16.なんでそうなった?
「……あそこか」
紡生はとある一軒家を電柱の陰から覗いていた。
アメに言い逃げされた後、渋々ながらも黒永の様子を見にいくことにしたのだ。
とはいえ平日の真っ昼間に電柱の陰から民家を覗き込む人間がいたら、それはもれなく不審者でしかない。
一応身バレ防止の為にサングラスをかけてきたが、逆に怪しさが際立ってしまった気がする。
しかも……。
「で? なんでオレまでついてこなきゃいけないんだよ」
紡生の横にいたミケが不満そうな声をあげた。
「だって私だけじゃアズキちゃんと話せないし、黒永さんの家も分からないじゃない。仕方がないじゃない」
「……っち」
そう。ミケがいるのである。もちろん《《あの服装》》で、だ。
つまり今、サングラスをかけて民家を覗く謎の女と、和洋服で奇抜な髪色をした男の組み合わせで行動しているのだ。
もしも人通りが多い場所なら絶対にひそひそされるに違いない。
正直、紡生はいつ通報されるか気が気ではなかった。だって紡生が見る側にいたら普通に通報しているだろうから。
しかもミケはこそこそする気がないのか、やたら堂々と立っているもんだから余計に肝が冷える。
「ミケさん、もうちょっと隠れてよ」
「あ? なんで」
「なんでって……。目立つからだよ」
「目立ってねえよ。自然に溶け込んでるだろ」
「んなわけなくない?」
どうやらミケは自分が目立つなりをしていることを自覚していないらしい。
紡生の言葉に衝撃を受けたのか、首をかしげている始末だ。
ウソだろ? はこちらのセリフである。
前々から思っていたことだが、ミケは割と人間世界の常識とはかけ離れている。価値観が違うのかもしれない。
紡生はため息を吐いた。
「……まあいいや。それで、黒永さんですけど」
紡生は再び黒永宅へ視線を向けた。
青い屋根の小さな庭つきの緑豊かなお宅だ。
大きな掃き出し窓から見える屋内には、ソファに座ってぼんやりとしている人が一人見える。
短くそろえられたスポーツ刈りに、日焼けした浅黒い肌。
筋肉質の体に乗る顔は彫りが深く、頬にある傷も相まってとんでもない強面さんだ。
あれが――
「…………いや、ムリくない?」
思わずつぶやいてしまった。
聞いた話ではアズキを失ってふさぎ込んでしまう愛猫家だったはず。
愛猫家の人って面倒見のいい穏やかな人ってイメージがあるのだが、黒永(仮)はそんなイメージとは真逆と言ってもいいほどかけ離れている。
何ならその筋の人と言われても納得できてしまう面持ちをしている。
愛猫家の人なら少しは話を聞いてくれるかもしれないという淡い期待を持っていたけれど、これはムリだ。
だって下手を打ったら確実にやばい。怒らせでもしたら東京湾に沈められかねない。
正直辞退したくて仕方がないのだが。
「……ねえ、やっぱり家間違えてない?」
きっと家違いだろう。むしろそうだと言ってほしい。
そう願いながら尋ねると、ミケは足元に視線を向けて何かを話し始めた。
恐らくそこにアズキの魂がいるのだろう。
「間違いないみたいだ」
「……スー」
ミケの返答に、最後の希望も絶たれた紡生は目を伏せるしかできなかった。
そっか。間違いないか。あの人が相手か。
(お父さん、お母さん。先立つ不孝をお許しください)
その場で合掌してしまった。
おっといけない。このままだと現実逃避に走ってしまう。
仕方がない。腹をくくろう。仕事なんだから。
紡生は覚悟を決めて目を開いた。
「あれ?」
ふと隣を見ると、ミケの姿が見当たらない。
どこへ行ったかと辺りを見回すと……。
「アンタ、魂とか信じる?」
なんとすでにインターフォンを鳴らしてそんなことを尋ねていた。
「うわーーーーーーーーー!? ばかーーーーーーーー!!」
紡生は白目を剥き、今世紀最速で走り、ミケの頭をしばいた。
なにしてんの? なにしてんのこの人!?
人と話したくないとかほざいていたくせに、なんで今日だけはこんなに積極的に向かっていくの!? バカなの!?
ていうかなんでそんなワードチョイスなの!? バカなの!!?
紡生の心の中は大荒れだった。
「いってーな。なにすんだよ」
「うるさいバカっ! なにすんのじゃなくて、あなたが何してるんですか!?」
余計なことを口にさせないように慌てて口を押える。
不服そうな顔をされたが知ったこっちゃない。
「なにそのワードセンス! 完全にその手の勧誘! 不審者一直線! どうしてそうなった!?」
「もご?」
「もご? じゃないよ! まったくもう!!」
『……あの』
「え? ……あ」
声のした方を振り返ると、インターフォンがあった。
さあっと血の気が引いていく。
(時すでに遅しーーーー!?)
なんということだ。
ミケの暴走を止めたと思っていたけれど、今までの会話はすべて黒永に聞かれてしまっていたらしい。
(終わった……)
インターフォン越しの声には明らかな警戒が現れていたし、今からではどうやってもリカバリーできない。
もう完璧に詰みだ。今から入れる保険があるのなら教えてほしい。
『……イタズラなら通報しますよ』
なんて現実逃避をしているとどえらい宣告を受けて我に返る。
「ま、待ってください! イタズラじゃないんです! 私たちは猫社の者で!」
今更どう話しかけるかなんて考えている時間はない。
とにかく今は通報されないことが第一優先事項だ。
『……猫社?』
「はい! あの商店街の奥にある神社で。ご存じないですか?」
『知ってるけど、その猫社の人がなんでここに』
「ええとですね、実はその、アズキちゃんのことでお話がありまして」
『…………アズキ? 今アズキといったか?』
アズキの名を出すと黒永は敏感に反応してきた。
大きく動揺しているのが声に出ている。
「あ、はい! こちらで飼われていたと伺いまして」
『誰に……いや、いい。ちょっと待ってて』
言われた通り待つこと数秒。
玄関が開き、中からいかつい男の人が出てきた。
見た所五十代半ばくらいだろうか。
近くで見ると鋭い眼光がはっきりと見て取れてより怖い。
紡生は若干逃げ腰で口を開いた。
「ええと、黒永さん、で間違いないでしょうか」
「そうだ」
「え、っと。申し遅れました。私猫社の管理人をしております、小宮と申します」
「はあ。で、なんでアズキのことを知っているんだ」
黒永はおしゃべりは不要とばかりに本題を切り出してきた。
まだ思い切り警戒はされているが、とりあえず話は聞いてもらえるらしい。
紡生は一つ深呼吸をして動悸を押さえつけた。
「えっとですね。お宅のペットのアズキちゃんが夢に出てきまして」
「夢?」
「はい。神様からの啓示のようなもので、猫社関係の人間はときどきあるんです」
夢に出てきたというより魂であわせ屋に訪ねてきたのだが、今それを説明している時間はない。
紡生は持ちうる語彙を駆使してそれらしい話を作り上げた。
「アズキちゃんは黒永さんがふさぎ込んでしまったのを心配しているみたいでした。けれど自分では貴方の元へいけないから、何とか気持ちを伝えてほしいと……」
話し終わると黒永は何も言わないままうつむいてしまった。
「……なんで」
「え?」
「なんで、俺のところには来ないのに」
顔を上げた黒永はどこか虚ろな目をして「なぜ」とぼやいた。
よく見れば目元には酷い隈が刻まれており、食事もあまりとれていないのか頬もこけている。
無精ひげも不規則に生えているし、服もシワシワになっているところを見ると、仕事も休んでいるのだろう。
もしかしたらアズキを亡くしてから誰とも会っていないのではないだろうか。
ふさぎ込んでいるのを心配しているという話だったが、これはアズキじゃなくても心配になるレベルである。
「俺のとこには一度だって来ないのにおかしいじゃないか。なんで君の所にでるんだよ。おかしいだろ。……なあ、なんでなんだ?」
精神が不安定なのか、ぼやきはだんだん大きくなっていく。
紡生を捉える視線には敵意が現れていた。
「……それは」
黒永の夢にアズキが出てこない理由は分かっている。
アメの言葉を借りるのなら、黒永がアズキの死を受け入れきれていないからだ。
だからこそアズキは何とかしたくてあわせ屋に訪れた。
(でも、今の黒永さんにそれを伝えるのは……)
あまりにも酷なことではないだろうか。
もし伝えてしまえば壊れてしまいそうだ。
言葉を選ぼうと押し黙った紡生を見て、黒永は薄く笑った。
「ほら。言えないってことはどうせ全部ウソなんだ」
「ち、違います!」
「なにが違う? どこでアズキのことを知ったか知らないけど、大事な子を亡くした人間につけ入ろうとするなんて最低だっ! もうさっさと帰ってくれ! 二度と来るな!!」
押し出されてピシャリとドアが閉められる。
と思ったら少し開かれたドアから顔面目掛けて何かを投げつけられた。
変にしょっぱくて、ざらざらしていて、白い……
「――しおっ!」
飛んできたもの。それはまごうことなき塩だった。
驚きで変な悲鳴を上げてしまう。
「ぶああ、しょっぱい! やだもー、べたべたする!」
慌てて顔を振る。
顔に当たった塩はそのまま服の中に入っていったし、手で振り落としてもなかなか取れなくて全身がべたべたしている。
それに広範囲に撒かれたから隣にいたミケにもヒットしていた。
「……おい、アイツむかつくんだが」
ミケは額に青筋を浮かべて剣呑な目つきになっていた。バチクソにキレている。
……まあ、気持ちはすごくよくわかる。怒りたい気持ちは本当にわかる。
(でもその原因を作ったのはミケさんなんだけどなぁ……)
とはいえ今ここでそれを言うと余計に拗れるだろう。
「……とりあえず一旦あわせ屋に戻ろうか」
さすがにこのまま塩まみれで人の家にいる訳にもいかない。
紡生はため息を吐きながら引き上げていった。




