第68話 不死人の告白と、廃帝の名
恐らくランは自分の『素質』や『法術師』という物について語ることになるのだろう。そんなことになるのだと思いながらも誠はその『心理戦』の具に自分が使われるのはごめんだと思いながらも、ランが始める『心理戦』に興味を惹かれて誠は彼女の言葉に耳を傾けることにした。
ヘルメットの内側で呼気が薄く曇り、喉の乾きがバイザーへ微かなノイズを生む。機体の姿勢制御がコトリ、コトリと律動し、背面の緊張がシートを通って骨へ伝わる。
ランはすぐに回線を『那珂』のブリッジにつなげた。全天周囲の上辺に『LINK:NAKA/OPEN』と淡い青。視界周縁では観測無人機の青三角が『輪』になって遠巻きにこちらを見ている。
『おい、聞いてっか?近藤の旦那。オメーはもう終わりだ。降伏しな。この宙域の外を取り巻いてるギャラリーの方々にオメーの味方をしてくれるようなお人好しは一人も居ねーぞ。もしオメーが運よくアタシ等に勝ててもそいつ等に瞬時に潰される。オメーはもーどーしよーもねー所まで着ちまったんだ。なんであんな艦隊がそこに居るかって聞きてーのか?そりゃー、うちの『駄目人間』が呼び寄せたからに決まってるからに決まってんじゃねーか。そんな事も分からねーから同志の決起を期待しねーと成功の見込みもねーよーなクーデターなんか起こしちまうのか。まったく先の読めねー『味噌頭』はこれだから困るぜ。だからもう一度言う。降伏しな。アンタが愛国を叫ぶ『伝統』を何より重んじる国の『伝統的刑罰』によると『国家反逆罪』は『甲武国』の法律では切腹だが……『甲武国』お得意の『連座制』であんたの決起の道連れで死んじまうはずの家族は助かる……アタシは『不殺不傷』を看板にしてんだ……人を殺したくねーんだ。何度でも言うぜ……降伏しな。もーこーなったらアンタに勝ち目はねーんだ』
『偉大なる中佐殿』挑発は効果的だった。
誠の全天周囲モニターに40代後半の丸刈りの将校の画面が映った。真鍮色の手すり、白線が交差する航法パネル、磨かれた床に艦橋灯がにじむ。
『これはこれはかわいらしい声で……子供が語るような話ではありませんなあ……人を『殺す』なんて。まあ、我々には高い志がある。当然、引くつもりは無いし、負けるつもりも毛頭ない……それに我々を遠くから監視している艦隊の存在だが……彼等が我々に攻撃を仕掛ければそれこそ甲武はその誇りをかけて『伝統』のために戦う国だ。あなたはその甲武の『魂』を理解していないようだ……5億の自爆を覚悟した国民の怒りが彼等に理解できないとは思えない……あなたの思うような私があなた方に勝利した後、連中が我々を蹂躙すると言うようなことは起こり得ない……『伝統』も『覚悟』も持たない堕落した地球圏や我々に敵意を持つ遼州圏の弱虫共に何ができると言うのですかな?それこそこちらが聞きたいくらいだ』
誠は画面の中の男の言い分もわかった。
数は完全に近藤等の貴族主義決起派が有利である。敵味方の光点が、冷たい算術で『22 対 4』を描く。数学は慰めてはくれない。そしてこの宙域を取り囲んでいる地球圏や遼州圏の艦隊も近藤の決起の鎮圧を目的にやってきたわけではない。彼等も遼州の軍事大国である甲武国を刺激して何一つ特が無いことは近藤の言う通りだった。恐らくそのままその宙域にとどまって状況を見守るのが彼等にできる近藤達『官派』をけん制する手段としては精いっぱい。それ以上の軍事行動を行うつもりはないだろう。
「まあ、決起した張本人はあんなに自信満々なんだ……どうせ僕は本当に中佐が言うように『素質』や『法術師』が実在しなければ……そもそもお呼びじゃないしね……あの近藤とか言う人があれだけ自信を持っているってことはやはりそんなものは無いのかな?さっきクバルカ中佐が言ってたことだってどこまで信じて良いやら……きっと中佐にはそれ以外の秘策が有るんだ。だから補給係の僕を励ます為にあんな事を言ったんだ……じゃあ、それは何なんだろう?数は敵が圧倒的。周りを取り巻いている野次馬にはやる気はまるで無い……そんな状況であの近藤という人を処刑する?絶対無理だよ」
小さく独り言を落として、誠はランの『心理戦』の効果を見極めるように二人の会話へ集中した。ただ、弱気が持ち味の誠にはランの心理戦は始まった段階では近藤の闘志に火をつけているだけにしか見えなかった。ヘルメットの耳奥で自分の鼓動が『コトン、コトン』と響いていた。
『へー、外の連中の考えてることを当てて見せたのは大したもんだな。さすが第二次遼州大戦じゃあ総司令本部でお仕事してただけあって正確な分析だ。アタシも同感だ……ただ、連中はただのギャラリー以上のことはアタシもあの『駄目人間』も期待してねーからな。それと自分の戦力の分析だが……数だけは自信があるみてーだが……見えてねーな、『リアル』が。むしろそっちのほーが問題だ。まー、最前線での勤務経験がねーって聞いてるからそんなもんなんだろーな。そんな目が節穴の旦那にも、いーこと教えてやる。ついでにこれを傍受してるやる気ゼロの『地球圏』やその他の星系の『もやし野郎』にも教えてやるわ。なんでアタシがこんなに余裕で近藤の旦那を『処刑』すると宣言したか。アタシの言葉が終わった時……たぶんそん時になればアタシの態度の理由が嫌でも分かるだろーな。そん時の絶望したアンタ等の顔を思い描くとアタシも笑いが止まらねーや』
ランはにんまりと笑った。見かけの『幼女』に似つかわしくない老練さが声色の陰影に滲む。通信の背後で、かなめが短く鼻で笑い、カウラはECMアンテナを二度だけ角度修正。
『ものを知らねー軍人さん達にはちょっと難しー話だが……『言語学』の話だ……わかんねーか?大事だぜ……『言語学』。まー、これは隊長からの受け売りだけどな。『はじめに言葉ありき』……聖書の言葉だ。アンタ等地球人の聖典にそう書いてあるんだ。アタシは遼州人だからそんなのは出鱈目だと知ってるけど、近藤の旦那……アンタも元地球人だろ?たぶんキリスト教嫌いの甲武の事だからアンタは聖書は読んでねーとは思うがその言葉ぐらいどこかで聞いたことがあるんじゃねーのかな?』
その口調は近藤を試すように皮肉を帯びた色彩を放ちつつ近藤に突き刺さる。自分を『無教養』とどう見ても8歳幼女に見下されているように感じた近藤の顔に不遜な笑みが浮かんだ。
『言語学?下らんな……理想を語るのに自分の『言葉』さえあればいい。それに確かに聖書などは手にしたことも無いが『はじめに言葉ありき』くらいの言葉は私も知っている。それがこの場で何の関係があるのかな?ちゃんと無教養な私にでも理解できるように説明していただきたいものですな』
近藤の声には自尊心が混じる。艦橋の空調音がわずかに上擦った。
『そーか、やっぱり聖書は読んでねーのか。なら『古事記』や『日本書紀』から何か話題を持ってくる方がアンタの好みか?そっちは嫌でも甲武の海軍兵学校で読まされるから読んでるだろ?オメーがその『味噌頭』でその内容を理解しているかどうかは別として。いーから最後まで聞けや。アタシ等遼州人と呼ばれる『リャオ』を自称した遼州人には『時間』と言う概念がねーんだ……理解できねーか?その意味が。言語学ではその民族の理解できねー言葉はそもそも生まれねーんだ。『リャオ』は『時間』という物を理解できなかったし理解する必要もなかったんだ……その意味……分かるかな?ここで日本の古典を引用して日本人に無くて西洋や中東ではあった概念や無かった概念を一々指摘してオメーの『味噌頭』にも分かる例を挙げてやったほーが良ーか?そこまでアタシが下手に出て懇切丁寧に言語の何たるかを教えてやんねーと分からねーほどオメーは馬鹿なのか?』
一語ずつ、杭を打つように。誠は腹式呼吸に切り替え、浮つく頭を鎮める。
『どうやらあなたには人を不快にする才能が有るらしい。あなたの言葉は私の怒りに一々火をつけて回っている。こんな心理戦は聞いたことが無いが……ここまで話を聞いた以上、最後までお付き合いするのが筋という物なんでしょうな。私のような誇るべき『伝統』を持つ元地球人から言わせるとそれは『リャオ』が原始人だというだけの話だな……地球人に文明化されて結構な話じゃないですかな?その点については感謝してもらいたいくらいだ』
侮蔑しあうランと近藤。その二人の間の距離はあまりに遠くお互いに相手を理解する気はない、少なくとも近藤の言い回しにはそんな響きがあった。誠は眉根を寄せた。
『文明化ねー……『時間』を理解するのが文明化か?それ以前の問題のよーにアタシには思えるんだけどな。確かにアタシも部隊じゃ管理職してるから東和共和国の遼州人の部下の時間感覚のおかしさには苦労してるから文明化にも色々良ーことがあるんだろーな。まーいーや。アタシはその『リャオ』に『時間』の概念が無い。そんなことを理解する必要が無い理由も『経験上』知ってたんだ……。そうアタシは『経験上』時間という概念を理解していねーんだ。『時間』という物があるのは理屈では分かる。でも、それはアタシには『経験上』ただ勝手に流れるもの以外の認識は出来ねーんだ。この意味するところは……限られた『時間』を生きている元地球人のオメーには嫌でも分かるんじゃねーのか?』
『経験上だと?』
近藤の目が、初めて一拍遅れる。艦橋の誰かが椅子を引く音が漏れ聞こえてきた。
『そーだよ。『経験上』知ってんだ。まだ分かんねーかな……アタシが『最強』を自称する理由が……そして、アタシの見た目が『8歳児』で変わらねーことで分からねーかな?これって結構誰にでも分かるヒントだぞ……それでもわかんねーか?限られた『時間』しか持つことを許されない地球人なら分かるんじゃねーのかな?アタシの『時間』は無限だから理解する必要性すら感じねーけど』
ランの笑いに合わせて、画面の近藤の表情が驚きへ滑る。
『とどめだ。アタシの戸籍の年齢は34歳!アタシは10年前に東和共和国に『亡命』した!これでも分かんねーか?分かるだろ!アタシはな年をとれねーんだ!認めたくねーが、『永遠』にこの見た目のまんまなんだ!察しろ!オメー等の理想とする『不老不死』って奴だ!もっとも、アタシの34歳ってのも……信じねーだろうな……アンタ等は自分の歴史も自分の気分のいいところしか信じねーもんな!神話?奇跡?そんなのある訳ねーだろ?そんなものを本気で信じてる地球人の方がよっぽど『文明化』が必要なんじゃねーのか?まあ、本当はもっと想像を絶するくらい生きてるんだけどな……地球人が生まれた?地球人が猿から宇宙に出るまでの時間?それを歴史と呼ぶ?そんなのアタシに取っちゃ近藤の旦那にとってはこの会話の始まった時点くらいの時間にしか感じねーんだ!『リャオ』がこの惑星遼州にやってきて1億年!その1億年前に生きていた人間がまだ数人遼帝国に住んでるから話を聞いてみろ!そうすりゃ分かるだろ!嫌でも遼州人に『時間』の概念が無いってな!』
言葉の重さが、誠の胸骨の裏で『コン』と鳴る。ランの言葉の意味をこの段階にきてようやく悟った近藤の表情が驚愕の色に染まるのが誠の目にも分かった。
『1億年の時を生きている?『不老不死』!まさか……ありえん!地球の科学では永遠に不可能だ……そんな存在は『おとぎ話』にしかあってはならない……この宇宙の法則に反する存在だ!確かにあなたが活躍していた時代を考えるとその姿について説明するには『不老不死』を持ち出すしか無いのはわかるが……ありえん!信じがたい!』
近藤も、論理としてはそこへ行き着く。だが『受け入れる器』は別だ。
『とりあえずアタシの34年間については分かったみてーだな……今でもその艦のコンピュータで調べて裏を取っても構わねーぞ。34年前のアタシの今と同じ写真が遼帝国の記録映像の中に残ってるはずだ。どーしても信じられねーならそれを見な。それと少なくともアンタの敵の中ではアタシと隊長は『不老不死』の存在だ……信じても信じなくても自由だけどな。オメーもあのおっさんより年下なのにどー見てもあのおっさんがその艦の若造のブリッジクルーより若く見えることを不思議に思わなかったのか?若作りって……限界があるって考えなかったのか?馬鹿かオメーは?」
通信面に残る誠自身の影が、微かに揺れる。
『その顔は他にも確たる証拠が欲しーって顔だな。しかもアタシや隊長以外の例があるのかって知りてーって顔だ。じゃあ、考えてみろよ。『東和共和国』の年齢別人口統計がなんで公表されていねーのか?軍人さんにはそんなことは関係ねーって見向きもしなかったか?ちょっとあの国の総務省のデータにハッキングすれば分かることだぞ。この400年間1億2000万人の人口を抱えるあの国は、この400年間、毎年20万人しか子供が生まれていない状態が続いている。そしてアンタ等地球人の常識から考えると異常なことに死者はそれ以下で人口は少しずつ増えてる。こんなこと『多産多死』社会の甲武じゃあり得ねーだろ?それに20万人しか同じ年の人間がいないはずなのに25歳の人口は200万人もいるんだ。そんな矛盾に見向きもしなかったのか?だからアンタは『味噌頭』なんだ!あの国の戸籍なんて滅茶苦茶なんだよ。戸籍係に頼めば『不老不死』の人間は永年に同い年。大体、『不老不死』になる人間はうちの隊長みたいに25歳ぐらいで老化が止まるから、25歳の人口が一番多い!その状態がこの400年間続いてるわけだ。色々それが原因で社会問題も起きてるんだが……これからアタシに『処刑』される定めのアンタには関係ねーか。それは東和の国内問題だからな。死ぬアンタの知ったことじゃねーだろ?』
艦橋のさざめきがザザ、と混線した。手元の書類を強く握る音まで乗る。
「なんで遼州人に『不老不死』の存在が居るのか?その理由は簡単だアタシ等遼州人がこの宇宙の外から来た存在だと言えば分かるかな?遼州人は元々兵器として作られたらしいや。兵器は性能が同じなら耐用年数が長い方が便利だ。だから『不老不死』で劣化しないのが居れば便利だと遼州人を作った文明は考えたわけだ。便利な兵隊だろ?殺しても死なない。年も取らない。その宇宙はそんな『便利な兵器』に頼りすぎてその『便利な兵器』に滅ぼされたらしーや。科学も進み過ぎるとろくなことがねーみてーだな。だから他の宇宙の『便利な兵器』である遼州人にこの宇宙の科学の物差しは通用しねー!目で見た『リアル』のちっちゃいアタシの姿より、この宇宙にしか通用しねー地球科学とやらを大事にする馬鹿はそれでいーや。それは自由だかんな……勝手にしろ!アタシはうんざりするほど生きてるから、いろんないい奴にさんざん『置いて行かれた』わけだ……そりゃー辛かったぜ』
ランの言葉は、誠にはどこか悲しみに聞こえた。
『『不老不死』……うらやましい話じゃないか!理想を実現するには人生は短すぎるくらいだ!それを嫌うあなたより私に欲しいくらいだ、そんな能力は!私は今、生まれて初めて遅れた野蛮人の遼州人に憧れを感じましたよ』
近藤の声が半音だけ上ずる。
『本当にそうか?耐えられるか?憧れる?馬鹿も休み休み言えよ。アンタに。いや、アンタだけじゃねーやな。この会話を聞いてる地球人にその境遇の辛さがどれほど理解できるかな?どんなにいい奴もアタシをこの世界に置いて先に死んでいくんだ。どんなに力を尽くしてもどうしようもねえ……アタシは『遼南内戦』でその罪を理由に殺されても当然のことをしてきた……でも『強制的』に生かされるんだ……それでもそんな責任の取り方すら出来ねーんだ。死ねるアンタが羨ましーや……アタシは』
『強制的?強制的に生かされる?』
近藤にはその欄の言葉の意味が分からず当惑した表情を浮かべた。
『そーだ。アタシ達は罪を償い続けなきゃなんねーんだ。なんと言っても普通の方法じゃ死なねーんだからな。地球人がアタシの首を落とそうが銃で心臓を撃ち抜こうが絞首刑にしようが一時的に心臓が止まるだけですぐに再生して動き出す。それがアタシ等『不死人』だ。罪を償わせようとすればせいぜい狭い部屋に永遠に閉じ込める『永禁固』ってことなんだろーが、そのアタシを閉じ込めてる牢屋がたぶんアタシより先に風化しちまうわけだ。大変だな、アタシを何代にもわたって断罪しよーって奴は。近藤の旦那。アンタが羨ましーよ、アタシは。アンタは決起の無念を胸に自分の非力を悟って死んでいけるがそれで終いだろ?でも、アタシは違う。自分が非力と知っても死ぬことすら許されねーんだ。自分が悪として処刑されてすっきりする人間がこの世にうんざりするほど居るのが分かっていてもアタシはそいつがそのことを忘れるまで石を投げられ続ける。永遠に……続く『贖罪』それがアタシ等のこれからの人生なんだ?辛ーぞ!いい奴ほど、アタシを置いて行く。置いてかれる側の痛みなんて、死ねる連中には一生分からねえ!』
『構うものか!それは望むところ!非力を知ればさらに力を得て立ち上がれば良い!簡単な話だ!』
近藤は拳を握り、血の気を指先から追い出す。背後の士官の喉が鳴った。
「そんなことはあり得ないですよ……相対性理論を超えた地球人や他の文明が出会うようになっても……無理ですよ……『不老不死』なんて……科学的にあり得ない……」
誠は『理系』だ。脳の机の上で、ランの言葉を『保留トレイ』に置く。
近藤は無視を決め込み、口を固く結んだまま黙る。その硬さが、逆に動揺を見せる。
敵の機体は前進を止め、耳だけをこちらに傾けているように見えた。観測無人機の輪は一段外へ広がり、『歴史の目撃席』を譲るかのように。
『たぶんうちの理系馬鹿の神前当たりの脳がショートしている時間だろーな。でもそれはこの宇宙の科学で遼州人を説明しようとすると起きる当然の反応なんだ。もう少し頭を柔らかくすれば……見えて来るぜ……この宇宙の法則はこの宇宙でしか通用しねーんだ。この宇宙の外から来た遼州人にはその遼州人を生んだ別の物理法則、別の論理、別の科学があったと言うことでこのアタシ等が通信をしている宇宙の物理法則はアタシ等遼州人には通用しねーんだ。そんなわけで地球の科学の限界が見えたところで……もう1つ、いーことを教えてやる。この宇宙の外から来た『リャオ』の言語に欠けてたのは『時間』の概念だけじゃねーんだ。『リャオ』の概念に欠けてるのは……』
『まだ……あるのか?あなたの隠し玉は』
理屈では敵わない、と近藤の顔が知った。誠は、そのたった一つの絶対的に覆せない事実を知ってすべてに絶望し斬った哀れな重罪人に同情すら覚えていた。
『ヒントをやる、遼州人は『船』を作らなかった。言語学の苦手な旦那……『船』って知ってるか?』
明らかに見下す調子でランはそう言った。こういう口調はよく嵯峨が誠に向けて来るのでランもそれを学んだのだろうと通信を聞きながら誠は思った。
『それが……何の意味が……これ以上我々を驚かせて何が楽しいんですかな?』
ランは可愛げのある微笑をほんの少しだけ深くした。
『理由は簡単。必要なかったんだ……『船』が要らなかった。もう一回言うか?『船』が要らなかった。理解できたか?』
心理的優位を取ったと確信したランの言葉は容赦がなかった。
『船が要らない?あなたは運用艦『ふさ』から発艦したのでは?』
近藤はようやく矛盾を掴み、反撃の手つきをつくる。艦橋後列が安堵の息を一つするばかりだった。
『まったくオメーの『味噌頭』ぶりにも困ったもんだ。分かってねーなー。まだオメーにはアタシ達遼州人は『遅れた焼き畑農業しかできない未開人』にしか見えねーかな?』
『確かに……死なない原始的な化け物にしか見えないが……どうでしょうかね?クバルカ中佐』
皮肉の角度は整っている。内容が空でも。
『ちげーよ。必要がねーんだよ。必要が無いと生物は『退化』するんだよ。地球人だって尻尾がねーだろ?それが『生物学』の常識だ。これも隊長の受け売りだけどな』
『退化だ?脳が退化したんじゃないですかな?あの、『駄目人間』にふさわしい』
近藤の口角が戻る。勝機の幻、再び。誠は舌の裏で小さくため息が漏れる。近藤は自分の不利を分かっていない。いや、分かりたくないということは口喧嘩に弱い誠にも感じられた。
『オメーはやっぱり、隊長が言うように頭には『味噌』が詰まってるアタシが見たところ種類は『八丁味噌』だ。見えてねーよ、『リアル』が。遼州人の『船』への関心が退化した理由は簡単だ。『距離』の概念がねーんだよ、『リャオ』には。だから、『船』が必要ねーんだ。だから作る必要を感じなかったんだな……アタシ等『遼州人』は』
『距離の概念が……『無い』?』
近藤の笑みが、笑っていない目のまま固まる。
『そーだ。遼州人は昔から障害物を超えるのに『山を登る』とか『船を作る』という発想がなかった。それより別の方法がいくつかあるからその必要が無かったんだな。今、アタシが得意の『空間跳躍』を繰り出せば、オメーの乗艦『那珂』のブリッジはいつでも潰せる。そして、アンタが間抜けな調べ方をしていたうちの神前にも似たようなことができる……つーわけだ。アタシの態度がでけー理由がわかってよかったな。バーカ……ああ、心理戦であからさまに相手の本質を突くよーなことは言うなって心理戦のプロの撃ちの隊長が言ってたな。今のオメーを馬鹿と呼んだ言葉は聞かなかったことにしといてくれや……そーしねーとあの『心理戦のプロ』を自認する誰がどー見ても『駄目人間』にしか見えねー隊長に馬鹿にされる』
艦橋の後席で椅子脚が甲板を蹴る『カン』という短い音。誰かの喉がひきつる。
『嘘だ!でたらめだ!他の何かの事実を隠すためにでたらめを!何を知っている!貴様は何が言いたい!』
敗北と死を悟った『漢』の最後の踏ん張り。
『そうか……僕は本当に『跳べる』のか……その力が『法術』……それを引き出すのが『法術増幅システム』……それが僕の本当の『素質』……その為に中佐は僕をこの機体に乗せた……そう言うことなんだ……』
誠は憐れみを込め、これから自らが『処刑』することになる相手のうろたえを見た。腰のサーベルロックに指を置き、カチリと確かめる。腹の底で歯車が『ゴトリ』とかみ合う音がした気がした。
『嘘と思いたい?じゃー勝手にそー思っとけ。まーあと数十分以内にそれが嘘じゃ無かったことをその命で理解することになるわけだがな。そんなに自分の都合よく世の中を見てーのか?じゃー勝手にしろ!これ以上オメーの『八丁味噌』に刻み込む言葉はねーんだ。それは今生きてる『遼州人』のプライバシーだかんな。アタシは隊長みたいに地球人の『実験動物』になって生きたまま解剖されるのは御免なんだよ』
「地球人の『実験動物』……?だから僕は監視されていた……地球人達が僕をそんな理解不能な『力』を理解するための『研究対象』として……」
誠は外野のはずなのに、その語に反応してしまう。指先だけ冷たく、掌は熱い。
……医務室の白、消毒液の匂い、ひよこの笑顔。記憶が一瞬だけ点滅して消える。
『『八丁味噌』の旦那。はなっからあんたは負けてんだ。あんたの死んだあと、アタシ等はちょっと無茶な『敵』と戦うつもりなんだ。その関係で『地球圏』やこの通信を傍受した『限られた命しか持たない力無き人々』に言っとくわ……これまでの言葉はその『敵』との戦いでアタシが本気を出してもアンタ等が腰を抜かさねーための親切な広報宣伝活動なんだわ。これからが本題だから聞き逃すなよ』
ランの可憐な笑顔が、獣のそれへと一瞬だけ反転する。音声の帯域が半歩低く落ち、戦場の空気が冷える。
『近藤の旦那……』
残忍な笑顔を湛え、ランは絶望の淵に立つ男へ呼びかけた。
『さらに何を言おうと言うのですかな?異世界から来た超能力者相手に我々がどんな意地を見せるか知りたいとでも?』
近藤に残るのは矜持のかけらだけ。
『アタシ等が『敵』と見て居る奴はな……あんた等じゃねーんだ。アンタ等は勝手に暴れて勝手に死ぬだけの哀れな存在でしかねー。その過程でアタシ等『法術師』がアタシ等の『敵』と本気で戦っても誰も文句を言わねーよーな状況を作るための単なる遼州人の力を公にする『デモンストレーション』に過ぎねーんだ。アタシ等の敵はもっとでかい……そしてそいつ等も遼州人……『法術師』だ。今回アンタの誰が見ても失敗確実のクーデター未遂阻止にアタシ等が出張ったのはアタシがこういう演説をして遼州人が何者かを全宇宙に知らしめるのが本当の目的なんだ。そしてそっちの敵がアタシ等の本当の敵……この戦いの先にある芯にアタシが本気を出すに値する『敵』だ』
首がわずかに上がる。理解ではない、予感だ。
ランの表情から挑発が消え、宣誓の硬さが宿る。
『アタシ等、『特殊な部隊』は宣戦を布告する!相手は『廃帝ハド』って奴だ。宇宙に生きる『全存在』の『敵』だ!この通信を傍受している地球人の旦那衆にも言っとくぞ!『廃帝ハド』。恐らくアンタ等もいずれその名を聞くことになる!そいつにとってはアンタ等は無力な虫けら以下の存在だ!そいつからアタシ等『特殊な部隊』が守ってやろーって言うんだ!感謝しろよ!』
観測無人機の向こう、各艦隊のブリッジで何人もの軍人が、今の一言をログにマークした。
「『廃帝ハド』……何者ですか?」
誠の問いは虚空で反響する。情報は刃だ。配るタイミングを誤れば味方をも斬る。
『神前』
名を呼ばれ、誠の喉が小さく鳴る。
『知らねーで済めばよかったんだ。世の中、知らねー方がいーことばっかりなんだ。知って得なことって……意外と少ねーぞ』
ランの『優しい笑顔』が、次の瞬間『執行人』の顔になる。
『貴族主義?そんなの甲武の国内事情だろ?そんなの甲武国内で何とかしろよ。アタシ等はそんなことの為に給料もらってるわけじゃねーんだ。ただ、オメーは遼州同盟の秩序を乱したのは事実だ。だからその責任はきっちり取ってもらう。甲武国海軍中佐、近藤貴久。テメーをこれから処刑する。『死んでもらいます』ってか?』
HUDに赤い「K/AUTH」が点滅し、かなめが無線の送信ボタンを無音で半押し。『了解』の呼気だけが線になって走る。カウラのECM出力バーが一段伸び、敵無人機の挙動が糸の切れた操り人形のように鈍る。
『クバルカ・ラン!貴様の言うことは全て詭弁だ!我々は必ず勝つ!』
捨て台詞。通信は砂嵐へ、そして暗転。艦橋の照明だけが誠のモニタの内側で長方形に残った。
誠は、これから自分が何をさせられるのか……いや、何を『やる』のか……を反芻しながら、視界いっぱいの宇宙へ目盛りを合わせ直した。跳躍予告のアイコンが灰から黄へ。呼吸、吸え。吐け。腹で聞け。きっと『跳べる』。どうやって跳ぶのかは未だわからないが。
観測無人機の輪がゆっくりと広がった。
歴史の目撃者たちは席を空ける。
宣戦布告は、近藤ではなく……『廃帝ハド』へ。ランの敵がどんな存在か、その輪郭だけは分かったが今から起きる戦いはその序章に過ぎないことは誠にも分かって心臓の鼓動が高鳴るのを感じていた。




