第73話 英雄をめぐる女達の『戦い』
初めての実戦、そしてそれは圧倒的な勝利に終わった。誠の周りの仲間達の表情は何処までも明るい。そんな中、一人カウラの表情だけが厳しかった。
「しかし……緊張するとすぐに吐瀉するとは……少したるんでいるんじゃないのか?貴様は確かに『法術師』と呼ばれる存在になった。それは紛れもない事実でたった一機のシュツルム・パンツァーで操縦技術が未熟としか言えない貴様でも、あっさりと巡洋艦一隻を戦闘不能状態にまで陥れたのは事実だ。ただ、そんな能力があったとしてもそもそも出撃すら不可能な体調で一体何ができる?この程度の重力の変化に対応できないようでは今後の出動に差し支える。それもこれも貴様の精神のたるみにあると私は見ている。クバルカ中佐の指導方針……精神も体力も、限界まで使い尽くして鍛えるという方針……は間違っていなかったことは今回の出動での最大の収穫だと心得ておけ」
医務室の自動ドアが閉まった途端、通路の空気が艦内特有の金属臭とオゾンの匂いに変わる。その瞬間を待っていたかのように、誠の腕をつかんだカウラが、じろりと横目でにらみつけてきた。そして始まる説教。そこにあの地獄の鬼教官であるランの異常とも思える強制ランニングを正当化するものであっただけに誠は言葉を失った。
「カウラ……こいつになんか文句あんのか?コイツは戦果を挙げた。戦果こそ軍人のすべてなんだ。アタシ等は『武装警察』だからそんなのは関係ねえって言いたい関係ねえって言いたいんだろうがな?だが、神前が巡洋艦一隻沈めたと言う事実は消せねえだろうが!目で見た物だけがリアルなんだ!あの『光の剣』の威力はオメエも見てたろうが。あの事実は消せねえんだ。ちんちくりんはただ自分の『仕事こそが人生』なんていうアタシから見たら迷惑極まりねえ信条を通しているだけだ。その結果神前が死んだらだれが責任を取るんだよ……その張本人のランの姐御は当然だがオメエもそれに加担したことになるわけだ。カウラには同盟機構の同盟労働管理局の管理官の説教を受ける必要があるみてえだな」
かなめの満面の笑顔が崩れてカウラに対する怒りに震える。
「そうですよ!カウラさん。それは誠さんの体質の問題です!誠さんが悪いんじゃありません!クバルカ中佐が言うような『気合い』や無茶な体力強化で一朝一夕で直るのならこの宇宙に宇宙酔いをする人も乗り物酔いをする人も一人もいないんです!そんな当たり前の話を無視する理屈は医療関係者として見過ごすわけにはいきません!」
今度はひよこが、いつものようにぶっきらぼうなカウラの物言いに、同時に噛みついた。
誠は三人の顔を見比べ、ばつが悪そうに頭をかいた。
「西園寺さん……良いんですよ……もう諦めてます。僕が『法術師』であるという地球人には考えられない超能力者であるのと同様に僕が吐くのは僕の持って生まれた宿命なんです……僕が吐かないような医療技術は地球の医療科学が進めば開発されるかもしれないですよね?僕はその技術が開発されるまで吐き続けます……まあ、そんな技術が僕の生きている間に開発されるかどうかは分かりませんけど」
誠はこれ以上女子のつまらないいさかいに関わり合いになる事よりもとりあえず休みたいと言う身体が要求する当たり前の話に従ってそう言うしかなかった。
『結局今回も……また吐いちゃったか……まったく、自分でも情けないけど、これが僕なんだからしょうがない。でもさっき言ったのは本音だな。地球科学は宇宙科学の研究もしてるんでしょ?乗り物酔いの研究もしているはずだ。だったらそれを防ぐ技術ぐらい……法術なんて理解不能な現象を研究しようって言うんだから出来て当然だよね?』
長年付き合ってきた『吐瀉癖』という体質は、もはや誠にとっては、靴擦れしやすい足先くらいには『自分の一部』になっていた。恥ずかしくても、消せない。それは自分が誇るべき『法術師』という異能力者であるのと同様に誠とは切っても切れない自分の能力だと割り切っていた。そして、地球人にも『宇宙酔い』や『乗り物酔い』をする人間がいることは誠も知っていたので、地球人がそれを防ぐための技術を研究しているのならその恩恵にあずかるくらいのことは遼州人である自分にもあると考えていた。
そんな空気を、軽く手刀で断ち切るように明るい口調が誠の耳に飛び込んできた。
「まあまあ、ここは私の顔を立てて穏やかに行きましょうよ!それに誠ちゃんが『吐く』のは誠ちゃんのおいしい個性!それが無くなったら誠ちゃんは誠ちゃんじゃなくなっちゃうわよ!吐くことこそが誠ちゃんの『芸』なのよ!」
ゆるんだ糸目と、あまりにも場違いな明るさ。アメリアが、ぱん、と自分の手を叩いた。
ただ、アメリアの誠の肯定理由が『常人では考えられないような環境の変化でも吐く』という誠にとっては不都合極まりないことにある事だけは誠には認めることができなかった。誠は好きで吐いている訳では無く仕方なく吐いていると言う自覚はあった。
「それに今日の宴会の主役は我等がヒーローである誠ちゃんよ!なんでも『釣り部』がとっておきの『クエ』を出すから、『クエ鍋』なんですって!良かったわね、誠ちゃん!これも東和共和国がその『法術』を駆使して地球の日本近海の魚介類を国力を傾注して集めまくってありとあらゆる魚介類を東和近海にもたらしてくれたおかげよね!おいしいらしいわよ!『クエ』って!」
アメリアは完全に『食べるのが楽しいモード』でそう叫んだ。
「あの、『食に命を賭ける』ことで知られるランちゃんも今回『クエ』が出るって聞いたら目の色が変わってたもの!その点では『ビッグブラザー』には感謝しなきゃ!旅行なんてその乗り物酔いでしたことが無い誠ちゃんは『クエ』なんて高級魚食べるのは初めてでしょ?あの食通としてはその道で有名なランちゃんが言うには美味しいらしいわよ『クエ』って。その食通で知られるランちゃんが先月、白浜半島に旅行に行った時にそのコースを食べて『アレは人が言うだけのことはある』って言ってたぐらいだから。あの食通なのにあまり素材を褒めないランちゃんが言うんだから間違いないわ!まあ、大きな魚らしいから下ごしらえには一時間くらいかかるみたいだし、それまでは会場設営の時間があるからちょうどいいわね!」
その声は、純粋に誠をいじって楽しむお姉さん気質と、『宴会』という単語への期待で弾んでいる。
「『クエ鍋』?なんだよ『クエ』って。名前が気に食わねえな。『食う』から鍋だろ?とっておきなら高級魚と言えば『トラフグ』とか『アンコウ』とかじゃねえの?『クエ』なんて聞いたことがねえぞ……ランの姐御の趣味だろ?あの人は時々俺には理解不能な食い物を勧めて来るからな。『酒盗』とか『タラの白子ポン酢』とか俺は認めねえからな!珍味で祝勝会なんて働いた整備班の俺の兵隊に対する俺の面子がつぶれることになる」
島田がまじめなのかふざけているのかわからない顔で、隣のサラと見つめ合う。
二人とも、誠でも知っているような高級料理の常識がきれいに抜け落ちているらしい。
「島田君……『フグ』はね、養殖ができるから安いのがあるの!『アンコウ』の方は獲るのに底引き網漁を使うから、獲れるときはいっぺんにたくさん獲れるわけ。でも『クエ』は一本釣りとかはえ縄とかそれなりに手間のかかる漁法を使っても滅多に獲れない幻の魚なの。うちの『釣り部』だって年に数回ぐらいしか食べないんだから……それにどうせ島田君がランちゃんから勧められた『酒盗』と『タラの白子』だけどどちらも鮮度が命の代物よ。どうせ、島田君はバイクで出かけてった先でいつ作ったか分からないような売れ残りを買ったんでしょ?ちゃんと目の前にランちゃんがいる状態でどっちも食べて見なさいな。どっちもおいしいわよ。私もランちゃんが言う『おいしいもの』はランちゃんと一緒に食べるようにしているから。まあ、クエはそんなことしなくてもネットで調べればおいしい魚の上位に入ってくる魚だからそんなことはしないけど」
アメリアが、呆れ半分・自慢半分の口調でフォローを入れる。
「年に数回もそんな幻の魚のクエを食べるって……うちの『釣りマニア』はどういう食生活を送ってるんですか?相撲取りだって西の果ての福山場所の時に横綱が年に一度食べるのが最高の贅沢だとこの前テレビでやってましたよ……あの人のエンゲル係数ってどうなってるんですか?あの人の昼のメニューの注文を頼まれてる僕としては心配になってきますよ」
誠は思わず本音を漏らした。彼らが魚だけでたんぱく質を摂っているのは知っていたが、それにしても常識の基準が違いすぎる。
「西園寺中尉!」
突然、アメリアが声を張り上げる。通路の空気が、一瞬だけ『軍隊モード』に切り替わった。
「なんだよ、アメリア」
かなめは嫌々ながら姿勢を正し、アメリアのハイテンションに付き合う。
「私は『少佐』でこの『ふさ』の艦長なの。かなめちゃんは『中尉』。指揮権の格が違うってわけ、わかる?」
糸目を細めながら、口元だけはにっこり。言っている内容は、ほぼ嫌味である。
『ハイ!少佐殿』
普段、自分が貴族制国家最上級の貴族でサディストの限りを尽くし数多くのM男を従えた『女王様』としてふるまっているだけに、その上に乗る階級差を突きつけられては、さすがのかなめも逆らいづらい。わざとらしい大声で敬礼してみせる。
「西園寺中尉はガスコンロ等の物資をハンガーに運搬する指揮を執ること!ラビロフ中尉!グリファン少尉!島田曹長!」
アメリアの視線が、パーラ・ラビロフ、サラ・グリファン、島田正人に向かう。
『ハイ!』
三人は声を揃えた。
「以上は会場の設営の指揮を担当!以上!かかれ!」
『了解!』
すでに慣れきっているのだろう。アメリアの急な『艦長モード』にも眉ひとつ動かさず、三人はきびきびと廊下を駆けていった。台車の軋む音と、コンロの金属音が遠ざかる。
「ひよこちゃんは食堂に行って私に『釣り部』の調理の進行状況を逐一知らせること!それを参考に宴会の段どりとか考えるから」
「わかりました」
すっかり『宴会部長』の座に落ち着いているアメリアの指示に、ひよこは素直にうなずき、小走りで食堂方向へ消えていく。
「僕とカウラさんはなにを?」
残ったのは誠とカウラの二人。アメリアの『おもちゃ箱』から何を取り出されるのか分からず、二人とも微妙に顔が引きつる。
「ああ、誠ちゃんは主賓でしょ?それにカウラちゃんはいい子だからそのお供。誠ちゃんはまたいつ吐くか分からないでしょ?今頃は、『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐が、ご自慢の『いい酒』を選んでいるころだと思うけど……どんなお酒を飲ませてもらえるのかしら?今から楽しみだわ♪ああ、ランちゃんは上下の関係には厳しいから『駄目人間』で味の分からない隊長以外の部長級以外は飲ませてもらえないからカウラちゃんは諦めてね。誠ちゃんは……今回のヒーローだからご相伴にあずかれるかもよ♪」
そう告げると、アメリアは手を振り、くるりと踵を返して、さっき出てきたばかりの医務室に引き返していった。
「病人の看護はひよこちゃんの領分だと思うんですけど……まあ、僕はもう元気なんで病人では無いですね。そう言えばアメリアさんはどこに行くんですか?」
誠の素朴な疑問に、アメリアはドアの前でこちらを振り返り、いたずらな笑みを浮かべる。
「当然、隊長に持ってきた自分用の甲種焼酎以外の酒の供出を要求するわけ。何かあった時に『甲武国』の偉い軍人さんに贈る用の高い酒も持ってきてるはずだから。一応、ああ見えても甲武四大公家末席の殿上貴族だからそれに見合う酒くらい持ってきてるでしょ?どうせあの人には、どうせ甲種焼酎みたいな安酒しか口に合わないって公言してるし」
その一言で、誠は気づく。
小遣い3万円の嵯峨から平然と秘蔵の酒を没収するアメリアは、別の意味でこの部隊きっての『鬼』だった。
アメリアが去り、誠とカウラは、並んで格納庫へ続く廊下を歩き出した。床のワックスはまだ新しく、照明が反射して、歩くたびに足元で白い線が揺れる。遠くでは、「ヨイショー!」という技術部員の掛け声と、コンロや折りたたみテーブルの金属音が響いている。
一方で、運航部の『ラスト・バタリオン』の色様々な髪の色の女子士官たちが、台車にビールケースや焼酎のボトルを山積みにして移動していく光景も目に入った。
「何でこんな用意が良いんですか?慣れてるんですか?こういう宴会には……こんな激戦になる出動は初めてだと思うんですけど……」
次々と出てくる宴会用品に呆れながら、誠はカウラに問いかける。
「確かにこの戦いは『特殊な部隊』にとっては初陣と言っていい。ただ、演習自体はこれで三度目だ。その度にアメリアがあの口車でうまく段取りを組んでいるし、島田の腕力が怖くて技術部の連中も島田の思いどおりに動く。貴様は何も気にする必要は無いんだ。でも……いいんじゃないのか?たまに楽しむのも」
カウラは変わらぬ淡々とした表情で、脇をすり抜けていく技術部員たちの不思議そうな視線を見送っている。その横顔は涼しげで、戦場での尖った気配は今はない。
……誠と二人きりで歩いていると、胸のあたりが落ち着かない。
カウラは自分の胸の違和感に、名前をつけられずにいた。
戦場で高ぶる心拍とは違う。
敵に狙われた時の、冷たい緊張とも違う。
ただ、誠が立ち止まりでもしたら、自分も足を止めてしまいそうになる、その感じ。
……缶が少し熱すぎやしないか、と、いつもなら気にしないことまで気になった。
「アメリアさんと島田先輩の部下が言うことを聞くのは分かるんですけど……そう言えば『釣り部』の人は見ないのですが、調理中ですか?全員で料理するほど『クエ』って手がかかるんですか?」
誠はクエという魚について詳しくない。純粋な疑問をそのまま口にした。
「ああ、あいつ等か?魚類にすべてをささげ、『神』とあがめる連中だからな。これからそれを食する前に『神』に祈りでも捧げてるんじゃないか?私も『クエ』という物がどういう魚かは知らない。私の行く魚屋にも置いてないしましてやパチンコの景品にもないものを私が知るわけが無い」
カウラは自分でもそんな冗談が自然に出て来るのがこの『特殊な部隊』での1年半ではありえないことだと自覚していた。誠を見ていると何かを話したくなる。そんな自分を抑えることができない。そして誠に自分と一瞬でも長く時間を過ごしてもらいたい。カウラの心にはそんな思いが交錯していた。
「はあ……」
そんな心理状況のカウラに対し、誠は、数日間で知った彼らの『釣り』に対する狂信的な情熱を思い出していた。
正直、誰か隊員ひとりくらいを魚の神への生け贄に捧げていても驚かない気がしてきている自分がこわい。その『釣り部』の釣りに対する信仰に近い姿勢に誠は『ふさ』を目にした瞬間から飲まれていた。
「土鍋、あるだけ持ってこい!そこ!しゃべってる暇あったらテーブル運ぶの手伝え!」
エレベーター前では、島田が派手な身振りで部下たちを指揮していた。土鍋の山、折りたたみ椅子の山、ガスボンベの箱が行き交う。
「島田先輩!」
誠が声をかけると島田が威嚇する視線を誠に向けてくる。
「おう、ちょっと待てよ。とりあえず設営やってるところだから。そこの自販機でジュースでも買ってろ 俺はおごらないがな!」
島田は即座に返事だけして、再び作業に戻っていく。
「そうだな、誠。少し休んでいくか?」
カウラが、自然な調子で名前を呼んだ。
誠は一瞬、『誠』と呼ばれた音だけを頭の中で繰り返す。そこには、敬称も階級もついていない。そしてカウラが人を呼ぶときの『貴様』でも無かった。
「どうかした?」
カウラは、エメラルドグリーンの瞳をこちらに向ける。その瞳には、いつもの冷静さと、わずかな戸惑いが混じっている。
「そうですね。ははは、とりあえず座りましょう」
誠は頭をかきながら、エレベーター横の簡易ソファに腰を下ろした。
カウラも隣に腰を下ろす。座面が沈む感覚で、お互いの体温の距離が測れる。
「何を飲む?遼州名物マックスコーヒーで良いか?」
そう言ってカウラはタイトスカートのポケットから小銭入れを取り出す。
「甘いの苦手なんで、普通のコーヒー。出来ればブラックで」
カウラは無言でうなずき、自販機の前に立つ。小銭をつまむと投入口にいれ、慣れた指の動きでボタンを押す。
ガタガタと音を立て、熱い缶コーヒーが落ちる。
「熱いぞ、気をつけろ」
カウラは缶の熱さを指で確かめてから、誠に手渡した。その手付きが、妙に慎重だ。
「どうだ? ここの居心地は」
自分は野菜ジュースを選び、プルタブをプシュッと開けながら、カウラが静かに尋ねる。
司法局実働部隊『特殊な部隊』……編成されてまだ二年半。
カウラ自身も、東和共和国陸軍から転属した当初、嵯峨の強烈な個性に引きずり回されて、東和陸軍での軍隊らしい常識が一切通用しないこの部隊に何度か『ここは軍なのか?』と首をひねった覚えがある。
「出動の後はいつもこんな感じなんですか?」
誠は隣に座るカウラの緑の髪を横目に見ながら、ブラックコーヒーをそっと口に運ぶ。缶の縁から立ち上る湯気が、微かに顔に当たる。
「出動は、部隊創設以来二回目だ。それも前回は出動準備はして大気圏を出た段階で出動命令が取り消されて帰って来ただけだからな。我々の主たる任務は東都警察の特殊部隊の増援、同盟加盟国の会議時の警備の応援、災害時の治安出動などが多いな。もっとも、最近は千要県警の縄張り意識が強くなってきて、そんな華のある仕事なんて回ってこないから、あちらの人手が足りないということでスピード違反の検挙の応援や路駐の摘発なんてことしかしないこともある。アレは明らかに県警の嫌がらせだな」
カウラの言葉に誠は思わずげんなりした顔をした。そして気分を変えようと目の前を走り回る整備班員に視線を移す。その動きは一切無駄がなく、走り回っているというのに一切ぶつかるようなことは無い。
「はあ、それにしても慣れてますね、島田先輩達」
手際の良さに呆れながら、誠がそうつぶやく。
「今回のように高級料理を出すわけでは無いが、演習の後は宴会をするのがここの習慣だ。貴様もいずれ慣れるだろう」
カウラは野菜ジュースを一口飲む。
……なぜ、自分はここまで自然に『隣に誠がいる状態』を受け入れているのか。
戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』としてロールアウトして初めて受ける社会適応訓練時代にも、社会適応指導官の指導の下で訓練の一環として同期ロットの『ラスト・バタリオン』同士で酒を飲み交わしたことはある。でも、あの時と今は違う。
誠の体調を気にし、吐くかもしれないからそばについている、という理由は、半分は本当だ。
残りの半分は……何なのだろう。
言葉にしようとすると、喉の奥で何かがつかえる感覚がして、カウラはその思考を途中で切り捨てた。
設営準備のため、エレベーターから出入りする技術部員や運航部の女子たちは、ひっきりなしに食堂とハンガーを往復している。彼らの間を、二人だけがぽっかりと空いた空間で座っている。
「何してんだ? お前って……カウラ!」
コンロを抱えたかなめが、ちょうどエレベーターから出てきて、二人を見つけた。
誠は思わず、缶コーヒーを持つ指を強く握りしめ、視線を逸らす。
「カウラ……テメエ、また何か企んでるな?こいつはアタシの『下僕』だぞ、勝手に餌をやんじゃねえ!神前はアタシを助けるために『法術師』として覚醒したんだ!つまりアタシは神前の恩人だ!その恩人を差し置いてとなりでなにもしねえでアタシを見殺しにした薄情者がアタシを差し置いてそのアタシのおかげで『法術師』になれた野郎とどうしようって言うんだ!正直に言え!」
自分が命を助けられたという意識はかなめの中では全く無かったことになっているんだと誠はかなめの言葉から理解してかなめの思考回路の特殊性を理解した。
「私が何を企んでいるというんだ?それに、私は水分を与えただけだ、餌はやっていない」
カウラは相変わらず冷静だが、その目には、わずかに『譲る気のなさ』が灯る。
「バカ野郎!こいつはアタシの部下なんだからな!オメエは外野!どっか行ってろ!コイツに餌をやっていいのはアタシだけだ!」
かなめはカウラをにらみつけて敵意をあらわにする。カウラはと言えばかなめの理論があくまで自己中心的で自分のことしか考えていない隙を突こうと身構えていた。
「それにしては、随分と扱いが雑じゃないか?それに命を助けられたのは貴様だな。つまり貴様は神前に比べて価値が無いと言うことを意味している。私の言葉に矛盾は有るか?無用な軍人は背後に下がっていろと神前に向けて何度も言っていたのは貴様だな?つまり今の貴様はその時の神前と同じ状況にあると言うことだ。貴様はアメリアの指示に従って作業員として宴会場設営に専念しろ。役にたたない軍人は無用なんだろ?」
怒りで目を吊り上げるかなめを前に、カウラの口調は水面のように静かなまま。
かなめが本気で怒っているのを見るのは、誠にとっては恐怖であり、同時に……なぜか、少しだけ嬉しくもあった。
自分のために怒ってくれている、その事実だけは、素直に温かかった。
「あん時は叔父貴に騙されてただけだ!コイツはそれなりに使えるのはそん時は知らなかった!それを小隊長権限で知ってたからってそれが自慢か?だから神前とのんびり休んでていいって理由になるのか?だってそうじゃないか。人がこうして額に汗を流して宴会の準備をしているのに……」
かなめはコンロを床に置き、誠とカウラに詰め寄る。額にはうっすら汗がにじんでいる。
「それは理由になるな。それにあれだけ隊長が神前には何かの『力』があると言う言葉を信じられなかった貴様の自業自得だ。それに今している作業はアメリアの指示だろ?あいつは一応『ふさ』の艦長だ。この艦では部隊長の嵯峨特務大佐の次に高い地位にある。当然の話だろ?」
「う……」
軍と同等の指揮命令系統を持つ部隊で、上官の命令を持ち出されると、さすがの『女王様』も言い淀しかなかった。
「それにまだ神前の体調は本調子ではない。もしまた口から何かを吐く可能性がある。そうしたら誰かが掃除をしなければならないだろ?」
カウラはまるで誠がまた体調を崩して嘔吐することを楽しみにしているように嬉しそうにそう言った。
「カウラさん。僕は猫じゃないんで、自分で掃除ぐらいできますよ。それに僕は好きで吐いてるわけじゃないんで。そんな趣味は無いんで」
武装していないカウラには遠慮なくツッコミを入れられる誠だった。
筋としては完全に正しい。だが、かなめの胸の奥には、得体の知れないもやもやした感情が溜まり始めていた。言葉にしづらい、しかし確かにそこにある焦り。
「それとも何か? 神前が吐いたものを掃除するだけの家事能力が貴族生まれの貴様にあったら変わってやってもいいぞ?どうだ?出来るのか?私はロールアウト時の社会適応訓練で覚えたぞ?貴様は人造人間にも劣るのか?愚かな奴だ」
カウラの静かな一言に、かなめの顔が真っ赤になる。
「馬鹿野郎!何でアタシがそんなことしなきゃならねえんだ!こいつの吐いたものはテメエが片付けろ!アタシはそんなメイドの真似なんかしねえかんな!」
「そうか。じゃあ消えろ……仕事を済ませて喫煙所でたむろっていればいい。私は貴様より役に立つ部下の世話をすることにする。これは当たり前のはなしだ。貴様も常々そう言っているじゃないか」
淡々とした口調で、しかし容赦なく。
カウラは『誠のそば』という場所から、かなめを一歩外へ押し出そうとする。
自分でも、その行為の根っこにあるものに名前をつけられない。
ただ、『他の誰かに譲りたくはない』という感情だけが、はっきりと胸の中心にあった。
「西園寺さん後ろがつかえてるんですけど」
幼い顔つきの整備班のつなぎ姿、西高志兵長が、いつ切れてもおかしくないかなめの背後から、おそるおそる声をかけた。大きな折りたたみ椅子を両手に抱えたまま、困ったように身じろぎする。
「うるせえ!餓鬼!これ持ってハンガー行け!」
かなめは反射的にコンロを西の腕に押し付けた。
すでに椅子を持っている西は、体勢を崩しながらよろける。
見かねた隣の兵長がすぐにコンロを受け取り、二人してエレベーターへと流れていく。
「おい、カウラ!アタシはテメエのことが気にくわねえ!戦うだけの文化レベルゼロの戦闘人種とは、高貴で『雅』な平安貴族の末裔のアタシは合わねえんだ。アタシが戦うだけの女じゃねえことをコイツに教えてやるんだ!」
かなめは胸を張って宣言する。コンロを押し付けた肩口が、まだ少し震えている。
「貴様が『雅』?面白い冗談だな。どこが『雅』か私にわかるように説明してみろ」
「そんなの出来るか!『雅』の何たるかは生まれで決まるんだ!」
完全に理屈を捨てて、血筋に頼る宣言。
それに対してカウラはあくまで理詰めだった。
「そうか、なら丁度良い、まもなく甲武の領域を通過する。そのまま実家の西園寺御所に帰って居候達と遊んでろ」
「何だと!」
いつでも殴りかかってもおかしくない体勢で叫ぶかなめ。
それを受け流しつつ、カウラはタイミングを見計らって反撃の言葉を差し込んでくる。
誠は、自分が原因である以上、どこかで止めるべきだとは思っている。
だが、遠巻きにニヤニヤと眺めている技術部員や『ラスト・バタリオン』の女子のブリッジクルーの、『あーまた始まった』という生暖かい視線を背中に浴びていると、割って入る勇気が出てこない。
……英雄をめぐる戦い、というにはあまりにも庶民的で、でも、確かに『自分の場所』を主張している二人の女の声がハンガー前の通路に高く響いていた。




