第62話 必要とされる席
誠は嵯峨から追い出されるように展望ルームから出ると、緊張からくる胃のむかつきを抑えようとハンカチで口を押さえながらエレベータールームにたどり着いた。
壁面の誘導ランプが低重力に合わせてゆっくり脈打ち、金属床のラインには整備員の靴底で擦れた銀色が帯のように残る。遠く、機関の唸りが一定の子守歌みたいに続いていた。
彼はとりあえず自分の決断を伝えようと、『特殊な部隊』司法局実働部隊機動部隊長である『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の個室を目指した。
エレベーターが誠のいる階に到着し、扉が開くと中には先客がいた。
そこにいたのは目的の幼女、クバルカ・ラン中佐だった。
制服の裾はぴしっと揃い、肩で風を切る小股歩き。リフトの蛍光が黒髪のおさげに白い帯を落とす。
「クバルカ中佐!」
誠は嵯峨から告げられた『非情で危険な任務』について確かめようと小さなランに声をかけた。
「なんだ?神前。吐き気が収まってすぐに緊張感がある顔をしてるのはいーことだ。ここじゃあなんだから話なら食堂で聞くぞ」
そう言ってランは誠に笑顔を向けた。相変わらずどう見ても8歳の女の子にしか見えない。
だが目だけは氷砂糖のように固く冷えていた。以前、飲み会でランには昭和任侠映画を見るのが趣味があうとかなめから聞いていたので肩で風を切って歩くその姿の脳内は任侠映画のBGMが鳴っていそうだ。
誠は幼女にしては迫力のありすぎるランの態度におどおどしながら、エレベーターに乗り込んだ。
「クバルカ中佐の執務室に行くんじゃないですか?」
そう言ってみる誠だが、ランは否定するように首を振った。
「いいや、食堂に行く。アタシの部屋はまだ神前には刺激が強すぎるらしいからな……どうもアタシの理想とする『任侠道』って奴は誤解されてるらしい。この前の東和の国会で『暴力団対策法』っていう法律が通った。アタシ等堅気じゃねぇ人間には人権はねぇっていう法律だ。確かにやくざの中には薬を売ったり女にたかったりする屑も居るのも事実だが……『任侠道』をわかってるやくざはそんなことはしねーんだ。何もかも一緒くたにされるとこっちが迷惑だ!」
「『任侠道』ですか……それと今、『アタシ達堅気じゃねえ人間』とか言いましたよね?中佐はやくざだったんですか?ぼくはてっきり『人外魔法少女』だとばっかり思ってました」
ランの何気ない言葉を聞きながら、誠達はエレベーターは食堂のある共有フロアーに到着した。
「軍、警察、やくざ。銃を持ってシマを守るのが仕事だ。どこが違うんだ?アタシにゃ理解できねーな。それと恥ずかしい話、アタシは真の『魔法少女』を名乗れる境地にまでは達するに至っていねーんだ……戦闘コスチュームに変身出来てこその真の『魔法少女』……アタシにはそんなことは出来ねー……ただ、日々鍛錬は欠かさねー。いつの日かオメーの期待どーりの立派な『魔法少女』になって見せる!」
とんでもない一言を口走った後、ランはそのままぎゅっと小さな右手を握りしめた。誠には、その三つを同列に並べられる感性の方がよほど『危ない』としか思えなかった。
「あの、『魔法少女』って普通努力してなる物じゃないと思うんですけど……マスコットが突然やって来るとか言うお約束が必要な訳でして。それと『魔法少女』にも変身しないのもいますよ?それと『魔法少女』になると必ず戦うというわけじゃないですし……ちなみにどんなコスチュームが希望ですか?僕、『魔法少女』キャラの絵とかも描けるんでデザインしてあげましょうか?」
誠はフォローと親切心のつもりでそう言った。食堂の手前で振り返ったランはキラキラした幼女らしい瞳を誠に向けてきた。
「そーか。デザインしてくれるか?良い部下を持ったもんだ、アタシは。まず、紺の着流しは欠かせねえな。これを前を開いて胸に巻いている晒が見えるように砕けた感じで着る。そして、黒い帯に足下はきっちりと真新しい雪駄だ。そして手には和傘……どーだ?いかにも『魔法少女』らしい姿だろ?」
笑顔のランの語る彼女の脳内の『魔法少女』のコスチュームを聞いて誠の脳は瞬時にショートした。
『そんな『魔法少女』はいない。それはどう見ても……』
そんな思考停止した誠に全く気付かずにランは笑顔で理想の『魔法少女』像を語り続ける。
「本来なら背中に『唐獅子牡丹』の彫り物を入れてーんだが、アタシが彫り師の所に行くとあの『駄目人間』が邪魔に入るんだ。あの野郎はすでにアタシが行きそうな名の知れた彫り師には全員アタシの手配書を回してやがって絶対にアタシの背中にアタシにふさわしい彫り物を入れようとするのを邪魔してやがる。気に食わねえな。それと『魔法少女』は戦闘シーンではパンツが見えるシーンがあるが……アタシは生まれてこの方、パンツを履いたことがねー」
ここでもまた目の前の『人外魔法少女』はとんでもない発言を口にして誠のわずかに残っていた理性を完全粉砕して見せた。
「あのーパンツを履いていないって……ノーパンなんですか?それって『魔法少女アニメ』だったら地上波どころか配信でも無理でアダルトOVAジャンルになりますけど良いんですか?中佐はそう言うのは嫌いなんじゃないですか?」
誠にはそんなことを口にするのがやっとなほどにその常識と良識が目の前の『魔法少女』を自称するランの脳内についていくことは不可能だと確信していた。
「オメー誤解してるな?誰がノーパンだ!アタシは褌党なんだ!パンツなんてスカスカしたもの誰が履くか!あんなもんで気合いが入る訳ねーだろ!」
ランは余裕の笑みを浮かべて誠の妄想を砕いて見せたが、アダルト系『魔法少女』ではなくそもそも需要があるのかないのかよくわからない方向性の『魔法少女』が出来上がってしまった事実に誠はじっと目の前でひたすら本物の『魔法少女』になることを目指しているらしい見た目の幼い幼女を見下ろしていた。
「はい、安心しました……一応、デザインしてみますね。たぶんそのキャラを見て彼女が『魔法少女』だと認める人は宇宙ではクバルカ中佐一人であることは間違いないと思いますけど」
そんなランは納得し、誠はあきれ果てた会話を終えて二人は食堂に入った。扉が横に滑る音、調理区画から立ちのぼる出汁の湯気、金属トレイが重なる乾いた響き。艦の胃袋は今日も規則正しく動いている。
ランは小さな体で肩で風をきって歩く。誠もおずおずとその後ろに従った。確かにこの歩き方をする人の理想とする『魔法少女』があのような珍妙なコスチュームになるのは当然のことだと誠はその後姿を見ながら考えていた。
廊下一面に『魚拓』や大物を釣り上げた記念写真が並んでいた。
『第七海域・本カツオ 18.6k』『船上神経締め講習・優秀賞』。どこかで艦長の悪ノリを感じさせる展示である。
「また今日も魚ですか?入院食に鯛茶漬けが出るのはたぶんこの艦の医務室以外には存在しないでしょうね」
体力自慢の誠も『点滴』と『魚料理』の繰り返しの日々には飽きてきた。しかもその『魚料理』は『病人でも食べやすい栄養バランスを考え抜いた』病院食を目指しているらしいものではあるが、それが出されるたびに誠にはどう考えても『嫌がっても魚を食わせる』というひよこ以外の医療担当スタッフの悪意を感じるものばかりだった。
「アタシは慣れたぞ……というか、これぐらい魚ばかりで飽きさせないという『釣り部』の連中のこだわりにアタシは連中の心意気とその上官であることへの誇りを感じた。アイツ等は肴にどこまでもこだわってやがるやっぱ天然物を船上で神経締めした魚は旨いや」
ランはまた珍妙な発言をする。
『クバルカ中佐の見た目の幼女の口から『神経締め』の単語。普通に怖いんですけど』
誠はいい魚が食べられると今日もご機嫌なランを見ながらそんなことを考えていた。
「そうですか……それは良かったですね」
不思議を通り越して理解不能な存在にまで昇格したランを眺める誠を見ながら、彼女は食堂で空いている席を探した。出撃間近ということもあって食堂は白つなぎ姿の整備班でにぎわいを見せていた。
壁掛けテレビでは『本日の漁況』が流れ、卓上のソースボトルには『アジフライ推し』の手書きポップが目立つ。
どう見ても8歳女児のグルメうんちく聞く現実に耐えながら、誠は食堂の奥のテーブルに黙って腰かけた。
ランは誠の正面に座って誠の顔を見ると静かにうなずいた。
「どうせアレだろ?うちの『駄目人間』にアタシに命令を受けて来いとか言われたんだろ?隊長の事だ、近藤とか言う『クーデター首謀者』を処刑する件を色々脅しも含めて言われたわけだな?そんなもんでビビってるよ―じゃ先が思いやられるな……とりあえず、飯を食え。ここのとっておきの肉料理の『かつ丼』をおごってやる。先に席を確保しとけよ……さっきアタシの機体の最終調整が終わったところだから整備班の連中が流れ込んでくることになる。オメーも久しぶりの固形物を立って食うのは嫌だろ?」
「はい……」
誠は券売機で食券を買うランの後ろ姿を見つめていた。
『いつも券売機の肉ボタンだけが『売切』ランプになりやすいのは……まあ、整備班の人達も魚ばっかりじゃ飽きるんだろうな』
周りの非番の隊員達がアジの開き定食やサバの味噌煮定食を運んでいく様を見つめながら誠はぼんやりしていた。
「本当に……魚しか無いんだな」
そう言いつつ誠は嵯峨の言った『逃げろ』と言うことを考えていた。
誠も正直逃げる事を考えていなかったわけでは無かった。
今回は演習ではなく実戦である。
誠にもその事実は分かっていた。
そして『死』がそこに待ち構えていることも誠には理解できた。
死ぬのが好きな人などいないと思っている誠にとって逃げれば確かに死とは関わらずに済むことも分かっていた。
誠は死ぬのが怖かった。
人を殺せる自信も無かった。
誠は逃げることができないと思っていた。
一週間前の誠なら嵯峨の提案に乗って逃げ出していただろう。
逃げるにしてはこの『特殊な部隊』の面々と関わり合いが深くなりすぎていた。
かなめ、カウラ、アメリア、そしてラン。彼女達を見捨てて逃げることはできない。
逃げた誠を軽蔑する視線で見つめる島田を想像すると逃げるという選択肢は誠には浮かばなくなっていた。
誠は録画と思われる釣り番組の流れる大画面テレビの前の席でぼんやりと時を過ごしていた。
「なにボーっとしてるんだ?食えよ」
呆然としていた誠の前にはいつの間にかランが座っていて、誠の目の前には彼女が運んで来たかつ丼が置いてあった。
湯気、甘い卵の香り、衣のサクが汁に溶ける音。現世に引き戻す三点セット。
その向こうではランが誠を見つめていた。
「はい!」
驚いた誠はそのままドンブリに手を伸ばした。
「今回の出動は結構ヤバいんだ。神前も聞かされたとーり甲武の刑罰は厳しい。負けたら後は無いと敵も必死に戦うだろーな。そして、それなりの死人が出る。間違いなくだ」
ランはそう言って出された熱いお茶の湯飲みを握りしめた。
丼の縁に軽く打つ箸の音が、一拍置く合図になる。
「そうですよね……戦闘艦に乗った人を殺す任務なんて……同乗しているたくさんの人が死にますね。命令でその近藤とか言う人の部下になっただけなのに」
どんぶりに伸ばしかけた手を引っ込めた誠は、そう言って苦笑いを浮かべた。
「そうだ……結構な数、人が死ぬことになる……身勝手な理想を掲げた上官の尻拭いを押し付けられた連中には同情するしかねーよ」
まじめな表情でランはそう言った。
そこに任侠の筋が通る。弱い者は守る、筋の通らぬ上は許さない。
「軍では上官の命令が全てですからね。特に身分制度の厳しい甲武の命令系統の厳しさは僕にでも予想が付きます」
誠もこの部隊に入ってからこれまで関心も持たなかった社会と言うものを学んでいた。
「そーだ。でもまー近藤さんの部下にも貴族主義に染まっていない連中もいるから出撃を拒否する奴が結構な数いる……そいつ等だけは助けたい……」
ランはそう言うと腕組みをして誠をにらみつけた。
幼女の腕組みがなぜここまで映画の親分感を出すのか、神前は考えるのをやめた。
「そう言う人はどうしているんですか?」
誠は箸を置いて真正面からランを見つめた。
「おそらく倉庫や営倉に軟禁されてるだろーな……『那珂』を沈めるとして、ブリッジを一撃で破壊してケリをつけなきゃそいつ等も一緒にお陀仏だ」
ランはそう言いながらどんぶりをかきこむ。
「ブリッジを一撃で……できるんですか?230mmロングレンジレールガンじゃ直撃を食らわせないと無理ですよ。そんなことができるのは西園寺さんくらいじゃ無いですか?うちでは」
「西園寺でもレールガンの有効射程に入れるかどうか……。05式の機動力は絶望的だ。西園寺の機体をその範囲内まで敵に発見されずに侵入させるような急襲作戦なんてアタシも思いつかねー。アタシ達には機動力と火力が足りねーんだ。特に火力がな……でもまーアタシにはその火力を使える奴に覚えがある……そして機動力を補う方法も知っている……そのカギがオメーだ」
ランはそこまで言うと、それ以上は説明しようとしなかった。
「僕……ですか?僕は射撃はド下手ですよ。それともダンビラで何とかしろって言うんですか?西園寺さんが飛び込めない弾幕に僕がどうこうできる訳無いじゃ無いですか?それに機動力は機体の問題であって僕がどうこうできる話じゃありませんよ!」
誠がそう言うとランは安心するような笑みを浮かべて立ち上がった。
そしてそのまま食堂のカウンターに向かって歩き出した。
「分かんねーみてーだな……じゃーアタシは部屋で一杯やるから失礼するわ。……久しぶりの固形物だろ……味わって食えよ」
ランは食堂の担当者から小皿に乗せた白子ポン酢を受け取るとそう言って立ち去った。
『昼から白子で日本酒を飲む幼女……。任侠の肴セレクションは渋すぎる……というかさっき約束した『魔法少女』のクバルカ中佐のキャラデザイン……誰がそのキャラを『魔法少女』だと認識するんだ?まあ、クバルカ中佐がそれでいいって言うんだから良いんだろうけど』
誠は去っていくランを見てそんなことを考えながら久しぶりに見る食事と呼べる食事である『かつ丼』を前にランの最後の言葉の意味を考えながら割り箸を手に取った。
「固形物を食べても大丈夫なのか?」
久しぶりのまともな食事である『かつ丼』を食べようとしていた誠に話しかける女性があった。
第一小隊隊長、カウラ・ベルガー大尉である。
いつものようにエメラルドグリーンのつややかなポニーテールを気にしながら誠の前に腰かけた。
カウラは化粧も香水もつけることが無い、代わりにオイルと金属の匂い……指揮機の匂いが彼女の周りに薄く漂う。そんな一切飾らないところがいかにも彼女らしいと誠はいつも思っていた。
「ええ、流動食は飽きたんで。それと流動食って魚の細かい切り身やすり身を載せたお茶漬けを『流動食』だと言い切る医務室のスタッフの神経に疲れてきたんで。それより今回の任務の詳細を聞いたんですけど、僕……本当に役に立つんでしょうか?ここに居てもいいんでしょうか?」
誠は割り箸を割りながら、誠は直接の上司である美しい無表情な女性に告白した。
「役に立つかどうか……それは私の決めることでは無いな……クバルカ中佐の仕事の範疇だ……」
予想通りカウラはそう言うと頬杖をついて誠を見つめた。
目線は安定。測距するように、誠の不安の距離を測っている。
「クバルカ中佐は僕じゃないと出来ないみたいなこと言いますけど……本当に僕で良いんですか?」
誠はそう言いながらかつ丼に箸をつけた。
「ああ、それなら問題は無いだろ?私は戦場を用意する……私の機体は電子戦に特化した指揮機だからな。それが私の仕事だ」
どんぶりを持ち上げた誠にカウラはそう言って微笑みを浮かべた。
彼女の笑みは薄いが、温度は本物だ。
「僕が必要……?本当に……?」
そう言いながら誠は魚料理しか無い『ふさ』の食堂の貴重な肉料理であるかつ丼のカツを口に運びながらカウラのエメラルドグリーンの瞳を見つめた。
「だから何度も言った通り貴様が必要だから私達は貴様を部隊に配属させた……それだけだ」
カウラはそう言ってかつ丼に食いつく誠に微笑みかけた。
「僕が必要なんですね?」
カツの下の白米を口に運びつつ誠はそう言った。
「何度も言わせるんじゃない、貴様はこの『特殊な部隊』には不可欠な存在だ。これは誰もが認めたところだ。自分を過信している西園寺はどう思っているかは分からないがな」
「カウラさん……っ!」
誠が思い切りむせたのは、落ちこぼれパイロットの自分を、それほどまでにカウラたちが必要としていることに感動したからだった。
食道に入ったご飯粒を吐き出しつつ誠は息を整えた。
カウラは相変わらず頬杖をついてほほ笑んでいる。
「それより問題なのは西園寺だ。アイツは貴様に入れ込んでいるが……あの通り直情的な性格だからな……戦場で頭に血が上って貴様に迷惑をかけることになるかも知れん。そちらの方が心配だ。さっきも言ったようにアイツには慢心がある……それを抑えるのが小隊長である私の仕事なのだが、命令無視を当然のことと考えているアイツにはその理屈は通用しないんだ。困ったものだ」
そのエメラルドグリーンの真剣な瞳が誠の顔を捉えて離さなかった。
『隊長の心配』は、たいてい現実化する。だから先に対策を置くのが彼女の流儀だ。
「西園寺さんですか?確かに僕を連れ戻しに来た時みたいに自分の感情を抑えきれない所がありますから。でも実戦経験者ですよ。僕より役にたちますよ。それに敵は生身で西園寺さんはサイボーグ。それは慢心じゃなくて自信の表れだと僕には見えますけど」
誠は本心からそう言った。
西園寺かなめ大尉。第一小隊二番機担当。
機械の体を持つわりに感情の歯止めが効かない所があるかなめのことを思うと、誠も少し心配になった。
「アイツは感情に任せて銃を撃ちまくるところがあるからな……だが今回は無駄撃ちはしないと思う……アイツもそこまで馬鹿じゃない……ただ、敵を撃ち抜くたびにアイツの口元に浮かぶ笑みをモニター越しに見るのは気分のいい話ではないな。私も戦うために作られた『ラスト・バタリオン』だが、アイツのように戦いを楽しむ趣味は無い」
カウラははっきりとそう言った。
しかし、ここは『特殊な部隊』である。
外界の『一般人』が関わって無事に済むという保証は無い。
「西園寺さん……僕を救出に来た時みたいに敵を撃つんでしょうね。それが任務ですから。そしてあの人の人を殺す時の笑顔……僕も正直怖かったです」
いったん手にしたどんぶりをテーブルに置いて誠はそう言った。
「任務の為ならためらわず撃つだろうな……西園寺は……笑顔でな。まあ、アイツが戦闘中に敵が死ぬのを見ると笑うというのを見ることで感じる貴様の良心が痛むのを少しは和らげるたとえ話をすると、今回の敵は甲武国の反乱分子なんだ。お前の好きな特撮ヒーローもので言うと『悪の組織』だと思えばわかりやすい。敵は全員、脳改造された『戦闘員』だ。正義の司令官、クバルカ中佐の命令で戦えば必ず『正義』は勝つ。『正義の女改造人間』の西園寺かなめ中尉のバックアップをするのが貴様の任務だ。特撮ヒーローは敵の怪人を倒すと良い笑顔を浮かべる。それと同じだと考えればいい。私はそのための戦場を用意する。それだけの話だ」
カウラは真剣な表情で誠にそう言うと、気が済んだように誠に笑いかけた。ヒーローものの敵が「悪の組織」だと言われれば、いくらかは割り切れる。そのカウラの理屈は誠でも理解できた。それでも、本当に自分がそのヒーロー側に立てるのか……その自信だけは、まだおぼつかなかった。
どこかで聞いたような特撮の構図だった。宇宙酔いに慣れるためのリハビリで艦内を散歩していた時だった、カウラが買い集めたという新台の並ぶ娯楽室のパチンコ景品コーナーで次々とそのあまりの渋さに肩を落として去っていく整備班員の男子たちを横目にドル箱を積み上げたカウラが目を輝かせていたのを誠は見ていた。そして、好奇心から中に足を踏み入れた誠の見た一番手前の台こそが現在放映中のカウラの言った通りの設定の特撮ヒーローのキャラクターの台だった。
「カウラさん……『悪の組織』とか……『戦闘員』とか……僕の気を紛らわせようと……『たとえ話』をしたんですね……もしかて……パチンコにそんな台があるんですね?それが好きなんですか?」
彼女は美しいエメラルドグリーンの髪をなでながら立ち上がった。
「確かに私が得意とする台にそう言う設定のモノがあるのが事実だがそれはそれの話だ。神前。貴様は自分を信じて戦え。戦う中で困ったことがあればその時はクバルカ中佐がなんとかしてくれる……ただ、西園寺の真似をするな……戦争はヒーローごっこじゃない。戦争遂行の目的で作られた私が言うんだから間違いない」
カウラの最後の言葉に誠は強く心打たれた。
「はい!」
笑顔で頷くカウラの言葉に誠はそう言ってうなずいた。
「ならばその信じた通り戦え。今回の初めての実戦での損な戦い方。それが貴様の戦い方になるだろう」
そう言い残すとカウラは誠に背を向けると食堂を出て行った。
歩幅は一定、迷い無し。指揮官の背中は、たいてい言葉より雄弁だ。
誠は彼女のさわやかな雰囲気になごみながらかつ丼のどんぶりを手に食事を再開した。
誠はカウラが食堂を去るのを見送ると目の前のかつ丼のどんぶりを手に取った。
「さあ、食べるか……そうか。僕は、ここにいていいんだ」
食べるタイミングを『特殊』な上司のカウラに外されたせいで、なんとなく誠はかつ丼に箸を伸ばせずにいた。
そして誠は産まれて初めて自分の居場所を見つけたことに気付いた。
『人に『必要』って言われるって、どんな制吐剤より効くんだな』
誠の脳裏にそんな言葉がこだました。
「食ってんだ」
かつ丼とにらめっこをしている誠の正面からハスキーな女性の声がした。
さっきまでカウラとの話題の中心の人だった西園寺かなめ中尉だった。
ライトブルーの実働部隊の制服の左わきには彼女らしく愛銃を入れたホルスターが見えた。
座る前に椅子の金具を無意識に点検する習性。戦場の女の癖だ。
「食べたいんですけど……なかなか口に運ぶ気力が無くて……」
お茶を濁すような言葉を並べて誠はまたかつ丼のどんぶりをテーブルに置いた。
「今度の出動は、アタシが『近藤一派』を全員処刑するからな。射撃が苦手で役に立たないオメエは弾の補給を頼むわ。射撃の下手なオメエには補給担当がお似合いだ。せいぜい弾を運んでくれ」
誠の前に座ったかなめは表情も変えずにそう言った。
言い切る声が乾いていて、良し悪しの温度がゼロだ。
あまりにあっさりとした『処刑宣言』に誠は呆然とかなめを見つめた。
「なんだ?オメエもついでに射殺してほしいのか?この前オメエを救出に行って以来、動く標的を撃ってねえから練習用の的を希望しているのか?ならいいや、5秒待ってやる。逃げられるだけ逃げろ」
そう言ってかなめはまったく表情を変えずにホルスターに手を伸ばした。
「いえ!違います!……でも……『処刑』だなんて……」
誠は焦ってそう答えた。
かなめの右手が銃に向けて動いているのを見たからだった。
『いくら西園寺さんが戦闘狂でも艦内では弾はマガジンに入っていないはず。入っていないはず……』
誠はすぐにでも銃を取り出す勢いのかなめに恐怖しながら彼女の話を聞いていた。
「アタシが『近藤貴久中佐』と言う男を処刑すると言うのがそんなにおかしいか?近藤の旦那の本心を知ってて放置していた本間提督みたいに奴に甘い顔をしろとでも?近藤の旦那には悪いがアタシはそんな甘ちゃんじゃねえんだ」
表情を殺した『女サイボーグ』の瞳に見つめられると、誠は動くこともできなくなった。
「なんでそんな酷いことが……言えるんですか?人間ですよ、相手は」
誠は目の前の恐ろしいたれ目のサイボーグに語り掛けた。かなめはあっけらかんとした顔になる。
「そりゃあ、近藤中佐は『歴史に名を残したい貴族主義者』だろ?アタシが『上意討ち』にして、『逆族』としてちゃんと歴史に名を刻んでやるのが礼儀だろ?アタシは貴族の頂点に立つ女だ。貴族主義を名乗るならその頂点を極めたアタシが死ねと言ったら死ぬのが当然だろ?」
かなめはまったく表情を変えずに誠には理解できない論理を展開する。
「『上意討ち』……って何ですか?」
誠の突拍子もない問いにかなめの表情は凍った。
「『上意討ち』も知らねえのか……お上に逆らった逆賊は殺されて当然なのが『甲武国』なんだよ。あそこの政府に軍人が逆らえばそれは『逆賊』だから討って構わねえんだよ……アタシはアイツみたいな下級士族じゃねえんだ。甲武最高位の貴族様だ。首を取るのに何の遠慮がいるんだよ。それが連中の望んだ貴族主義国家のルールだろ?だったらアイツ等が望んだルールの通りに殺してやるのが礼儀って奴だ。アイツ等の望む『伝統』がそれだ。それが嫌で死にたくねえって言うのなら貴族主義なんて辞めちまえ。でもまあ、これだけ事を大きくした以上、アタシに処刑される運命からは逃れられねえがな」
誠は何度聞いてもかなめの言葉が理解できなかった。
国が違えば、倫理の初期設定が違う。それを今、骨で知る。
目の前の機械の体のかなめがそれなりの高位の貴族の出なのは分かったがその発想は庶民の誠には分かりかねた。
「西園寺さん……確かにクーデターは悪いことですし、貴族主義なんて僕には理解できないですけど……いきなり殺すなんてひどくないですか?」
信じられずに確認する誠を見てかなめはさわやかな笑みを浮かべた。
「そりゃあ東和共和国の理屈だ。甲武には甲武の理屈がある。しかも貴族主義者の大事にする伝統ではそれを『伝統美』と呼んで賛美するんだ。美しく死にたい自殺志願者……殺してくれって奴等は言うんだ。じゃあ、望み通り殺してやる。どこにひどいことがある?逆に弾の無駄遣いという理由で後で管理部の菰田から文句を言われるアタシの方が可哀そうだ」
誠の庶民的発想の疑問をかなめは一言で完全粉砕した。
『ある』と言われてしまえば、そこに国が一つ立ち上がる。
「それに、アタシも好きで『貴族』に生まれたんじゃねえんだよ。アタシの先祖の『西園寺さん』が甲武国を作って『貴族制』を始めたんだよ。だからアタシは貴族のトップなんだ。連中はそれをそう決めたからそれを永遠に守り続けろと主張している。だったら、その秩序の頂点に立つアタシが好き勝手やって何が悪いんだ?何がおかしいんだ?」
「『甲武国』を建国?」
考えてみれば『甲武国』は地球圏からの移民が独立して建てた『貴族制国家』である。
『貴族制』と言うことは遼州独立の功労者が貴族になっているのは当たり前だということは誠にも理解できた。
トップの娘は、トップの論理で話す。単純で、残酷で、揺らがない。
「しかし……近藤の旦那も馬鹿だよな、『貴族主義』とか『官派』とか言うけど、どう頑張っても下級士族の出身の近藤の旦那は『甲武国』じゃこれ以上出世の見込みなんてねえのにな……今はあの旦那は裏金作りの功を称えられて中佐で中級士族並みの扱いを受けていて、中尉のアタシより階級が上の中佐だ。でも、そんなもんあの国では絶対の身分の前では何の意味もねえんだ。アタシには四大公爵筆頭公爵の爵位がある。先祖代々の8,000万人の領民を抱える荘園もある。官位もすべての警察幹部の任命権を握る『検非違使別当』だ。それにアタシの腐れ縁の幼馴染には武家の棟梁の『征夷大将軍』で右大臣を務めてる甲武の国父と言える田安高家の直系の末裔の田安麗子って奴が居てね。アイツの官位の右大臣の地位は全ての軍人の任免権を独占している。アイツは馬鹿だからアタシの言うことは何でも聞く。だから、近藤の旦那が例えアタシ等に勝っても友達思いなだけが取り柄の麗子が近藤の旦那に切腹を命じたらそれに素直に応じるしかねえ……どう考えてもあの旦那は詰んでるんだよ」
かなめは誠には理解不能な『特殊』な世界観を語った。要するに……甲武のルールでは、近藤はどう足掻いても、かなめの『はい、そこまで』で詰む位置にいる、しかもその仕組みを守ろうと近藤は決起した。その矛盾に甲武と言う国の闇を誠はかなめの言葉の中に聞いた気がした。
誠はただ絶句してかなめのたれ目を眺めていた。
「親父……アタシに四大公家筆頭の地位を譲って平民になったから世間から『平民宰相』と呼ばれてる甲武国で宰相をしているんだが……親父は何かというとアタシに言うんだ。『人は尊く生まれるんじゃない。尊くなろうと努力するのが人なんだ』ってな。そんな世界では身分や豊かさなんて関係ねえってな。でも貴族主義者は尊く生まれた奴は何をしても尊く、卑しく生まれた奴はどんなに立派でも卑しいまま。ただ、同じく死ぬ運命だ。それをアタシが教えてやろうってだけの話だ。単純な話だろ?」
かなめは相変わらずの死んだような瞳で誠を見つめながらそう言った。
「尊く生まれるんじゃ無い。尊くなろうと努力する……」
誠はかなめの口にした言葉を繰り返した。かなめの父『平民宰相』と呼ばれる宰相西園寺義基に誠は親近感のようなものを感じて会ってみたいような気がしていた。
そして、まだ見ぬ『かなめの父』、西園寺義基の言葉に心を動かされた。同時にいつか自分も、誰かに胸を張って言えるだろうか……『俺は、尊くなろうとしている』と。もし、かなめの父にそう問われた時にそう答えられる自分でありたいと思う誠だった。
「親父は貴族最上位の地位をほっぽりだした無責任な男だが、その言葉は信用してやる。アタシにその位を譲って『平民宰相』として民の政治をしたいというのも許してやってる……親孝行だからな!アタシは。だから近藤の野郎にもその命で教えてやる。死には貴賤も貧富も関係ねえんだってことをな」
かなめの言葉には『父』への『愛』が感じられた。
庶民である自分とは違う、かなめの独特の父への尊敬がそこにあると誠はかなめを見ながら感じていた。
『親孝行だからな』の言い方が、少しだけ照れていたのを、誠は見逃さなかった。
「だから、その貴賤や貧富に関係ない世を作ろうとしている男の娘として、『特殊な部隊』の一員として近藤の野望は砕く!『甲武国』一番の貴族として、貴族主義者の連中に『死』を遣わしてやる!結果として連中は『逆臣』として歴史に名を刻めるんだ。本望だろ?」
残酷な言葉を並べるかなめがおどけたように笑う。
「神前。そのためにおめえはアタシのフォローをしろ!アタシの銃の弾が尽きたら弾を運べ!それが本来の『貴族』の戦いだ!」
かなめの言葉に迷いは無かった。
頼むと命じるのちょうど真ん中。そこに、彼女の『信頼』がある。
『人外魔法少女』であるランが指揮し、『美しいが少し変』なカウラが戦場を用意する。そして、『気高き機械の体』の姫君が裁きを下す。
誠はこの『特殊な部隊』が実は『正義の味方』なのかもしれないと思っている自分を発見した。
「神前。食えよ、かつ丼」
誠は少しかなめの素敵な言葉にあこがれて、目の前のどんぶりの中身のことを忘れていた。
「すみません……なんだか……西園寺さんが見かけによらず、立派なことを言うから忘れてました」
そう言うと誠はかつ丼のどんぶりを手にした。
そして誠の心の中には必要としてくれる人が居る限り、誠は戦うしかないという覚悟の念が浮かんでいた。
わり箸が丼に触れてコツと鳴る。その音が、小さな出陣の合図に思えた。




