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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第十八章 『特殊な部隊』の殺人者

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第48話 戦場は演習の顔をして

 翌朝。

 

 司法局実働部隊、それが誇る人型機動兵器シュツルム・パンツァーパイロットの詰め所は、いつも通りの蛍光灯の白で満ちていた。エアコンの低い唸りと、壁掛け時計の秒針が刻むリズム。ワックスのかかった床に、朝の湿気が薄く貼りついている。


 誠が更衣を済ませてドアを開けた瞬間、空気の『温度』が違うと分かった。昨日の煙と油の匂いが、まだ身体に残っているのに、ここだけ別の場所みたいだった。

 

 副隊長室側……大きなスチール机の前で、腕を組んだかなめが、いつものたれ目ではなく目を釣り上げた狩りの獣の目をしてランを睨んでいる。ランは椅子に浅く腰かけ、机に出しっぱなしの将棋盤に指を置いたまま、こちらもいつものとぼけた顔。だが、目だけが笑っていない。

挿絵(By みてみん)

「おはようございま……す?」


 誠がいつもの挨拶を言いかけ、声がしぼむ。

 

 詰め所の反対側、カウラは端末に向かい、規則正しいタップ音を絶やさない。肩口が僅かに上下するだけで、感情の起伏は読み取らせない。


「カウラさん。なんかあったんですか?いつもの銃を見てニヤニヤ笑ってるのが西園寺さんの朝のルーティーンじゃないですか?あんなにクバルカ中佐に食って掛かるなんていつもの西園寺さんじゃないですよ。」


 誠が小声で問う。誠にとってかなめは銃を磨きながらニヤニヤ笑いいつでも自分に銃口を向けてきて場合においては実弾が入っていても眉一つ雨後さずに引き金を引く女。そんな認識のかなめが何か不満があるという調子でランをにらみつけていること自体が異常だった。視線を上げないままカウラの答えが返ってきた。


「なんでも今回の演習から貴様を外せと西園寺が言い出したらしい。今の貴様は使い物にならないから足手まといだ。それが西園寺の考えだ」


 その残酷に見えて愛情に満ちた答えにカウラはかなめとは違う考えを持っているらしいことを察しながら誠はカウラに近寄っていった。


「僕を外す……下手だからですか?確かに僕は下手ですけど……もし何かあったら僕の『力』とやらが必要になるんじゃないですか?西園寺さんはそれを知ってて外そうとしているんですか?」


 誠もかなめが自分以上に自分の『力』がどういうものか知っていることは推測がついていた。そしてそれ以上にカウラは自分の『力』がどういうものか知っている。こうしてカウラがかなめがランと揉めるのを黙って見守っているのもそれが理由なんだと誠は思っていた。


「それもあるが……西園寺の奴、何か知ってるんだろ?今回の事件は貴様の『力』が目覚める前に貴様は死を迎えると西園寺は考えているようだ。アイツは甲武国陸軍からの出向者だ。甲武国の事情については私やクバルカ中佐より詳しいはずだ。……ただ、昨日アメリアを問い詰めてアメリアにアイツが私に話せる全部を吐かせたが、私としては今回の演習には貴様を加える必要があると考えている。恐らく……それが宇宙の歴史を変えることになるのだが……それは言わぬが花か……そうでなければ貴様の『力』は目覚めない」


 カウラはようやく顔をあげるとはっきりとした口調で誠に向けてそう言った。


「なんです?それ?その僕の『力』の発動条件って何なんです?そんな超能力アニメのような発動条件が課せられてるなんて僕は宇宙を救うヒーローなんですか?それにしては皆さんの僕への扱いはあまりにひどいですよね?こんなひどい扱いを受けるヒーローなんて聞いたことが無いですよ?」


 要領を得ないまま視線を移すと、二人の火花はさらに強くなっていた。将棋盤の王将が、ランの指先でコト、と小さく鳴る。盤際には昨夜のままのペットボトルの緑茶と、使い込まれた扇子がランの苦悩を示しているように見える。机の端に置かれた『将棋は打たない、指すのだ』という木札が、場違いな可笑しさでなおさら緊張を際立たせた。


「……あそこにはヤバい連中が多いって言ってんだろ?今回はやめといた方が良い!叔父貴のことだ。あそこを選んだのは明らかに戦闘が起こるのを知っててのことだ。戦闘になれば神前も出撃することになる。神前はまだ人を殺せるようにはなってねえ……いくら『素質』があってもだ!人を『殺す』ってことはそんなに簡単なことじゃねえのはアタシなんかとは比べ物にならないほど人を殺してるランの姐御なら分かるはずだろ!それで今でも将棋に逃げてるのが何よりのその証拠じゃねえか!」


 かなめの声は、低く、鋭い。

 

 詰め所の奥、コーヒーメーカーがプシュッと鳴り、タイミングの悪い湯気が立った。誠は喉が渇いた気がして、紙コップを握り直す。


「人殺しは簡単だ……人は致命傷を浴びせれば簡単に死ぬ……確かにオメーの言いたいことは分かる。それから後の話だろ?アタシは殺しが当然で疑問んも感じずにそれを始めた。それに疑問を与えたのはオメーの叔父の『駄目人間』だ。だからそもそも人殺しを『悪』と考える神前に人殺しをさせるのは罪深い許されざることだ……だがな、そんなことは分かってるんだ。それに今回の演習の話だが隊長から上に上申したわけじゃねえ。上からの指定なんだ。あそこで演習をしろってのは。それにわざわざそこに神前が参加するようにと『指名』が入ってるんだ……分かるだろ?いつかバレるの!神前の『素質』なんざ!アイツにはいずれ『殺される』立場になるか『殺す』立場になるしか選択肢のねえ生まれなんだ。オメーみたいに望んで人殺しになる道を選んだ人間にどうこう言う資格はねー話なんだ。それに上の命令ってことはアタシや隊長にも立場があんだ。オメーも軍人として社会人生活を始めた人間ならそれくらい察しろ」


 ランの声は小さいのに、よく通る。机上の230mmレールガンの弾薬のカットモデル(整備班の啓蒙展示の残り物)が、妙に『現実』を主張していた。誠は、紙コップの縁を親指でひと巡りなぞる。冷たい。だが掌は汗ばんでいる。


 昨日月島屋で聞いた『第六艦隊』の固有名詞が、誠の胃の裏を冷やす。

 

 『演習』は、『演習』の顔で、別のことをする……そんな空気が、詰め所の天井まで満ちていた。二人とも『演習』が『演習』で終わるとは考えていない。その事だけは誠にも分かった。


「……おい、神前!こっち来い!」


 ランがこちらに顎をしゃくる。呼ばれた拍子に、かなめは舌打ちを飲み込んで席に戻った。椅子のキャスターが、床で短く鳴く。


「用ですか?」


 いかにもランらしい横柄な態度に慣れた誠は素直に立ち上がり機動部隊の隊長の大きな机に歩み寄った。


「昨日……聞いたらしいな……アメリアの奴、口が軽くていけねーや。まーいつかはバレる事……隠し事なんて出来ねーってのはあの『駄目人間』の持論だが今回もそれだってことだな」


 将棋盤の角に、ランの小さな手が触れる。角が僅かに回転し、金将がカタンと揺れた。


「確かにアメリアさんから色々聞きましたけど……なんでも甲武で反乱を企てそうな人が飛ばされる先が演習場なんですよね。確かに遼州同盟の仮想敵であるアメリカ軍の基地に異様に近いのが気になりましたけど……それ以外に何か問題でもあるんですか?」


 誠にはいまだに『演習』が『演習』のままでいて欲しいという希望があった。しかし、目の前のランの目はそんな希望を打ち砕くほどの殺気と緊張に満ちた鋭いものだった。


「まーな。場所が場所なのは演習要綱にあるとーりだ。アメリアがどんだけオメーを煽ったか知らねーが、あそこに居るのはクーデターを『企てそうな人』であって『企てている人』じゃねーんだ。この違いが分かるか?」


 誠は答えに詰まった。(ことわり)で物事を切る癖が、ここでは頼りない。

 

 ランは続ける。


「つまりだ。クーデターが起きそうな兆候はまだねーんだ。だから、あの近藤とか言う野郎も……」


「近藤!」


 かなめの声が跳ねた。カウラのタイピングが、一拍だけ止まる。

 

 ランは舌先で歯を押した。それは『言い過ぎた』合図のように見えた。


「おい、姐御……その話はアメリアも言ってなかったぞ……それ以前に、アイツはヤバいなんてもんじゃねえぞ……甲武の軍の裏金の捻出(ねんしゅつ)を担当している『影の金庫番』って呼ばれてる男だ。アタシもアイツの麾下(きか)で動いたことがあるから分かるんだ。アイツはヤバい。今回の『演習』を『演習』と呼ぶ理由がアタシには分からねえ。アタシ等が動くと知ったらアイツは間違いなく動く。目の前で気に食わない連中が射撃練習に興じる様子を黙って見守っているような生ぬるい態度が取れるような男じゃない。アタシがアイツの部下から命じられた敵対非正規部隊の壊滅作戦、無関係な民間人の略取作戦、とどめは警察幹部の暗殺だ。そのすべてを実行してきたアタシが言ってるんだから、間違いねえ。アイツは目的の為なら手段を選ぶような人間じゃねえ。もし、アイツの隣でアタシ等が武装してウロチョロすれば、アイツの理想の『身分制が絶対である甲武』を実現するための決起の口実に利用するに決まってる!アイツのヤバさは普通の軍人さんのそれじゃねえんだ」

挿絵(By みてみん)

 かなめは激しい口調でそう言うとランの座る機動部隊の隊長の机を激しくたたいた。誠もかなめの行ったという行動がすべて事実なら今回の『演習』が『演習』で終わるとはとても思えなかった。だが、それ以上にかなめの言うそんな非道な方法を用いてまで軍が資金を必要とするかがまず気になった。


「西園寺さんのしてきたということは確かに危ないを通り越して完全に犯罪行為ですけど……軍がそんな裏金を?何のために軍が明らかに他国で犯罪行為をしてまで裏金をねん出する必要があるんですか?」


 誠は、言いながら自分の声が一段高くなったのを意識した。そして拉致された時のあのかなめの手慣れた『仕事ぶり』を思い出して、背中が冷たくなった。

 

 ランは椅子の背に寄りかかり、天井のライン照明を一瞬だけ見上げる。


「神前よ。戦争はな、きれいごとばかりじゃねーんだ。存在していないはずの施設が突然中立地帯に立ってたり、いるはずの無い輸送艦が物資を運んでたりする……そんな『秘密』を自軍にも悟られないために各国政府は『裏金』をねん出しようとするんだ。大体が非合法的な手段でその裏金は捻出される……表に出るような手段で手にした金じゃあ見方も敵も騙せねーんだ。敵を騙すにはまず味方からって言葉もあるだろ?その味方も他国の犯罪ならそんなことはうちは関係ありませんとその実行者を切って捨てるだけの覚悟さえあればいくらでも軍は裏金作りを奨励する……まー、西園寺はその末端で常に戦ってきただけあって近藤の手口に付いちゃあ知り尽くしているってことなんだろ?」

挿絵(By みてみん)

 ランの付け足すようなその言葉の『温度』は低いのに、息だけが熱い。ルールを守る側だと思っていた『軍』が、裏側では一番ルールを壊している。その事実を誠ははっきりと理解した。

 

 かなめが横から吐き捨てる。


「まあ、近藤の旦那は裏金作りの定番である『白い粉』をこの東和共和国経由で地球の支配者階級からドロップアウトした連中に眼玉が飛び出るような値段で売りつけるルートと遼帝国の豊富な『金』を中立の東和に売りつけるルートを開発した『賢い軍人様』だからな……今はその金がどこでどう回ってるかはアタシも知らねえがな」


 自分をあざけるようにかなめはそう言って凍った笑みを浮かべていた。そのあまりに無感情な笑いに誠は思わず後ずさった。


「白い粉って……『薬物』ですか……それに『金』の密輸って……確かにあそこの金鉱山は良質で知られてますけど『金』の輸出には、厳しい統制が敷かれているはずですよね?それを平気で破る?それに西園寺さんが手を貸していた?嘘ですよね?西園寺さんはそんな汚い人じゃないですよね?」


 自分で言いながら、誠の胃はさらに重く沈む。

 

 かなめは椅子に座り直し、ホルスターの位置を指一本で直した。その仕草が、答えの代わりだった。


「まず言っとくとオメエはアタシを誤解してる。アタシは軍の汚さをうんざりするほど知ってる人間だ。国際法で禁止されてるはずだってか?……なんで『武装して警察官より強い』兵隊さんがそんな貧弱な武装の民間警察が守っているルールを守るんだ?戦争にルールなんてねえんだよ……勝った方がルールを作り敗者を裁く……勝敗が決まらなきゃそれが永遠に続くわけだ。ただまともな軍人さんはそんな事には手を染めたくはない……ただ誰かが手を染めないとその金はやくざや別の国の金になるだけだ。だからアタシはそいつ等を殺して甲武の金にしただけ……ただそれだけだ」


 かなめのたれ目が、ここだけ鋭く光る。

 

 紙コップの水はぬるくなり、誠の喉は乾いたままだ。


「裏金のルートを握っていて……しかも今の政府に反抗的な指揮官のいる演習地……戦争にならないと考えていた僕は甘すぎましたね……」


 誠はつぶやき、思考のピースが嫌な形で噛み合う音を、脳内で聞いた気がした。

 

 かなめはランを見るのをやめ、立ち上がる。ベルトの金具が乾いた音を立てる。


 ……カシャン。


 ホルスターを確かめると、無言のまま詰め所を出た。自動ドアが開き、夏の熱気がひとかたまり入り込み、すぐに閉じる。


「ただ、まともな軍人にとってはそれを指揮していた人間の存在は邪魔だ。要するに犯罪者を幹部待遇で自国で囲っていたことになるわけだからな。だからそんな裏金作りのプロが消えてくれればいいと考える人間もいる……組織という物はそう言うもので今回もそう言うことなんだろう。今回は甲武国の現在の主力シュツルム・パンツァーである『火龍』対策の対230(みり)砲の回避プログラムが更新されたが、それも定時のシステム更新のタイミングだ。なにもおかしなことは無い。戦闘になったらそれに対応する。それだけの話だ」


 カウラは、淡々とキーを叩き続けながら告げる。

 

 モニターには、回避アルゴリズムのベクトル図と、更新履歴のタイムスタンプ。冷たい数字の列は、逆説的に『何かがある』ことを示す、無垢な仮面にも見えた。


「そんなもんですか……ちょっと僕にはあまりにも人間性がかけているように見えて……」


 誠は結局それしか言えなかった。

 

 机に置かれた子機は無言。受話器に貼られた『取次厳禁/副隊長承認』の赤札が、やけに目に刺さる。


 ……これは演習では終わらない。

 

 結論だけは、鈍い誠でも分かる。

 

 なのに、空調の冷気はいつも通り肩口に落ち、詰め所はいつも通りの朝を装っている。理屈は静かに崩れ、体だけがルーティンをなぞる。


 思考の端で、誠は自分の『逃げ』を一瞬だけ思い出した。荷物一つで門を抜けた夜の湿気。だが、今は扉の外の熱気の方が重い。

 

 しかも……専用機『05式乙型』の搬入が、あまりにも出来過ぎている。


 これは試験であり、通過儀礼だ。

 

 そう理解した瞬間、背中がうっすら汗ばんだ。紙コップの水は、飲み干しても乾きが残った。


 


 午後……隊長室。


 棚の上の観葉植物は、誰も水やりをしていないのに妙に元気。夏の日差しに背を向けるようにブラインドは半分だけ降り、埃が光の筋に漂っている。机の上には書類の山と、安物の扇子、そして吸いかけて潰れたタバコが二本、灰皿の縁に引っかかっている。


「ランよ……つい、言っちゃったらしいねえ……第六艦隊の近藤を狩るのが今回の目的だって。しかも近藤のやってたことまでかなめ坊とカウラの奴がご丁寧に神前に解説して見せたらしいじゃないの……俺はそんなこと頼んじゃいないよ……アイツはあくまで現実を見ないで『ヒーロー』として俺達の計画に乗ってくれればよかったの。世の中の汚さ……知って得だと考えるのはただそれを利用して生きていく犯罪者だけだよ」


 嵯峨は扇子で自分の頬をパタパタと煽ぎながら、ランを見上げた。

 

 表情は涼しい。口調は軽い。だが、目の奥にだけ、熱が沈んでいる。


「遅かれ早かれ口の軽いアメリア経由で伝わる話だ。問題ねーだろ?それに隊長に異論を唱えるのは部下としてはどーかと思うが戦争の汚さはいずれアイツにも分かる。それを知らずに済むのは自分のしていることや過去の自国の歴史に一切の汚点は無いと都合よく考えられる馬鹿だけだ。神前にはそんな馬鹿に育ってほしくねー」

挿絵(By みてみん)

 ランは背伸びをするでもなく、床にぺたりと足をつけて立つ。その小さな影が、机の脚に重なって揺れた。


「それはそうなんだけどさあ……せっかく神前がうちに居つくって決めたところじゃん。このまま戦闘が予定されてます、人を殺すかもしれません、しかも戦場とは汚いもので問答無用で人を殺すのが当たり前の場所です……なんてことを知ったら、またアイツ辞めると言い出すぞ」


 嵯峨は扇子を閉じ、上目遣い……いつもの『駄目人間』のかわし目線がそこにはあった。

 

 それでも机の上の書類の角は、きっちりそろっていた。几帳面と無精が同居する、彼らしい机だ。


「『殺すかもしれません』じゃねえか。『殺させる予定』なんだもんな。それに戦場が汚いのはお互いよく知ってる話じゃねーか。隊長も、アタシもそれは十分すぎるほど知っている話だ。その程度で逃げ出すような兵隊は使いもんになんねーよ」


 嵯峨は口端をわずかに吊り上げた。

 

 悪戯っぽさに似た、だが別の黒さ。


「悪い顔してんぜ、隊長」


 ランが指摘した瞬間、嵯峨の顔はいつもの『抜けた』それに戻る。

 

 だが、戻り切る前に、素の声が漏れた。


「かもな……」


 爪でこめかみをカリ、と掻く音。指先の灰が落ち、灰皿の縁に白い粉を散らした。


「俺は思うんだよ……俺は正しいのかなってな」


 火を入れたタバコを一吸い。肺に落とし、天井を見る。

 

 ブラインドの隙間から差す光が、うっすら煙に線を描いた。


「今回は無かったとしても、うちにいる限り神前はいずれ『人殺し』になるんだ……いくら『廃帝』の歪んだ望みを止めるためとはいえ……それは良いことなのか?アイツは軍人向きじゃねえのは百も承知。でもあの力は……欲しいねえ……喉から手が出るくらい」


 嵯峨は、言いながら自分に呆れたように笑った。

 

 机の端……紫地に黒く『大一大万大吉』と描かれた隊旗の小さな卓上旗が、クーラーの風で少し震える。


「アタシが言えた話じゃねーが……隊長、アンタは正しいと思うぞ。アイツはうちに引っ張らなければいずれ勝手に『覚醒』する。そーなれば地球圏の連中が何を企てるか分かんねーかんな。今回は『加害者』になるが、そん時は『被害者』になる。どっちが幸せなのかはアタシには分かんねーがな」


 ランの声は小さい。だが、芯がある。

 

 彼女のブーツの先が、床の溝にコツ、と当たった。


「それは分かってんだよ……でもその方が良いかもしれないと思うんだよね。そうなればアイツは少なくとも『無罪』だ。人は殺さずに済む。たぶんその時点でアイツの覚醒を望まない誰かに逆に殺されるだろうけどな。これまで俺は間違いばかりしてきたからな……ここに来てかなり迷ってんだよ」


 言い終えると、嵯峨は火の点いたばかりのタバコを缶コーヒーの空き缶に落とした。ジュ、と小さな音が静かな室内に響いた。

 

 缶の口から、焦げた匂いが立つ。


「何言うんだよ。あの時も……遼南内戦で『人殺しの機械』に成り果ててどうしようもなくなったアタシを止めてくれたのはアンタじゃねーか!そのアンタがそんな弱気でアタシに戦えというのか?あの時のアンタの覚悟はどこ行ったんだよ!」


 ランの声に、いつもの年齢不詳の張りが戻る。

 

 嵯峨の手が、吸い殻の山の上で止まる。


「いや、別に俺が動かなかったとしてもお前さんは自分が何をしているかを気付く時が来て、そうなればお前さんは止まったよ……『遼南内戦』……遼南共和軍の狂気はその中枢にいたお前さんが一番よくわかってたじゃないの。それに、お前さんを止めたのは俺じゃないよ。俺の部下に居た遼州人にとっての『女神』が止めたんだ。俺は『最弱の法術師』だからな……『人類最強』のお前さんの敵じゃないよ。礼ならアイツに言いな。俺にできる事なんて俺が一番よく知ってる」


 軽口の形をして、慎みのある敬意が嵯峨の言葉には含まれていた。

 

 窓の外では、昼下がりの蝉が、ガラスの向こうで遠く鳴く。


「ああ、その『女神』が言ってたよ……『廃帝を止めるには私が出た方が?良いか』って」


 ランの試すような口調に嵯峨は苦笑いを浮かべてみせる。


「アイツのお人好しにも困ったもんだな。だが、これはお人好しのアイツが思うような奇麗な戦いなんかじゃないんだ。汚い戦いになる。『人間』向きの穢れた戦いだ。所詮、力の限界の知れた『人間』同士の穢れていてどうしようもない無益な争いに穢れを知らない『女神様』を巻き込むわけにはいかないだろ?……ああ、お前さんを倒すときには御出馬願ったな……でも……」


 『でも』の先に続く迷いを、ランは見逃さない。

 

 嵯峨の指が、扇子の骨を一本ずつ撫でた。パチ、パチ、と乾いた音。


「隊長、迷うんじゃねーよ。もう事態は動き出したんだ。『廃帝』は倒す!『ビッグブラザー』とその信者には御退場願う!そのためのこの部隊じゃねーか!違うのか!アタシの見立ては間違ってるか!」


 言い切りに、室内の空気が一度だけ張りつめ、そして、静かに戻る。

 

 嵯峨は、少しだけ背を伸ばした。年齢不詳の『指揮官の顔』が、数秒だけ、顔を出す。


「そうだな……泣き言はこれで最後にするよ。それとだ、神前には敵を撃って涙を流さねえ『クズ』にはなって欲しくねえな。お前さんみたいに敵に涙を流せる立派な戦士になって欲しいもんだ……せめて人殺しを作るのが俺の仕事ならそんな仕事を俺はしてみたい」


 机の上のタバコの箱に、ゆっくりと手を伸ばす。箱の角は潰れて、何度も開け閉めされた痕がついている。


「アタシは立派じゃねーよ。ただ『(じょう)』のねー人間が嫌いなだけだ……自分が捨てた涙の分まで、部下には残っていてほしいと願うのは、勝手な話なのは分かってんだよ……でもな……そんなもんで割り切れねーのが人間だろ?違うのか?」


 ランは肩をすくめ、踵を返した。

挿絵(By みてみん) 

 ドアノブに届く小さな手。ガチャリ、と古い金属音。開いた隙間から、廊下の蛍光灯の白が流れ込む。


 扉が閉じ、静けさが戻る。

 

 嵯峨は一拍置き、額を扇子で軽く叩いた。


「人の上に立つってのは……疲れるもんだ……辞めたいのは神前じゃなくて俺の方だよ」


 独り言は、空調に攫われて消えていく。

 

 灰皿の脇……未開封のガムシロップがひとつ、転がっていた。甘さに手を伸ばす代わりに、嵯峨は新しい一本に火を点けた。


 


 詰め所では、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 

 誠は端末のログイン画面に映る自分の顔を、ぼんやりと見た。

 

 ……『戦場』は、演習の顔をしてやって来る。

 

 紙コップの底に残った水滴を、親指で拭い取る。手の汗に紛れて、冷たさはもう分からなかった。画面の中の『ログイン』の文字だけが、やけにくっきりと見えた。

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