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第4話

 オルヒデア家の屋敷にて思いがけない出会いを経験した後、フソラはノルンとともに、屋敷の背後にある森の中を散策していた。



「どの辺りにいるのでしょうか?」


「散策路から外れたところには居ないだろう。せっかくだし、森林浴でも楽しめばいい」



 深い森ではあるが、木々の間引きも含めた手入れも行き届いている。良く見ると、散策路には松明が備えられていて夕刻になっても問題無いように作られている。

 フソラはともかく、ノルンは両親の行商に付いていく時には、真っ暗な峠道を歩いた記憶が色濃く残っているため、恐る恐ると言った様子で周囲を見まわしているのだ。



「それにしても、ジェネシス様が」


「怖いか?」


「い、いえ。そんな事は……。でも、盗賊達が神殿騎士様達と間違われるのも仕方ない気がします」


「そうか。ただ、戦闘は専門ではないからな。種族的な優位があっても、彼らには及ばんよ。それと、暗くなっても俺は道が見えるから安心して良いぞ」



 そう言って、フソラは頭を撫でる。そこには、先ほどまで幻術で見えなくしていた虎耳が生え、尾も神官服の隙間から外に垂らしている。

 感情を気取られかねないので、この二つは隠しておきたかったのだが、この先に居るであろう人物と会うに辺り、隠し立ては王妃から許されなかったのだ。



「それにしても、王女殿下は何故この様なところに?」


「見れば分かる。と言うことだろ」



 そんな率直な疑問を口にしたノルンに対してそう応えたフソラは、先頃までの会見のことを思い返していた。



◇◆◇◆◇


 

 眼前にゆったりと腰掛けるパルティノン王妃アティーナ。


 その渾名が示すように、戦場で勇名を轟かせる女傑であり、穏やかな笑みを浮かべている今を持っても、拭いきれない威圧感に満ちており、ノルンなどはすっかり固まってしまっている。



「堅苦しいしゃべり方はここまでにさせてもらう――――話は伝わっていると思うけど、この家の孫娘……つまり、私の娘の教育係を貴方には務めていただきたいの」



 そんなアティーナであったが、そう言うと、それまでの勇壮な雰囲気を一片、どこか普通の母親を想わせる柔らかな雰囲気へと変える。

 変わり身に速さと言うべきか、立ち振る舞いの仕方が身体に染みついていることは容易に察することが出来る。



「はっ。しかし、若輩の私でよろしいのでしょうか?」


「ふふ。今も身に施す幻術をはじめ、学識なども私達の耳に届いているわ。あと、出自に関しては気にしなくていいわよ。私も娘も似たようなものだからね」


「聞いてもよろしいのでしょうか?」


「家庭の事情かしら? そうね……、私が父――現当主ケラヌスから勘当されてるから。って言うのが一番簡単な話ね。昔はちょっとやんちゃをしちゃってたから。今も父は許してくれていないし」



 そう言ってアティーナは自身の過去を恥ずかしがるように笑う。恥じていると言うよりは照れていると言うのが正しいか。

 この辺りを見ると、やはり常人とは感覚が違うように思える。



「わ、笑っていて大丈夫なのですか?」


「今となっては笑い話よ。それで、娘は王女として育てるよりは、出来る限り普通の子。つまり、礼儀作法とか以外は王侯貴族としては育てたくなかったの」


「何故……、と、聞くまでもありませんか」


「そうね。私も夫も貴族が大嫌いだから。そう言うのが嫌で家を飛び出したわけだしね。私には他に兄弟がいないから、自分の地が王家に入ると言う事で父も了承してくれたの」



 相変わらず目を見開いて呆然としているノルンだったが、笑っているアティーナに対しては口を開かずにいられなかったらしい。

 それでも、その後の返答に対しては再び固まるしかなかったようである。

 自分達しかいないところとはいえ、王妃が国家の重鎮とも言える貴族勢力を“大嫌い”と躊躇いもなく言い放つ事を驚かずには居られないのが普通だ。



「なるほど。いまだに仲直りしている様子がないことにも納得がいきました」


「うふふふ。それで、どう? やってくれる?」


「はっ。元よりそのつもりでおりました」


「良かったわ。それと、ノルンさんね。オルフェノからの推薦状はもらっているわ。……ちょっと元気の良い娘だけど、大丈夫?」


「は、はいっ!! が、頑張ります」


「なにか意味が違う気がするが……それで、王妃殿。王女殿下はどちらに?」


「うーん、ちょっとね。それより、ジェネシス君。一つお願いを聞いても良い?」


「はっ、何なりと」


「それじゃあね、フードをとって耳を見せて?」


「耳ですか? は、はあ」



 そして、教育係の次第を了承するが、王女の居場所より先に、王妃の関心は自分の頭部に向いている様子でもある。


 自分とこうして面と向かって話している以上、偏見の類はないのであろうが、傍らにいるノルンがどう思うか……。

 と、そこまで考えて、ノルンに否定されたら……という思いがあることにも気付く。


 幻術を見つけ出して以来、すでに事情を知る人間以外からの悪意は極端に減っているいた。そのため、親しくなった人間に忌避される事への恐怖心が、今更とはいえ、前に出てきたのであろうか?



「あの、耳がどうかしたんですか??」


「あ、ああ。こういうことだ」



 そんなことを考えていると、状況が飲み込めていないノルンが首を傾げる。

 耳がどうのこうのなど、一般の人間には関係のないことなのだから当然とも言えるが、隠し立てしたところでいつかは知れること。


 何より、王妃の言をいきなり拒否するのはさすがに憚られる。



「え? それって……」


「あらあら。思っていたよりきれいな毛並みねぇ」



 そして、フードをとると、黒髪の隙間からフワリと生える二つの耳。


 それを見てノルンは口元に手を当てて驚き、アティーナは立ち上がってふわふわと撫ではじめる。

 白虎を思わせる白と黒の毛に覆われたそれは、自分の感情次第で動いたりもする。

 さらに、機能としては獣同様に優れていて、意識をすれば周囲の小声でも感知することが出来る。この他、目は夜目としての機能も持っているため、暗がりでも行動するのは楽であったりもする。

 この辺りは、訓練次第でどうにでもなるものだったが。



「ええっと、つまり、ジェネシス様が先ほど言っていたのって」


「これが原因だな。叔母に当たる人物に“獣”と罵られてね」


「それを不憫に思ったオルフェノが、神殿に預けて自身も隠居したと。悪かったわね。私がお祖父様を引っ張り出しちゃったから」


「恐れ多きことです。その後は、神官長をはじめとする神殿の者達が親身にしてくれましたが故」



 そして、それまで耳を見つめていたノルンが得心がいった様子で口を開く。

 神殿に預けられたことやオルフェノの人生を狂わせたことなど、身体的な優位を覆すだけの代償は支払う形になっている。

 とはいえ、前線に立つ“戦女神”が“英雄”を傍らに欲するのは咎めようがないし、それぐらいのことを気にしても仕方がない。

 親身になってくれた者達は、年々自分の側を去っていったが……。


◇◆◇◆◇


 そんな感じで王妃との会見を終えると、王女が遊び? に言っている森へと向かうように言われた次第。

 とはいえ、さすがに日が落ちかかっている。10代半ばの少女が遊んでいて良い場所でも時間でもないように思えてくるが。



「あ、何か見えますよ?」


「灯りか。王女殿下かな?」


 聞くところによれば、アティーナ王妃によく似ていると言う。


 名はユフィア。外見もさることながら、活発……と言えば聞こえはよいが、現在、通っている修学院内でも問題児扱いされていると聞く。

 身分を隠しているが故に、純粋に腫れ物扱いというのは本人の咎とも言えるだろう。

 そんなユフィア王女との会見には一抹の不安……と言うよりは、面倒くさい事態の発生が予想できてなんとも言いがたい気分である。



「森の中に神殿が……」


「古来の土着の神を信仰しているのかな? 王領である以上、神殿の勢力も入り込めないだろうし」


「そうですね。ええっと、さっきの光は……」



 奥まで進むと、森が開かれて小さな草原が広がっている場所に出る。そして、その奥には小さな神殿があり、手入れが行き届いていることから、時折人が訪れることが予想できる。

 王女もおそらくこの辺りにいるとは思い、ノルンとともに周囲を見まわす。



 その時。



「名を名乗れ」


「っ!?」



 どこからともなく聞こえてくる声。即座にノルンを守るように抱き寄せ、周囲の気配をうかがう。



「ジェネシス様?」


「大丈夫だ。……ジェネシス・フソラ・ロリシオンと申します。王女殿下」



 声を震わせるノルンを落ち着かせ、膝をついて頭を垂れつつ口を開く。よくよく周囲を探ってみると、殺気はないが、何やら得体の知れない気配が周囲を取り巻いていることに気付く。

 非常に森の気配と似通ったものであるが、木々の息吹とはいくらか異なる気配でもあった。

 そんなことを考えていると、闇の中からゆっくりと人の影が浮かび上がってくる。



「王女殿下。すでに夜分を迎えておりますが故、屋敷にお戻りになられては?」


「……ジェネシスとやら」



 そんな人影に対し、頭を垂れつつ口を開く。


 この場に付いた時点で陽は落ち、周囲は夜の帳に包まれつつある。勝手知ったる地であろうと、夜陰にあっては何があるかは分からない。

 身分を隠しているとはいえ、大貴族達がこの事を知らぬはずもないのだ。

 ただ、そんな自分の言に応える素振りは見せず、影を纏ったまま王女はゆっくりと口を開く。



「己が正体を隠しているばかりではなく、恐るべき力もまた、その身に内包しているな」


「っ!?」


「そのような輩が、私に対して説教か。ふふ、教育係なんぞ、必要無いのではないかな?のう、皆の衆」



 そんな王女の指摘に、思わず心音が跳ね上がる。


 外見上は平穏を保っていたものの、それでも動揺を隠しきれた自信はない。ただ、アティーナ王妃からの指摘もなく、自分から公表することでもないと考えたことが謝りであったのだろうか?


 “問題児”と言われる以上、はじめの印象が悪ければその後はとりつく島も無くなりかねない。



 と、そこまで考えたとき、王女の言によって周囲がざわめきはじめる。

 木々が揺れ、草木が触れうことで不気味な音を奏でる。加えて、『不要不要』と言うおどろおどろしげな賛同の声が周囲を包み込む。



「ジェ、ジェネシス様……っ!!」



 そんな周囲の様子に、抱きつく力を強くするノルン。

 この様な突然の事態にあっては、さすがに平然としているのは難しいであろう。だが、こちらとすればこの様な悪ふざけに動揺してやる理由はない。

 隠し立てを咎めるならば、その隠し事を堂々と披露してやるだけなのだ。

 そう思ったとき、左手に薄く巻き付けていた布を取り払う。そこには、夜陰に包まれつつあってもなお、黒々とした光を纏っている刻印が刻まれている。



「そうですな。隠し事は良くないでしょう。それでは、私から披露して見せましょうっ!!」



 そして、静かに口を開きつつ、最後の語尾が強くなる。


 危険な刻印ではあったが、それでも害がないように操れる法術もいくつか生み出していたのだ。



 そして……。



「ほう……っ!?」



 禍々しき光が森の中で輝いたかと思うと、周囲のざわめきが止む。


 王女の賞賛めいた声とともに、改めて周囲を見まわすと、森林一帯に出現した、黒き影達。その手には、異空間より現れた大鎌が握りしめられ、影の合間から不敵な笑みを浮かべた男女……。

 これまでルルーシアによって冥府に運ばれた人間達が、死神となってこの地に甦り、木々の合間は闇間に隠れていた者達の首筋にその刃を突き付けている。



「ふふふ、はっはっはっは。なかなか面白い教育係ね。お母さんが見込んだだけのことはあるっ!!」



 突然の事態に言葉が出ない彼らに対し、喜々として笑い声を上げながら王女ユフィアは、力強くそう告げて来たのであった。

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