第69話 距離のない戦場で、糸は見える
近藤が通信を切ったその瞬間、コックピットの空気が半度ぶんだけ冷えた気がした。誠のヘルメット内でノイズキャンセルが息を呑む音まで拾う。前面投影の宇宙には、青白い星間塵がひとすじ、ガラスに落ちた爪痕みたいに伸びる。
『西園寺!隠れ蓑だ!』
『もうやってますよ!』
ランの合図と同時に、かなめの回線は『カチ』とミュートに入った。誠の全天周囲モニター上、赤い05式狙撃型の輪郭が、蛍光灯を消した理科準備室の試験管みたいにすっと闇へ沈んだ。残像だけが視野にひっかかり、すぐにそれも消える。
「光学迷彩?軍での使用は戦争法で禁止されてるはずなのに……僕達は『武装警察』……これは戦争ではなく『犯罪者』の処刑……」
口にしてから、誠は自分が『軍』ではなく司法局実働部隊……『武装警察』であり、戦争法の外側で『処刑』を執行する側……の一員だったことを思い出す。喉が乾き、合成水のパックへ伸ばした指がわずかに震えた。
『目標の位置捕捉完了しました。指向性ECM及び通信ハックとウィルスの注入を開始します』
カウラの声は、温度のない湯のように平坦だった。誠の視界右辺に、オリーブドラブの05式電子戦機のサイレントな姿勢制御。背部アンテナが蝶の羽根みたいに角度を微調整し、各バンドのゲインが段階的に跳ね上がる。
『神前、言っとくわ。今回のアタシ等の目的はただ一つ!』
後方、誠の05式乙の死角を埋めるように並走するランの『紅兎(弱×54)』が、刃物の背を撫でるみたいに音もなく加速しながら叫ぶ。
『抵抗する相手には容赦するな……そいつは敵だ……『処刑』しろ……まーその必要もねーかもしれねーがな……そのことについては間も無くオメーはその目で目の当たりにすることになる。司法局実働部隊がなぜ東和共和国民を多く抱える部隊であり、その出資元が東和共和国であるかということ……そーいうアタシも国籍は東和だ。この意味が間もなく分かる』
句点の代わりに安全装置の解除音が響いた。ランが言った言葉の意味が誠にはよく理解できなかった。誠は、咽喉の奥で声にならない返事を飲み込む。
「……関係者全員を処刑するんですか?それとその必要も無いって……それと東和国民が隊員に多いってことは知ってますけど……それがこの相手が数的に圧倒的な有利な状況で何か関係あるんですか?それに付け加えておきますけど僕も東和国民ですよ」
思わず漏れた問い。モニターの端に映るランの横顔は涼しい。
『当然だろ?近藤の旦那は『歴史的戦争』を望んでる。戦争なんざ、そんなもんだ。殺してなんになる?戦争を始めた時点で、それに関係した奴等を根絶やしにすれば終わり。アタシはいつだってその覚悟で戦争してきた。他の戦争は無いかって?それは戦争『ごっこ』。餓鬼の遊びだ。向こうの兵器の安全装置は解除されてんだ。こっちが殺して何が悪い。地球人の戦争は核を使った民間人も巻き込んだ『民族浄化』を目的として行われてるんだ……それに比べたらアタシ等のしてることなんて随分と人の道に沿ったもんだ。連中は死ぬ覚悟のできてる軍人だ。死ぬ覚悟ができているなら望み通り殺してやれ。後東和国民云々の話は見りゃわかる程度に考えとけ……本当にその事実は『見れば分かる』んだ』
吐き気止めの効果が切れかけているのか、胃が不規則に波打つ。ランの機体がハの字に姿勢を切り、推力ベクトルが白い線香花火のように散った。
誠が追従姿勢へ切り替えようとしたとき……。
敵影がひとつ、ふっと消えた。
「なんですか?いきなり」
敵編隊の左端、火龍のマーカーが点滅ののち『消灯』した。誠の脳が追いつく前に、もう一機。さらに一機。映像切替で拡大したカメラには、コックピットの装甲が内側から弾け飛ぶ瞬間が冷静に記録されていた。
『早速始めたか!西園寺。相変わらずいい腕だ……まーせいぜい数を減らしてくれ……その方が『例のシステム』での最悪の死に方を体験する処刑対象が減ることになる……敵に撃たれて死ぬのなら軍人としては本望だろうが……『例のシステム』のもたらす死は……兵士の死に方とは呼べねーからな。ただの間抜けの死に方だ』
ランの声音に軽い愉悦。誠は唾をのみ、HUDの上で赤い×印が花粉のように増えていくのを見た。
『あー、神前。敵が西園寺に喰われてるのが見えてるか?あれぐらいは出来て当然なんだよ、西園寺には。敵は旧式の火龍だかんな。レーダーが効かねー上に光学迷彩のおかげで視認することさえ出来ねーんだよ、西園寺の機体が。西園寺の機体の『光学迷彩』はサイボーグ専用の特別製で甲武軍の技術じゃ察知不能だ。それに敵さんの各センサーはカウラの指向性ECMとハッキングにやられてどうにもなんねーかんな。いつの間にかどこで狙ってるか分からねー西園寺にどこからともなく果てしない遠距離から一方的に撃たれて死ぬわけだ。連中にはもう黙って死ぬのを待つか……無茶な突破を仕掛けてアタシ等に勝負を挑むかどっちかしかねーんだ。ただ、相手がも数が数だし、その程度の損害は覚悟のうえで出てきたんだろーな……でも……今の段階でまだ前進しようとして来ていると言うことは……近藤の旦那は『ビッグブラザー』の一国平和主義の真の恐ろしさが生み出した『例のシステム』について何にも知らねーらしーや。出てきた友人のパイロット連中にはご愁傷様としか言えねーな』
ランの解説の通り、生き残った六機の火龍が『怖れ』の形に散開し、かなめの見えない狙撃線から逃げようと前進した。前進、だが逃避だ。推力光がもつれ、秩序が崩れる。それでもまだ、機動力で誠達の05式を圧倒する敵の旧式機『火龍』の突進は続いていた。
「来ましたよ!カウラさん!逃げてください!カウラさんの機体のECMも万能じゃ無いんです!」
誠は思わず叫ぶ。電子戦機は戦場で真っ先に狩られる……教範の最初のページにある常識だ。
『安心しろ、神前。連中は私を『攻撃する意図』を示したとたんに吹き飛ぶ。クバルカ中佐も言ってただろ?『ビッグブラザー』の一国平和主義がもたらした戦場における『真の恐怖をもたらすシステム』の話を……。その『ビッグブラザーの加護』でな……東和共和国の軍人なら誰でも知ってる話だ。東和国民の乗る機体は決して敵の攻撃対象になっても『ビッグブラザーの加護』のおかげで絶対に攻撃を受けることがあり得ない。神前、貴様がその話をまるで理解していないと言うことは……その時間は寝ていたのか?』
静かな断言。カウラのモニターに、敵火器管制の『ロック・プリヒント』が立ち上がるのが見えた瞬間……それは起きた。
自爆。
肩の重力波レールガンがわずかにカウラへ首を向けた、その『意図』だけをトリガに、機首から光が漏れ、次いでコアが撫で斬りにされるみたいに散った。一拍おいて、別の機体も。さらに別の。次々と敵機が自爆していく。
「何が……何が起こってるんですか?それと『ビッグブラザーの加護』って何です?僕は東和宇宙軍で教育を受けましたけど東和宇宙軍は戦争のやり方なんて教えてくれない軍隊だから教官もこんな現象なんて教えてくれませんでしたよ!」
誠の声は、ヘルメットの内壁できゅっと小さく跳ね返った。理解の前に映像がやって来る。
『そうか、東和宇宙軍は電子戦攻撃でそもそも敵機は戦闘不能な状態でいることを前提にしての戦場の制圧の教育を行っている訳か……。私の居た東和陸軍は仮想敵国である遼北人民共和国軍との通常兵器を使った戦争を前提とした軍隊だから教育課程には『ビッグブラザーの加護』があることが入っていたから当然貴様も知っていると思っていたが……なら仕方がないな。貴様が今見ているのが『ビッグブラザーの加護』と呼ばれるものだ……これが東和共和国の軍隊が宇宙最強の軍隊であるという何よりの証……別に東和宇宙軍の電子戦だけが東和共和国の400年間の平和を守ってきたわけではないということだ』
カウラの照準マーカーが最後尾の火龍に吸い付き、指向性ECMの矢が発射する。敵機の姿勢制御が紐を切られた人形のように乱れ、回転が止まる。誠の耳に、相手の生命維持装置のアラームが乗ってきた錯覚に戸惑う。
「クバルカ中佐……クバルカ中佐も軍籍は東和陸軍でしたよね?『ビッグブラザーの加護』について正確に教えてください。僕も『特殊な部隊』の一員です。籍が東和宇宙軍だとか東和陸軍だとか関係ないと思うんで」
問いを重ねる誠の視界で、ランの『紅兎』が黒い湖面を滑る氷刃のように到達し、動きの止まった敵機を一刀。切断面から噴き出した霜のような気化が、瞬時に散る。
『そーだな。オメーにも知る権利はある。東和共和国の戦争参加を良しとしない『ビッグブラザー』は、兵器が製造される段階で通信の通じるすべての勢力のコンピュータに『ウィルス』を仕込んでいるんだ。いや、正確に言うとウィルスと呼べるモノじゃねーな。それはそもそも『デジタル式量子コンピュータシステム』しか持たない勢力が製造したシステムには通常の目的を持った機能のある構成システムとして組み込まれている。だからどんなにウィルスチェックを『デジタル式量子コンピュータ』でシステムのチェックをしよーが絶対に発見されることはねーんだ。それはバグでもエラーでもないから何度チェックしよーが『デジタル式量子コンピュータ』では発見不可能なシステムだ。まー結果がその兵器の自爆や機能兵器で終わることを目的としているんだから、それを操縦している人間にとっては『ウィルス』と呼ぶべきものなのかもしれねーがな』
ランは平然とそう言った。その表情にはどこか陰があるように誠には見えた。『デジタル式量子コンピュータ』では不可能な複雑なコードを組むことが可能な『アナログ式量子コンピュータ』で作られた結末が死で終わる『悪魔のシステム』。目の前で起きるカウラを狙う敵機の多くが自爆し、自爆しないものも完全に機能停止して動きを止めている目の前の現実を見て、その『悪魔のシステム』のもたらす残酷な現実に誠の操縦桿を握る手は震えていた。
『この敵から見ればウイルスとしか見えない複雑な連携するシステムの集合体は、東和国民が攻撃対象になったことをトリガーとしてその瞬間にそれぞれバラバラに点在しているオペレーションシステムの各所で連携を開始して発動する。つまり、攻撃しない限り発動しないが、一度攻撃を試みると即座にそれまで無関係と思われていた個別のシステムが連携を始め、メインシステム本体に侵入してそれを暴走させるように機能するんだ。ミサイルや実弾兵器なんか積んでたら最後だな。そいつが起爆システムを勝手に作動させてどっかんと爆発して終了するわけだ。……諜報能力にあまり重きを置かない伝統のある甲武軍はそれを知らなかった。それが目の前の現象だ……ああ、東和陸軍の諜報部の元エースだった隊長はその存在を知ってたな。ただ、上官にそれを報告しても『ありえない』の一言で無視されたらしいが……今はその存在を知っていた甲武陸軍の元諜報部員の指揮する部隊がその恩恵を受けている……世の中皮肉なもんだ』
ランの説明は要約に徹していた。それで十分だ。目の前の現象が解説を裏付けている。
『要するに、東和に牙を向いた瞬間、相手の兵器が勝手に自爆するよう仕込まれている……それが『加護』?どこかおかしい……何か間違っている……『ビッグブラザー』は……東和共和国を守っているつもりなんだろうけど……僕には正直なんでそんなシステムを作ろうと考えたか分からないよ……アメリアさんが言うように……『ビッグブラザー』とは分かり合えない存在なのかもしれない……』
心の中で守られている存在でありながらその守っている存在の意思を理化できないで当惑している誠に向けて説明しながら並行してランは無機質に仕事をすすめた。ハンドルを少し切るみたいな微動のたび、『紅兎』の刃は生命維持を絶たれた敵機を楽にする。斬撃のあとの無音が、逆に耳へ刺さる。
『東和国民に攻撃の意志を示したドローンを操作していた機体に待ってるのは生命維持装置を切られての窒息死だ。窒息死は……つれーだろ?楽にしてやったぞ。そんな死に方は軍人の死に方じゃねーとアタシも思うからな。敵に殺されて死ぬのが未熟なパイロットにはふさわしい最期で、オメーもそれを望んでいたんだろ?』
通信の向こう、ランは一拍も呼吸を乱さない。誠は数日前、アメリアが笑いながら語っていた『ビッグブラザー談義』が冗談ではなかったことを、骨の内側で理解する。
「これは戦争ではない……ただの処刑ではないか……!撃つことどころか狙うことすらできないと言うのか!こんな戦いを私は望んでいた訳ではない!『ビッグブラザー』!貴様の行為は法的には問題ないがそんなことは人間のやる事ではないぞ!」
『那珂』艦橋。金属床の磨き跡に、赤ランプが寒く伸びる。近藤は歯の根を合わせ、呟いた。通信士の報告が、感情だけ削ぎ落とされて届く。
「敵正面の友軍機……全機自爆しました……」
視線だけで艦長が近藤へ問いかける。返答の代わりに、近藤は別画面を指示した。そこには、彼らが用意した『裏手』の絵……運用艦『ふさ』の背後が映っている。
「まだだ……例え東和共和国の守護者である『ビッグブラザー』が立ちはだかろうとも我々が正面だけに戦力を配置していると思ったのか?クバルカ・ラン中佐。『人類最強』と名乗ってはいるが……やはり見た目通りの8歳女児と言う所かな……私もここで何もできずに終わるわけにはいかんのだよ……」
艦橋にうっすらと安堵が走る。近藤は唇を湿らせ、低く笑った。
「理屈をこねるのは上手だが、緒戦は見た目通りの幼児の指揮する愚かな集団というところかな?正面の機体は『囮』だよ……あの馬鹿な幼女とおしゃべりをしている間に展開させた……さて……仕上げといくかね?母艦を沈められたらさすがの遼南共和国にその名を知られた『飛将軍』と呼ばれたクバルカ・ランも手も足もでんだろうて」
うなずき、短く命ずる。
「『国士』各機……攻撃よろし……」
……次の瞬間、背面映像がぷつりと切れた。
「なに!」
近藤の舌打ち。切替えた他のリンクも、花火の連続写真のように次々と白く咲いては消える。画素の海に、自爆の輪郭だけが均質に浮かぶ。
気付いた時にはあまりに遅すぎて残酷な現実。近藤の切り札である背後に展開した15機の『火龍』のすべてが消えたことでようやく彼は自分が置かれた絶望的状況を嫌でも思い知らされた。
「攻撃対象が艦でも傷つけることを許さないというのか……『ビッグブラザー』……意地でも『東和共和国』には手を出させんと言うつもりか……そうまでして自国の利益だけを守って……戦争が嫌いだからという理由でそんな卑怯な方法すら平然と使うとは……遼州人は地球人を残酷だと言うが、こんなやり方をする遼州人の方が遥かに卑劣で残忍だ!これは人間の所業ではない!」
艦橋にいた誰もが理解する。『ふさ』には東和国籍の隊員が多数乗っている……それだけで、背面に回り込んだ彼らの攻撃隊は定義上『東和国民を攻撃する意図』を持つことになる。逃れようのない論理の罠。電子の神は、感情を持たない。
「確か、クバルカ・ラン中佐も『遼南共和国』から亡命後、『東和共和国』の国籍を取って東和共和国陸軍からの出向と言う形であの『馬鹿集団』の指揮をしているとか……我々にはもう……」
艦長の声に、もはや光るものはない。
「このままで終われるか……我々は『地球で失った伝統』を守り続けるという決意を示す『狼煙』とならねばならん……後ろに続く同志達のためにも……一矢報いねば……死んでいった同志達が報われない……」
近藤は自席の肘掛けを握り、別の道を高速で探索する。05式の本隊はまだ到達していない。ならば……近藤の心の中に一筋の光が走った。
それなら『定義』を外せばいい。艦橋の誰もが、その名にだけは反射的に顔をしかめた。西園寺かなめ。
それは彼らにとって、個人でありながら反射的に憎悪を掻き立てる『概念』でもあった。
「そうだ……攻撃対象が『東和共和国』の国民でなければいいわけだな……その定義があくまでシステムの生み出した融通が利かないものであるならば丁度いいのがいる……最高の『獲物』がな……あの女なら誰が殺しても文句はあるまい?私としてもあの女がそのシステムの保護下に無いと言う事実は最高の状況だ……我々全員の決起の意味はあの女を殺せば丁度釣り合う……丁度いい……」
近藤は索敵担当のメガネの大尉の肩を叩く。声は鋼線のように硬く、細い。
「アクティブセンサーの感度を上げろ!こちらが丸見えになってもいい!兎に角センサーの感度を性能限界ギリギリまで上げるんだ!」
「そんな!『ふさ』の主砲の射程範囲内です!そんなことをしたら、この艦の正確な位置が敵に割り出されます!それこそ旧式で射程の短い『那珂』は敵に一方的に撃沈されます!」
索敵担当の大尉の悲痛な叫びが響くが近藤の口元に浮かんだ満足そうな笑みは崩れることが無かった。
「そんなことは分かっている!無茶は承知の上だ!せめて、あの『民派』の首魁、宰相・西園寺義基の娘、西園寺かなめを道連れにするのが我々にできる最後の抵抗だ。いいや……あの女を殺せれば我々の決起は燦然と歴史に輝くことになる!あの女の国籍は甲武だ!あの女を道連れにできればこの決起は成功と言って良いくらいだ!戦争法で禁止された光学迷彩が自慢か?その機械の身体が自慢か?だが、そんなものは所詮甲武の技術でも対応可能なものだと言うことぐらい私でも分かる!いくら光学迷彩とジャマーで隠れていようがセンサーの感度を上げれば引っかかるはずだ!そしてその位置にこの艦の全火砲の照準を合わせてそこにこちらのミサイルをあるだけバラまけば……いくら装甲が厚い05式でも無事では済むまい?」
艦橋の空気が一方向へ固まる。それは勝利の気配ではなく、死ぬと決めた者の呼吸の整い方。端末の上に置かれたコーヒーが、震えもせず冷えていく。
彼らは最初から捨て石であることを知っていた。ならば……その矜持を選ぶ。
「これで『検非違使別当』、西園寺かなめの居場所が判明する……我々の憎むべき敵、西園寺義基の娘……死出の道行きにはちょうどいい。奴を撃ち抜くんだ!あの女を生かしておけばいずれあの女は甲武の『関白太政大臣』として我々はあの女にひざまずくことになる……そんな未来を消し去る!良いだろう!その役目は俺が引き受けよう!」
誰かが喉で笑い、誰かが目を閉じた。感度が上がるにつれ、艦の鼓動……リアクターの低いうなりが床から足裏へ登ってくる。スクリーン上のノイズが雪のように濃くなり、その雪のなかに一本だけ、色の違う糸が浮かびはじめる。
『光学迷彩の』エッジは、完璧ではない。限界まで吊り上げた感度は、宇宙背景に対してわずかな偏光の歪みを拾い上げる。距離なんて、ここでは数字に過ぎない。センサーの雪をかき分けて、その一本の糸を掴んだ者が『手を伸ばせる』だけだ。
近藤はそれを見て、静かに、ひどく静かに息を吐いた。
「この国の形を変えてしまおうという国賊の娘だ。死んで当然だろ?それにあの女の所業は故国でも知れ渡っている。そんな女の死に同情する馬鹿など誰もいないよ。道連れにしてやる……売国奴め。あの女が甲武四大公家筆頭であると言う現状でさえ受け入れがたい我々にあの女が『関白太政大臣』として『御鏡』の前で笑う顔を誰もが見ずに済むのだ!これ以上の救国の行為があるか!」
指が、発射キーのカバーを跳ね上げる。地獄の道連れに選ばれた名は決まった。
……そのとき、誠のHUD左上で警告灯が琥珀から赤へ。センサー帯域に異常な『雪崩』が走る。誰かが、こちらの『雪』を見返している。
呼吸を整えろ。誠は自分に言い聞かせる。まだ、終わっていない。これは戦いと呼べない戦い……しかし、次の一手だけは『戦い』になる。
誠は急に各種センサーに異常な値を示しているのを見てセンサー類に一通り目を通した。電子、レーザー、パルス。どのセンサー類も明らかに敵艦『那珂』から強力な出力で発せられているのが一目でわかった。
『敵艦のアクティブセンサーの感度が上がった?気付いたんだ、敵も『ビッグブラザーの加護』の性質に……西園寺さん……見つかった?』
喉の奥で、言葉にならない音が生まれ、消えた。




