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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第二十一章 『特殊な部隊』の無知な隊員

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第53話 銃より重い引き金

 本部裏手の射撃訓練用レンジは、午後の湿り気を金属で増幅したみたいな匂いがした。古い防弾壁にこびりついた火薬が、夏前の雨を吸って、微かに甘い。換気ファンの唸りは規則正しいのに、ときどき息継ぎを忘れて咳き込むみたいな音を立てる。


「なにーって……深刻な顔してるわね」


 アメリアが、三つ目のマガジンを空にした。最後の三発だけ、わざとリズムを外して撃つのは彼女の癖だ。糸目が柔らかく笑い、長い紺色の髪が耳の後ろでさらりと揺れる。制服の袖口に火薬の黒い粉がついて、親指で払う仕草が妙に板についている。


「昨日、クバルカ中佐に寿司を奢ってもらいまして……」


 話すべきかどうか迷いながら誠は自分で抱え込むにはきつすぎると感じて思わず口をついて昨日の出来事を切り出していた。


「聞いてるわよ……あのランちゃんが認めたお店でお寿司を食べられたんでしょ?良かったじゃないの。それだけ期待されてるってことよ」

挿絵(By みてみん)

 アメリアはMSG-90の安全位置に落とし、脇の棚に置くと、誠の手の中のHK53を手の甲で示す。銃身はまだ温かく、手袋越しにも金属の体温が伝わってくる。


「それはおいしかったんですが……そんなことは今となってはどうでもいいんです。僕は人を殺すかもしれないんですね」


 言ってから、自分でも声が少しだけ震えているのが分かった。的紙の中央に空いた黒い穴が、こちらを覗き返す。


「そうね……東和宇宙軍に所属してたらたぶん実戦なんてしばらくは経験しないだろうしね……あそこはあくまで停戦宙域の監視業務しかないから……まあ誠ちゃんの腕じゃあそもそもあそこの虎の子の『電子戦対応型飛行戦車』なんて乗せてもらえないでしょうし。良くて輸送機の操縦でしかも飛ぶ場所も基地から基地への安全な輸送任務で事故すら起こすことが考えにくい任務しか回ってこないでしょうし。まあその仕事も無かったんでしょ?ずっと自宅待機でお給料がもらえなくて生活に困って自主除隊するのを待たれるのが落ちよ」

挿絵(By みてみん)

 さらりと斬ってくる。言葉は辛口なのに、HK53のストックを縮める手つきは丁寧で、銃をモノ扱いしない人の扱い方だ。


「確かにそうなんですけど……。そう言えば東和共和国は電子戦が強いと言いますけど、戦争を止めるほどなんですか?その強さって」


 以前アメリアが言っていた『建国以来一人の戦死者も出していない』という話が、冬の冷気みたいに背中をなぞる。


「今のところはね……『アナログ式量子コンピュータ』の開発は何処の国もやってるけど『ビッグブラザー』の妨害で成功した国は一つもない。でも『ビッグブラザー』も神様じゃないからその状況がいつまでも続くとは考えられないし、そうなれば東和宇宙軍の電子戦ですべての戦闘行為を停めてしまうという現状は変わるかもしれない。でもね、それ以前の問題があるのよ……どの国も本気で『アナログ式量子コンピュータ』が開発できるなんと持っていない。もし、それがかなり完成度を見せてきたり、それどころかその技術を丸ごと手に入れようと東和共和国に戦争を仕掛けようと準備を始めた段階でその国は『終わる』から」


「国が終わる?」


 言いながら、耳栓の片方が少しだけずれていたことに気づいて、指で押し込む。音が半歩、遠くなる。


「戦争をするにも、平和に暮らすにも一番大事なのは『経済』……つまり『兵站』なのよ。ああ、誠ちゃんは経済の知識はほとんど無いんだっけ?『兵站』の意味も分からないわよね?」


「そんなこと無いです!人並みには……人並みより少し足りないくらいです」


 言いよどむ。アメリアの糸目が、ほんの少し笑いの角度を増す。


「まあそう言うことにしときましょう。まず、秘密の閣議でもなんでもいいわ。そこで東和共和国に軍事的な圧力をかけるという合意がなされたとしましょう」


 アメリアはまるでふざけているような口調でそう言った。開戦を決断する閣議がアメリアの口調の漫才のような形でおっこなわれるとは思えないので誠はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。


「偉い人が決めるんですね」


 そんな場をつなぐような誠の言葉にアメリアは糸目をさらに細めて心底呆れたような顔で誠を見つめた。


「『偉い人』って……他に社会人らしい表現が思いつかないのかしら。その情報が秘匿回線から漏れ出した数時間後……その国に異変が起きるの」


 静かにMSG-90の長いストックを叩きながらアメリアはそう言った。


「異変?何が起きるんですか?」


『ビッグブラザー』が情報を握っているということはアメリアに聞かされていた。恐らくそこでも東和宇宙軍が得意とする電子戦が行われる……ただ、それをどのように行うのかは誠には想像もできなかった。


「そう、異変が起きる。それも経済的な……地球圏の市場は完全にデジタルシステムの上を走るAIで管理されているのよ。取引市場の運営管理から各証券会社の売買手続き、そして『超富裕層』が持つ資産管理AIからの連絡を受けての一切の売買はデジタルシステムのAIが自ら利益を最大限にするためにそれぞれ独自にAIが考えた数多くの運用データの蓄積から最適のものを選んだり、社会状況を分析してその状況に合わせて行われる。ただ、どれもデジタルシステムで行われる情報分析だもの。東和共和国の『アナログ式量子コンピュータ』にとってはそのAIが取り得る選択肢はすべてお見通し。それよりもっと卑怯な手として取引市場の管理AIを直接騙して市場そのものの機能を完全にマヒさせることも簡単にできちゃうわけ。これまで地球圏で『アナログ式量子コンピュータ』の開発計画を堂々と発表しようとした時に東和共和国が使った手としてはその国の国債の価格が三時間後には十分の一に暴落するなんてことが起きた訳よ……」


 アメリアは珍しくふざけることも無くまるで当たり前のようにそんな誠には理解不能な経済システムの話をした。誠には『東和共和国のAIはアナログ式量子コンピュータで動くのでデジタル式量子コンピュータしか持たない外国のAIより賢い』という事実しかわからなかった。


「そうなるとどうなんです?」


 自分の言葉の半分も理解していないことが顔を見ればすぐに分かるような誠を見てアメリアは露骨にため息をついた。レンジの騒音が一瞬だけ止み、ため息だけがやけにクリアに響く。


「金融商品の中でも国債って言うのは本来は最もその国にとっては重要なものなの!なんと言っても国の借金なんだから!誠ちゃんだって銀行預金の金額は自分でも通帳記入でもしないと分からないけど、あのパチンコ依存症が原因で借金だらけのカウラちゃんが青い顔をして隣に座ってるのを見れば借金の怖さは顔をあげれば見られるじゃないの!カウラちゃんのカードキャッシングの限度金額が結構あるのは国際公務員の将校と言う信用があるから新社会人でいつ失業するか分からない誠ちゃんよりはよっぽど大金をカード会社も貸してくれるわけ!カウラちゃんは素直だから今いくら借金してるか聞いてみたら誠ちゃんも驚くような金額を教えてくれるわよ。その金額を同じカード会社で誠ちゃんが借りようとしても絶対不可能!五分の一も貸してくれないわよ!それにカウラちゃんと誠ちゃんでは給料が全然違うからその借金につく利息もまるっきり違うの!返してくれそうなカウラちゃんには安い利息、いつ収入が無くなるか分からない誠ちゃんには高い利息を付けるのはそれで食べてるカード会社だって考えてるわよ!」


 最初は何を言っているか分からなかった誠もカウラが時折端末を見て青い顔をしてため息をついているのを目にしていたので目の前の借金苦の人間を見れば嫌でもその事実を知ることができた。


「つまり個人でさえそうなんだから国債をその値段がその国の価値と言ってもいいわね。いつ隣の大量の核を持った国に核攻撃されて滅びる国に金を貸す人がこの世にいると思う?東和共和国の逆鱗に触れた国の国債はまさにそんないつ滅んでもおかしくない国のような扱いを国際市場を管理しているAIから受けることになるわけ。国債が数時間で十分の一になるなんて市場やその国以外の『超富裕層』や役人や軍人の資産管理をしている証券会社のAIが『その国は遠からず滅亡すらその国の国債は損になるのを覚悟で売るしかない』と判断して一斉に売りに走るのよ。誠ちゃんも誠ちゃんの100万円の貯金が数時間で1万円になったら嫌でしょ?」


 この400年で地球圏では何十という国が核の炎に巻き込まれて滅んでいった。確かにそんな国の『国債』という形で金を貸すのは誠も嫌だと思う。そしてそんな滅亡した国と同じ扱いを東和共和国の機嫌を損ねただけで受けるとあれば東和共和国を攻める国などありえないことは誠にも理解できた。


「確かにそうですね。でも僕は貯金が無いから関係ないですけど。それとカウラさんが借金で首が回らないのは知ってますけど僕はカードはネット決済のためだけに使ってるだけでお金を借りたことは無いですよ……というかカード会社からお金って借りられるんですか?お金って銀行やサラ金で借りるモノじゃないんですか?」


 誠の頓珍漢な社会知識に再びアメリアは絶望に満ちたため息をついた。


「まったく……社会人になったんだから貯金ぐらいしなさいよ。それに金貸しは一番儲かる仕事なの。何にもしないでお金が増えるんだからそんなに楽な仕事は無いでしょ?たしかにカウラちゃんみたいにいつ自己破産して借金放棄に走る人がいてそんな人にお金を貸してたらそのお金が消えるわけだから危ない仕事なのは確かだけど。しかも、国債の値動きでもまでその国が方針を変えないと分かると東和共和国は次の手を打つ。時間が経つにつれて、そのの政治・経済のすべてを握っている『超富裕層』が保有している株、社債、その他もろもろの有価証券の価格も急変して市場は大混乱……ほぼすべてのその『超富裕層』が所有している上場企業は倒産し、それ以外の企業も資金のめどがつかなくなって……つまり、『東和を怒らせた瞬間に、国のエンジンを握っている階層の財布を丸ごと吹き飛ばされる』ってこと。そんな国が長く持つわけないでしょ。これまでその富でネットとメディアを支配して国民を扇動してきた市民もそうなったら完全に制御不能になってその国は既に国家と呼べる存在ではなくなる。東和共和国の諜報部がそのすべての原因が東和共和国への侵攻を企んだその国を指導する『超富裕層』にあるという情報をリークすればあっという間にこれまで自分達は騙されていたということに気付いてたちまち革命が起きるわね……まあ、ネットのデマ情報一つで核戦争を始めちゃう地球人だもの。嘘だろうが本当だろうがそんな情報が拡散すれば今でさえ隣国に対する憎しみだけで国が成り立っているような地球圏の国家が持つわけがないじゃないの」


「革命……そう言われても今1つイメージがつかないんですけど」


 的紙の黒丸が、たった今まで穴だらけにされていたのに、急に紙のただの模様に見えた。数字やグラフの話になると、景色が平面になる。


「じゃあ、誠ちゃんでも知ってる歴史的事実を話しましょう!第二次世界大戦!これならわかるでしょ?」


「それくらいは知ってます!日本とドイツがアメリカと戦争したって話でしょ?僕は詳しいですよ!何でも聞いてください!」


 誠は戦車のプラモデルを作る事が好きだが、第二次世界大戦の戦車と言われても誠の好きなイタリア戦車以外はどの国のどの陣営の戦車かと言う知識さえかなり怪しいというレベルの歴史知識の持主だったがそれだけで第二次世界大戦をすべて理解した気でいる勘違い青年だった。


「あのねえ、兵器の種類を知ってるのと戦争という事実の歴史的意味を理解しているかは別問題なの。でも、そんな戦争があったことは理解しているということで、まあ……半分正解ぐらいにおまけしとくわ。その原因はその十数年前の世界的経済崩壊。それが経済のブロック化を招き、極端な思想に凝り固まった政権を生んで暴走したのが第二次世界大戦の原因よ」


 アメリアの声は、いつになく早口だった。苛立っている、というより、ここだけは通したいという熱が混じる。射撃場の規範ポスターが、風もないのにふわりと揺れた気がした。

挿絵(By みてみん)

「あー!嫌だ!誠ちゃんは本当に社会常識ゼロね!ともかく、東和共和国の兵士一人を殺すと殺した国を運営し支配している『超富裕層』は破産して、その富だけに忠誠を誓う役人や軍人は全員離反する!そして市民は制御不能になって勝手なことを始めてどうしようもなくなる!そしたら、その国の政府は持たないでしょ?あの国は『超富裕層』は一銭も税金を払いたくないからその役人たちや市民から高い間接税をとってそのお金で国が動いているんだから!」


「それは……大変だ!国が持たなくなる!そのくらい僕でもわかります」


 アメリアは、ようやく頷く。納得の頷きではない、最低限の合格点のスタンプみたいな頷き。


「東和共和国の『アナログ式量子コンピュータ』のシステムを牛耳っている『ビッグブラザー』はすべての通信が届く範囲の情報を常にため込んでその様子をうかがっているのよ……そして、その最大の武器は『経済の掌握』にあったってわけ。『形而上の存在は常に形而下の存在に規定される』……カール・マルクスとか言う経済学者の言葉なんだけど、まあ、こんなこと言っても誠ちゃんにはわからないでしょうけどね……政治は経済有って初めて意味があるのよ……何をするにもお金が一番大事って話」


「なんです?その『形而上』とか……」


「いいわよ、誠ちゃんは知らなくても生きてこれたんでしょ?まあ、誠ちゃんには永遠に『形而上』の概念とは縁がなさそうだけど」


 アメリアは銃口を安全方向に向けたまま、レンジの外へ一歩。床にぶちまけられた薬莢の真鍮が、足音に合わせて小さく転がる。彼女の『去る』動きは早いが、壁の安全札をきちんと緑に戻していく几帳面さは崩さない。


「東和国民である僕の死を『ビッグブラザー』は認めない……僕を殺せば僕を殺した国は終わる……だから死なないのか」


 その理屈の正確さなんて、たぶん僕には一生分からない。それでも、『死なない理由がある』という事実だけは、確かに胸に落ちてきた。口に出してみると、現実味が少しだけ増した。理屈は分からない。けれど、撃たれない理屈があるなら、それに甘えたい自分がいる。


「まあそれでも強引に東和共和国進攻を考えた国があるの。具体的に言うと私の作られた国の『ゲルパルト』。当時は『ゲルパルト第四帝国』って名乗ってたわね。そこが地球での降下作戦が大失敗に終わってもう負けるしかないという段階にきて、その地球圏の国々に大量の戦時国債……ああ、そんなこと誠ちゃんに言っても理解できないわよね。戦争をする為の特別に利率の高い借金を地球圏の国々は東和共和国にしてたのよ。地球での戦いに負けたのは、『東和共和国がいくらでも地球圏に金を出して、無限に兵器を作らせているからだ』と、そう逆恨みしたゲルパルトは実際に前の大戦の時に軍事的行動に出るべく準備を始めた……」


 アメリアは気を落ち着けながら静かに話し始めた。そこにはこれまでにない緊張した雰囲気があるのを見て、誠はアメリアが『特殊な部隊』では唯一のゲルパルト出身者だった事実を思い出していた。


「でも前の大戦って東和は中立だったじゃないですか」


「そうよ……それでも『ゲルパルト帝国』は中立を守る『東和共和国』が中立で安全なのをいいことに地球圏の『超富裕層』が手持ちの資産を避難させたそのお金を地球圏の政府や軍に無制限に戦時国債として貸し出していることが許せなかった。その無茶な東和共和国侵攻計画が前の戦争で『ゲルパルト第四帝国』が負けた原因の1つなんだけどね。戦争中は戦時経済と言うことで乱発した国債なんかの価格はあそこの強権的なアーリア人民党の党首の鶴の一声で無理やり固定相場にして何とかごまかしごまかししていたんだけど、実際に部隊を動かす段階で突然『兵站機能』に麻痺が生じたわけよ」


「兵站機能の麻痺?」


 誠はアメリアの繰り出す誠の知らない単語の数々に混乱しながらそう尋ねた。アメリアの糸目が再び怒りで開かれかけるが何とかアメリアは怒りを沈めて説明を再開した。


「それこそ補給部隊に多すぎる砲弾の補給命令や、最前線で食料が足りないから送ってくれと本部に要求しても何か月たっても水一滴送られてこない。そんな状態で戦争なんてできる?砲弾が山ほどあっても水を飲まなきゃ兵隊さんだって死ぬしかないでしょ。そして兵器を作る段階でも生産工場の電力施設が機能停止したり、ゲルパルト自慢の飛行戦車の部品を作るロボットのシステムに介入してとても製品にできないようなできそこないの部品ばかりが出来上がるような状況に陥って、それをAIやシステムエンジニアを大量動員していくら修正しても次の日にはまた別の部品のラインで同じことが起きる……戦艦や飛行戦車どころか銃の弾一つまともに作れない状況になっちゃったわけ。兵器工場は何処も開店休業状態。そんな状況で次々と兵器が失われていくのに戦争をしろなんて無理だわね」


「それは大変だ……」


 工場の電源が落ちたら、機械の赤いランプが一斉に点滅する。自分が整備棟で見てきた機体たちが、ただの重い家具になる光景が頭に浮かんだ。


「それでもあの国は戦争を続けようとしたわけ。弾も食料もないけど『民族精神』でそれを補えって言ってね。すると今度は前線の兵器のシステムがクラッシュ!生命維持装置すら停まって全員窒息死!……どんなエースが乗ってようが動かない機動兵器はただの鉄の塊でしょ?それも宇宙じゃ死ぬしかないわね。そうして超人的なエースがゲルパルトにはたくさんいたんだけど大戦末期の死因はほとんどが作戦行動中の窒息死よ……エースとは言え酸素が無いと死んじゃうのが人間だから」


「訳も分からず窒息死って……確かにそんな死に方、嫌ですね……いくら戦果を挙げて勲章をもらっても最後が窒息死って……ひどすぎますよ」


 レンジの空気が、急に冷えた気がした。銃声が戻ってきても、さっきより乾いて聞こえる。


「そうして30%の兵士が宇宙で何もわからずに窒息死したところを外惑星連邦と遼北人民解放軍がお得意の自軍の被害をものともしない物量戦を仕掛けられて終了……ってわけよ。だから後半の反ゲルパルトの国の兵隊さんは楽だったでしょうね。戦う前にすでに敵は全員窒息死してるんだから」


「はあ……」


 アメリアの声は淡々としているのに、描いている絵は血なまぐさい。銃で撃たずに、酸素を奪う。戦争は、物語で読んだよりもずっと手口が悪い。


「でも一度だけその電子戦が通用しなかった戦いが有ったのよ」


「さっき聞いた話だとこの国に死角は無いような気がしてきたんですけど……」


「それはあの『廃帝ハド』統治下の『遼帝国』が相手の戦い……あの国は電子戦も何も今でも均田制を行ってる近代科学とは無縁な国だもの。そんな国相手に電子戦がなんの意味があるの?国債も何もそもそも自国通貨の発行すら行っていない国で、主に東和円で取引をしているんだけどそれも民衆の不満がたまると皇帝の勅命で『徳政令』ですべてを解決しちゃう国、近代兵器の持つシステムに依存した兵器に頼った近代戦とは無縁な国。そんな国には『ビッグブラザー』もどうすることもできないわね。まあ『廃帝ハド』は侵略を開始する前に国内の反対勢力に倒されて結局この戦いは起こらなかったんだけどね」


 電子も銃も届かない場所が、まだこの宇宙にある。時代遅れは、時に最強の盾になる。アメリアは、そこに少しだけ可笑しみを乗せた。


「確かにあそこの遅れっぷりはすごいですからね。でも……『アナログ式量子コンピュータ』でしたっけ?そんなの他の国でも作れそうじゃないですか……量子コンピュータの理論自体は地球のものなんでしょ?地球から来たゲルパルトや外惑星の国にも作れそうじゃないですか」


「そうよ……でも、そのプランが練り上げられる前に電子戦でその開発計画自体がおしまい……さっき言ったように『ビッグブラザー』はそれも自分達への敵対行為とみなしてその国は終了……先にアナログ式量子コンピュータを開発した遼州の勝ちよ。先手必勝って訳ね」


 彼女は空箱になった弾薬ケースを軽く押し潰す。ぺしゃり、と分かりやすい音がして、平べったい紙片になる。


「つまり戦争とは経済戦争であり情報戦なの。そんな圧倒的優位を維持するためには諜報機関を使っての綿密な情報収集活動が必要になるわけ。東和共和国の場合は噂では国防費の十倍の諜報予算を組んでるって話……正確な数字は隊長に聞けば?隊長は甲武陸軍の諜報部に居てその時は諜報部のエースだったと自慢してるから正確な数字を知っている……けどあの『駄目人間』が本当の数字を言うことなんかあり得ないけど」


「十倍?」


「そう、十倍。まあ、予算として組んでるのはその数パーセントだけど……さっき言ったように銀河の『経済』を牛耳っている東和共和国にとってそのくらいの裏金を安全保障のために捻出するくらい訳ないわね……いろいろあるのよ、東和共和国が裏金を作る方法……まあ経済知識ゼロの誠ちゃんにはいうだけ無駄ね」


「そんな……馬鹿にしないでくださいよ……」


「だって『投資ファンド』とか『資源採掘権売買』とか……理解できる?この星に眠る潤沢な資源の採掘権を地球圏なんかの『超富裕層』に売りつけて、その後、まるで何事も無かったかのように採掘権の増資が必要になったからって雪だるま式にファンドの金額がデカくなっていく仕組みとか……って分かる?誠ちゃん。東和共和国が遼帝国に持つ資源開発権の1パーセントを利用して開発を始めれば恐らく地球圏の金の値段は鉛以下になるわね……金はただのきれいな柔らかくて良く電気を通すだけの金属に落ちぶれる」


「金がですか!?この星が金が豊かだって聞いてますけどそこまでなんですか?」


 金は価値の象徴だと思っていた。アメリアの説明では、価値はスイッチで、押す人の手の中にある。


「ともかく、誠ちゃんは東和国民。東和国民を撃てばその国は自滅する。敵を撃つことができるけれど、敵から撃たれることは無いわけ。良いじゃないの、安全なんだから」


「そうなんですけど……」


 安全という言葉は軽い。けれど、安全の仕組みは重い。アメリアが言う『経済』や『システム』は、銃より重たい。


「ランちゃんじゃないけど、少しは経済を勉強した方が良いかもね、誠ちゃんは。給料貯金してるんでしょ?私の部下の運航部の女の子にも結構投資ファンドで稼いでる人もいるみたいよ……最低、新聞やネットニュースの裏を取るくらいのことはしても罰は当たらないでしょ」

挿絵(By みてみん)

 言い捨てるみたいに言って、でも銃器は丁寧に回収する。安全装置、空撃ち確認、チャンバー目視。手順の一つも飛ばさないのは、この人の優しさの形なのかもしれない。


「経済か……社会科学って苦手なんだよな……でも社会勉強しないと……僕は士官候補生なんだし。ただの一兵卒じゃ無いんだから」


 レンジの外は、いつもの廊下の色温度。蛍光灯が青すぎるくらい白い。自販機のアイスコーヒーは、どれを押しても似た味がする。

 

 撃たれないための仕組みは、銃の訓練場には置いてない。新聞の中や、見たことのない数字の中、あの『ビッグブラザー』の腹の中にある。そこへ行く道筋は、数学の問題みたいに解法が一つではないのだろう。


 アメリアの背中が曲がり角で消える。足音だけが、もう数歩、こちらに残った。

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