第70話 闇に咲く二発の花
雑音がわずかに増えた。誠のヘルメット内、骨伝導のノイズキャンセルが微かにうなり、開いた回線に低い焦りが混じる。
『姐御!『那珂』がセンサーの感度上げてきたぜ!どうすんよ!さすがにアタシの機体の光学迷彩とジャミングがあっても位置を感知されるぞ!05式は運動性を上げるためにパルスエンジンの波動が大きい!連中もそれくらいの05式の欠点くらいは知ってるはずだ!どうすんだよ!』
かなめの声はいつもの『強気』に、薄い汗の塩味を足したような色があった。誠の全天周囲モニターには、黒の中の黒……星間塵すら飲み込む影の揺らぎだけが、彼女の存在を示している。
『西園寺!通信をしてくるな!自分から敵に見つけてくださいと言うような行動をするんじゃない!貴様はスタンドアローンじゃなきゃ意味が無い!そんなこともわからんから貴様は何時まで経っても『女王様』なんだ!それに近藤が自棄になってそうすることも隊長から言われている!すべては想定通りだ!隊長が思いついた近藤が取りうる行動パターンの一つの中で隊長が想定した『近藤が取りうる行動パターン』の中で、いちばん『最高の結果をもたらす』って言ってた行動を、今まさに近藤は取っている!それだけの話だ!近藤は自分で最悪の最期を選びつつある!そう信じて黙っていろ!』
カウラの『特殊』なツッコミが走る。口調は平板なのに、まるでかなめが狙い撃ちにされることを嵯峨が望んでいたかのような思惑が、誠の胸に刺さった。
『今度は西園寺さんの番か……僕が拉致されたのも隊長が僕についてあること無いこと地球圏や遼州圏の元地球人の国にばらまいたのが原因だって話じゃないか……。隊長は今度は西園寺さんを使って何をしようって言うんだ?そんなに部下を……いや、隊長にとっては姪をおもちゃにするのが楽しいんですか?性格悪すぎでしょ……少し……いやかなり……僕は今隊長を軽蔑しています』
誠は口には出さないがそんなことを考えていた。部下を平気で囮に使う非情な男。しかも、囮になった本人以外のほぼ全員がそのことを知っている。そしてかなめが囮にされると言うことを自分が知らされなかったと言うことはまた誠が嵯峨に利用されるのだろうと察して誠の嵯峨への敬意は憎しみに変わった。……それでも、自分の足は隊長の敷いた盤面の上から一歩も外へ出られていない。その事実が、いちばん腹立たしかった。
『今の通信位置で僕の機体のセンサーでも西園寺さんの位置は大体は分かった……西園寺さん……これ以上あの『駄目人間』のおもちゃになる人間は必要ありません……僕が最後で良いんです』
そんなことを考えながらカウラ機への攻撃意思を示した敵機に止めを刺しているランの侵攻ルートから外れて、誠はかなめが光学迷彩で身を隠している宙域へと機体の進路を変えた。
『カウラの言葉に付け加えて言っとくとだ。どうせ死ぬのは西園寺だけだろ?いーんじゃねーの?自分の荘園から得た貴重な税収をやれ酒は『レモンハート』じゃなきゃ嫌だだのタバコはキューバの『コイーバ』以外は吸わねーだの無駄遣いばっかりのオメーが死ねば、その荘園で働いてる平民の迷惑も半減するわけだ。甲武の貴族主義の闇も近藤の旦那を潰せば軽減するからそのついでに近藤の旦那と一緒に死んだらちょうどいーじゃん。世の中がそれだけ平和になる。世のため人の為、近藤の旦那の死出の道行きの道案内でもしてやれや。オメーの親父も跡継ぎが飛んでもねー馬鹿娘だとアタシに言ってきたことがあった。親からも見捨てられてるオメーだ。安心して死んで良ーぞ』
ランはあっけらかんと『見捨てた』と言いながら、声の裏で駆動音が半音上がる。誠の機体の背後で『紅兎』のベクトルノズルが白い針を散らし、スクリーンの端に刀身のような残光を引く。
『ひどいぜ、姐御。アタシは見殺しかよ……どうせ叔父貴の差し金だろ?あの糞中年……もし生きて帰ったら射殺してやる……ってアイツは何度射殺しても死なねえからな……帰ることができたら好きなだけ射撃の的にしてやる!』
かなめの声だけは、影の中でなお軽口を残す。
『サラ!『那珂』と僚艦の動きは!近藤の旦那が狙いを西園寺一人に絞ったとなると変わって来ただろ?西園寺には甲武では人望ゼロだ!アイツ一人が狙いと決まればそれまで出撃を渋ってた『官派』に身は置いてはいるもののわが身が可愛い連中が動くぞ!そっちはどーなってる!』
ランはさすがに虐め過ぎたと悟ったのか、周波数を切り替え、管制へ。
『はっ、はい!現在、『那珂』と行動を共にしている『官派』反決起派のシュツルム・パンツァーパイロットは近藤中佐には同調せずに出撃を拒否していたのですが……かなめちゃん『だけ』が相手になったとなると何機か出てくるんじゃないかって……隊長が言ってました……本当にかなめちゃんは国では嫌われているんですね……』
サラの報告の背後で、隊長室の蛍光灯が鳴る『ジ…』という音が混じった気がした。
「西園寺さんって……嫌われてるんですか?確かに年中甲武でも銃を持ち歩いて何度も発砲している人を好きになれと言う方が難しいのは分かるんですが……あの人のお父さんの西園寺義基という宰相をしている人は『戦争を止めた英雄の外交官』として有名なんでしょ?それにしては扱いがひどくないですか?」
誠は思わず呟く。吐き気止めの苦みがまだ舌に残っている。誠はただひたすらかなめが伏せている宙域へと出力を限界まで上げる。あの『特殊な部隊』に残ると決めさせた人物は、他でもないかなめだった。彼女をこんなところで死なせるわけにはいかない。例え本国ではいくら嫌われている姫君であっても誠には本気で誠を引き留めたかなめを見殺しにする事は出来なかった。
『連中は西園寺の父親に冷遇されている現状を近藤から指摘されてクーデターへの協力をしたんだ。ただ、甲武の刑法は重いことは分かっているし、巻き込むのが軍人ではなく同盟機構の警察部隊である我々であるということで出撃をためらっていたんだ。そのためらっていた最大の原因である無関係な東和国民を巻き込む遠慮が無くなった今、連中に容赦をする理由は無い。国賊を殺した『志士』と呼ばれたい。そんな衝動で今出てきた後続の部隊は動いている。その貴様の機体の進路……クバルカ中佐の指示したそれとは違うな?まあ、いい。そうするだろうと隊長も中佐も予見していた……そして私も……』
カウラが言い切ると、05式電子戦特化型の背部ランチャーから銀砂が噴いた。『那珂』の手前で自爆し、粉になった金属がレーダー帯域を曇らせる。静かなチャフの雪。
『カウラ、済まねえな、チャフを撒いてくれたか。これで近藤の旦那の檄に日和ってた兵隊の目からしばらく逃げられる。しかし、それだけか?同僚が身の危険に瀕してるんだぞ?もっと何かしてくれても良いんじゃねえのか?こっちに向かってるのは神前だけか……オメエ等の中でアタシの身を案じてるのは長い付き合いのカウラじゃなくって神前だったってことか……神前!オメエ、本気でアタシを助けたかったらバックパックをパージしな……弾は足りてる……それを捨てても問題はねえ』
かなめの声は静かだ。静かだが、刃の音がする。誠はかなめに言われて、ようやく気付いた。予想より機体の巡航速度が出ないのは……かなめの言う通り、05式狙撃型用の230mmロングレンジレールガンのマガジンを満載したバックパックのせいだ。
誠はそれをパージし、さらに加速を続けた。
『まあいいや。カウラなんかに期待したアタシが馬鹿だった。アタシは結局、孤独な『スナイパー』なんだよ。アタシは確実にそいつを『無力化』する。それが『スナイパー』。そしてそれがアタシ流の『女の闘い』。役立たずの神前?あんなの戦力に数えてねえよ。せいぜい弾避けに使えるくらいだ』
『那珂』の後方から、六つの新しい光点が等間隔の呼吸で近づいてくる。誠のHUDが機種判定を弾き出し、赤字で上書きされた。
『やべーな。今度出てきたのは旧式の『火龍』じゃねー。最新式のシュツルム・パンツァー『飛燕』だ……しかもおそらく有人……凄腕が出てくんぞ。西園寺。覚悟は決まったか?簡単にオメーに死なれると『人類最強』であるアタシの見せ場が無くなる……というか隊長のプランが狂うから簡単に死ぬなよ……オメーには『ビッグブラザーの加護』はねーのは連中も知ってるから本気で勝負を挑んでくるぞ』
ランの声とほぼ同時に『紅兎』が前傾し、薄刃を滑らせるような推力変化で突入。カウラも角度を変え、帯域を切り替える。だが、誠の感覚では……ランの今いる距離では鈍足なランの05式は間に合わない。かなめは孤立して包囲されて集中砲火を浴びて撃墜され、ランもまた直撃弾は『ビッグブラザーの加護』ゆえに食らわなかったとしても敵艦が照準も定めずにミサイルを乱れ打ちしてくればその巻き添えを食らうことになる。ただ、いち早く嵯峨の悪だくみに気付いた誠だけがかなめの居るらしい宙域に届く範囲にいる。その事実だけを頼りにひたすら誠は突撃を続ける。
「クバルカ中佐!中佐の位置では機動性に勝る『飛燕』の方が西園寺さんの居る位置に先に着きます!それに敵艦がアクティブセンサーの感度を上げてきたってことは艦砲射撃で西園寺さんを殺すつもりですよ!それにカウラさんも!電子戦用の機体でそんなに突出するなんて最新式の『飛燕』とやりあうなんて無理ですよ!待っててください!」
焦りが声の端を焼く。狙われているのはかなめだが、カウラ機も直撃弾を狙わずに榴弾系の弾丸を選択して発生する衝撃波での破壊を狙うぐらいの頭が『飛燕』のエースパイロット達にあれば『ビッグブラザーの加護』から無縁でいられるくらいのことはこれまでの敵の攻撃の状況から見ても誠には理解できた。敵は圧倒的な数を生かし、そのシステム的不利を覆す方法を学びつつある。その状況は誠の機体のレーダーに映る敵の新鋭機『飛燕』の多くがかなめの伏せていると思われる宙域に向う隊とカウラの機体に向う隊の二つに分かれたことで理解できた。この場ではベテランパイロットのランが孤立している状況は相手にすれば間違いなく自爆かランの手際による瞬殺の運命しか待ち受けていない敵『飛燕』のパイロットにとっては最高の状況と言えた。
『神前か?確かに敵がレールガンの特性である装甲貫徹力を捨てて榴弾による間接攻撃だけを考えてくれば私の機体の周りに時限信管付き榴弾をバラまいて私の機体に損傷を与えるだろう。いくら05式でもシュツルム・パンツァーが飛行戦車と違って人型兵器である以上、致命傷になるような部分にその損傷があれば私は死ぬかもしれない。しかし、貴様のように普通に『人間』として生まれた男にはわからないだろうな……私は結局戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』なんだ。かつてのナチスドイツの理想とした『戦闘のために作られた先兵』そのものだ。戦場以外では、私は単なる『依存症』患者。だから戦う。それでいい』
カウラは指向性ECMを背のラックへ戻し、代わりに230mmカービンを引き抜いた。『飛燕』の230mmレールガンで長射程を生かす徹甲弾ではなく炸裂系の榴弾を発射するならそれで対応可能とカウラは判断したのだろう。カウラが背中のラックから230mmカービンを引き抜く音が宇宙に『聞こえた』気がする。無音のはずなのに。
『電子戦支援機の援護なんて要らねえよ、実弾の飛び交う戦いを考慮に入れていないカウラの支援なんざ。カウラの狙撃はワンヒット・ワンキルの戦いだろ?弾の無駄だ。アタシ等狙撃兵の戦いはワンヒット・ツーキルなんだ。それにアタシの身体はサイボーグ化済みだ。弾が届けば当たって当然。外れる生身の気が知れねえな。生身の射撃のお上手な連中とは格が違うんだよ。それと神前よ、二股なんて童貞の癖に生意気だぞ……生存確率の高いカウラの方に行け……アタシの覚悟は決まってる……近藤のおっさん並みにな』
かなめの悪態と同時に、誠のレーダー左端……点滅、爆散。『飛燕』のコックピットが内側から白く咲く。ジャイロが死ぬ瞬間の、あの独特の『身体が前に置いていかれる』感覚が、誠の腹にも幽霊のように過ぎる。
かなめは息を継がず続ける。
『神前、いいこと教えてやんよ。アタシの体は『軍用義体』なんて呼ばれちゃいるが、本当に『軍』が戦争にこの手の体を持ち込むのは『違法』なんだ』
「違法?使っちゃダメなんですか?」
『そうだ。兵隊をサイボーグにしたら強い軍隊ができるが……人道的にどうか?って話だ。軍人を全員改造してサイボーグにすればそれこそ強い軍隊ができるが、地球圏も遼州圏もそれを望んでいねえ。あんだけ数十年に一回は核戦争を起こして自国は何人死んだと自慢して援護した大国に助けを求める為だけに人口をむやみやたらと増やす地球圏の連中でさえだぞ』
「確かにそうですよね。サイボーグは色々と問題がありますから。サイボーグ技術が進んでいる東和でも時々サイボーグの暴走事故とかの話は聞きますし」
『だから、対人地雷や毒ガスなんかと同じで、どこの星系でも自分からサイボーグを戦線に投入することはしねえんだ。核に関しちゃ……地球圏は核を中心とした戦争しかしねえな。半分は遼州人の血を引いてるアタシもその考え方だけは理解できねえな。アイツ等の違う物を認めない考え方……甲武の貴族主義者のそれ……近藤の旦那の思想そのものだ。ああ、脱線したな、でもまあ地球人の事だ。ロボットに反乱起こされたら遼州の二の舞とでも思ってんだろ。そんなロボットもどきのサイボーグの戦時利用の禁止……それは『兵隊さん限定』のルールなんだ。アタシ等『警察官』には当てはまんねえんだな……これが。アタシ等は『武装警察』だ。『軍隊』じゃねえ。だからアタシがいくらこの機械の身体で処刑をしようがかまわねえってことだ』
『ボン』。隣の『飛燕』のコックピットが遅れて破裂する。静かな花火が二つ。誠は知らず、つばを飲む音をマイクに拾わせた。
「警察官は戦争法規を無視してもいいんですか?」
『無知だな。本当におめえは。警察は治安出動で『催涙ガス』とか撒いてるだろ?あれを軍がやったら『毒ガス』認定されて大変なことになるんだよ!他にも軍は使っちゃだめだが警察ならOKな武器がいっぱいあるんだ。見てろよ、誠。アタシの流儀を見せてやる。遊んでやるよ……『家畜ちゃん』』
そのかなめの『遊び』は残酷なほど正確だった。ワンヒット・ツーキル。一発の軌跡が二つの命を落とし穴へ連れていく。かなめは呼吸一つ乱さない。
『こんな異常なやり方が、でも一番『正確な救助』なんだとしたら……この戦場は、やっぱりどこか壊れている』
危機的状況でも平然と口元に笑みを浮かべているかなめを見ながら誠はそんなことを考えていた。
『……なあ、誠。アタシは異質だよ。この戦場では特に。自分が一番わかってる。だから黙って『仕事』する。以上。』
誠は返す言葉を失い、ただ推力計の針が心拍と同じ速さで上下するのを見ていた。
「四時方向、距離540に重力波!探知!特徴から05式甲型狙撃型!西園寺かなめ機と推定されます!」
巡洋艦『那珂』ブリッジ。床のワックスの匂いとオゾンが混じる。通信士の声が金属に跳ねる。
「迎撃弾と対艦ミサイルを時限信管に設定して発射!すぐに主砲と副砲も発射準備にかかれ!精密射撃をしなければ『ビッグブラザー』も事故と言うことで済ませるはずだ!『ビッグブラザー』の保護対象にあの国賊の娘が入っていたとしても『東和共和国』軍人にも休戦ライン上で事故死した人間はいる!圧倒的火力であの女を血祭りにあげろ!それが我々に今残された唯一の戦いの意味だ!」
近藤は確信の薄膜で恐怖を包む。言葉を重ね、論理で自分を温めるやり方は、彼が士官学校で身につけた唯一の防寒具だった。
「しかし、相手は『最強』クバルカ・ラン中佐。そして、先ほどの詭弁が……もし事実なら……我々はもう生き残ることはできん……だが、この女は地獄に連れて行く!あの紅い機体が西園寺かなめの機体と接触するまでに準備を済ませろ!時間がない!」
艦長は無言でうなずき、指先でスイッチ保護カバーを一段、二段と上げる。クリック音が場を刻む。
「なあに、我々にはもう失うものなど何もないんだ。窮鼠猫を噛む。『人中の呂布』と並び称された『偉大なる中佐殿』と刺し違えるならそれも結構!」
近藤が笑ったその瞬間、モニターの脇に小窓が開く。出撃拒否を貫いた第六艦隊のパイロットたちだ。照明の暗い格納庫、ヘルメットを脇に抱えた影が見えた。
『近藤さん』
近藤が『唾棄すべき脱落者と呼ぶ』パイロットの代表の一人が言う。声は疲れているが、折れてはいない。
『近藤中佐。あなたは間違っている。貴方方、貴族主義者はたとえ、自分の主張が通じなくても、それを伝える努力をするべきだった。今回の決起は無謀に過ぎる話だった』
「何をいまさら!我々に慈悲でもくれるのか?無力な脱落者がよく言う!」
近藤の笑いとともに、周囲の士官たちが冷笑のコーラスを重ねる。だが画面の向こう、若いパイロットの頬には、軽蔑ではなく憐みがあった。
『クバルカ中佐は自分を『不老不死』だと言った。そして、その上司の嵯峨惟基憲兵少将の見た目もその年に比べて若すぎる。つまり、あの『甲武国陸軍随一の奇人』は死なないということだ』
「だからどうした!我々の志をその程度の能力で止められると思うか!」
近藤の声は高くなる。ブリッジの空気が乾く。
『我々はあなたの身勝手な自殺の巻き添えを食いたくはない。故国のために死ぬのは恐れないが、あなた方貴族主義者のエゴで死ぬのはごめんだ。格納庫のハッチを開けてくれ。近藤さん。あなたの道連れは御免だ』
代表の目は、真正面からまっすぐだった。近藤は長く息を吐き、指先で肘掛けの傷をなぞる。いつ刻んだ傷か、思い出せない。
「悪名高い『検非違使別当』の西園寺かなめが死ぬところを見ずに去るとは……武人の風上にも置けんな……。ハッチを開放して奴等を解放しろ……逃げたければ勝手にしろ!ちなみにこの宙域は戦闘宙域だ!我々は貴様等軽蔑すべき脱落者の安全を一切保証しないからな!死ぬなら勝手にしろ!」
命じながら、彼は視線だけで軽蔑を投げる。背中でブリッジの誰かが鼻で笑う音。だが指は止まらない。別の担当に切り替える。
「全ミサイル発射!続けて主砲発射準備態勢完了!目標、重力波異常観測地点!」
火器管制官の叫び。赤い警告灯が呼吸するように明滅し、ディーゼルのようなリアクターの低音が床から足へ登ってくる。
「おしまいだ……西園寺かなめ……貴族と士族の死を望むような政策を平然と打ち出す我々士族の敵の娘……死出の導き……よろしく頼むよ……これで甲武の『伝統』は守られる……その為に捨てた命……今更惜しむはずもないんだよ……」
覚悟でしか暖を取れない者たちの視線が、一点に集まる。ハッチの向こう、数名の機体が背を向けて去っていく。臆病者と呼ばれながら……彼らは、生きることで別の戦場に立つ。
その時、ブリッジ隅のセンサーパネルに雪が濃く降りはじめた。増感した帯域のノイズに、一本だけ異なる糸。偏光の歪み……光学迷彩の縁。
「見つけたぞ……貴様だけは逃さん!」
近藤は低く言い、右手を握りしめた。
誠は那珂の主砲の照準位置から正確なかなめの位置を特定すると機体の方向を定めた。彼は息を詰め、喉の奥で名を呼ぶ。
『西園寺さん……今度は僕が助ける番です!絶対死なせません……その為に僕は『跳ぶ』……その為に僕は『剣よ』と叫ぶ……』
ミサイル識別音が、一つ、二つ、三つ……数えられない。『紅兎』と電子戦機の加速線が遠くに走り、間に合うかどうかの線が、いま、宇宙に引かれた。
そして、かなめの短い言葉が入る。ノイズ越し、笑っている。
『だから言ったろ。アタシは異質だ、って。ミサイルか……どうせ『ビッグブラザーの加護』がどの程度のものかもわからねえから照準もろくにつけてねえんだろ……来いよ。全部撃ち落としてやる……敵の主砲?全高9メートル強の05式相手に大げさだな……ビビってるのがまるわかりだ……あと距離100詰めれば……近藤……アンタのブリッジはアタシの230mmロングレンジレールガンの射程内だ……アタシが先かアンタが先かどっちが先か……アンタも楽しみなんじゃねえのか?』
静かな闘いの号令。獅子奮迅は派手に吠えない。ただ、確実に噛む。




