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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第二十一章 『特殊な部隊』の無知な隊員

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第54話 第三演習宙域、静かな檻—『官派』狩りの始動

「ただいま戻りました……って……クバルカ中佐が仕事をしている……珍しい……」


 本部棟二階、機動部隊の詰め所。引き戸を開くと油と紙とプラスチックの匂いをまとめて押し返してくる。誠の制服には、さっきまでの銃整備と射撃で染み付いたガンオイルが薄く残り、歩くたびに体温でふわりと立ちのぼった。そして何よりもランの机の上に将棋盤が無く、代わりに書類の山が置いてあるのが目に付いた。


 ランは書類に目を通しながら端末に小さな手を一生懸命動かしてデータ入力をしている。この普通の部隊なら当たり前にあり得る光景を、入隊してから三週間目でようやく見ることになったこと自体異常なことなのだろう。そう思うものの誠の顔には驚きの表情しか浮かばなかった。将棋盤の無いランの机は、妙に落ち着かない。そこにあるべき『サボり』が無いだけで、このフロアの重心が少しずれた気がした。


「なんだ?アタシが仕事をしてるのがそんなに珍しーか?まーそんな顔すんじゃねーよ。まるでアタシがサボってる……のは事実だけど、隊長がアタシの分まで事務仕事はやっちまうんだよ。あのおっさん、片付けるのは苦手でまるっきり滅茶苦茶だが、データを分析して報告書としてまとめたり、上からの命令書にある要点をアタシのような部下に仕分ける仕事なんかは得意でね。アタシはそう言うのはどーにも……。そんなことより、オメーも自分から苦手な射撃訓練に行くよーになったんだ。なんだかずいぶんとなじんできたみてーじゃねーか」


 見慣れない書類の山の陰から、ちんまりした上司……クバルカ・ラン中佐が顔を出す。幼い輪郭のまなざしに、上官らしい『査定の光』だけは宿っている。ランがしているのは詰将棋と時々小さなメモに査定の点数表に正の字を書き込むことだけ。そう思っていた誠には今の光景はあまりに意外に過ぎた。


 対面の机では、カウラがメタルクリップを整列させながら、誠に一瞥してすぐに関心を失ったように視線を戻した。新人教育はランの仕事、と割り切っているのか、表情は波打たない湖面のように見えた。


「別に中佐が仕事をしているのが珍しいから驚いている訳じゃないです!それに僕も一応『武装警察』部隊の隊員なんですから!確かに射撃は……僕自身はどうも……射撃訓練は今でも苦手ですよ。アメリアさんも僕が銃を撃つたびに笑ってましたし。でも、あの『駄目人間』がクバルカ中佐の分まで仕事ができるなんて……少し信じられないですけど……確かにあの人の頭の回転が速いのは認めますけど、それと仕事とどうつながるかはまだ僕にはよくわからないです。」


 言った瞬間、隣の席でボールペンが小さく『カチ』と鳴る。かなめが噴き出しを堪えきれず、タレ目をさらに下げた。


「叔父貴が事務屋としてはある程度有能なのは甲武陸軍じゃあ、結構有名な話なんだぜ?叔父貴の最初の仕事は東和共和国の大使館付き武官だ。軍人なのに事務仕事が最初の仕事なんて軍人らしくねえってアタシは思ってたが、東和での最初の任務の時に命令書を取りに大使館に行った時にその切れ者ぶりは散々聞かされたよ。その人は第二次遼州大戦前には叔父貴の隣の部屋で同時に派遣された平の大使館職員をしてたらしいんだが、エリートで知られる外務省職員の倍の速度で書類を処理していく様は今でも伝説だそうだ。その人もこの前の異動で大坂の領事館を今やってる人なんだから無能な訳じゃねえ、ただ、片付けだけは出来ずに机は滅茶苦茶でそれを一つでも置いてある場所をずらすと文句を言って来るから面倒だったって愚痴を散々聞かされたよ。それにしても、神前が自分から射撃訓練に行くねえ……うちになじんできたんじゃねえの? 良いことじゃん。射撃が下手なのはすぐに治るわけじゃねえだろ。そんなもんで良くなるならアタシの出番はねえわな。絶対勝ちようのねえ特殊作戦を押し付けられる……アタシにとってはいつもの事だ」


 かなめは口は悪いが、ホチキスを渡す手つきは妙に親切だった。受け取り損ねそうになった誠の手首を、さりげなく支えてから放す。彼女のそんな思いやりが先ほどのアメリアにからかわれて落ち込んでいた誠の心を多少軽くしてくれた。


「馬鹿話や隊長の欠点の指摘はそれくらいにしろ。それよりも重要なのはこちらだ。来週の実働部隊の演習の概要になる。全体を見て隊の方針を決める隊長ではなく、シュツルム・パンツァーの運用を全面的に管理しているクバルカ中佐が仕事をしている理由もこれを見れば神前も分かるだろう。西園寺、神前。貴様等、ちゃんと読んでおけ。とりあえず形だけになるのは間違いないがそれはそれの話だ。特に西園寺……貴様は『活字は嫌いだ』という言い訳はいい加減止めてくれ。私としても貴様のその珍妙な考え方で迷惑してるんだ」


 カウラが、無駄のない動作で厚めの冊子を二部。古いコピー紙のインク臭が立つ。表紙には無表情なフォントで『第三演習宙域 訓練要綱(暫定)』。暫定、という言葉の方が重く見えた。


「へいへい、カウラ。後でデータで送ってくれや……アタシは文字の活字は読めねえし、読むつもりもねえから。電子の脳でデータを音声で理解できるアタシになんで活字の書面が必要なんだ?紙の無駄だ。それに今回はどうせドンパチになるんだ。どうせその訓練要綱とやらには新人の教導部隊がやりそうな訓練内容しか書いてないんだろ? 読んでも意味ねえよ。それに今度はこいつを送る連中には筆文字で書いて送るように指導してやれ。公家であるアタシに命令を出すならそれにふさわしい教養を身に付けろってな。アタシは道風流を希望するって連絡してやれ。まあそんな文化的な連中が、この東和にいればの話だけどな。同盟機構には教養人は居ねえのか?アタシの書いた書類を読める奴が一人も居ねえなんて、甲武の人間が聞いたら大笑いするぞ。甲武の警察の幹部はアタシの文字が読めて当然だ。さも無きゃいつでもアタシが首にしてやるからな。アタシは官位は『検非違使別当(けびいしのべっとう)』っていう警察幹部を政府が指名したらそれに許可を与えるのが仕事だ。だから、任命書もアタシが筆で書く。だから甲武の警察でアタシが任命するクラスの奴等はアタシの文字が読めて当然……それが読めないようなら即降格だ」

挿絵(By みてみん)

 かなめは冊子をひょいとつまみ、ぱらぱらと三ページだけめくって……『読むまでもない』顔のまま、執務机に放った。表紙が乾いた音で机に貼りつき、角がちょっとだけ丸くなる。誠はかなめが甲武で一番の貴族と言うことは何度か聞かされていたが、その仕事として警察幹部の任免権を握る仕事をしているなどと言うことを知って、このような『犯罪者一歩手前』の発砲魔に警察幹部の任免権を任せる甲武と言う国が不安になった。


 誠は冊子の重さを右手で測り直した。紙の厚みは、内容の重さを演じるのがうまい。言葉は軽く見え、胃の奥だけが急に重くなる。『演習』という語が、機動兵器を持つ特殊部隊の現実にぴたっと重なる。そのとたん、胃酸が作業を始めるのが分かった。この厚さの何ページ分が『僕を死なせないため』で、何ページ分が『誰かを殺すため』なんだろう……そんな思いが誠の手の中の冊子を通して感じられた。


「これが新入りの僕を迎えての初の部隊演習ですか……ずいぶん分厚いというか……そんなに複雑なことを僕はさせられるんですか?ただ、実機を使ってのシミュレータでやってるような戦闘訓練をやって終わりなんじゃないですか?それがなんでこんなに文章にすると熱い書類になるんですか?」


 どう見てもいつものシミュレータでの訓練を文章化しただけでは説明できない厚さの冊子を目にして誠はそうつぶやいた。


「それがどうした? 演習は仕事だ。それに、運用艦に乗艦してから、演習を終えて艦から降りるまでのすべての行動に規則、規定、そして訓練内容や予想される非常事態などを列挙していけばこれくらいの内容にはなるものだ。そう言った『何か』に備えるために演習要綱を読むのも仕事だ。仕事が無くて不満だったんだろ? だったら読めばいい」


 カウラの顔は、ここまで無表情だとむしろ親切に見える。余計な色が一切ないから、意味だけが残る。


「その『何か』がありすぎる場所だからこれだけ演習要綱が厚いんですか?でも、あそこはそう言う予想がつかない意味で『ヤバい』って何度も言ってたじゃないですか……前の大戦で甲武国軍の最終防衛ラインとして激戦が行われて、大量のデブリや機雷なんかが放置されているって話もありますよ……それに『近藤』とか言う偉くてヤバい思想の持主がいつ決起するか分からないって言うのに……そこまでこの冊子に書いてあるんですか?とてもそうは思えないんですけど……」


 言い終える前に、かなめの口角が上がる気配がした。


「何だ神前? ビビってんのか? 情けねえなあ……やっぱりオメエは行くんじゃねえ。そんなもんでビビるようじゃ軍人失格だ。よりセンシティブな判断の要求される『武装警察』なんて務まる訳がねえ。アタシのくぐった地獄に比べればマシなまともな軍人さんなら普通通る道だがオメエにはそこを通る資格はねえからな」


 悪態は、彼女なりの『焚きつけ』に誠の胸の奥が、ぐっと熱くなる。挑発の火種に、ちょうどいい量の酸素が供給された。


「行きますよ、僕は。分かりました! 早速これ読みます! 何事も無ければ必要になる内容が書いてあるんでしょ? 読みますよ」


 誠は椅子を引き、紙束に体重を乗せる。表紙をめくる音が、詰所の時計の秒針を追い越した。


「役所の文章は読みにくいが、それが仕事だ。とは言えそれが仕事だ、今日中に頭に叩き込んでおけ……近藤中佐が決起しなければただの演習で終わる。それだけの話だ」


 カウラはそれだけ言うと、自分の書類の海へ滑り戻る。視線は紙へ、意識は全方位へ――そんな気配。


 誠は読み始めた。

挿絵(By みてみん) 

 第一章。目的、背景、法的根拠。言い回しは、よそ行きの敬語に敬語を重ねた敬語が続いている。

 

 第二章。参加部隊。名詞が名詞を連れて行列を作っている。が要するに『特殊な部隊』以外の参加者は居ないという事実を回りくどい表現で書いてあるだけだった。

 

 第三章。安全対策。安全、という文字が増えるほど、危険の輪郭が濃くなる。どれもパイロット養成課程で習ったことばかりで新鮮で誠の興味を引くような内容は何一つなかった。

 

 第四章。第三演習宙域の座標、航路、機雷残存の可能性(極めて低い)。括弧内がうるさい。正直、誠にはそのようなものは現場でレーダーを使えば分かる話じゃないかと思えるような程度の物しか記入されてはいなかった。

 

 第五章。交信規律。『不測の事態』が三回出てくる段落は、予測していることを『不測』と呼ぶ技法の見本がそこにある。そもそもこれを作るのにどれだけのマンパワーがかかったのかを考えると司法局本局の苦労のほどが誠にも分かってきた。


 目は進むが、脳はところどころでこぼす。付箋を貼る指先に、じわりと汗。いつの間にか隣に立っていたランが誠が書類を読む様子が珍しいのか、ページをめくるたびに愚痴をこぼす誠にツッコミを入れ、さっきの訓練場の残響みたいに耳の奥でくすぶる。


     


 どうにか長い文章に数式が入っていないと気が済まない理系の誠も単純な内容をいかに複雑に表現するかの極致であるような文章を最後の『付則』まで目だけ一通り読んでみた。理解は、あとで追いつく……はず。誠は深呼吸して立ち上がり、廊下へ逃げる。更衣室前の自販機。黄色い缶のマックスコーヒーは、甘さが理由を説明しない種類の甘さで、こういう時だけは役に立つ。


「どうしたの暗いじゃん。かなめ坊にでもいじめられたか? アイツはプロの『女王様』だからな。アイツは前の任務の際にSMクラブで『女王様』をしてた。今でも人気が有ってその手の虐められると喜ぶ人がかなめの事を慕ってるらしいや」


 誠は思わず声の方向を向いた。『喫煙所』とマジックで手書きされた張り紙が目立つ。誰かが紙で作った灰皿に、真新しいステンレスのトレーが重ねてある。嵯峨が、だるい姿勢のまま、煙草の先に小さな赤い星を灯していた。


 缶のプルタブを引く音が、空気を切る。甘さが舌を先に麻痺させ、あとからコーヒーの香りが追いつく。


「まあ悩むのも若いうちは良いと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨はタバコの灰を、灰皿の縁に正確に落とす。散らさない。だらしなさの演技のなかで、精密さだけは素で漏れる。


「今度の演習、かなめが言うように休んでもいいんだぜ」


 唐突なハサミで、思考の紐を切られた気がした。


「どういうことです? 僕がいないと困るんじゃないですか?」


 自分で言いながら、声が少し上ずる。嵯峨の煙は、天井の古い火災センサーを避けるように曲がっていく。


「なんだか分からないけど『力』があるからっていい気になるなよ。何でわざわざ政情が安定していない甲武国の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?少し脇が見えるような人間なら気付くようなきな臭い匂いしかしないはずだ……まあ、神前はそんなことができない間抜けだからうちにいるのは知ってるんだけどさ」


 嵯峨はフィルターを指でねじり、火をもみ消した。捨てずにポケットの箱に戻す癖。次に吸うつもりがあるのか、癖なのか、読めない。


「近藤とか言う過激派が決起するからですか?その話なら何度も聞かされましたよ。それ以外に何かあるんですか?」


 あれだけかなめを激昂される危険な男がいるという演習場が危険なのは実戦になるかも知れない演習が初めての誠でも嫌でも分かる。


「そいつはそうなんだがねえ……」


 嵯峨の瞳から、脱力が落ちた。芯が見える。駄目人間の皮が、音もなく床に置かれる。


「お前さんもかなめ坊やアメリア辺りからはそれとなく聞いてるだろうが、第六艦隊の司令は本間中将という人だ。あの人は軍の政治干渉には否定的な人でね。近藤の旦那達、『官派』のことを面白く思ってない。ああ、『官派』ってのは甲武では貴族主義者をそう呼ぶんだ……『身分制度は絶対で偉い人には逆らうな』『お上のやることに間違いは無い』『伝統を失ったら甲武は元地球人の貧乏な東和共和国に落ちぶれる』ってのが連中の思想だ。連中がでかい顔をしている限り甲武国は身分制度に支配された軍国主義国家に過ぎない……その軍国主義の行き着く先は現政権の崩壊、そして遼州最大の軍事力を持つ甲武国の同盟機構離脱へとつながる。つまり遼州同盟にとって『官派』にはあくまで冷や飯食いでいてもらわないと困る訳……甲武国抜きの同盟機構なんてなんの意味も無いんだから。あの国あってこその遼州同盟機構なんだ。バラバラになった遼州圏は地球圏の人間にあっさりと各個撃破されて終わりだな……甲武、ゲルパルト、遼の三国の『祖国同盟』と遼北、外惑星の共産主義同盟、そして地球圏のアラブ連盟の息のかかった西モスレム。要するに、『バラバラの遼州』は、まとめて地球に食われる運命だって話だ。地球圏の連中は第二次遼州大戦の勝利後はすぐにそうなると考えていたし、遼州同盟が成立しなければそうなっていたかもしれない」


 語尾に笑いを混ぜる。内容に対して不釣り合いな軽さ。そこが、余計に怖い。


「まあその遼州同盟にとって邪魔以外の何物でもない『官派』の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物の『素性』をリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」


「誰の情報をリークしたんですか?」


 誠は嵯峨のいかにも誠を面白がるような顔が気になってそう尋ねた。


「お前さんのだよ。こういう時は俺みたいに普段駄目な人間が言う方がリアリティがあって便利なんだ。ああ、俺が駄目なのは昔からだけどね」


 誠の握る缶の縁が、指に食い込む。冷たさが、骨まで届く。僕は知らないうちに、誰かの檻を閉めるための『餌』になっていた……目の前のそんな悪行を平気でやる『駄目人間』の神経を疑いつつ、かなめやランが時に嵯峨の事を悪く言う理由もなんとなく理解できた。


「そんなに僕が変わってるんですか?」


 自分の生い立ちを早送りで再生する。剣道場の匂い、父の保健体育のテストの添削をする赤鉛筆の音が思い出される。東和宇宙軍の医務室で見た脳波のギザギザ線が印象的だった。医者の『時々遼州人にはある程度の異常』という軽い一言で済ませていた事実が今目の前で崩れていく。普通という言葉の安心と鈍さに誠はこれまで慣らされ過ぎていたことに気付かされた。

挿絵(By みてみん)

「お前さんは『あるシステム』を効率的に運用することができる可能性があるってのが、『その筋』の専門家の一致した見解だ。そのシステムの発動により使い方によっては勝ちようがない戦いすらあっさりひっくり返すほどの力を持っていると軍人である俺は見た。俺はそいつがいずれどっかの勢力につかまってモルモットにされるのがかわいそうで部隊に引き取ったんだが……まあいいか、そんなことは。それでもって俺がそんな人間を保護しているから関わらないでね♪って関係各所に連絡したら……関わってくるよな、普通。だってお前さんをモルモットにしたい人達だもん。居場所が確定したら捕まえる。これ、世間の常識。ああ、この前実際にお前さんは捕まったことがあったんだな。まあ、今無事なんだから良いんじゃないの?」


 嵯峨は灰皿を親指で回す。金属が机に触れて、低い音。何かのカチリ、という確定音に似ている。


「あるシステム? 何ですか? 『法術増幅システム』とか、ちょっと眉唾の話ばっかり聞いていたんで」


 誠は嵯峨が性格が悪いことはこれまでの数週間の付き合いで十分わかっていたので誠のあること無いことをマフィアや変な組織に嵯峨がふれて回ったことは無視して肝心の知りたいことを聞くことにした。


「俺は文系でね、そういったことは専門家に任せることにしているの。うちなら技術部の士官とか、看護師でありながら『法術師』の能力を独自に学んでいるひよこに聞けば分かるかもしれんがね。俺、そう言うの興味ねえんだ。『兵器は動いてなんぼ』ってのが戦場での俺の信条でね。まあひよこが良い詩が書けた時に聞いてみろや……まあ島田には聞いても……無駄だな。俺もその道の専門家に『法術師』については学んではいるが、地球科学でもいろいろ仮説は立ててみるものの『有るものは有る』としか説明がつかないような現象のオンパレードで、その専門家がなんでそんなことが起きるんですかと俺が聞くと『わかりません』を連発するような内容の話をアイツのおつむじゃ理解できるわけがない。整備班では法術関係のシステムを任されている西って言う若造に聞くと良い。この隊の最年少で甲武国の平民出身だが結構切れる使える奴だ。そいつに聞け」


 駄目人間の雑談。だけど、必要な名詞だけは忘れない。必要な順で渡す。語りの中に、地図を置いていく。


「それより今回の演習はデブリの多い宙域での最新鋭シュツルム・パンツァーである『05式特戦』の運用訓練……と言うのは建前で、実際の狙いは『官派』の金庫番を狩りだすこと。特に武闘派として知られる、第六艦隊参謀部副部長・近藤貴久中佐の首を取ることだ。あの旦那も俺みたいなはみ出しものに狩られるなんてのはずいぶんとまあ災難な話だわな」


 『首を取る』。言葉が歩いてきて、誠の足元に落ちる。金属音がしないのに、金属の匂いだけが漂う。


「近藤中佐の首を取る……僕が殺すのは近藤とか言う人……」


 誠の声は、自分で聞いても薄かった。『機動兵器を持つ特殊部隊』……紙の上の肩書きが、突然、刃を持つ。冷たさは、持ち手に伝わるまで分からない。


「それだけじゃない、出来れば第六艦隊の連中に身柄の確保をされる前に迅速に動く必要があるな……近藤さんが派手に動くと甲武国の特別ルールの『連座制』でやたらと死人が出そうなんだわ。その前に近藤の旦那を始末する必要がある。『官派』の思想に染まってるのは近藤さん自身だ。その責任をそのかみさんや娘さんにまで負わせるべきじゃない」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨は言い切って、二本目の煙草に火を点けない。代わりに、青いライターの蓋を親指で弾く音を一回だけ鳴らした。開始の合図にも、中止の合図にも聞こえる曖昧な音。こちらの心拍だけが確実に一つ進む。


 天井の蛍光灯が微かに瞬いた。外では、基地の巡回車が低いエンジン音を残して曲がっていく。日常の音が、急に遠景に追いやられる。目の前にあるのは――策だ。紙束の匂いと、無音の檻。嵯峨が扉の鍵を持っている。



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