22.悪い夢
――熱い。
真っ赤な渦がうねりを上げて私を包む。
熱に撫でられた皮膚はじわじわと乾いていった。
ああ、熱い。
熱くてたまらないのに……どうしてこんなに体の芯が冷えるのだろう。
黒いけむりに咳き込めば、足に力が入らずに転んでしまう。
私は倒れたまま、ぼんやりと周りを見た。
いつもと同じ場所のはずなのに、今は何もかもを炎が飲み込んでいる。
家族の写真も、壁に張ったカレンダーも、自分が寝ていた布団も、そして――自分すら。
小さな自分の身体ではどうすることもできない。
ただ苦しくなっていく息に喘ぐだけ。
これは――私の過去だ。
もう十年以上も昔の話なのに、今でもこうして鮮明な夢を見る。
それほどまでに私の中に深く刻まれた記憶だ。
ああ、いやだ。
この後どうなるかなんてわかりきっているけれど、どうか見せないでほしい。
そう願わずにいられなかった。
けれどそんな願いは、いつも届かない。
じわじわと遠くなっていく意識の中で、猫が鳴いた。
◇
「――っ!」
――ハッと目を覚ます。
勢いよく起こした体はびっしょりと濡れ、パジャマが張り付いて気持ちが悪い。
まるで全身の血が逆流でもしているかのように鼓動がうるさかった。
「……」
腕や顔をさするけれど、そこには炎にまかれた痕はない。
そうだ、夢だ。
今は炎の中にはいなくて――
ここは自分の部屋で――
「…………大丈夫」
紡生はわずかに震える腕で体を抱いた。
悪夢は、もう去ったのだから。
◇ ◇ ◇
「……ふわあ」
迷い猫の捜索をこなし屋敷へと帰る途中、大きなあくびをこぼしてしまった。
まがいなりにも乙女という自覚を持っているので、普段ならこんな恥ずかしげもないあくびなどしない。
けれど今日だけは、どれだけ気を張っていてもこぼれ出てしまう。
「なんだ。ずいぶんと眠そうだな」
隣を歩いていたミケはおもちゃを見つけたような顔で紡生を見ていた。
どうやら揶揄って遊ぼうとしているようだが、残念ながら今は付き合ってやる元気はない。
紡生は重い瞼をこすりながら、これまた重い口を小さくひらいた。
「うん。眠い」
「寝不足か?」
「うん。夢見が悪くて起きちゃって」
「体調管理くらいしっかりしろよな」
「そうだね」
「……」
最低限の言葉しか話さない紡生に、眉が顰められる。
「おい、大丈夫か?」
「ん~」
「おい、そっちは木が……」
「ん~」
「おいって」
ぐいっと腕を引かれ立ち止まる。
「……ミケさん? どうしたの?」
「どうもこうも……そのまま木にぶつかるつもりか?」
「え?」
前を向くと街路樹と植え込みが目前に迫っていた。
「……あれ。なんで木がこんなところに」
「なんでもなにも、アンタが突っ込んでいったんだろ。ぶつかるだけならまだいいが、そのまま行けば道路に出ちまう。止めない方がよかったか?」
「…………ふうん」
「ふうんって、アンタなぁ……」
どうにも頭が回らなくて曖昧な返事をすると、盛大にため息を吐かれてしまった。
「よくそんなんで仕事ができたな、全く」
「……」
仕事は仕事なのでやらなければという使命感で乗り切った。
けれどその緊張感が解けて帰るだけとなった今、我慢していた眠気が限界突破してしまった。
紡生はついに一言もしゃべらなくなり、立ったまま舟をこいだ。
「しゃーねえ。もうそこの公園で仮眠でも取れ」
ミケに腕を引かれて公園のベンチに座らされる。
ミケは近くの自動販売機で飲み物を買ってくると言って歩いていった。
一人になった紡生はぼうっと景色を眺める。
平日の昼下がり。
冬にしては温かい日差しに楽しそうな子供たちの声。風に揺れる草木の音。
それらが子守歌のように耳に届いてきて、眠気が増していく。
流石に外でうたたねをしたらマズい。とは思うものの、気持ちとは裏腹に意識が遠くなっていく。
「おら。買ってきたぞ……って。寝てるのか」
ミケが戻ってきた気配がしたけれど、目は開けられないし、体も動かせない。
一部だけ意識が残っているところがあるみたいだが、ほとんど眠りに落ちてしまっているのだろう。
ふいに頬をつつかれた気がした。
「起きねえし。まさか本当に寝るとはな」
ぼやき声が聞こえてきたが、仮眠でもとればと言ったのはそっちだろう。
文句を言われる筋合いはないぞ。などと思っていると、気配が隣に腰を下ろした。
どうやら起きるまで隣にいてくれるらしい。
女が一人、外でうたたねをしているのが危ないと思ったのだろう。
案外優しいところがあるではないか。
それに――。
(ミケさんの声、なんだか安心する――)
耳に心地よい低音だからだろうか。
紡生は気分がよくなって、より深い眠りに落ちていった。
―――
――
―
――カンカンカンカン!!
「!?」
ふいに大きな音が聞こえて飛び起きる。
けたたましいサイレンの音だ。
慌てて音のした方を見てみると、黒い煙が上がり、空を赤く染め上げていた。
何かが焦げる臭いが風にのって鼻に届く。
――あれは
「――……あ」
その光景が、今日みた夢と重なった。
顔を背けたくてたまらないのに、少しも動けない。
「……? おい?」
ミケから話しかけられるが応えられるわけがない。
体は震え、血の気が失せていく。
息が苦しい。吸っても吸っても苦しいままだ。
けむりで吸えないのだろうか。
ああ、またあの苦しみを味わうの……?
頭の中ではそんな言葉ばかりが巡り、どんどんと意識が遠のいていく。
――ああ、いやだ。どうか来ないで。
「おい、どうした? おいっ!」
意識の奥底で、妙に焦ったミケの声が聞こえた気がした。




