あなたが略奪したその婚約者、不良債権だけどいいんですか!?
「ふふ、負け犬が遠吠えしているわね、アリア。ダニエル様は私のものよ」
幼馴染のミルフィーが高笑いをしている。いつだって私に張り合ってきて、私のものはなんでも欲しがったミルフィー。
彼女はついに、私の婚約者にまで手を出した。
だけど——。
(や、やったー! これでダニエル様と婚約破棄できる!)
私は喜んでいた。
だって、ダニエル様は……、マザコンだったのだ!
『母上と観劇に行くから、今日のデートはやっぱりキャンセルで』
『君は母上の作るクッキーの味を再現できるよう母上に弟子入りするべきだ』
『結婚したら、もちろん僕の家で母上と同居するからね』
ダニエル様のそんな言葉の数々に、私は将来を悲観して嘆いていた。
こんなマザコンの妻として生きていかなきゃいけないなんて、なんたる悲劇だ!
だけど、ミルフィーがダニエル様を略奪してくれた。あの母親にしか興味のない男にどうやって取り入ったのかは知らないけれど、兎にも角にも、私はダニエル様と婚約破棄できることになったのだ。
これほど嬉しいことはない。
私はルンルンで、友達のハンナに手紙を出した。ハンナにはもともと、ダニエル様の特殊なお人柄について愚痴を聞いてもらっていたのだ。無事に婚約破棄できたと知れば、ハンナも喜んでくれるだろう。
『それじゃあ、お祝いにお茶会をしましょう?』
そんな手紙の返信が来て、私は喜んだ。さっそく予定をすり合わせて、二人きりのお茶会を開く。
ダニエル様との婚約が憂鬱ですっかり痩せてしまったから、今日はたくさんケーキを食べるぞ、と気合を入れてハンナの家を訪ねた。
「アリア、久しぶり!」
「ハンナ、今日はお招きいただきありがとう! たくさん話したいことがあるのよ」
ハンナの用意してくれたお茶の席は、庭のガゼボに三段のケーキ皿を置いて、メイドがお茶を淹れてくれる形式だった。
ケーキ皿の上には色とりどりのスイーツが並んでいる。クリームでふわふわだったり飴がけで艶々だったり、どれもこれも美味しそうだ。
「それで? ダニエル様と婚約破棄したんですって?」
「そうなの! ミルフィーが私からダニエル様を奪ってくれてね! おかげであのマザコンから解放されたわ」
「おめでとう。でも、気をつけたほうがいいわ、アリア」
「? ……何を?」
話を聞いたハンナが、深刻そうな顔で言ってきた。
「ダニエル様の本性に気づいたミルフィーが、返品してくるかも知れないってことよ!」
「っな! そんなこと、絶対に嫌だわ!」
「それだったら早めに次の婚約者を見つけなくちゃ」
ハンナの言葉に、私は悄然とする。
次の婚約者、と言われても、小さい頃から許嫁のダニエル様が居た私は、殿方との接し方なんてよくわからない。
「でも、どうやって次の婚約者を探せばいいのかしら……」
私が途方に暮れていると、ハンナはにっこりと微笑んだ。
「簡単よ、アリア。実は、いい人を紹介しようと思って」
「え? 本当に!?」
私は身を乗り出す。
「ええ。私の従兄弟なの。とても素敵な人よ。アリアと気が合うと思うわ」
「ハンナの従兄弟の方?」
ハンナは貴族の中でも名門、グレンフォード侯爵家の令嬢だ。その従兄弟となると、立派な方に違いない。
「ちょうど今日、この近くに来ているって聞いたから、呼んでもいいかしら?」
「え、今日!?」
私は慌てて身だしなみを確認する。ダニエル様との婚約破棄が決まってから気が抜けていたけれど、まさか今日、新しい殿方と出会うなんて。
好きなだけスイーツを食べたから、お腹が出てはいないかしら!?
「大丈夫よ、アリア。あなたはとても可愛いもの」
ハンナがそう言って、メイドに従兄弟を呼んでくるように指示を出した。
数分後、庭の小道から一人の男性が現れた。
栗色の髪に、穏やかな緑の瞳。柔和な笑みを浮かべた、落ち着いた雰囲気の青年だった。年齢は二十代半ばくらいだろうか。
「ハンナ、呼んでくれてありがとう」
青年は優しい声で挨拶をする。
「エドウィン兄様、こちらが私の友人のアリア・ウェストンよ」
「初めまして、アリア様。エドウィン・グレンフォードです」
エドウィン様は丁寧に一礼した。
「は、初めまして……」
私は緊張しながら挨拶を返す。
エドウィン様はガゼボの椅子に腰掛けると、にこやかに話しかけてきた。
「ハンナから、アリア様のことは聞いていますよ。婚約破棄、大変でしたね」
「あ、はい……。でも、むしろ解放されて嬉しいくらいです」
私は正直に答えた。エドウィン様は優しそうな方だし、第一印象は悪くない。
「そうですか。それは……よかったですね」
エドウィン様が微笑む。ダニエル様はいつも不機嫌そうな顔をしていたから、この笑顔は新鮮だ。
「アリア様は、どのような趣味をお持ちなんですか?」
「私は、そうですわね。刺繍が好きですわ」
「刺繍ですか。素敵ですね」
エドウィン様が相槌を打つ。
「実は、僕の妹も刺繍が大好きなんです」
「まあ、そうなんですか」
私が答えると、エドウィン様の表情がパッと明るくなった。
「ええ! 妹の刺繍は本当に素晴らしいんですよ。この前も、薔薇の刺繍をしたハンカチを作ってくれまして。それはもう、本物の薔薇かと見間違うほどの出来栄えで」
エドウィン様が嬉しそうに早口で語り続ける。
「そうだ、アリア様は音楽はお好きですか? 妹は刺繍だけでなくピアノも上手で」
「え、ええ。音楽は好きですが……」
「それならぜひ妹の演奏会にいらしてください。妹が王都の音楽ホールで演奏するんです。本当に上手なんですよ」
エドウィン様が熱心に勧めてくる。
「それは……光栄ですわ……」
「ええ、きっと気に入っていただけると思います。妹は本当に才能豊かで、社交界でも評判なんです」
エドウィン様は誇らしげに語った。
その後も、会話のあらゆる場面で、エドウィン様は妹の話題を持ち出した。
「そういえば、妹が最近こんなことを言っておりまして……」
「妹は読書も好きなんです。妹のお気に入りの本は……」
「妹が作ったお菓子は本当に美味しいんですよ……」
私はエドウィン様の様子に、既視感を覚え始めた。
これ——、ダニエル様と同じだ。
つまり……、エドウィン様は……、シスコンだ!
私の横で、ハンナが頭を痛そうに抑えている。
「まぁ、アリアとだったらお似合いかなと思ったんだけれどねぇ……」
そんなことをハンナは呟いていた。
そこへ、庭の奥からざわめきがやってくる。
「アリア! アリアはどこだ!」
その声は——、父の声だった。
「お父様!?」
私は驚いて立ち上がる。
父が庭に入ってきた。いつもは穏やかな父が、珍しく慌てた様子だ。
「お父様、どうしたんですか?」
私が駆け寄ると、父はほっとした表情を浮かべた。
「お前が男と会っていると聞いて、慌てて駆けつけてきたんだ。私の可愛いアリア。お前にはまだ新しい婚約など早いかと思っているんだが」
「まぁ、お父様!」
お父様の言葉に、私は感動していた。
どれだけ私を大切に思ってくれているんだろう!
やっぱり、私の運命の男性はお父様しかいない!
私がお父様に抱きつくと、お父様は私の頭を優しく撫でてくれた。
「アリア、お前は家を出るのはゆっくりでいいんだよ。いつまでだって私のそばにいてもいいんだ」
「はい! お父様!」
私が満面の笑顔でお父様を見上げると、なぜかハンナが「はい! じゃないわよおぉぉぉお!」と叫んだ。
「アリア、ちょっと待ちなさい! あなた、ファザコンよ、ファザコン!」
「え? 私が?」
ハンナが叫ぶように言った言葉に、ふと我に帰る。人前で父親に抱きつき、ずっと一緒にいると宣言した私。
ダニエル様が母親のことを語っていた時の様子や、エドウィン様が妹のことを語っていた時の表情を思い出す。
その姿と今の私は、もしかしてよく似ている……?
「ふふ、アリアは私のことが大好きだからな。さあアリア、今日はもう帰ろう。男と一緒にお茶をすることなんてないんだよ」
「はい、お父様」
私たちがそんな会話をしていると、エドウィン様が立ち上がった。
「あ、あの、お待ちください! もしよければお手紙のやり取りからでも、アリア様と交流を持たせてはくれませんか? こんなふうに妹の話を聞いていただけたのは初めてだったのです」
そういえば、マザコン慣れしていたせいで、エドウィン様のシスコンぶりにも怯まず話を聞いてしまった。
そのせいか、エドウィン様は私を気に入ったらしい。
「それなら、私の父の話も平等に聞いていただけますか?」
「もちろんだよ」
今までダニエル様の一方的な母上大好き話を聞かされていたけれど、私も私でファザコンを全開にできる相手が欲しい。だったらたとえ相手がシスコンでもいいかな、という気がしてきた。
そうして私はお父様と一緒に家に帰り、エドウィン様とはお手紙での交流を始めたのだった。
その数週間後——。
社交界である噂が流れた。
マザコンのダニエル様と、ファザコンの私、そしてシスコンのエドウィン様が、「三大コン」として話題になっているという。
私は恥ずかしさのあまり、しばらく社交界に顔を出せなくなったのだった。
めでたし……なのだろうか?
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またたくさん短編も書いているので、そちらもお楽しみいただけたら幸いです。




