第66話 初陣の胸、狼の門へ
改修を受けて、快適すぎるほどの『ふさ』の居住区画に比べて、シュツルム・パンツァーの格納庫に向かう通路は、本来この艦が『高速巡洋艦』として建造された時のままらしく、ほとんど手が加えられていない。
狭苦しく、照明も最低限。そのぶん『いかにも戦闘艦』という雰囲気を放っていた。
そんな狭い通路をヘルメットを抱えたまま、かなめが格納庫から響く喧騒の中へ突き進んでいく。
誠は一歩遅れてその背を追う。心拍の速さと不釣り合いに、視界の中心だけがやけに澄み、彼女の後ろ姿が妙に……神々しく見えた。
『……西園寺さんが綺麗に見える、ってこういうのが『吊り橋効果』って言うのかな?こんな風に西園寺さんが神々しく見えたのは初めてかもしれない……今の西園寺さんには甲武一の貴族の気高さを感じるような気がするのも気のせいなのかな?なのに、さっきは廊下で平然と俺を殴り飛ばした相手なんだよな……どっちが本当の西園寺さんなんだろう?』
格納庫の扉が開くと、金属の空気が肺の奥に刺さった。 そして20機のシュツルム・パンツァーを搭載可能な『ふさ』の格納庫にたどり着いたかなめのパイロットスーツの肩の徽章が、クレーンの照明に銀の爪のように光った。焼けた油と冷却材と溶接の甘い匂い。床を這うケーブルの静電気が靴底を鳴らし、頭上でトラスが低くうなる。作業の振動に合わせ、壁がときどき喉で唸る獣みたいに『ヴゥ』と震えた。
出撃準備を急ぐ整備班員達の怒号、リフトの警告音、トルクレンチの規定トルクを示す乾いた『カチン』と響く音。すべてが『これは夢ではない』と誠に押しつけてくる。今の誠には現実はあまりに重い。
間違いなく出撃の時が近づいている事だけはその音と光だけで誠がどんなに取り消そうとしても絶対不可能な事実であると言うことを思い知らされる。
「おう!着いたぞ!もうすでにここは戦場なんだ……神前、今から逃げるなんて言ったらマジで射殺するからな」
かなめは振り返って誠に向けてそう言って笑いかけてきた。先着していたカウラが、淡い緑髪を後ろで束ね、無駄のない動きで振り返る。左手にヘルメット。姿勢のどこにも『甘さ』がない。戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』として産まれたカウラにとってこの状況こそが日常なのだろう。いつもの無表情が今日はなぜか生き生きしているように見える理由を誠はそんな事だと考えた。
「ああ、二人とも着いたか。問題ない。定時まであと三分ある……それでは、整列!」
カウラの短い号令で、誠は反射でかなめの隣に並ぶ。喉が一度鳴った。
「これより搭乗準備にかかる!島田曹長、機体状況!」
「若干兵装に遅れてますが問題ねえっすよ!出撃予定時間までにはなんとかします!」
かなめの05式甲型狙撃仕様専用の230mmロングレンジ・レールガンの装填ラインを睨んでいた島田が振り返り、唇の端を上げる。背中のツナギは油で黒く艶めき、その肩越しに、砲身の『節』がクレーンで吊られて揺れるのが見えた。
「各員、搭乗!」
カウラの一言で三人は自機の足元の昇降機へ向かった。誠の05式乙型の昇降機は、隊で最年少の技術兵・西が担当していた。作業ヘルメットの下、白い鉢巻に太いマジックで『必勝』の文字が甲武風に右から左の横文字で書かれている。甲武の血が好きそうな、古めかしいまっすぐさがそこにあった。
『いよいよ戦場か……僕は足手まといなのか、それとも切り札なのか……切り札なら『何をするか』を何も聞いてないんだけど……戦場でそれを知らされるって……僕そんな臨機応変で対応できるほど器用じゃないんだけどなあ……そんなに器用ならもっと操縦も上手くなってるだろうし』
コックピットの縁に掌をかけ、体を滑り込ませる。金具が擦れ、グローブ越しに『戦場の冷たさ』が伝わる。
西の視線が、真正面から刺さった。年下の瞳に『尊敬』が混ざるのを、こんな場所で初めて受け取る。
「神前少尉。がんばってください!敵は旧式ばかりなんです!数の差なんて大したことはありませんよ!」
そんな何気ない西の言葉が自分の顔に初めての実戦に立ち会う自分の顔に不安の色が見えているのかと思うと誠には自然と笑みが浮かんできていた。誠に向けて相手を低く評価して見せたのは気が利く西ならではの心遣いなのだろうと誠は思った。昇降機が沈み始める直前、西が小さく『戻ってきてくださいよ』と口の形だけで言った気がした。
「……わかった。全力は尽くすよ。西がきっちり整備したんだ。その性能を生かせなければ本当に僕はパイロット失格だからな」
誠が親指を立てると、西は無言でうなずき、昇降機のレバーを倒す。
ハッチが降り、密閉音。『コォン』という薄い金属の喉。
『ここが……人と人が殺し合う箱の中か……これまでの練習機やこれが隊に着いた時に動かした時とはまるで雰囲気が違う。これは本当の意味で『兵器』なんだ……』
誠はルーチン通り、スイッチの列を上から舐める。冷白光に、計器は教本のように整う。シミュレーターで見た値と同じ数字たち。
『大丈夫だ、落ち着け。計器は正しい。……うちには『人類最強』のクバルカ中佐がいる。中佐が言うには僕には必殺技みたいなものがあるらしいから、その使い方はあの人が指示してくれるみたいだし。あの人に優しい中佐が僕をただ戦場に置き去りにするなんてことをするわけがない……信じろ、僕。僕には必殺技があるんだ……条件さえそろって中佐の指示があれば発動するんだ……そうすれば必ず勝てる!』
誠は自分自身に言い聞かせるようにそう思いながらヘルメットを被る。瞬間、世界の音が一段削ぎ落ちて、呼気と鼓動と機械呼吸が混ざった。
『神前少尉、状況を報告せよ。現時刻より機体はコールで呼称する……アルファー・スリー、大丈夫か?少し肩が震えてるぞ……まー初めての戦場だ。そんなもんだろーな。アタシが指揮してるんだ……勝って当然!それが当たり前だ!』
モニターに、珍しく表情を固めたランの顔が映し出される。子どもの輪郭に、老練の目が光っていた。まさにそれは古強者のそれだった。
「アルファー・スリー、オールグリーン。エンジン起動確認。ウォームアップ三十秒」
今の誠には必要な言葉以外を口にする心の余裕は無かった。モニター隅に、カウラとかなめが小さく映しだされる。自分は一人ではない。そんな気持ちが今の誠を支えている。その支えが無ければ倒れてしまいそうになる自分の心の弱さに誠は苦笑いを浮かべていた。
そんなモニターの片隅のサブ画像の中で、いきなりかなめは肩のベルトポケットからフラスコを抜き、平然とあおった。誠は突然のかなめの行動に唖然とした。
『どうだ?このままカタパルトに乗れば戦場だ。気持ち悪いとか言い出したら、逃げる犬っころみたいに背中に風穴開けるからな!オメーはアタシ等の後ろからついてきてオメエの機体のバックパックに積んであるアタシのレールガンの予備マガジンに流れ弾が当たらねえことだけを考えてろ。アレが有ればアタシはいくらでも敵を処刑できる……アタシは今のオメエにはそれくらいの期待しかしてねえから』
かなめは軽く笑い、ヘルメットの下の口元だけが動く。かなめの声に混じって彼女のコックピット内に大音量で『昭和』の女性歌手が流れ始める。中島みゆき。古いながら、やけに鮮やかに響く。
『アルファー・ツー。搭乗中の飲酒は禁止だ。それと戦闘中は音楽も切れ。集中が途切れる』
カウラは冷たい口調でそう言った。音楽を聴き酒を煽るかなめはまるでピクニックにでも行くような様子でサイボーグ用の目の隠れたヘルメットの下の口元に笑みを浮かべていた。
『お堅いねえ……小隊長殿は。これは飲酒じゃねえよ、『気合』だ。それとこの音楽もアタシなりの戦場での儀式なんだ。これ聴いてないと命中率が下がる体質なんだわ。宇宙空間だから銃声は聞こえてこねえけど妨害通信の雑音を聞くよりはよっぽどマシだろうが……オメエも何ならパチンコ屋風に軍艦マーチでも流したらどうだ?きっと予備で持ってる230mmカービンの命中精度が上がるぞ?』
かなめの冷やかすような口調で吐かれた嫌味にカウラが僅かに眉根を寄せる。規律の人間の顔がそこにある。
『忙しいとこ悪いんですが……いいですか?』
島田から管制で割り込み。砲側の騒音が背後で吠える。
『ああ、島田か。まだ出撃予定時間には間があるが手短に済ませてくれ』
相変わらず通信を通して流れて来るかなめの機内のビートをBGMにしてカウラがそう言った。
『それなら、手短に……神前。テメエに伝言だ』
カウラの許可を得るとにんまりと笑みを浮かべている島田の映ったサブモニターが開いた。
「誰からです?」
『まず、神前薫って人からなんだけど……神前、お前のお袋か?』
相変わらず作業中だと言うのに誠を冷やかすような笑みを浮かべながら島田はそう言った。
「……そうですけど?なんて書いてあります?」
胸の内で何かが、古い木箱みたいに軋む。
『ひと言。『がんばれ』だとよ……いいねえ、単純に一言。羨ましいや』
島田は投げやりにそう言う。その島田の背後で、誰かが『いいな』とぼそっと漏らした気がした。島田の口元に浮かんでいるであろう先輩の笑みに誠はただ恥ずかしさで消え入りたい気持ちになった。
『何だよ、へたれ。ママのオッパイでも恋しいのか?まだその年で親離れできねえとは致命的だな。アタシはオメエの年では戦地にいたぞ』
かなめの毒。誠は苦笑いで逃げる。そんなかなめの言葉で母の顔が思い出された。母の振る竹刀の音、畳の匂い……実家の道場の断片がよぎる。
『つまんねえこと考えててもいい。とりあえず怯えるのだけは止めとけ。ビビったらそれで終い。それが戦場だ』
かなめは淡々と慣れた調子で精密射撃用のプログラミングの確認作業を続けていた。
『テメエに期待するのは、ビビった顔を見せねえことだけ。自分を将棋の駒だと思え。前だけ見ろ』
聞きようによっては非常にも聞こえるかなめなりの優しさの言葉を聞いて誠は、黙ってうなずいた。
『ちっこい姐御はオメエを買ってるが、アタシはそこまで期待してねえ。さっき言ったようにオメエはアタシの230mmロングレンジレールガンのマガジンが無事であることだけを考えてりゃいいんだ。今となっては誰も近藤の旦那は止められねえ。……『逆臣』ってのはな、アタシがケリつける。貴族の出としての『筋』だ。向こうもそれを望んでる。望みは叶えてやるさ』
『『逆臣』は『勝って』初めて言える言葉だ。今はただの手配犯。我々はまだ勝利していない』
勝利を確信したような口調のかなめの言葉にカウラが冷水を浴びせる。
『いいんだよ。例の東和国民を守る『ビッグブラザー』が作ったシステムが生きてる限り、勝ちは見えてる。先の大戦のお古の九七式に230粍電磁加速砲を載せただけの『火龍』相手に、後れは取らねえ。まあ、アタシは関係ねえが、神前やカウラは例のシステムのおかげで戦うまでもねえんだもんな』
かなめの言葉に混じる『例のシステム』という言葉に違和感を感じているところに画面の中でカウラが渋い表情を浮かべる。
『あのシステムが本当に起動するのかどうかは東和共和国が独立以来戦争をしたことが無いのだから分かるわけがない。もしあのシステムが起動しなければ敵は数的有利を生かして弾幕を張ってくるぞ……火龍の肩の二門の230mmは厄介だ。当たり所が悪ければ、05式でも一撃で墜ちる。貴様も流れ弾に当たる可能性は十分あることを考えておけ』
冷たく冷静なカウラの状況分析の言葉が鋼線のように張る。
『何だ?弱気の風に吹かれたか、『戦闘用お人形さん』?そのシステムのおこぼれにあずかれないアタシへの慈悲のつもりか?だったら迷惑なだけだ』
明らかにカウラの悲観的な見方にうんざりしたように口をすぼめてかなめはそう言った。
『客観的事実を述べただけだ。それに貴様には光学迷彩があるからと言ってそれを過信するな。例のシステムが起動しなければ間違いなく我々の方が不利になるんだ。光学系を始めとする多くのセンサーでは貴様は視認されないが、こちらは有視界で丸見えだ。その時集中砲火を浴びるのは先行するクバルカ中佐になるが、中佐は相手の微妙な動きで弾道が読めるからすべてかわすだろうが私や神前にはそんな芸当は無理だ。いつまで経っても弾が当たらない中佐を無視して我々が狙われたならそれで我々が被弾する可能性が高い。ああ、これは弱気で言っているのではないぞ。事実を言っているだけだ』
そこで、全天周がランで埋まった。幼い輪郭の奥に、要人警護班の拳銃のような声だった。
『生身だろうがサイボーグだろうが、これから『仕事』なんだよ。遊ぶんじゃねー!それにカウラ、神前。オメー等は戦闘が始まってすぐの段階では後方からの支援なんだから『火龍』の照準器の範囲外だ。本当にまぐれ当たりの流れ弾でも来ねー限り安全だ』
ランの背負ってきた実戦の経験が放つ空気のおかげで場が一気に締まる。
『西園寺。お前の操縦が上手いのは知ってる。カウラも『使える』のも間違いねー。神前が『使えねえ』のも十分承知。……でも、お前らは『最強』のアタシの部隊の一員なんだ。アタシに恥をかかせるんじゃねえぞ。ちゃんと仕事すりゃ、勝てる戦いだ……何しろこっちには例のシステムがあるんだから……アタシが保証するよ……あのシステムは間違いなく発動する。そーすりゃ、近藤の旦那は詰む。それだけだ』
言い切る声に、格納庫の騒音さえ一瞬弱まった気がした。
『しゃあねえな……姐御。後詰は任せたぜ』
『後詰?西園寺、突っ込む気か。私のECM有効圏から出るのは厳禁だ』
『だったらカウラが前に出りゃいい』
『それを指示するのは中佐だ。貴様は私の小隊の二番機担当で私の部下だ。小隊長の言うことには素直に従え』
漫才のようで、鋼鉄のやり取りが響く。その隊舎ではよく見かける二人の『通常運転』が、むしろ誠の呼吸を整える。笑いが喉の奥で泡になる。
『西園寺さんのレールガン、全弾装着終わりましたよ!』
島田が画面に顔を出す。背後で砲身が『ギィ』と鳴りながら収まる。
『待ってました!』
かなめの声が軽く跳ね、砲架のロックピンが『ガチン』と嵌まる音が続いた。
『カタパルトデッキの状況!』
『いつでも行けます!』
『西園寺、神前、アタシ、最後にカウラの順で出る。西園寺、230mmの設定終わり次第、移動開始』
ランは戦場指揮官らしい厳しい口調でそう指示した。
『人使いが荒いねえ。ま、アタシはどんな形であれ『罪人』が喰えりゃどうでもいいんだけど』
口元しか見えないサイボーグ用ヘルメットの下から、犬歯だけが白く笑う。
『神前、びびんな。腕のいい盾として『狼』から守ってやるからよ。ただ背中のラックに積んでるアタシのレールガンのマガジンだけは何とか守りきれよ』
余裕しゃくしゃくと言う感じでかなめはそう言い切った。
「了解しました」
自分の声が、思ったより真っ直ぐに出た。
『時間だ。島田!』
固定が外れ、かなめの機体が油圧で前進。踏面のグリップが床を噛む振動が、誠の座席骨を『トトト』と叩く。
『中佐殿! 出ていいか!』
カタパルト・クルーの誘導灯が緑に変わる。
誠も固定をパージ。ハーネスが胸の骨を抱き直した。
『初めての実戦直前……緊張するのは、当然だ。……当然、だ』
誠は自分自身に言い聞かせるようにそんなことを考えた。
出撃前、まるで待っていたかのようにウィンドウが開きブリッジの管制担当のサラ・グリファン少尉の顔が映し出された。
ブリッジの管制卓、サラのピンク髪が、冷白光にさらふわと揺れる。
『おい、サラ!出撃命令、まだか!いつまで待たせるんだよ!アメリアにもっと『ふさ』を加速するように言え!待ってらんねえよ!』
気が抜けたような顔をしているサラに向けてかなめの怒鳴るような叫びが突き刺さる。
『大丈夫です!かなめちゃん!今!作戦開始地点に到着しました!各機、発進よろしく!』
いつも島田とふざけてばかりのサラが珍しく緊張した面持ちでそう叫んだ。
『んじゃ行くぞ!アルファー・ツー、05式甲狙撃型、出る!』
リニアが唸り、光が走り、かなめの姿は一瞬で視野から消えた。
誠の番。プラットフォームが噛み合い、座席下を推力が貫く。
「クバルカ中佐、何か一言、ないんですか。僕は何を……」
出撃前、誠は背のバックパックに数多くかなめのレールガンの予備弾薬を積んでいる以外に作戦で自分が何をするべきかがつかめていなかった。
『ああ、神前。悪いが、今回はオメーに『ババ』を引いてもらう予定だ』
幼い顔の口から、平然と非情な言葉が放たれた。
「……やっぱり。僕が一番危険な任務、ですね」
『羨ましいねえ、神前。どうやらオメエの『素質』とやら、今回は解放していいらしい。殺し放題だぜ、オメエは。いざとなったら背中のアタシのレールガンのマガジンは捨ててもいいぞ。その為のオメエの『素質』なんだ』
かなめの下卑た笑み。バイザーの向こうで、たれ目がゴミを見る冷たさで見ている気がする。
『やっぱり……今回の肝は、僕だ。二十倍の戦力差。僕が働けなきゃ、みんな、死ぬ』
誘導灯が点滅し、手袋に汗が滲む。
「アルファー・スリー、05乙、出ます!」
射出。重力制御が効き、手応えは薄い。世界だけが『早回し』になり、奥行きの光が一本の帯になる。
「宇宙だ……ここが、戦場になる」
慣性から重力制御系パルス波動エネルギーの力で機体は前進する。黒の深さに、遠い白点が瞬く。
『何、悦に入ってる。ちゃっちゃと移動しろ。すぐカウラも出る』
額の汗を拭おうとして、ヘルメットにコツ、と指が当たる。自分で苦笑。
『『紅兎』弱×54、クバルカ・ラン、推参!』
幼児体形のランの声に、不釣り合いな風格のある口調。誠の心が少し、笑ってしまう。画面は無いもののブリッジの誰かが『またそのコールサイン使ってる』とかぼそっと突っ込む声がしているのが自分と同じことを考えている人がいるんだと誠を少し安心させた。
『アルファー・ワン、05式電子戦仕様、出る』
カウラの声は、氷の縁に薄い温度を乗せた音。
次々に飛び出す味方の呼吸が、誠の心拍と同期していく。
『敵艦隊先頭に立つ『那珂』からの発艦はまだ確認されていません。先手は取りました!』
サラが叫ぶ。管制の背後で、誰かが小さく『やった』と呟く声が入って来た。
『なんだ。近藤の馬鹿、数で勝ってるなら最初っから全機使えるのを出して待ち構えるのが常識だろ?うちが出てくるタイミングすら読めないか。お先が知れるな』
かなめが鼻で笑う。
ランも、カウラも、余計なことは言わない。言葉数が少ないのは『勝算』がある証拠だと、誠は学びつつある。
『ここから始まる。……僕の『本当の戦い』が』
05式四機は、機動で劣る代わりに『意志』のような安定感を保ち、ゆっくりと近藤の乗艦である敵旗艦『那珂』へ向け加速を重ねる。
ナビのベクトル矢印が淡く伸び、誠の胸の中の弦は、まだ震えながらも、一本ずつ調律されていった。
……前へ。駒は、前に進むしかない。




