28.本音
「……」
次の日の早朝。
紡生はいつもより早い時間にあわせ屋へとやってきた。
夏苗にはああいわれたけれど、やはりじっとしているだけなんて性に合わない。
じっと家にいるといろいろと考えてしまって不安になってしまうし、動き回っていた方がずっといい。
それに。
「……ミケさん、あの猫のこと知っているみたいだったし」
ゴミ袋に入れられた猫を見たとき、ミケが「ギン」とつぶやいたのを聞き逃さなかった。
たぶん、あの猫もミケに協力してくれていた地域ネコなのだろう。
知り合いがあんな目に遭ったのを見てしまったら、きっと正気ではいられないだろう。
だってギンを病院に連れていった後、ミケの様子はどこかおかしかった。
目は暗く澱みなにも映していないような、言葉にも心が入っていないような、そんな様子だったのだ。
紡生にはそれがどうしても気に掛かった。
「……きっとミケさんも動揺しているんだ」
たぶん、一人にさせちゃいけない。そんな気がした。
「……よし」
何ができるか分からないけど、とにかく傍にいてあげなければ。
紡生は気合を入れてようやくあわせ屋の門を潜った。
◇
屋敷に入ると、肌を刺すような鋭い空気が満ちていた。
誰もしゃべっていないのに、やたらとざわついているような気がする。
その原因は居間の真ん中でたたずむミケだ。
早朝だというのに人型になり、床に散らばった紙を険しい顔で睨んでいる。
紡生は声をかけるべきか悩み、遠慮がちに口を開いた。
「おはようございます」
「……早いな」
ちらりと視線を向け、すぐに紙の束へと戻す。
随分と集中しているらしい。
「ちょっとじっとしてられなくて……」
「昨日の件か」
「……はい」
「ちょうど良かった。あいつ……どうなった?」
「…………毒だって」
紡生は昨日聞いた話をそのまま伝えた。
ギンが毒を食べさせられた可能性が高いこと。
被害者はギンだけではないこと。
犯人は捕まっていないこと。
「――それで、警察はパトロールを強化しているって」
「そうか」
話し終えると短く返される。
「そうか、って、それだけ?」
ミケの返事は淡々としたものだった。
仕事に集中しているから?
でもそれにしても知り合いが被害に遭っているというのに、淡白すぎやしないだろうか。
抗議の色のでた言葉に、眉が顰められる。
「なにか文句があるのか」
「文句っていうか……」
「心配したってギンの状況は変えられないだろ。オレらにできることなんてない」
「……」
紡生の思考を読んだような答えに思わず黙り込んだ。
ミケの言っていることは正しい。
心配することで傷が癒えるのならいくらでもするけれど、現実はそんなことでは変えられない。
医者の腕と、当事者の生命力に掛けるしかないのだ。
それならば心配して何も手につかないよりも、心配は隅に追いやっていつも通り過ごした方がいい。
紡生だってそれは分かっている。分かっているけれどできるかどうかは別だった。
「……本当に何もできることはないの?」
「ない」
「本当に? ギンのことは仕方がないにしても、ミケさんなら犯人を見つけられるんじゃない?」
猫から目撃情報を仕入れられるミケなら、怪しい人を探すことだってできるのではないだろうか。
「見つけられたら次の被害が出る前に止められるじゃない」
そう口にするけれど、ミケは静かに首を振った。
「やめとけ」
「どうして? だって知り合いがそんな目に遭ったんだよ? 許せないじゃない。だから――」
「――だから、《《犯人を探す》》ってか? ただの人間である、アンタが?」
凍てつく様な冷ややかな声が響いた。
いや、声だけじゃない。
見上げたミケの顔には今まで見たことのない軽蔑の色が浮かんでいた。
「普通の人間だったらまだよかったかもな。トロいわよくこけるわ、そんなアンタが犯人を捕まえる? んなもん無理に決まっているだろ。逆に痛い目に遭うだけだ」
「ちょ、ちょっと! そんな風に言わなくてもいいじゃない!」
「じゃあどうやって捕まえるつもりだ? いってみろよ」
「そ、それは……」
見つけたところで紡生には捕縛する術なんてないし、そもそも力で敵わなかったらとどめておくことすらできない。
思わず押し黙ってしまった。
「……ほらみろ。そんなんでよく大口が叩けたもんだ。アンタ、あわせ屋にいるうちに自分がなにか特別な存在にでもなったとでも思ってんじゃねえの?」
「そ、んなこと」
「あるだろうが。いいか。アンタはただの人間で、なにもできない非力な存在だ。そんなアンタが自分の力以上のことを望むな。アンタのそれは優しさじゃない。ただのエゴだ」
「っ!」
初めてだった。
すべてを否定するかのような言葉を、視線を向けられた。
「力のない理想は見苦しいだけだ。聞き分けられないってんなら、ここにアンタは必要ない。足でまといだ。さっさと消えてしまえ」
「…………そんな風に思っていたの?」
胸が抉られるほどの衝撃を覚えた。
心臓が締め上げられているようで、息が苦しくなる。
だって、少しは歩み寄れたと思っていた。近づけたと思っていた。
自分にはなんの力もないけれど、あわせ屋の一員としてできることをしていたつもりだ。
だから少しは認めてもらえていると、思っていた。
なのに――。
縋るようにミケを見つめるけれど、すぐに視線を外されてしまう。
それがすべてを物語っていた。
「……そっか」
紡生は無言で背を向けた。
今口を開けば泣き言をいってしまうだろうから。
それでもこれだけは言っておかなければ。
「…………ごめん」
紡生は返事も聞かず走り出した。




