを浮かべた一人の女性が、自分の姿を見定めて静かに手を振っている姿が見える。



 その笑顔の影にある悲劇。それがこの先どうなるのか、今の私には何も分からなかった。

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