第77話 日本酒一気と女王様の罠
エレベータが開くと、そこにはかなめ、アメリア、サラ、島田、そしてランとひよこがぎゅうぎゅう詰めで乗っていた。
缶ビールや酒瓶、つまみの皿まで持ち込まれていて、まるで移動式飲み会だった。
その顔にあるのはひたすら『好奇心』の一文字。そしてにやにやと笑う口元にはあまりにも早く誠が戻ってきたことに対する落胆が見て取れた。
「あのー。皆さん何をしてるんですか?というか、なんとなく分かるような気がしますよ……僕とカウラさんが何かすると面白くないから乱入して邪魔してやろうとでも考えてたんでしょ?というか、その行動原理に『モテる人間への嫉妬』がある遼州人のクバルカ中佐と島田先輩とひよこちゃんがここにいるのは理解できるんですけど他の人達は地球系の人でしょ?そんな遼州人の人種的な欠点の影響を受けるのがそんなに楽しいんですか?」
少しばかり呆れて、誠は思わず口走っていた。その口調は呆れを通り越して冷淡さに満ちていた。
さっきまで二人きりの静かな廊下にいたのが嘘のように、一気に騒がしさが押し寄せてくる。ここは『特殊な部隊』であり、遼州人の『モテない精神』を具現化するためにランがその思想を隅々まで洗脳された部隊なのである。モテたことのない誠にも彼等が意地でも誠とカウラが良い雰囲気になることを邪魔にしにかかることは容易に想像がついた。確かに『モテない』というコンプレックスを抱えて生き続けることを宿命づけられている遼州人である誠も彼等と同じ立場なら似たような行動を取っていたことだろう。
「アタシは……その、なんだ、何と言ったらいいか……オメエが変な気を起こさないかどうか確認しにきたんだ。それにアタシは半分とは言え地球人の血を引いてる!『モテない宇宙人』である遼州人扱いするな!」
かなめは照れるようにうつむき、ラムの瓶を握ったまま言葉を搾り出した。
その頬は酒のせいか、別の何かのせいか、わずかに赤い。
「そう言う展開はアタシ達は『遼州人の心を本当の意味で理解した地球の遺伝子を持つ人造人間』としての使命感から愛の現場に乱入して、『人口爆発阻止』の観点に基づいて指導しなきゃね♪」
アメリアがそう言うと、かなめがその顔をぎろりと睨みつける。
ネクタイのゆるんだ長身の女と、黒髪ボブの『女王様』の視線が火花を散らした。
サラと島田は、なぜか二人して原材料不明のジャーキーを頬張りながら缶ビールを飲んでいる。この二人がこの場にいるのは特に意味は無く『珍しい珍獣を見に来た』というノリなのだろう。サラと島田が隊では自分達がすでに全隊員から『バカップル』という立派な『珍獣』扱いされていることについては誠は特に深く突っ込まないことにした。そのことで島田にツッコミを入れた整備班員の何人かが島田に馬乗り殴打されている場面を目撃しているだけに誠も同じような目に喜んで遭うつもりは無かった。
ひよことランの二人の顔にも笑顔が浮かんでいる。二人は誠をどうやっていじるかという機会をうかがっているかなめ達を面白がるようにエレベータの片隅でどことなく『傍観者』の顔で、しかししっかり面白がっていた。ひよこは誠とカウラの関係を遼州人には絶対に理解できない感情であるフィクションである『恋愛感情』と称して彼女が時々出かける詩の朗読会で新作の詩として発表して誠を晒し者にする気満々のような顔をしている。
「カウラさんが僕と二人っきりになるために芝居をしてたって知ってたんですね!何を期待してるんですか!あんた等!そんなに『モテない宇宙人』である遼州人である僕が異性と二人っきりになるとどういう行動をとるかの観察がしたいんですか?観察日記でもつけるんですか?『遼州人には本当に恋愛感情は存在しないのか』とか言う研究テーマでの報告書の作成を地球人のどこかの国家の研究機関に命令されてるんですか?というか本当に迷惑ですよ!」
誠は内心では叫びたかった。
『僕にもプライバシーがあるんです!』と。
しかし、平和な世界に慣れた遼州人は、意地でも『愛』の現場に乱入せずにはいられない習性がある。
『……でも、高校のときの僕も同じことやってたんだよなあ……僕にも人の子とは言えないのかもしれない……同じ立場なら絶対同じことをしてしまうし……』
クラスや職場で遼州人の間に滅多に起きない『恋愛現場』などを発見しようものなら大変な話である。誠自身も高校時代に一度、『あの二人は付き合っている』という噂されている下級生の男女を全校上げて付け回し、その二人の日常を分刻みで観察したことを思い出した。理系で多少のシステムに詳しいと思われていた誠が担当したのはその女子の通信端末の通信記録の傍受でその内容からこれがただの勘違いらしく別に二人には遼州人にとっては『絶対にありえないフィクション』である恋愛感情などは無いのだと知って火消しに回ったのはいい思い出だった。ただ、その二人は完全に全校生徒から監視生活を送ると言う異常体験をしたPTSDでそのまましばらく心療内科に通院することになったらしいと言うのは今となってはいい思い出である。
そして今、誠がほぼ同じ状況にある。
誠自身も、同じ状況なら現場に踏み込んでいただろう……そう思ってしまったがゆえに、その言葉を静かに飲み込んだ。
「愛を語るにはテメーは未熟!まー『人類最強』のアタシを倒せたら、そん時は考えてやる!それにオメーには現実が見えてねー!『愛』などというモノは地球人が自分の性欲を合理化するための『フィクション』だ!そんなものは存在しねー!このアタシが言うんだから間違いねー!」
さらりとランはそう言って、良い顔をして笑った。
8歳児にしか見えない幼児体型の口から『人類最強』と出てくるのは、この部隊ではもはや日常だった。
ひよこは、手にしたグラスを胸の前で抱えたまま、おろおろと周りを見回していた。
艦内の『ポエム担当』として、この手の話題には妙に弱い。
「そう言えばカウラも何を考えているのかしら……ひよこちゃんの見た感じどう?」
サラが面白そうに振ると、ひよこは少し首をかしげて、真面目な調子で答えた。
「ベルガー大尉は純粋な人ですから……ちょっと妬けちゃいます……でも、ベルガー大尉も地球人だから『愛』が理解できるんですね……私は遼州人なんでそんな感情が実際に存在するなんて理解できないんで……ポエムを語るための技術くらいにしかどうしても思えないんで……そんなところは何処までも自分が遼州人なんだと思っちゃいます」
サラとひよこまで、完全に誠とカウラの関係を『そういう目』で疑ってくる。
誠は狭いエレベータの中で、逃げ場のない視線を全身で浴びていた。
「それにしても、アイツがねえ……初恋って奴か?アイツが男にこんなに弱みを見せるなんてことはこれまで一度も無かったからな。まあ、アタシみたいな男女関係上級者から言わせると子供の遊び程度のものだけど。何度も言うけどアタシは『モテない宇宙人』である遼州人の血は半分しかついでねえんだ。だからアタシは神前や島田やひよこや……クバルカの姐御と違って『モテた』ことがある。島田でナンパでモテたと言ってるのはただ性欲におぼれただけであれはモテたとは言わねえ。アタシみたいに地球人の血を引く人間から言わせるとアレはアタシの妹の男を集めてやる特殊なパーティーの延長線でしかねーんだ。そんなもんはエロビデオにでも任せておけ」
そう言うと、かなめはラム酒瓶をラッパ飲みする。
喉を通る透明な液体と一緒に、妙な感情まで飲み込んでいるように見えた。
「初恋!素敵な言葉ですね!遼州人で恋とは無縁な私には理解できない感情なのでカウラさんの心境をポエムにして良いですか?」
ひよこはそう言って柔らかな笑みを浮かべた。
誠の脳裏には、『戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』ベルガー大尉の初恋』という不穏なタイトルのポエムが艦内回覧で流れる未来が、最悪の形でよぎる。
「そんな……カウラさんはただの気まぐれだったと言ってましたよ。それをこんな大事にして何が楽しいんです?僕が困るのがそんなに楽しいんですか?あなた達のしていることは『モテない宇宙人』である遼州人があまりに宇宙で特殊な存在であるかを宇宙に知らしめるための実験データを提供しているだけなんですよ?僕やひよこちゃんは地球圏の連中から観察されてるんですよ。つまり『遼州人がモテるとどういう反応を示すか』という報告データが地球圏を走り回ることになるって意味ですよ?そんな情報が地球圏を走り回ったら連中腹を抱えて大笑いしますよ?自分達も笑いものになるのがそんなに楽しいんですか?」
かなめ達の闖入に、ようやく落ち着きつつあった胸のざわめきがぶり返す。
誠は、狭いエレベータの中で、かなめに向かってそう尋ねた。
「気まぐれねえ……どうだか。アタシには関係ないね。ただ面白いから見に来ただけだ。さっきから行ってるようにアタシは半分は地球人の血を引いてる。神前、アタシを自分と同じ『モテない宇宙人』である遼州人扱いするな」
かなめは誠を突き放すようにそう言うと、グラスのラムを口に含んだ。
言葉とは裏腹に、その視線はほんの少しだけ誠から逸らされている。
「かなめちゃん。それはどの口が言うのかしら? アタシや中佐を殆ど拉致みたいにして引っ張ってきたじゃない……それに隊長が言ってたわよ。『かなめ坊は遼州人の血が濃いなあ』って。つまり、かなめちゃんがこれまで『モテた』と主張しているのは島田君と同じで性欲に押し流された結果と相手がそのかなめちゃんが常に持ち歩いてる銃が怖かっただけなんじゃないの?」
アメリアは、冷やかすような調子でかなめの耳にささやいた。
その姿は、いつもの『他人をおもちゃにする側』のアメリアそのものだ。
「アメリア!外に出て真空遊泳でもして来い!もちろん生身でな!」
「助けて!誠ちゃん!変態サイボーグがまた悪いことを考えているわよ!そんなか弱い女子を守って見せるのが『法術師』の力の見せ所でしょ?」
機会があるとまとわりついてくるというアメリアのネタも、誠にはだんだん読めてきた。アメリアは遺伝子上は地球人と同じ存在だが、その心は『モテない宇宙人』である遼州人よりもさらに『モテない』ことを極めた『スーパー遼州人』と呼べる存在なのである。彼女の『モテないコンプレックス』は純血の遼州人である誠のそれを遥かに凌駕しているのだろう。
そんな『スーパー遼州人』でも、一応上官であるというところから、黙って誠はアメリアに抱きつかれた。
柔らかい感触が胸元に押し付けられる。
誠はアメリアの豊かな胸の感触に、つい少しだけ幸せを感じた。
「今度はアメリアが相手か?良かったな。神前。オメエこれで本当に童貞喪失ができそうだ……愛も恋も知らずに島田のように性欲に流されて」
素っ気ない口調の割に、かなめの顔は怒りにこわばっていた。
ラムの瓶を握る手に、わずかに力がこもる。
「でもなあ、神前」
先ほどの鋭いボディーブローのことは忘れたというように、島田が心配そうにつぶやいた。
煙草の煙が、狭いエレベータの天井に薄くたなびく。
「そういや最近、隊員の誰かが盗撮されてたって話があったな」
島田が煙草をくゆらせながらつぶやいた。
「一応、俺の部下ってことになってる技術部の士官に情報通がいてな、そいつがオメエとベルガー大尉が変なことをしたというような画像をでっちあげて、ベルガー大尉のファンに配って回るという事態は想定できてるよな?遼州人は戦争はしねえが『嫉妬』にかけては宇宙に並ぶことのない人種なんだ。その『嫉妬』が貴様の前に立ちはだかる……さあて、どうなるか……俺は自分の腕力でその『嫉妬』を粉砕してこうしてサラと付き合うような『純情硬派なヤンキー王』と連中には呼ばせているが、オメエにそんなことをする度胸がどこにある?出来るか?」
島田はまた妙なことを言い始めた。
技術部員たちの間で密かに出回る『裏動画』の存在が、誠の背筋をゾッとさせる。
「そんな!盗撮なんて!」
誠は半分泣き声でそう叫んだ。
これ以上面倒なことは御免だ……そんな思いが誠の脳裏を駆け抜ける。
「それ、ありそうね。私もそれもらおうかしら。いいネタになるかもしれないし……私もそれをネタに誠ちゃんを脅してカウラちゃんより先に誠ちゃんを手に入れる……これは良い材料になりそうだわ♪」
にやにや笑いながら、アメリアが誠の弱みに付け込んでくる。
完全『大人のおもちゃを見る目』だ。
アメリアにまでそんなことを言われたら、自分の命運が尽きるくらいの想像力は、誠にもあった。
「安心しろ。アイツには『前科』が有るからな。そんなことをしたらアタシの『昭和の大文豪』の首を落とすのに使われた『関の孫六』で斬首するって言ってある。いくらアイツ等が『いい雰囲気の男女を見ると嫉妬してぶち壊しにすることを生きがいにしている遼州人』だからと言っても、その習性と命の天秤の賭け方くらい考えてると思うぞ」
にこやかに、そしてかわいらしくつぶやかれたランの言葉が、何となく恐ろしく感じられて、全員がその士官のこれから起きるだろう不幸を心の中で哀れんでいた。
その『前科』が何なのか、あえて誰も聞こうとはしない。そしてその『前科』の対象となった男女は『いい雰囲気の男女を見ると嫉妬してぶち壊しにすることを生きがいにしている遼州人』の集団である『特殊な部隊』から逃げ出していったのだろうと誠は思った。
「カウラは大丈夫だった?」
ハンガーのある階で止まったエレベータが開くと、心配そうな顔をしたパーラが待ち構えていた。彼女の顔には純粋な心配の色があり、誠を襲撃しようとやってきた連中の顔の中に見え隠れした『嫉妬』の色が無かった。誠はパーラがどこまでも地球人の遺伝子で作られた『常識ある』人造人間なのだと分かって胸をなでおろした。
修理用ジャンパー姿のまま、手には箸と小皿を持っているあたりが彼女らしい。
「ああ、アイツはそう簡単にくたばらねえよ。それより、パーラ。まだクエはあるか?今日のヒーローの神前はランの姐御ほどじゃねえけど食うんだから……ちゃんと用意しとけよ。もし足りねえようならアタシに言え。銃でアタシが他のテーブルの連中を説得する」
そう言いながら、一向に誠から離れようとしないアメリアを、かなめが力づくで引き剥がした。
アメリアは名残惜しそうに誠の袖を掴もうとして、ランの視線に気づいて慌てて手を引っ込める。
「クラウゼ少佐。よろしいですか?」
いつもの二十歳に満たないような感じの技術部員である西が、日本酒の瓶を両手で大事そうに抱え、アメリアに話しかける。
いかにも『良い酒を持ってきました』という顔だ。
「なあに?お姉さんに質問か何か?」
上機嫌でアメリアが答える。
艶っぽく片目をつぶって見せ、周りの若い技術部員から小さな歓声すら上がる。
若手技術部員と、かなめと島田がアイコンタクトをしている事実に気づいて、誠は何が企まれているかを、なんとなく察した。
今度は『おもちゃにされる側』が誰なのか、嫌でも想像できる。
「今回も見事な操艦ですね。背後を取られても全く動じませんでしたね。司法局実働部隊の誇りですよ」
いかにも年上女性が好みそうな純朴を装う西の笑顔にアメリアは相好を崩していた。この時点で誠も西が甲武国出身の元地球人であることを思い出して、脳内が『スーパー遼州人』状態で婚活失敗中の『モテない三十路女』であるアメリアに何か企んでいることは明らかに分かった。
「褒めたって何にもでないわよ。第一、ここに作戦目的を達成した本人がいるのに」
誠を指さしたアメリアが、空いたコップを若手技術部員に突き出した。
西は、待ってましたとばかりに腰を折り、日本酒の瓶の栓を抜く。
若手技術部員は、ランが選んだらしい高そうな日本酒を注ぐ。
透明な液体が、とくとくと音を立ててコップに満ちていく。
「そんなに飲めないわよ!それに日本酒は私じゃなくてランちゃんの専売特許じゃないの!私はビール党なんだから!」
そうアメリアが言うのを聞きながらも、わざとらしくコップに八分ほど日本酒を注いだ。
『八分目』はこの部隊で『一気飲み用の量』とほぼ同義だ。
「おい、何してんだ?」
わざとらしく島田が近づいてくる。西が島田と視線をかわす。明らかに西の行動は島田の指示によるものであることはこれ以上面倒ごとに関わるのは御免だとかなめが銃で脅して奪い取って来たクエの身を食べている誠は理解した。
上官である彼に、若手技術部員が直立不動の姿勢で敬礼する。その芝居がかった姿はいかに島田が悪だくみの為に部下を徹底教育しているかという成果を見せつけるようなものだった。
「なるほど、上司にお酌とは気が利いてるじゃないか。じゃあ一本行きますか!総員注目!」
ここですべての狙いがハマったと言うような満面笑みの島田が大声を上げる。
彼の部下である技術部整備班員が大多数を占める宴会場が、一気に盛り上がる。
あちこちのテーブルから『おおー』と野次と笑い声が湧いた。
「なんとここで、今回の功労者クラウゼ少佐殿が『一気』を披露したいと仰っておられる!手拍子にて、この場を盛り上げるべく見届けるのが隊の伝統である!では!」
アメリアが目を点にして島田を見つめる。
してやったりと言うように、島田が笑っている。
さらにアメリアはサラ、パーラ、そしてかなめを見渡した。
三人とも、まったく目を合わせようとしない。口直しに白菜を口に運びながら恐らくは三人も仕掛け人なのだろうとその表情を見ればバラエティーのドッキリ番組をたまにしか見ない誠にも分かった。主犯はかなめか島田か。誠が気になる容疑者はどちらかだろうと今度は見物人を決め込む状況で誠はこの様子をクエの身を食べながら見守っていた。
『嵌められた』
ここで初めてアメリアは、自分の陥った窮地を理解したような表情を見せた。
全員の視線がアメリアに注ぐ。
『逃げられない』と悟ったアメリアが、自棄になって叫ぶ。
「運航部長!アメリア・クラウゼ!日本酒一気!行きます!」
どっと沸くギャラリー。かなめと島田は見つめあいしてやったりの笑顔をしていた。
手拍子がハンガーの鉄骨に反響して、妙な一体感を生む。
島田の口三味線に合わせて、アメリアは一気に日本酒を腹に流し込む。隣では拍手をしながらかなめがその周りを回る。
長い喉がごくごくと動き、白い首筋がほんのり赤く染まっていく。
「おい!今回はオメエがんばったよ。アタシからの礼だ。受け取れ」
そう言うと、今度はかなめが、アメリアの空けたばかりのコップに、若手技術部員から奪い取った日本酒を注いだ。
その目は完全に『復讐に燃えるサディスト』のそれだ。これまでの勤務中のアメリアのいたずらで何度も痛い目を見ているかなめからすれば今この時がその復讐の完成する瞬間と言えた。
もう流れに任せるしかない。
そう観念したように、注がれていくコップの中の日本酒を、アメリアは呪いながら眺めていた。
その様子を、ひよこは楽しそうに眺めつつビールを飲んでいた。
ポエムのネタ帳に、今しがたの光景をメモしているのが、誠の位置からはっきり見える。彼女にはこの状況は『仲良きことは美しきかな』というポエムの一つなのだろう。
「オメー等!クラウゼを殺す気か!計画者は島田か!西園寺か!オメー等無事で住むとは思ってねーだろーな!ぶっ殺す!」
最初は和やかな雰囲気だと25キロのクエを一人で完食して余韻に浸りながら見過ごしていたランも、かなめ達のたくらみに気づいてそう叫んだ。
幼女の怒号がハンガーに響き、周囲の空気が一瞬でひき締まる。
島田、かなめ、サラ、パーラは、さすがに身の危険を感じたのか、人影にまぎれて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「大丈夫ですか、アメリアさん」
185センチを超える長身が売りのアメリアも、さすがにふらついていたので、クエを食べる手を止めて立ち上がって駆け寄った誠が声をかけた。
ここまで酔った彼女を見るのは初めてだ。その目は潤み、完全に理性が飛んで泳いでいた。
「だいじょうふ、だいじょうぶなのら!」
「大丈夫って……そうは見えないんですけど」
誠はついそうつぶやいていた。今度は完全な本物の酔っ払いである。
いつもなら白いはずの肌が、真っ赤に染まっている。
呂律の回らなさは、典型的な酔っ払いのそれとしか思えなかった。
「まことたん!まことたんね。あたしはね!」
アメリアはネクタイを緩めた。
誠は嫌な予感がして周りを見回したが、アメリアの事を熟知している隊員達は、見事なまでに一斉に視線をそらした。
完全な『見て見ぬふり』だ。全責任は計画者の島田とかなめにあり、その頭脳として協力した西、サラ、パーラのノリに乗っただけの被害者に過ぎない。その被害を誠が全部率先して被ってくれるならありがたいし、その結果面白いネタを見ることができればラッキーだ。島田の部下達にはそう言いたいような雰囲気がありありと見えた。
「誠ちゃん、あついのら……」
アメリアは酔った顔で、ブラウスのボタンに手をかけた。
「アメリアさん、苦しいんですか?」
そうであってくれ、と心から願いながら、誠はそう言った。
「ちがうのら!ぬぐのら!誠ちゃんにアタシの美しいボディを見せるのら!」
誠の予想は、最悪の形で裏切られた。そして、ギャラリーの男子たちには最高の展開となりつつあった。
「いきなり脱ぐんですか!」
驚きのあまり、誠は叫んでいた。
ネクタイを投げ飛ばし、さらに襟のボタンまで取ろうとしているので、思わず誠は手を出して止めた。
「もう知らねえよ……俺は。良いじゃん、神前。モテモテうらやましいよ」
各鍋を回って〆のうどんを肴に焼酎を飲んでいた嵯峨が、この光景を見てひとりごとを漏らした。
その顔には、『今日も平常運転だな』という諦めに近い笑みが浮かんでいる。
そんな中、修羅の形相のランは、人垣に隠れようとした島田を見つけて、周りの整備員に顎で合図を送った。
隊の尊敬を唯一集めている幼女の威光には勝てず、島田はあっという間に取り押さえられた。
『クバルカ中佐、これは違うんですよ!』という弁解は、誰の耳にも届かない。
続いてサラ、パーラが捕まって引き出されてくる。
三人を見て事態を悟った実行犯の西だが、これも瞬時に捕まり、ランの前に突き出された。
恐らく島田をそそのかした隊で一番悪知恵の働きそうなかなめは、すでに姿を消していたようで、技術部員や運航部の女子も、彼女の捜索のためにハンガーを出て行った。
「西園寺の馬鹿は後で『処刑』すっか。アイツはサイボーグだから多少無茶な罰を与えても平気だろ」
あっさりそう言うと、ランは引き立てられてきた四人を見下ろして、誠がこれまで見た事が無いような恐ろしい表情を浮かべていた。
竹刀を握る小さな手に、明らかに本気の力が宿っている。
「よっぱらったのら!誠ちゃん!ここで人口爆発をおこしてやるのら!」
アメリアが上着を脱ぎ棄て、スカートも脱ぎ捨て、下着に手を掛けながら叫んだ。
周囲の整備員達が、慌てて視線を逸らしつつも、ちらちらと見ているのが、余計にカオスだ。
ひたすらブラジャーを外そうとするアメリアの手を、誠は全力で押さえていた。
この状況で彼女を止められるのは、自分しかいない……そんな妙な責任感が肩にのしかかる。
ランは竹刀を技術部員から受け取って、アメリアのほうを向いた。
「オメーはしゃべんな。それ以上酔っぱらったら面倒だ!あと人口爆発はここで起こすんじゃねー!テメーの部屋でやれ!」
「そうれはかないのれす!わらしは酒のちかられ!」
そう言うとアメリアは誠に抱きついてきた。
アルコールと香水とシャンプーの匂いが、誠の鼻先を直撃する。
「なにすんだこの馬鹿は!」
天井からかなめが降ってきて、アメリアを誠から振り解こうとした。
配線ケーブルに器用にぶら下がっていたらしい。
しかし、運悪くそこにランの振り下ろした竹刀があった。
「痛てえ!姐御、酷いじゃねえか!」
そう叫んだかなめだが、自らの『嫉妬』ゆえの行動でまんまと最大の敵である『人外魔法少女』の目の前に舞い降りてしまった事実に気付いてすぐに顔が青ざめていった。
「主犯が何言ってんだ!島田にこんな計画性のある悪だくみは出来る頭はねえ!この一連の騒動を仕組んだのは西園寺……おめーだな?隊長。こいつ等どうします?」
ランは冷酷にかなめに竹刀を突きつけて、後ろで騒動を眺めていた嵯峨に尋ねた。
「俺に聞くなよ。まあ一週間便所掃除ぐらいでいいんじゃないの?まあ、この艦は三日で多賀港に着くわけだからそれ以前にその刑罰からは解放されるんだから。残りは男子下士官寮の掃除でもさせときゃ問題ないよ。24時間タイヤ引きとかサイボーグのかなめ坊と不死身が自慢の島田以外が死にそうな罰は止めてね。俺がパーラとサラと西がお前さんのしごきで死にましたって司法局本局に謝りに行くの嫌だから」
うどんを食べつくした嵯峨はそう言うと、何時ものようにタバコを吸い始めていた。
その適当さこそが、この部隊の『隊長らしさ』だった。
「神前……オメエ、そんなにアメリアがいいのか?それともカウラか?アタシじゃダメなのか?」
かなめの声が震えていた。
『今までの罵倒より、その一言の方がずっときつい……』
かなめの誠に向けられた視線は、怒りとも不安ともつかない複雑な色を帯びている。
「じゃあそう言う訳で。神前はアメリアを送って……」
「僕がですか!」
カウラと違って本気で酔っているアメリアの相手には、誠は身の危険を感じた。
このまま二人きりのエレベータなんて、想像しただけで胃が痛い。
「姐御!そんなことしたらこいつがどうなるか!アメリアの奴本当にその場で人口爆発を狙いますよ!それこそアメリアの思惑通りじゃないですか!」
かなめが叫んだのは、アメリアが誠に抱きつくどころか、手足を絡めて、そのまま押し倒そうとしていたのを見つけたからだ。
「西園寺!すべてを仕組んだオメーにそんなことを言う資格はねー!それともそこまで考えて仕組んだのか?婚活失敗続きの友達思いなのは良いがやりすぎだ。サラ、パーラ。オメー等はクラウゼの監視を頼むわ。便所掃除は免除してやっから。それと念のためひよこも付ける……運用艦の艦長が急性アルコール中毒で倒れたなんてなったら『特殊馬鹿』の汚名返上の機会がパーだ」
サラとパーラは、技術部員から解放されてほっと一息ついていた。
いつの間にか割烹着を脱いで制服姿に戻っていたひよこが、その後ろについていく。
ランのめんどくさそうな叫びで、宴はようやく終わりに向かい始めた。
誠は二人の手でアメリアから引き剥がされて、ようやく一息ついた。
Tシャツの胸元には、アメリアのネクタイの跡と、うっすらとした体温の名残りが残っている。
「大変だったねえ」
嵯峨が、どこから持ってきたのかわからないサイダーの瓶を誠に渡してきた。
ラベルはどこか昭和レトロなデザインだ。
「まあ、そうですかね」
技術部員の痛い視線を浴びながら、誠は大きく肩で息をした。
さっきまでの『英雄』の視線とは、まるで別物だ。
「ああ、神前。なんだか驚いているみたいだけど、きっとそのうち慣れるんじゃない?まあ、いつもこんなもんだよ。うちは」
誠の肩をぽんと叩いた後、嵯峨は去っていく。
ラムや焼酎や日本酒で出来上がった大人たちと、クエ鍋の残骸と、笑い声と怒鳴り声が入り混じるハンガー。
誠はいかに自分が『特殊』な環境に根付いてしまったのかを考えながら、サイダーを一気に飲み干そうとして、見事にむせた。
その様子を、まだクエ鍋の周りから散りきれない隊員達が、『ああ、またやって』といった顔で眺めていた。
……これが、この部隊にとっての『日常』なのだと、誠はようやく理解し始めていた。




