第61話 歴史を書く者と、歴史に殺される者
誠を見送った嵯峨は、くわえていたタバコを放り投げると、静かに身を起こして展望ルームのガラスに目を向けた。
灰は無音で床の吸煙スリットに吸い込まれ、窓ガラスには彼自身の無駄な脂肪の無い痩せた影が薄く二重に重なる。艦の奥からは、重力制御の微かな唸りと、どこかの区画で鳴る工具の金属音が点描のように届く。
何もないはずの展望ルームのガラス一面に、水色の髪の女性の姿が浮き上がった。
反射でも幻でもない。艦内回線の『簡易面映し』が、透明なスクリーンとして窓面を転用しているのだ。宇宙の黒の上に、水色のショートヘアがくっきり乗る。
「パーラか?通信の当番だったな……どうせ『これまで撮りためたアニメラジオを聞くから邪魔しないでね』とかアメリアに言われて押し付けられたんだろ?アイツのオタクぶりにも困ったもんだ……あんなのの御守りをお前さんみたいな常識人に任せてすまねえな」
そう言って嵯峨はニヒルな笑みを浮かべた。
口角だけが少し上がる、煙と一緒に出す『サービス精神』の笑み。
『ああ、アメリアの話はしないでください。思い出しただけで腹が立って来るんで。それより隊長……どうしたんですか?同盟会議からの命令が無茶なことなんて、いつものことじゃないですか!』
嵯峨は思った。
『戦うことしかできなかったはずのパーラ・ラビロフ中尉が、いつの間にか実に魅力的な女性になった……確かにアメリアを始め普通の地球の血を引いた常識の通用する女性と比べると人間失格レベルの運航部の女芸人の世話を一手に引き受けているのは災難としか言えないけど……それでも俺のやってきたことに間違いはなかったらしい』
と。
視線は冷静、語尾は柔らかく、言うべき時にだけ強くなる……『兵』から『士』への変化。自分がこの部隊の隊長になって少しは良いことをしている。昔は命令を怒鳴り返すだけだった『兵』が、今は相手の状況を読んで、言葉を選ぶ『士』になっているのが指揮官としての嵯峨に余裕の笑みを作った。
嵯峨はそんな感傷に浸りながら真面目な表情を浮かべる画面のパーラを見つめていた。
満足した笑みを浮かべた後、嵯峨の表情が難解な問題を解く学生のような感じに変わる。
視線が斜め上に逸れ、眉間にほんのわずかな縦皺。経験的直感が、何かの到来を告げている。
「……いや、いい。それよりも、俺に話があるんだな。どこかから連絡先不明の通信が来てるんじゃないのか?俺も今ぐらいにあの人の事だから俺と話がしたいと通信して来るとは呼んでいたが……その通信の特徴とか教えてくれない?たぶんあの人の事だから自分の位置を正確に把握できないような工夫はしているつもりだと思うけど……まあ、俺は元情報将校だよ。アンタの位置なんてバレバレなんだよ」
パーラの戸惑う顔を見ながら、中年男らしい老成した表情を浮かべた嵯峨はそう言った。
柔く問い、鋭く測る。声色に“針”は立てない。
『……それが……なんでこんな奇妙な通信方法をしてくるのかは分からなくって……『甲武国陸軍憲兵少将・嵯峨惟基に回せ』という電文が、まったく別の通信ターミナル衛星を利用して連続して届いているので、隊長に報告を……と』
目の前の巨大モニターの中でパーラは頭を掻きながらそう言った。
『宛名だけが正確』な謎の叩き。古い軍用コールサインを熟知した者の癖だ。
「わかったよ。そいつが俺の予想した人物なら、またすぐに同じような電文が届く。それをなんとかキャッチしろ……たぶんあの御仁は俺と話をするまでその通信を一定間隔で続けるはずだ……それが自分の首を絞めることになるのも知らずにね」
嵯峨はそう言って静かに目をつぶった。
彼の『間』は、相手の心拍の鼓点に自分を合わせるためのものだ。展望窓の外、遠い破片光が点滅する。
モニターに投影されていたパーラの表情がすぐに緊張を帯びる。
『また電文来ました!回線回します!』
パーラの言葉に嵯峨は表情を変えずに、パーラと切り替わって画面に投影された近藤貴久中佐の顔を眺めた。
硬い眼光、整い過ぎた軍服の皺、声を出す前から『演説姿勢』に入っている喉筋。勝利を確信する者の呼気は、たいてい少しだけ甘い。
『甲武国、『四大公末席」、嵯峨惟基憲兵少将閣下……』
画像に映る近藤は、自分の優位を誇るような笑みを浮かべてそう呼びかけてきた。
嵯峨は肩をすくめる。
「違うよ。俺はただの『嵯峨特務大佐』……『特殊な部隊』の隊長だ。甲武を支配している『四大公家』だの閣下なんて、柄じゃないよ」
画面に映った近藤はそう嵯峨に向けて言った。勝者となることが決まっていると確信する近藤とただの面倒ごとを押し付けられたというような表情の嵯峨。その二人の間にしばらくの沈黙が流れ、近藤は嵯峨の明らかに自分を『面倒な人間』としてしか見ていない視線を察して画面越しに右手をしっかりと握りしめた。
呼称の『針』を逸らされ、僅かに目蓋が揺れる。名乗りは旗印。そこで揺らぐと、軍人は呼吸が乱れる。
少し考えごとをしているようなぼんやりとした表情の嵯峨は、静かに胸のポケットのタバコを取り出しながら近藤を見つめながら口を開いた。
火は着けない。相手の台詞を誘う仕草として、ただ一本、白い筒を指に転がす。
『ならば嵯峨大佐でいいでしょう。少しお話はできないでしょうか?それがあなたの為にもなると思うのですが……無茶な命令を拒否する口実が出来るかもしれませんよ?』
近藤はそう言ってにやりと笑った。
勝利宣言の前置き。舞台袖から自らスポットを当てる笑み。
嵯峨はそんな近藤の勝利の確信に満ちた表情を一瞥するとすぐに目をそらして面倒くさそうにタバコに火をつけて展望ルームの画面いっぱいに映る意志の強そうな男の顔にうんざりとしたような視線を向けた。
「近藤さん……命乞いかい?いまさら何を言ってるのか……俺としても困るんだよ。俺の上の司法局はアンタを殺せと言っている。すべては遅すぎたの。そんな事も分からないない?何考えて今まで甲武海軍に奉職してたわけ?俺の知り合いで甲武海軍にいる人間はもう少し頭の出来が良いよ。よくそんな現状で俺から見ると下士官の昇進試験すら合格が難しい程度の人間であるアンタが海軍兵学校に受かったね。開戦前ってことで倍率が低かったのかな?良かったね、下級士族が海軍兵学校に受かるだなんてそれこそ一族あげての快挙だもん。まあ、俺はアンタが尊重している身分制度で言うと最上級の貴族様で、俺にとってはその貴族しか入れない軍学校である高等予科学校もその特別処置で入学した陸軍大学校も大したこと教えてくれなかったよ。そんな俺に貴族の特権を享受させてる今の身分制度をありがたがるアンタの考え方……その恩恵を最大限に受けた俺でも理解できないね」
嵯峨はそう言ってタバコをふかした。
煙は細く、真っ直ぐ。挑発は『言葉の刃』ではなく『体温差』で行う。少し寒くして、相手に喋らせる。
その目はぼんやりと展望ルームのガラスに映し出される『海軍官派決起の中心人物』近藤貴久中佐を眺めていた。
『何をおっしゃるかと思えば……私が士族として甲武海軍に奉職して以来、すべては国に捧げています。自分は、閣下のように『生きることに執着する』タイプではありません……所詮、閣下は公家……軍に身を置くのは単なる気まぐれなんですよね?ならば今すぐ軍服を脱がれた方がいいのでは?』
近藤ははっきりそう言って挑発するような視線で嵯峨をにらみつける。
言葉の選び方が『士族語』。死と名誉は対で語る、古い教本の語彙だ。公家としての教育を受けた嵯峨としてはそれはまさに典型的な『責めどころ』がった。
「へえ、俺、軍服脱いで良いんだ。少なくとも陸軍の偉いさんはそんなこと許してくれなさそうなんだ。近藤さんは海軍でしょ?じゃあ、陸軍上層部の頭の固い連中に助言してやってくれよ。『嵯峨憲兵少将は使えないからすぐに予備役にするように』ってね。でもまあ、ここまで俺は軍服を着て来ちゃったんだ。だから、アンタが降伏しないとその首を落とさないと責任問題になるの。俺はそんなの嫌なの」
いかにも無責任な嵯峨の言葉に近藤は眉をひそめる。
「そんなこと言って意地でも降伏しないんだ……そうかい、生きてりゃ俺に復讐する機会もあるんだが……あんたら武家の『八丁味噌』が詰まった頭じゃわからんか。公家の俺には理解不能な発想だ……人間生きてりゃなんでもできるもんだよ。『武士道は死ぬことに見つけたり』……『サムライ』の教科書である葉隠の言葉だね。でもさあ、死ぬなら勝手に自分で死んでよ。俺の手を煩わせないでよ。だから『サムライ』は俺は嫌いなの。『サムライ』が全員、俺達公家や平民の手を煩わせずに勝手に自殺すれば甲武は百倍よくなると思うよ。死ぬのが理想って……だったら早く死んで?俺隊長だから職務としてアンタの切腹には特別サービスで付き合ってあげる。俺は人の首を斬り落とすのは得意だから」
タバコをくゆらせる嵯峨に近藤は見下したような笑みを浮かべた。
味噌と脳……軽口に見せて、『同じ言語圏の比喩』を使うことで相手の神経を『こちらの土俵』に引き込む。百を超える言語を母国語並みに扱える嵯峨が捕虜収容所でその技術を使って捕虜の尋問を行った経験からして近藤は既に嵯峨に捕らえられた地球圏の『捕虜』と変わりのない存在に見えた。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
艦の心臓音がわずかに大きくなる。通信遅延の1/10秒が、会話の間合いを鈍く太らせる。
嵯峨は静かにタバコを吸うばかりで口を開こうとしない。
近藤もまた、目の前の『異様に若く見える策士』の考えが読み切れずに黙り込んでいた。
「話は変わるが、カーンの爺さんはどうしたのかな?」
……ゲルパルト第四帝国の敗戦時の身柄を飲光速を逃れた戦争犯罪人の中で最も危険な男として知られる男、元アーリア人民党の秘密警察のトップを務めた人物。
「逃げたのかな?俺達の前から……らしいね、あの人らしい」
嵯峨は一人納得したようにうなずきながらそう言った。
「そんなに俺が恐いのかな?別に俺はそんなに人に怖がられるつもりで生きてるつもりはないんだけどなあ……あの爺さんは俺と違って、正々堂々と戦う気は無いらしい。まあ、俺もアンタとは勝負にならないような圧勝が出来ると知ってて出てきたんだけどね。それともあの爺さん、別の機会を待っているのかな?前の戦争じゃそれこそ敵のことを狡猾な手口で追い詰めることで有名だったのに……耄碌したか?それともより洗練されたのか?まあ、どっちでもいいか、今この通信で降伏しない限り死ぬことの決まってるアンタには関係のない話だから」
この嵯峨の言葉は効果的な『一言』だった。
この会話では出てこないはずの『第三者の名』は楔。近藤の脳内で、予定稿の順番が崩れる音がする。
表情を殺していた近藤の鉄面皮が完全に動揺の色に染まる。
『……貴様……なんでそれを……』
近藤は我慢してきた一言を漏らしてしまった。
亀裂は、たいていこの『なんでそれを』から入る。嵯峨は、押さない。ただ見ている。相手が自ら広げるのを。
この通信は完全に『策士嵯峨惟基』の独壇場と化した。
「いや、逃げたってことは耄碌していない証拠だ。あの爺さん。変な妄執にとらわれてるが、あの人の頭には『脳味噌』が詰まってる。あんたみたいな『八丁味噌』じゃなくて、人間にふさわしい『脳味噌』って奴がね……沈むと決まってる艦にいつまでも乗り続けるほどあの人は馬鹿じゃないよ。さっきから言ってるじゃん。アンタの俺達に勝つ確率は0%なんだ。0という数字にいくら数字を掛けても答えは0だよね?尋常小学校のレベルの算数の話しだ。アンタの持ってるシュツルム・パンツァーの方が多いとアンタは言いたいの?そりゃあ、アンタが何にも知らない子供だというだけの話。降伏を拒否してアンタが俺達と戦えばそのことを嫌でも思い知ることになる……そしてそうなったらアンタには俺達に殺される以外の選択肢は無いの」
力みの感じられない嵯峨の言葉はどこまでも自然だった。
比喩の反復で、『論』を『侮辱』に見せず通す。怒らせ、なお思考させる温度が二人の間にあった。
その態度が近藤をいらだたせるが、嵯峨はかまわず続けた。
「当然、結果が見えてる負け戦に関わるほど馬鹿じゃないだろうから今回は逃げたろうなあの爺さんは。アンタ等武家みたいにプライドだけで逃げることを知らない『糞袋』に義理立てする人じゃねえわな。だって、あの人ゲルパルト貴族の出でもない、ただの庶民生まれの『アーリア人民党員』だ。ただ、前の戦争のときはアーリア人の血を引く忠実で優秀な『党員』であればそれだけで価値があった。今はその党、『アーリア人民党』も解党・非合法化されて困ってるかもしれないがね。まあ、アンタを『使い勝手のいい捨て駒』として利用できると判断できるだけの理性が無ければもうとうに『地球の敵対政府』に『戦争犯罪』容疑でお縄になってる。アンタはそんな『優秀なアーリア人民党員』のエリートの中のエリートと互角に渡り合ったつもりらしいが……利用されてるだけだよ。つまりアンタは単なる珍しい銃器を試すための『射撃の的』。遊ばれてるんだよ、アンタは。アンタの履歴を調べたが海軍兵学校を出て5年司令部で努めた後に海軍大学校をそれなりの成績で出たらしいじゃないの。こんな馬鹿でも負けが決まってるクーデターの真似事をするなんて少しは甲武海軍に泥を塗ったと恥を感じなさいよ。俺は陸軍大学校の首席。だからあの爺さんにそんな目にあわされたら恨みで夜も寝られなくなるよ。というか、あんな危ない爺さんとは会話もしたくはないがね」
そう言って嵯峨は吸いかけのタバコを床に投げた。
火は消え、吸煙スリットが小さく呑む。言い切りの句点。
近藤は何も言えずにただ怒りの表情で嵯峨をにらみつけるだけだった。
喉の筋が跳ね、肩の線が固まる……『演説前の吸気』は、今回は来ない。
「ああ、アンタは自分の馬鹿さ加減を反省するだけの知能の持ち合わせもないみたいだね。もっと言おうか?これは最前線で俺も経験した事実だから最前線を知らないアンタには理解できないかもしれないけど、それが戦場の真実なんだ。今、アンタの部下ということでアンタの艦に乗ってる人間で実際に戦力になるのは1割以下なんだ。他は単なるあんたへの『義理立て』で戦場にいるだけの『障害物』ってわけ。なに?その顔?そんなわけが無いって?俺も甲武の鉄拳制裁と軍人勅諭で鍛えられた兵士があんなに簡単に逃げ出すなんて実際に目にするまで知らなかったもん。それ以前に今回は軍の命令は無くアンタの勝手な暴走だから俺が味わったそれよりアンタは惨めな気持ちを味わうんじゃないの?だってもしアンタの決起が失敗して罪を問われることになったら、甲武の法律じゃ家族ともども打ち首獄門だ。そんな危ない橋を渡る勇気がある奴がどれだけあんたの部下にいるか……少し考えればわかる事じゃないの」
嵯峨はそう言うと皮肉を込めた笑みを浮かべて画面を見上げる。
『人数』ではなく『覚悟の構成比』。それを口にされるのは、士族にとって最も痛い。
『そんなはずは無い!我々の意思は決して揺るぐことが無い!『貴族の名誉』を回復して『真の甲武国』に革新するために……』
近藤が演説を始めようとするのを嵯峨は手で制した。
掌を軽く、静止線を描く。押し返すのではなく、止める。
「そんな無茶な要求を部下にするけどさあ、ヒトラー亡き後のナチスは、代行の総統がちゃんと連合軍に降伏してるよ。関係者もすぐに地下に潜って逃げ出してる。あの『鉄の団結』とかを掲げる、『ナチスドイツ』ですらそうなんだ。歴史はそう教えてるんだからいい加減、認めなよ。近藤さん。あんたは負ける。他にもあんたが確実に負ける理由は有るんだが……それは今教えるわけにはいかなくてね。俺はそれほどお人好しじゃないんで」
『歴史』は、士族にも通じる唯一の他山の石だった。しかし、自分はその例外でいたい。その気持ちが近藤の心には湧き上がっていた。
嵯峨はそこに未提示の札を一枚残しておく……言わぬ根拠は、最も強い圧だった。
『『歴史』は『歴史』だ!我々が新たな『歴史』と『秩序』を打ち立てればそれでいい!』
唾を飛ばしながら近藤は叫んだ。
だが音量は、先ほどよりわずかに低い。肺の一部が、何かを飲み込んでいる。
しかし、人の心理を読むことに長けた嵯峨には微妙に震える近藤の口元から近藤の考えていることは丸見えだった。
『このおっさん、俺の言うことを信じかけてるな……俺としては大げさに言ってみただけなんだけどね。武家としての誇りを取り戻すための戦いだというのに、兵が命を懸ける覚悟がないとしたら……?とか考えてるんじゃないかな?じゃあここが押しどころだ。まあ、このおっさんの覚悟が揺らいで出撃して来るシュツルム・パンツァーが減ればそれだけランの奴にアイツの嫌いな殺生をさせなくて済む。それも隊長の仕事だな』
嵯峨はそんな自分の推測など表情にも出さず、ぼんやりと近藤の顔を眺めていた。
『ぼんやり』は、最良の盾であり、刃でもある。
「人間は基本的に『生きたいんだ』。理想のために死ぬのは格好がいいけど、そんなに簡単に死ねるのは一握りなの。お前さんの乗艦の『那珂』のブリッジの士族出身の連中は、確かにそのレアスキルを持っていて戦力にはなる……実に大したもんだ。尊敬に値するよ……ああ、俺の言葉に尊敬の色が無いって?そりゃあそうさ、嫌味で言ってるんだから」
嵯峨は退屈そうに話を続けた。
声の平坦さで、相手の昂揚を削る。
近藤は仕方なくその言葉を聞いているだけだった。
「だけどさ、他の兵隊はどうかな?俺がちょっと、そいつらの家族にあてた『私信』をのぞき見たら……死ぬ気はないよ、あいつ等。あんた等『士族』と違って連中は『平民』だもの、それ以外の『士族』の出のパイロットが居るって?そいつの主君はアンタなの?いつアンタはそんな『官位』や『荘園』を手に入れたの?俺は甲武四大公家末席だから官位の授受や荘園のやり取りの情報が嫌でも俺に入る仕組みになってる。そんな仕組みをアンタは支えたいんだ。で、アンタはそんなご立派な『殿上人』だったり武家貴族の『お大名』なの?違うでしょ?所詮はただアンタを有能だと思って重用してくれた軍幹部のおかげで出世して、結果としてたまたま第六艦隊提督の命令でそこに居るだけのアンタ等の伝統で言うと『取るに足らない下級士族』に過ぎないんだ。そんなアンタに甲武の『伝統』で『殿上人』や『お大名』には絶対服従と言われてる連中が自分と大して変わらない生まれのアンタに義理立てする必要はないもの。下級士族も平民も今の経済的に厳しい甲武では日々の生活で精いっぱいなんだ。近藤さん達と一緒に地獄に落ちるつもりは無いよ……それより家族に元気な顔を見せてやる方がよっぽど楽しいことなんだ。さて、そいつ等が戦力になるかな?」
何気なくつぶやく嵯峨の言葉に近藤は激高してこぶしを握り締めた。
軍手越しでも分かる、関節の白さ。拳は雄弁だ。
『『私信』だと!そんなものを見て恥ずかしくないのか!貴様は正々堂々と戦うつもりはないのか!』
裏仕事に従事したことは有るものの、近藤は兵士達の私信を覗き見るような嵯峨ほど卑劣な手を思いついたことが無かった。
「うん、無いよ。俺はプライドゼロが売りだもの。前だけ向いて勝てるなら将棋でもやりな。ついでに戦争もサバゲにしといた方がいいや……撃ち合うのはBB弾でやろうや……我ながらいいアイデアだな。そうすれば人は死なないねえ」
怒りに任せて叫ぶ近藤に嵯峨はやる気のない表情で答える。
軽口の皮に、冷徹な本音を包む。『死なないねえ』は、この男の最上位価値だ。
「俺の持ってる『甲武国』の憲兵資格ってのは便利でね。『大本営勤め』の近藤さんには理解できないでしょ?そんなところに戦争の結果が噛んでるなんて。兵隊もね、人間なんだ。彼等には『戦後』を生きる義務と権利がある。俺達、職業軍人はそれを時々忘れちまうんだよ。でも、あんたも前の戦争が終わった後まで部下達の面倒見たの?見てないでしょ?それがあんたの頭の中の『八丁味噌』の限界だ。戦争が終わって焼け野原のなった自分のコロニーに戻ってもそこには人間の生活があった。そんなことアンタ考えてみたことがあるかな?たぶんないんじゃないかな?たぶん20年前の戦争で終戦と同時にアンタに見放された連中はアンタの恨み言を言いながら酒でも飲んでるんじゃないかな?」
近藤の怒りに震える顔を見ながら嵯峨はそう言い放った。
『戦後を誰が背負うのか』それは軍部を率いて無茶ともいえる地球との開戦に平民達を導いた士族である自分が最も耳を塞ぎたい問いだった。
「そんなところまで見られちゃうんだな、俺達、諜報や憲兵をやってた人間には。憲兵隊には兵士の『私信』を検閲する権限があるんだ。『甲武国』の軍人の家族とか恋人とかに宛てた手紙を見る権限が俺にはある。他の軍隊にも大体あるよ、似たようなのが。俺はそいつに『嘘』を混ぜて敵の『兵隊』を使い物にならなくするようなお仕事もした経験があるわけ。いやあ、見事に引っかかったよ『お馬鹿な地球圏の兵隊』達。おかげで戦争が始まった当初はあんた等『甲武国軍大本営』の無能を証明するような作戦でも通用したんだ。その点は感謝してもらわないと『作戦屋さん』」
近藤は嵯峨と言う男を図りかねていた。
同志であるルドルフ・カーンが言うように、嵯峨が『食えない男』であることは認める。
だが、やり方が汚すぎる。
私情を利用して兵隊をかく乱しての勝利など近藤は望んではいなかった。胸の奥に、古い倫理が軋む。
「汚いものを見るような視線だね、近藤さん。地球人が大好きで絶対に捨てることができない戦争とはそもそも殺し合い。そこには『きれい』とか『汚い』とか贅沢は言えないんだ。『勝てば官軍』アンタでも知ってる分かりやすい言葉だ。俺もアンタも第二次遼州大戦では負けた。それは事実だよね。それまで否定するの?俺の言うことに何か間違いがあるの?俺は少しも間違ってないように思うんだけど……違うかな?……違うんだろうね、アンタに言わせると」
近藤は『年齢と見た目が一致しない化け物』を目にしている事実に気づかないほど愚かではなかった。
だが同時に、彼は『勝てる論』を失いつつあることにも気づき始めている。
「俺は『東都共和国二等武官』の仮面の下でそんなお仕事をしていたわけ。大使館の中で消息を絶った後の俺は『戦争の汚さ』をうんざりするほど見てきたんだ。だから、俺は戦争は嫌いだよ。近藤さんみたいに自分にとって都合のいい作戦を立案することで『甘い蜜』を吸ったことがないからな、俺は。むしろアンタ等に使いつぶされる側だった。残念だったね、俺が生きていて。アンタ等がやった汚いことの生き証人がここに居るんだもん。気分も悪くなるよね。当然の話だ」
そう言って嵯峨は画面に映し出される近藤を『殺意』を込めた力強い視線で睨みつけた。
冷たい殺意……『殺すこと』ではなく『殺さず終わらせるために、最短で折る』意志がそこに見えた。
「近藤さん。俺達『特殊な部隊』、遼州同盟司法局実働部隊は、あんたを『クーデター首謀者』として処刑する。俺と高名な『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐がその首を落とす。多少の被害が出るが、くたばるあんたの知ったことじゃねえがな」
嵯峨の言葉に近藤の表情が固まった。
硬直。ほんの一拍の『無音』。それは覚悟の影ではなく、負け筋を見た人間の影。
近藤の口から、彼自身も意識していないだろう低い呟きがかすかに聞こえた。
『我々は、決して屈しない……!』
それだけ言うことが精いっぱいだった小さな絞り出すような近藤の言葉とともに画面が突然消えた。
遮断音が、艦の環境音に吸われて消える。回線が切れる瞬間、ほんのわずかに遅延ログが滲む……『逃げ』の操作は、だいたい速い。
近藤が不愉快さのあまり通信を遮断した結果だった。
「自分の都合のいいようにしか物事を考えられない『脳なし』には、綺麗に見えるのかな?『戦い』は。さっき歴史云々言ってたけど……『歴史』は生き残った人間が書くんだ。死んだ人間には『歴史』を書く資格がないんだよ。『敗者が書く歴史』?そんなものは全て『ファンタジー』さ。それを聞きたいご都合主義の脳みそお花畑の人間には金にはなるが、それはただの金銭の問題。歴史的事実とは無関係なんだ」
そう言うと嵯峨は、大きな展望ルームのガラスの外に広がる世界に目をやった。
そこには宇宙のゴミとなった『戦闘機械の残骸』が無数に浮かんでいた。
それはかつての激戦の跡を思い出させる遺構だった。
甲武の片隅で、父の帰りを待つ娘と、
『無事に戻るからな』
と震える字で書いた兵の私信。
嵯峨の見てきた無数の兵たちの私信の一つが嵯峨の脳裏によみがえった。
どちらも、歴史のページには載らない。載ることを歴史は許さない。
宇宙は黙っている。だが、黙って偏っている。生き残りの側に。
「近藤の旦那は自分が負けた後、家族がどうなるかって考えてんのかな……旦那の娘さんはそれはもう美しいお嬢さんだって話じゃないの。流刑地でそこを生き延びた『野獣達』犯されて殺されるその様を想像してるのかな……それも覚悟の上ってことか……そんな法律をあんたがた貴族主義達者達は認めてるんだから当然か……安心しな。その点の配慮は俺は出来る男だから。アンタはただの単独『犯罪者』として『処刑』される。近藤の家名にもアンタの家族にも何の関係も無い。アンタはただの『殺人狂』として歴史に名を刻まれることになる。それが俺にできる最大のアンタへの『敬意』だよ」
そこには宇宙のゴミとなった『戦闘機械の残骸』が無数に浮かんでいた。それはかつての激戦の跡を思い出させる遺構だった。
艦体灯が一つ、廃材の曲面に反射して鈍い白を返す。
嵯峨はそれを見ながら戦争とはそういうものだ。歴史のページに名を残すのは、生き残った者だけ……だという信念を確認していた。




