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ブラックスワン  作者: 鴨ノ橋湖濁
夜明け
82/91

たった一人を待つために


 ケドウが信者たちを伴って電車が目的地に着いたのは朝の4時を回った頃だった。地下鉄のプラットフォームに停まった電車から看板を持った汎用フレームが先導を行って皆が階段を上がっていく。

 信者たち100名ほどは私物の持ち合わせが少なく、ケドウの指示と汎用フレームの案内に従順であり、利府里衛利が突入する直前の爆音や銃声による混乱を警戒していたケドウはそれらが杞憂に終わったことに安堵した。

 電車内への追撃を考慮しなかったわけではないが、ついぞここまで無事にたどり着いたことに残してきた二人の協力者の姿を思い返してしまう。


 プラットフォームのベンチに腰掛けたケドウは最後尾の信者の青年に声をかけられた。


「ケドウ様。どうされたのですか」

「私は、ここで二人を待つよ」


 二人とはもちろん青年も承知している。後ろから青年の妻が歩み寄る。


「ケドウ様の邪魔をしてはダメよ。私たちは早くあがりましょう」

「しかし……」


 青年も妻も薄々感じている。恐らくケドウはこれを最後に自分達の前から消え失せるだろう。確信はないが彼の態度は死期を悟った人間のように振舞いにも勘の良い人間は感じたのかもしれない。

 青年が妻に顔を向けてお互いうなづく。


「しかし、せめてこれから生まれてくる子供の名前を、あなたに考えてもらいたかったのです」


 約束の日があまりに突然すぎた故に、これまでの生活が当たり前のように続くと考えたことを、浅慮であったと知った自分を恥じる青年の懇願にケドウは首を横に振った。


「自分の子供の名前は。これからを生きる人のことは、未来を共に出来る人によって名付けられる。その方が良い」


 自白。これから自分は死ぬであろうと言うことを若夫婦に白状した。


「時間がないのは、分かります。でしたらせめてあなたの本当の名前だけ!私たちに教えてください」


 追いすがる青年にケドウは微笑を浮かべて答えた。


「忘れてしまったよ。自分の名前なんて、誰も呼ぶものもいなくなったからね」


 ケドウは青年の両肩に手を置いて妻の前まで押して歩く。


「信仰とは、現実が辛く苦しい時にすがる避難所のようなものだ。これから少なくとも君たちが物質的に困ることはなくなるはずだ」

「まさか。私たちから信仰がなくなるとでも!?」

「良いのだよ。信仰がなくなるとは現実が幸福であるからだ。もしも精神の空洞が出来たら、また聖書の言葉に救いを見出すと良いし、空洞を感じずに死ねたなら、良き人生であったと笑うと良い」


 最後の教えだ。そう言って彼は若夫婦を引き下がらせ、ケドウはプラットフォームに残った。


「テロリストに名付けられた名前なんて、縁起でもないだろうに」


 呟いたケドウはスーツの胸の裏ポケットから封筒の一つを取り出した。


(誰よりもこの世から消えたがっているくせに、誰かに覚えていてもらいたいとも思っている)


 欲張りなのか。支離滅裂なのか。今のケドウには分からないし、考える時間ももうない。一つのポケットから通信機の着信が入ったからだ。


「……」


 無機質な音がプラットフォームに響き渡り、ケドウは迷うことなく手に取った。


「ケドウだ」

『……』


 表情は無くなり耳を澄ませる。聞こえたのは予想通りに少女の声だ。


『あなたの仲間は死んだ』


 宣告するような冷たい口調で。


「そうか。こうやって直接話すのは初めてかな。利府里衛利さん」


 ケドウは仲間の死に激高することも落胆することもなくただ淡々としていた。


『今追っている。逃げられはしない』

「まっすぐセントラルビル方面に来ると良い。その直下で私は待っているよ」


 返答はなく。通信機から聞こえてくるのはコンクリートが割れたようま破砕音とパラパラと破片が落ちる音。


『ワンワンッ!!』


 それから甲高い鳴き声がしてから通信は切れた。


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