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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第二十七章 『特殊な部隊』を見守る影

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第65話 恐れる『魔法』、記す者の矜持

 地球圏フランス共和国宇宙軍・遼州派遣艦隊……旗艦『マルセイユ』は『特殊な部隊』の作戦宙域の外、国際戦争法や艦隊を監視する東和宇宙軍の電子戦の攻撃警告を無視すれば数時間で現場にたどり着ける位置で静かに様子を見守っていた。

 

 艦橋は薄い藍色の照明に沈み、静電気を帯びた空調が肺の奥をひやりと撫でる。前面パノラマの外、遼州系アステロイドベルト外縁には、破砕岩塊の影と金属片の残光が緩慢に流れ、時折、味方艦の識別灯が一筋の点線を描いて消えた。床のグレーチング越しにはリアクターの微かな唸り……『グゥゥン』という低音……が安定した拍を刻む。観測員席の端には冷めかけのカフェが一杯、白い縁に口紅がかすかに残り、フランス艦らしい生活感が場違いな温度を置いていた。


 司令席の老人は、ピケ帽の影を深くしながら前方を見据えている。ジャン・カルビン提督……長身痩躯、銀糸のような眉。柔和とも不遜ともつかない微笑が癖になっており、切迫した戦況の只中でも、若者に無用の緊張を与えないことで知られている。


「カルビン提督!報告に上がりました!」

挿絵(By みてみん)

 自動ドアのシールが『チュッ』と鳴り、諜報担当士官が跳ねるように入ってきた。胸に抱えた端末が小さく瞬く。カルビンは表情を変えることなくその若い士官に静かに向き直った。カルビンはその若さに満ち、活気あふれていながらどこまでも軍の規律を守ると言う軍人としての本分を守っている青年に好感を持って笑顔で青年士官を見つめた。


「ご苦労。それで、君は……年はいくつかね?」


 報告の第一声を、老人は柔らかく遮った。唐突な問いに青年は瞬きし、背筋を伸ばす。


「はっ、26になります!」


 士官はカルビンの問いにその真意が分からないという表情を浮かべてそう答えた。


「そうか。若いと言うことは良いことだね。現状を先入観無しで見ることができる。きっと君は私にありのままの事実を語ることができるだろう。では君が持ってきた『結論』を、先に当ててみようか?これは先入観に毒された老人ならではの一種の『芸』だと思ってくれたまえ。……現在この宙域には、我々だけでなく『ほとんどの外宇宙運航が可能な艦隊を持つ地球圏・遼州圏の者たち』が出揃っている。十重二十重の輪。やろうと思えば、この場にいる地球・遼州の連合だけで、甲武国の過激な貴族主義者たちの艦隊はひとたまりもない……そう書いてあるだろう?」


 青年は思わず最敬礼した。端末の画面が、手の震えでわずかに揺れる。


「その通りであります!この艦隊が動き出せば、『甲武の伝統の守護者』と自らを称する貴族主義者に勝ち目は……」


 士官は自分の報告しようとした内容をすべて上官に言い当てられたことに不服そうにそう自分の意見を付け加えた。


「うむ。そこまででいい。それだけわかれば私には十分なんだ。君の任務は果たされた。少し休め」


 すべては予想通りという再確認。その慎重さでカルビンは20年前に終わった7年にわたる甲武の属する『祖国同盟』との戦いを生き抜いてきた。地球圏にとってあの戦いは無駄な損耗さえ回避できれば負けようがない戦い。開戦当時は駆逐艦の艦長だったカルビンが『祖国同盟』の無謀とも言える地球への先制核攻撃の報を知った時に辺境亜星系基地で思った軍人としてのこの戦争の結末はそのようなものだった。


 そして事実、緒戦こそ先制核攻撃のもたらす混乱と『飛行戦車』や『シュツルム・パンツァー』という新兵器を駆使して電撃的勝利を続けた『祖国同盟』もすぐに国力の差でじりじりと押し返され、そして時間を稼げば稼ぐだけ有利になる地球圏の軍隊を前に無駄な抵抗を7年続けた。それが長いと言えるか短いと言えるかはカルビンには判断しかねたが、開戦時から地球圏が大間違いを犯さないと勝ち目のない戦いへの道を甲武が突き進んだのかの回答を今、目の前のどう考えても理解不能な無謀な決起を『伝統を守る捨て石となる覚悟』の『サムライ』がやって見せている事実を前にして、カルビンはなんとなく彼等、元日本人の遺伝子にはそう言う自滅を望んでやまないものが含まれているのではないかと思っていた。


「はっ、ありがとうございます!」


 そんな物思いにふける最高指揮官の配慮の言葉を聞いて青年士官が退室すると、艦橋の空気がふっと軽くなる。席に戻った情報参謀が、壁面ホロに広域配置を展開した。砂鉄を磁石で寄せたように、多色のシンボルがアステロイドの地図上に集まり、そして互いを測るかのように微速で動く。


「アステロイドベルト内縁では遼帝国宇宙軍と、地球遼州派遣軍指揮下のアメリカ海兵隊がにらみ合いを継続中。目立った交戦はありません。遼帝国とアメリカ……連中だけですね、この宙域に艦隊を派遣していないのは。平和ボケで知られる遼州同盟の小国すらドローンを満載した貴重な小型宇宙戦闘艦を派遣していると言うのに……実に暢気なものだ」


 参謀の言葉には明らかにこの遼州圏で起きた久しぶりの大規模軍事行動に全く関心を示さない遼帝国とアメリカの存在が気に食わないと言う色がにじみ出ていた。


「ふむ。……この銀河で艦隊を持つ国家で、ここに『来ていない』のは、皮肉にもその二者だけ、という按配か……これもあの老人……ルドルフ・カーン……の予言通り……何もかも知り尽くしていたのはあの老人と嵯峨惟基……そして東和共和国の真の支配者である『ビッグブラザー』だけというわけだな……」


 カルビンは眼鏡をはずし、レンズをシャツ袖でくいっと拭う。参謀がレーザーポインターで画面の端を示した。ユニオンジャックを塗った外惑星活動艦のシルエットが、氷のように冷たい等深線の上に浮いている。

挿絵(By みてみん)

「『ネオアパルトヘイト』でアングロサクソン系とユダヤ系以外の人間には人権を与えない国となったアメリカとは盟友であるはずの英国まで来ている。……つまり今回の『見世物』には、連中にとっても価値がある。アメリカの『魔法研究』については、アングロサクソン同士でも水漏れがない、ヤンキー共はかつてイギリス国教会に改宗するように要求されることを拒否して新大陸に逃げ出していった時のようにその建国の精神に立ち返っているのかもしれないね。……まあ、最近のヤンキーの支配者であるホワイトハウスの主の顔を見れば、彼等がよりそう言った過去に英国王室が自分達に与えた屈辱を訴えかけることでその地位に上り詰めたのだから誰の目にも分かることだが……ということだね?」


 若手将校が苦笑した。


「アメリカがあれほどまで守ろうとした秘密が、今や公然のものとなろうとしている……我々は歴史的な瞬間に立ち会うことになります!もはや『魔法』は地球圏ではアメリカの専売特許ではありません!そうなれば『魔法』を使える遼州人の遼帝国と並ぶもう一つの経済大国・東和共和国は金次第では我々がその技術を手にすることも可能になるのではないかと!東和共和国はこの400年間国内の経済規模の拡大にもその先端技術の輸出にも一切興味を示さなかった国。ただひたすら地球圏での国家間の対立を見て戦時国債の売り込みで多額の金融資産をため込むことで共和国も多くの資産をあの国に吸い上げられました!あの遼州人とは思えない欲の皮の突っ張ったあの国が『魔法』を誰もが知る宇宙でそれを商品として売りに出さない可能性は考えにくいかと」


 自信を持ってそう言う若手将校の言葉にカルビンは苦笑いを浮かべた。


「そうだろう。国家に『真の友人』などいない。同盟?協約?そんなものは紙の上での意味のない話だ。実際に軍が動くかどうかはその政府がそんな『紙の上だけの約束』に囚われず民意と国益で決める。それはこの400年間地球では普通の話なんだ。友誼とは、利害の別名だ。情報が戦の帰趨を左右するなら、黙っているのがヤンキー流儀。こちらも、同じだ。そして東和共和国にとって建国以来の仮想敵国である遼北人民共和国とアメリカは不俱戴天の仇だ。あの国は『魔法』が誰もが知りうる当たり前の存在となれば、すぐそれを誰もが欲しがる価値ある『商品』として利用するだろうね……これは連中の経済による安全保障という国家の方針から考えても十分あり得る話だ」


 提督は眼鏡をかけ直すと、ピケ帽の庇を人差し指で軽く弾いた。柔和な笑みが、ほんの刹那、戦場の目に変わる。


「よろしい。……これからあの嵯峨と名乗る我々をここに招いた人物がこれから見せる『魔法』の話をしよう。君達は具体的にその『魔法』については知らないだろうからね。400年前の遼州独立戦争時には共和国軍も嫌というほどそれを目にしたらしいが、あくまでそれは記録映像などのデータに過ぎない。軍人ならば目で見た物だけが事実だと考えるべきなのだろうか……残念ながら当時の共和国の軍人であの戦争に参加した人間の生き残りはいないからね……まあ、遼帝国やそれに極秘裏に潜入部隊を送っていた東和共和国にはあの戦争の従軍経験者がいまだに生きている……こんな話を君達は信じるかな?少なくとも私は信じなければならないとこの共和国の遼州派遣艦隊を任される段階でそう言われたものだ……」


 艦橋のざわめきが薄皮一枚ぶん沈む。年長の士官たちは互いに目を合わせ、若手は膝の上で手を組み替えた。


「19年前、ネバダの実験施設。『祖国同盟』の遼帝国が崩壊し、遼南共和国が生まれる過程で……その支援のために派遣されたアメリカ陸軍に、嵯峨は投降した」


 カルビンはあくまで静かに話を続けた。

 

「当時彼が名乗っていたのは『三好大蔵中佐』。その名義での罪を問われ、『戦争犯罪人として射殺された』……少なくとも、ヤンキーはそう発表した。それで我々が納得すると思ったんだろうね。ヤンキーらしい浅はかな考えだ。だが……嵯峨は死ななかった。まあ、それもヤンキーの計算のうちだったが、共和国の諜報機関も『『三好大蔵中佐』は心臓を撃ち抜かれた程度では死なない』ことは知っていたよ。奴は『死ねない』か、『死ぬという事象を拒む』かのどちらかだ」


 カルビンの共和国遼州派遣艦隊司令にのみ与えられるレクチャーの中の一説を聞くブリッジクルーの表情は一斉に硬くこわばっていった。カルビンはそれも当然だと言うように話を続けた。


「彼等には地球科学では理解できない遼州人の『魔法使い』を思う存分研究しても構わない条件がそろった……その程度の理解しかなかったんじゃないかな?その結果……地球科学の常とう手段である生体解剖によって『魔法使いのすべて』を解こうとした。普通の国家が思いつき、だが普通の国家はやってはいけない線を、ヤンキーは軽く越えた。結果として、どうなった?」


 誰も答えない。カルビンは自答する。


「ヤンキーは嵯峨の機嫌を損ねたらしく嵯峨が発動した『魔法』によりその反動でネバダ全域は『次元断層』に覆われ、今も侵入不能だ。……19年、だ。航空写真にも、衛星にも、人の目にも触れられない、黒い空白が地図に居座っている……彼等の『フロンティアスピリット』には感服するが……後に嵯峨が語ったところによると奴はその気にさえなればこの宇宙を消し去る事すらできるらしい。まあ、その話が本気なのか冗談なのかは私には判断できないがね。そんな能力をヤンキーはあの危険な男に与えてしまった……困ったものだね。新大陸の野蛮人は所詮どこまで行っても考えの足りない野蛮人だという証明だ」


 若手の喉が、ごくり、と鳴った音がした。


「まあ、そんなことは置いておいていずれにせよ『不死人』。そして、皮肉なことに、あの人体実験で『法術の制御能力』を失った。ヤンキーが余計なことをしたおかげで嵯峨は多くの力を失ったが、その力の制御不能状態はこの『宇宙全体』に危機的状況を与えることになることを連中は考えに入れていなかった。以後、嵯峨が魔法を使えば『三次元世界が崩壊』する。だから……」


 提督は視線をホロから外し、前方の黒に置いた。


「嵯峨は自ら戦わず、『別の手』を盤面に置いている。自分の代わりに、戦う駒を。……私はそう読んでいる……あの老人もその嵯峨の考えは読んでいるようだ……これは君達には言えないが比較的正確な情報をあの老人は私に教えてくれた。おかげでここに着任する時に受けたレクチャーの中で私に生まれたいくつかの疑問が解消した事には感謝すべきなのかな?」


 艦長が椅子をずらし、静かに口を開いた。


「司令。無人偵察機のフライトはいつでも。司法局実働部隊の『真価』を、一瞬も取り逃がさず記録できます」


「任せた。大統領閣下も、この『スクープ』をお待ちだ。……が、私は紙芝居の観客ではない。見て、考える。記録して、疑う。情報部が持ってきた『魔法』の資料も全部目は通した。だが、私は、現実にそれが目の前に現れてその発動される現場を見るまでは信じない……情報はそれが現実であると言う現象が起きるまではただの文字列でしかない。その現象が、今我々の目の前で起きようとしている。ならばそれをその目で確認してそれに対応する方策を考える。軍人としての当然の職務だ」


 カルビンはゆっくりと立ち上がり、艦橋の前縁まで歩いた。パノラマの端でアステロイドが、鳥の骨のような白光を放っている。老人は指でその縁を叩き、続けた。

挿絵(By みてみん)

「遼帝国の山猿と、ヤンキーの海兵は『茶番』に夢中だ。当然だな、彼等はこれから侍を気どる貴族主義者の運命を最後の一ページまで読んだ後だからな。当然、それをまだそれを見ていない我々がそれを見る事にもそれによって何が起きるかにも関心がない。彼等にとっては『いつかは来る日がたまたま今日来た』程度の話しなんだろうね。……これから起こる出来事には、我々にも見学の資格があるらしい。そして、彼らにとっては『結果が見えすぎている』。見る価値もないと踏んだのだろう。近藤とか言ったかね?この事件を起こした無謀な『勇者』の『サムライ』は……人間こうはなりたくはないという見本のような男だ。全宇宙の人間が彼の最後がどんなものかと興味津々で見守っているんだ。そんな死に方は私は御免だね。同情するよ」


 副官が手元のデータをめくり、恐る恐る尋ねる。


「司令、諜報部が指摘した『ネバダ事故の唯一の生存者』……嵯峨惟基の名、文書では偽名を用いていたとはいえ『戦争犯罪者』だったというのは何とも言えませんね。あの男が、いまクーデター艦隊の鎮圧へ動いているのは……皮肉と申しますか、運命と申しますか」


 嵯峨惟基の名は副官も遼州での勤務が決まった時のレクチャーの中で十分聞かされていた。遼州同盟機構一の切れ者にして甲武四大公家末席の地位にあり甲武国内でもかなりの政治力を持つ男。そして遼南内戦では『とても人間とは思えない』戦い方をする遼南共和国の最強の将軍、『飛将軍』クバルカ・ランすら打倒して見せた当代稀に見る軍略家と。


「世の中そんな偶然があちらこちらに落ちているものさ。そんな偶然のいたずらなんて正直どちらでもいい。……問題は、近藤という愚かな下級士族が『それ』を知っているかだ。十九年前の『魔法』の規模を。知っているなら、ここまで籠城を続けはしまい。知らないから、続けている。だからこそ……嵯峨『ではない』誰かが『魔法』を振るう未来の方が、私には自然に見える」


 艦長が応じる。


「情報部の見立ても同様です。遼州系独立戦争期……地球が敗北を喫した理由を素直に積み上げるなら、『嵯峨だけが唯一の使い手』という仮定の方が不自然です。司法局実働部隊に、別の『使い手』がいる。嵯峨は、ピンポイントでクーデターを止められる『新しい魔法』を、その者に託す……嵯峨が自分の能力が制御不能なものだと自覚しているのならそう考えるのが自然です」


 カルビンは頬の皺を深くし、笑ったのか、顔をしかめたのか、判別しづらい表情をつくった。


「そうだ。嵯峨惟基という男は、そう簡単に『手札』を晒さない。あの男の得意は、盤面の外側から駒を指すことだ。私見だが……我々は、この宙域にやってきた段階でもう彼の『手のひら』に乗っている。彼は、何手で我々をチェックメイトし得るかまで計算に入れて、この事件を仕掛けた。……不本意だが、そう思っている」


 短い沈黙。カフェの香りが、いまさら鼻をかすめる。誰かが咳払いを一つした。


「五十倍の戦力差は、覆らない。常識で言えば、だ。だが『次元断層』級の事象を厭わないなら、話は別だ。味方の損害を勘定に入れないなら、なおさら。……私は共和国軍人で、地球人だ。遼州人の『魔法』を称えたいとは思わない。だが、歴史を記す者としては、認めねばならない時がある。核が時代を変え、超空間航行が生活圏を拡げたように、これから我々が目にするもので、また時代が変わる」


 カルビンは背後に目を向け、艦長に顎で合図した。


「無人機群、第一列、発艦」


「了解。第一、第二列発艦。第三列待機。――記録系、レイテンシ最小モード。暗号化A-3で全チャンネル並列」


 管制席が俄かに忙しくなり、透明な声が幾筋も飛ぶ。艦橋の空気が一段引き締まると、その中心で、老人は独り言のように続けた。


「……ルドルフ・カーン。ゲルパルトのヒトラーの理想とした『秩序の守護者』を自認するあの老人から、私信が届いた。『驚天動地の大スペクタクル』の末、甲武の貴族主義者は幕を閉じる、と。主役は嵯峨ではない、とも。……やれやれ。私は彼を『過去の人』だと思っていたが、負けを読める者は、まだ現役なのだな」

挿絵(By みてみん)

 艦長が息を飲む気配。


「司令、共和国は……ページの端に指を挟んだ誰かが、今、続きを開こうとしている……その誰かが我々だったと言うことなんですね」


 これまで黙ってカルビンの言葉を傾聴していた一人の若い将校がそんな言葉を口にした。


「共和国は『見る』。『記す』。必要な時に必要な報告を上げ、必要な時に必要な(ノン)を言う。……それが私の仕事だ。それ以上は越権行為だ。大統領閣下の顔に泥を塗ることになる」


 老人はゆっくりと目を閉じた。まぶたの裏に、19年前の衛星写真……突然、地図の中に穿たれた黒い穴……が焼き付いていた。誰も近づけない、誰も覗けない、不可侵の空白。あのとき、世界は『見えないもの』の恐ろしさを学んだ。今度は、『見えるところで起きる』のだ。


「……さあ、幕が上がる。遼州人が『法術』と呼ぶものの、そして地球人が『魔法』だと呼んでしまったものの、ほんとうの『姿』が」


 『マルセイユ』の船体が、じわりと姿勢を変える。デブリの狭間で、友軍の識別灯が三点、チカチカと短い合図を返す。遠いハンガーからは、無人機発艦のエアロックが開閉する『ドゥン、ドゥン』という鈍い鼓動が重なって届いた。


 カルビンは、もう一度だけ、軽く笑った。


「遺憾ながら、私は今日、地球人としてではなく、歴史の書記としてここにいる。戦う者には、戦う者の矜持があるように。見る者には、見ることしか許されぬ矜持がある。400年前、我らの祖先がこの星系に置いていった『手痛い犠牲』の記憶……あれが頁の端なら、今日は見出しになる。……記せ、諸君。『恐れる魔法』の項に。そして……それで終わるほど共和国は軟弱ではないと嵯峨に思い知らせるためにここはただ見守ろう」

挿絵(By みてみん)

 艦橋の空気が、わずかに震えた。誰もが自分の呼吸音を聞き、自分の鼓動を数え、それでも目は前に向いたままだった。


     


 ……そして、誰も瞬きをしないまま、時代が進む音を待った。

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