34.本質と作戦
「……アメちゃん。ミケさんは今、遭わせに向かっているんですか?」
この場にはミケだけがいなかった。
これだけ猫社の周りがバタついているのに、ミケが他のことをしているわけがない。
「ダメよ紡生ちゃん」
アメは被せ気味に紡生を制した。
紡生が何を考えているのかはお見通しのようだ。
「ミケのところに行きたいっていうんでしょう。でもね、貴女に見せる訳にはいかないのよ」
「どうして?」
「言ったでしょう。貴女がつぶれてしまうのをあたしもミケも良しとしていないの。それに遭わせをするということは怨霊を消すまでが含まれている。危険すぎるのよ。分かって」
アメはそう言うけれど、紡生に止まる気はなかった。
「確かに二人は怨霊を消してあげる力はあるんだろね。だから任せておけっていうのも分かる。でも――辛くないわけじゃないんでしょう?」
「え?」
「あなた達は私を優しい人だと言ったけれど、私は二人の方が優しいと思う。そんな二人がもう救われることのない者達を前にして平気なはずがないじゃない!」
だって遭わせをするということは、もう救えないと分かっている者達を、その思いを真正面から目の当たりにするということだ。
どう考えたって悲しいことだし、辛くなるだろう。
神やあやかしだからとか、人にはない力を持っているとか。そう言うのはあるのかもしれない。
それでも、心を痛めないわけじゃない。
アメは俗っぽい物言いで隠しているが、本当は慈悲深くどの猫もどの飼い主も救いたいと思っている。
ミケはひねくれ者だしイジワルをすることだって多いけれど、それは人を傷つけるのを恐れているからだ。
そんな心を持っている者たちが怨霊を見て、何も思わないわけがない。
「ミケさんもアメちゃんも強いから平気なふりをするけれど、心に傷を負うんでしょう? 傷つくんでしょう!? そうと分かっていて私だけ匿われているなんてできるわけないじゃない!」
噛みしめた唇がひりついた。
喉がつっかえて言葉が出にくい。
けれど構うものか。
今説き伏せなければ自分がこの場にいる意味なんてないのだから。
「私だってあわせ屋の一員だよ。それにアメちゃん、私にミケさんのサポートをしてほしいって言ったでしょう?」
アメはあのとき確かにそう言った。
初めは人間嫌いのミケのサポートは確かに必要だと思った。
でも……きっとアメの本当の狙いはそこじゃない。
「アメちゃんはたぶん、ミケさんのことも心配していたんですよね。ミケさんは誰よりも優しいから、痛みも悲しみも一人で受け止めてしまう。受け止めて……傷を受けても素知らぬ顔をするから誰かに傍に居てほしかったんですよね?」
だから紡生の前に姿を現した。
ミケを一人にしないように。痛みを分け合えるように。
だったらその期待に応えたい。応えられる自分でいたい。
それが例え望まれていないとしても……。
「……それは」
「アメちゃんにとってミケさんも助けたい対象だったんでしょう? なら私がそうしてあげる」
「でも……炎が」
「炎?」
アメは迷うように視線を彷徨わせた。
言うか言わまいか悩んでいるようだ。
「言って、アメちゃん」
真っ直ぐに見つめ続けていると、アメはやがて一つ息を吐きだした。
「……怨霊を消滅させるにはね、人ならざる力を使うの。そしてその力は使う者達の《《本質》》を表すものなの」
「それが炎ってこと?」
コクリと頷かれる。
「あたしもミケも、本質は炎なの。だから力を使う場所には連れていけない」
「……それは私が炎を見たらトラウマを起こしちゃうから?」
再び頷かれる。
なんてことだ。
こんなときまでこちらのことを心配してくれていたのだ。
……でも。
「私が恐れているのは炎じゃないよ」
「え?」
紡生はきっぱりと言い切ってみせた。
「確かに火事は怖かった。でもそれよりも大切なものを理不尽に奪われることの方が何倍も辛かった。……赤色を見て思い出すのも、奪われたことに対する気持ちばかりだよ」
理不尽なことは往々にしてある。
自分がどれだけ気を付けていようが大きな力に潰されてしまうことだってあるし、悪いことをしていなくても嫌なことが続くことだってある。
そしてその理不尽に対して、ほとんどの人は対抗する術を持たない。
紡生が火事という理不尽でムギを失ったように。
赤色は炎の記憶というよりも、そう言った理不尽に対抗できなかった自分を思い出させるのだ。
「でも嘆いているだけじゃ何も変わらない。そんなんじゃムギに顔向けできない。ムギが望むのは、理不尽に遭っている者達の助けになることだと思う。だから理不尽に遭った怨霊も放っておいちゃいけない。そして今まさに理不尽と対峙しているミケさんのことも放っておけないの」
もしも放っておいて心に大きな傷を作ってしまったら?
もしもミケが理不尽に潰されてしまったら?
そんなの、絶対に後悔する。
「だからミケさんの傍に行きたいの。物理的なことは人間の私にできることはないかもしれない。それでも支えることくらいはできるから」
苦しみも、悲しみも。
理不尽なことは一人で背負うには重すぎる。
だから分け与えてほしいのだ。
紡生はふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫。理不尽に対抗できるのなら、炎なんて怖くない。私はそう簡単には潰れないよ! ……それに」
紡生は力こぶを作ってふんすっと鼻息を荒くした。
「勝手に守っていたというのなら、こっちだって勝手に守りに行ってやる。……それに決めたんだ。ミケさんの助けになって認めさせるって」
初めて共に仕事をしたあのとき、紡生はそう決意した。
「だから逃げたくなんてない。……何ができるかなんてわかんないけど、それでも傍にいたい。勝手に遠ざけるなんて、許さないから」
紡生の目には、強い意思が浮かんでいた。
「……やっぱり、貴女はそう言うんだね」
しばらくの沈黙の後、アメは閉ざしていた口を開いた。
困ったように顔を歪めながら、それでもどこか満足そうに紡生を見る。
「貴女を怨霊消滅の場につれていくのは神ルールに違反するけれど……しょーがない。腹をくくるか~」
「! それなら!」
「でもひとつだけ約束して。貴女は――絶対に傷つかないって」
曇りのない眼に見据えられて背筋が伸びた。
「貴女が傷つけば、あの子はまた自分を責めてしまう。だからミケを支えたいというのなら、それが大前提。できる?」
真剣なアメに、紡生はしっかりと頷いた。
「そう。なら作戦を伝えるね」
「作戦?」
「うん。うまくいく保障はどこにもないけれど、それでもやってみる価値はあると思う」
アメはそのための作戦を組み立てていたらしい。
ミケがいないのも、そして神余が紡生と居合わせたのもその作戦が理由なのだとか。
「だから貴女には和と一緒に怨霊の大元になっている猫……その媒体を見つけてもらうわ」
「……その猫のことは分かっているんですか?」
「ええ」
アメは力強く頷いた。
もう迷いは消えたらしい。
「その猫の名は――」




