第43話 教えられる側の戸惑い
「神前のシュツルム・パンツァー操縦が下手って話は……嘘かよ……また負けちまった……まあ、今回もちっちゃい姐御の援護が有ったって理由はつくけど……神前の馬鹿に二連敗したって言う事実は消えねえ!恥の上書きだわ!」
かなめの悔しさににじみ出るような叫びがシミュレータルームに響いた。
整備班が島田が言うには『納入された機体に施される儀式のようなもの』と言う誠の機体の完全解体機能検査を始めたところで、ランは誠たちをシミュレータールームに誘い、今度は誠にとって2回目の集団戦形式の模擬戦が行われた。
シミュレータルームの空気は隣のハンガーから運ばれてくる油と金属粉の匂いがうっすらと見える。壁の掲示板には『本日:VR使用 18:30〜』『水分補給!』の赤字メモが目立つように書かれていた。ドアを押すたび、蝶番の金属音が遅れて耳に刺さる。
その訓練が終わったところで、西園寺かなめ中尉はそう言いながら重い扉を開けた。
厚い遮音扉の内側には低い空調音と、まだ体に残るシミュレータの再現した実機で体験することになるであろう『揺れ』……現実に戻っても、前庭感覚がワンテンポ遅れて追ってくる。
今回のシミュレータを使っての模擬戦は誠とクバルカ・ラン中佐対西園寺かなめ中尉と第一小隊長カウラ・ベルガー大尉の対決だった。
立方体のブースが四基。各ブースには全天周囲表示の湾曲スクリーン、カーボン製の簡易コクピット、汗を吸ったハーネス。足元のラバーは削れ、白いチョークで『係員以外立入禁止』の線が引かれている。
当然、今回は機動部隊のフルメンバーの参加と言うことで飛び道具はありだった。かなめやカウラ、そして野次馬としてコントロールルームからその様子を見守るアメリアを始めとする運航部の女子達の誰もが誠を戦力に数えていなかった。
入室前、モニタには『SIM/ARENA_07(旧港倉庫区画)』『弾薬制限:標準/ECM有効』『ラグ補正:±6ms』と走る。水色の文字は容赦ない。
しかし、始まってみるとその予想は完全に裏切られるものだった。
仮想戦場は潮風を模した粒子エフェクトと低い環境音。ヘッドセットの骨伝導が鼓膜の外で鳴り、現実の騒音は遮られる。誠は脈拍がHUD右上に現れるのを見た(87→93→101)。
模擬戦開始直後、ランは後方で230mmカービンでの牽制射撃をするばかりで前に出てくる様子はなかった。前方で敵を迎えるべく立ちはだかる誠機はカウラの電子戦仕様の05式の影からを利用してのかなめの230mmロングレンジレールガンの望遠射撃を持ち前の勘と反射神経でよけ続けた。
射撃のたびにHUDの左列で弾道計算テキストが『緑→灰』へ点滅。ランのカーソルは常に味方アイコンの後ろで揺れが小さい。援護に徹する動きは、誰が見ても『教える者の位置』だった。
ランは完全に自分の能力を消して誠のフォローに回ると言う教導官出身らしい誠の成長を促す戦いを望んでいた。
チャット欄に短い文言……《M:突っ込むな K:右倉庫影》《L:神前、呼吸》。それ以上は言わない。余白で育てるやり方だ。
対するかなめチームはかなめがカウラ機の背後からの望遠射撃は回避可能だと判断して突進してくる誠機にカウラが指向性ECMによる電子戦を仕掛けるが、持ち前の反射神経で広範囲へのECMによる電子戦の範囲を計ったようにかわしまくる誠機をとらえることができなかった。
画面に生じるノイズの靄、レーダーの偽反応、視界をかすめる薄い人影。誠はカウラの機体の電子機器が自機の各種センサーを狂わせて生じる『遅れて見える影』の癖を覚え、そこを『実体』と逆算して脚を出す。次第に前方で誠を瞬殺できると思っていたカウラは目算が狂ったとでもいうように焦り始め、電子戦専用機には自衛武装に過ぎない230mmカービンで誠の進撃を止めるのが精いっぱいという状況になった。
一向にカウラが誠を捉えることができない状況を見て焦ったかなめが230㎜ロングレンジレールガンの長い射程の意味を失うほどに前進してきたところにランが狙いをかなめに絞り、『サイボーグ』対『人類最強』の銃撃戦が展開されることとなった。
銃声は実音と違い抑制されたサンプルだが、被弾警告の赤フラッシュは容赦ない。照準線の交錯が、仮想でも胃を冷たくする。
熱くなって連射の利かない230mmロングレンジレールガンをむやみに撃ちまくるかなめに対し、戦場に慣れたランはそのサイボーグの貴重な一撃の射撃を紙一重でかわすエースにふさわしい的確な機動操作でかなめを翻弄した。
機体のシルエットが倒れ込む寸前に起き上がる『無駄のない蛇行』。ドローン視点で見ると、その軌跡は一本の細い糸のように美しい。
一方の誠とカウラの方はなかなかの熱戦となった。自衛用とは言えカウラ機の230mmカービンの一撃は誠には脅威である。そしてカウラにとっても格闘戦ではかなめをも凌駕する誠の突進は脅威なので、必然的に誠の突進を狙う進撃を止めるための牽制射撃と隙をついてのECMによる電子戦で誠の足を止めるという互角の戦いが展開された。
カウラのECMはダミーの足跡まで撒く。誠のHUDには三つの『カウラ』が表示されるが、一瞬だけ風下に砂塵の流れが寄った……誠はそこに踏み込んだ。これは自分の間合いに飛び込むチャンスだと剣道場で鍛えた誠の勘がそう告げていた。
そんな誠の突進をなんとか牽制射撃で阻止したカウラだが、自分の射撃の下手さを理解し、230mmカービンを全く使う気のない誠が接近するたびに、カウラがダミー信号を放出し、電子戦を仕掛けた。それでもカウラの230mmカービンを紙一重で避けつつ突進の機械を伺う誠にカウラは必死に抵抗を続けた。
誠はライフルの安全装を無意識にかけ直し、鞘に触れていた。格闘UIが立ち上がると、胸の動悸は落ち着く。自分の『得意』に戻るだけだ。常に格闘戦闘が可能な『誠の間合い』に入れば勝てる……その確信だけが誠の驚異的な反射神経によるカウラの牽制射撃を避ける動作を支えていた。
だが、誠は一瞬の間にカウラの機体の『実際の影』を見つけた。カウラの機体の『実際の影』を見つけた瞬間、誠の背骨を電流みたいな確信が走った。格闘戦にしか自分の生きる道を見いだせない誠はその瞬間を見逃さずに反射的にダッシュで距離を詰めた。
床テクスチャの反射計算が一瞬追いつかず、影と影のズレが出た。……その『ズレ』こそ、仮想空間の綻びであり、人の目が拾える手掛かりだ。
驚いてとっさに回避行動を取るカウラ機より先に、誠のシュツルム・パンツァーのダンビラが引き抜かれカウラ機をかすめた。
衝撃は触覚スーツの背中側アクチュエータが演出。軽い電気の『びり』と、振動が肘に走る。
カウラも一度は誠機のダンビラの出足の鋭さと間合いの遠さを知って、常に誠から格闘戦を仕掛けられる距離への接近を避けるような戦い方をした。
誠には格闘戦では絶対に勝てない……それがカウラの出した結論だった。
彼女は慌てて誠の間合いから脱出し、あくまで射撃戦で決着をつけようと距離を取り直す。
距離を詰めようと迫る誠と、離れようとするカウラ。勝負は一向につきそうになかった。
距離を詰めようと迫る誠と距離を取って誠の未熟な操縦技術に勝機を見出そうとするカウラ。
勝負は一向につきそうになかった。
双方の距離は二十五→三十二→二十八mとゴムのように伸縮。秒針が遅い。観戦席のアメリア達は息を飲む。
しかし、かなめの相手をしながらその様子をエースらしい余裕で戦場の全体を観察していたランのかなめの隙を突いた230mmカービンの一撃で誠にだけ意識を集中していたために完全に隙をつかれる形になったカウラが落ちると形勢は一気に誠チームに傾いた。
『HIT』の白字がふっと浮かび、カウラ機の表示が薄灰にフェードした。カウラは淡々と《観戦モード移行》を押す。声は静かだが、目は笑っていた。
一対二で不利になったかなめはカウラ機を盾にしての距離を生かしての長距離射撃の優位を失ってランの230mmカービンの狙撃から逃げつつ、サイボーグ専用機にのみ装備されている光学迷彩を駆使してランを引き離し再び距離による優位を得ようと動いた。距離を取ればかなめの機体05式甲型狙撃仕様の230mmロングレンジレールガンの長い射程とサイボーグの精密射撃で生身のランや誠に対して有利に立てる。それは白兵戦等での実戦慣れしたかなめならではの計算だった。
画面のコントラストがわずかに沈む。温度差のエフェクトは切られている……かなめの選択だ。誠のセンサーは『沈黙』だけを返す。
誠には初めての事態の敵が視界にもセンサーにも見えないと言う状況に誠は目的を見失って動くことができず、再び戦局はかなめに有利に傾くかに見えた。
無音の恐怖。ヘッドセットの内側に自分の呼吸音だけが増幅される。
しかしかなめは不用意にも十分な距離を取る前に無防備な誠を狙って230mmロングレンジレールガンを発射した。しかし、その発射位置を見たランはすかさず反撃した。
発砲光の残像は0.3秒も残らない。だがランにはかなめの位置を特定するには十分な証拠と言えた。反射の一撃、理論武装のようなタイミングだった。
百戦錬磨のエースであるランには、発砲位置からかなめの潜伏場所を割り出すことなど容易なことだった。
次フレームで既に角度が合い、次の次で確殺角。教範の図そのままの軌跡なのに、人がやると芸術になる。
そして十分な距離も取れずにランの230mmカービンの有効射程内で位置のバレたかなめはランの230mmカービンの的に過ぎなかった。
かなめの画面に白い終幕。舌打ちが現実の部屋に漏れ、周囲が笑う。距離を取っての射程での優位を取るまで誠への攻撃を待てなかった僚機のかなめのいつもの癖に撃墜状態で待機中だったカウラは大きなため息をついて首を横に振った。
「今回は完全に西園寺のいつものこらえ性の無さが貴様の敗因だ。貴様の機体の有効射程はクバルカ中佐や神前のそれの倍はあるんだぞ。その領域まで神前を捉えたままで距離を確保できれば丸見えのクバルカ中佐が自分の機体の有効射程まで接近する間は貴様は一方的にクバルカ中佐を攻撃で来て勝機は十分にあった。だが、私が先に堕ちたのは事実だからな。敗者には何も言う資格は無いのだが……神前。神前は確かに……射撃が『アレ』なのはともかく……回避も格闘戦も『使えない』というわけではないな。その自覚をもって私に格闘戦だけに専念してひたすら間合いに入る事だけを考えての機動。……自分の短所と長所を分かったパイロット。敵に回すのは怖いものだ。西園寺。神前のシミュレーションデータのログは確認したか?」
すでにシミュレータから降りてスポーツ飲料を飲んでいたカウラの言葉にかなめは脳内のデータリンクを行った。
自販機の冷罐は汗で曇り、床に小さな輪。かなめの瞳孔が一瞬狭まり、視界にHUDログが重なる。
「……おかしいな……神前の動き、あれ……データに反映されてる動きと実際の反応速度が一致しねえんだ。こんなことランの姐御以外で見たことのねえデータだぞ。あんな動きが出来るパイロットなんて姐御と叔父貴以外に見たことがねえ」
かなめは納得がいかないというように首をひねった。
誠のスーツの胸元では心拍がまだ高い。現実の汗は仮想よりも重い。
誠は二人の言葉で自分がランと比較される存在であることに照れながらシミュレータから降りようとするちっちゃな上官であるランに手を貸した。
ヘッドセットを外すランは髪先を指で整え、小さく息を吐く。視線は既に次の訓練計画に向いている。
「そんなの決まってんだろ?神前の売りは『格闘戦』にある。そのことを自覚している時点でアタシとしては合格点だ。元々適性の高いどんな戦況でもなんでもできるように教育されるように命じられたパイロット候補しか教育したことのねー東和宇宙軍の教官にはこいつの良さを見る目がねーんだ。人には長所と短所がある。短所に目をつぶり、長所を人が羨むレベルまで伸ばす。東和陸軍の教導隊長としてアタシが目指してたシュツルム・パンツァーパイロットの教育方針はそれだ。そんな軍が理想とするような万能でいくらでも伸びしろがあるパイロットなんて実戦に放り込めば勝手に成長するもんだ。その長所を理解しなければ全く使えねーパイロットを戦場に放り込んでも平気なように教育する……本来教導隊の教官の仕事はそう言うものであるべきなんだ」
誠の手を借りながらシミュレータから降りたランはそう言って笑った。
その笑いは明るいが、責任の影が薄く差す。教える者の笑顔は、いつも少しだけ固い。
「確かにこいつは運動神経はそれなりにあるし、動体視力も人一倍だからな……あの戦闘用人造人間であるカウラの正確な射撃を避け続けたのは大したものだとしか言えねえわな。まあ、左利きなのが欠点か……」
悔しがっていたかなめの言葉に誠には1つの疑問が生まれた。
訓練室の隅には左用グローブの箱が半分だけ減っている……誰も気に留めない景色が、不意に意味を持つ。
「西園寺さん。左利きだと何か問題があるんですか?確かに僕は左利きですけど……左利きってそんなに不遇なんですか?そんなこと日常生活では感じたこと無いですけど……軍ではそうなんですか?僕の230mmカービンも左利き用って聞いてますけど……それがうちの予算を食いつぶしているとか……」
歩み寄ってくるかなめの姿を間近で見ながら誠はそう尋ねた。
かなめは腰のホルスターに触れ、癖でセーフティを確認する。
「まあ、兵器ってのはほとんどが右利き用に設計されてるんだ。銃だって基本的に薬莢は右側に飛ぶようにできてるだろ?」
かなめはそう言っていつも手にしている愛銃スプリングフィールドXDM40を取り出してその弾の薬莢が飛び出す部分を指さした。
金属の窓が光り、射撃場の匂いが脳裏に蘇る。
「確かにそうですね、左手で撃つと薬莢がこう飛んできて……」
誠はXDM40の排莢口を眺めてそのカートリッジが排莢される様を手でシミュレーションした。
「オメエの顔面にガツンだ。銃ってのは右手で撃つように出来てる。左手で撃ちたければ多少の加工が必要なのは普通の事だ」
かなめは非情にそう言って誠の額に軽くデコピンをした。
乾いた音に、近くの整備兵が吹き出す。
「普通の左利きの人間が使うことを考えていない銃は左手で撃つと最悪、撃った後で薬莢が顔面に直撃……なんてことがあり得るんだわ。オメエの言う通り武器業界では左利きは不遇なの。特にブルバップライフルは左利きが構えると顔面にフルオート射撃で焼けた薬莢が直撃して大変なことになる」
かなめのあざけるような口調を浴びながら誠は自分の左手をまじまじと見た。
指先のタコ、ペンだこ、今さら変えようのない習慣。ため息が少し長い。
そしてそのまま顔を上げていつものように銃について熱く語るかなめの顔を見つめた。
「……あのーいいですか?」
「なんだよ?」
ぶっきらぼうにかなめが誠をたれ目でにらんでくる。
「ブルバップライフルってなんです?」
軍に入りたくて入ったわけでは無い誠の質問に一同はただあきれ果てていた。
空調の音だけが妙に大きい。
「お前は本当に戦車にはあれだけ詳しいのに銃にはまるで興味が無いんだな。そんなことでは軍人失格だぞ。銃の機関部が、トリガーより後ろに配置されている銃のことだ。機関部が銃のストックを兼ねる形状になるからコンパクトなのが売りだな。遼北人民解放軍が使っている69式自動歩槍なんかがそうだ」
呆れながらカウラが説明する。
説明は淡々、でも語彙の選びがやさしい。教育者の口調だ。
誠にはあまりよくわからなかったが自分が遼北に生まれなくて正解だったことと遼北人民軍の左利きの人はどうしているのか聞きたくなった。
「アタシの使っているFN―P90みたいに下に薬莢が落ちるタイプの右利き左利きに関係ねー銃ってあんまりねーかんな。だが、アレは開発当初はそのとんでもねー値段を聞いた軍関係者が『誰がこんなもん使うんだ!』って大騒ぎになった代物だしな。戦争は数なんだ。製造コストを考えたらどうやったって右利き用に開発した方が安いもんな。兵士が右利きってことを前提に同じ規格の銃を大量生産するラインで銃を生産することを前提に開発した方がコストが安く済むとーぜんの話だろ?」
ランはそう言って左利きの誠にとっては過酷すぎる戦場の残酷な現実を語って見せた。誠は左手を見下ろしながら、さっきまで自分を褒めた教官たちの背中が、急に遠く感じられた。
誠は押し黙り、さっき飲みかけの水が妙にぬるく感じた。
「戦争は数ですか……どこもかしこも数合わせの予算次第なんですね……」
誠は世知辛い世の中をマイノリティーの左利きとして生き抜く難しさを感じていた。
壁の『節電中』のステッカーが、今日は余計に目につく。
「ともかくだ。今の時点で自分の短所と長所を知ってるってことはオメーは大したもんだ。オメーは伸びる!東和宇宙軍の何でもできるエリートしか教えたことのねー教官達は教え方が下手だったんだ。この『特殊な部隊』では『人類最強』の指導教官であるアタシが付いてる!頑張れ!それにオメーはいずれあの専用機を使って自分が戦場でどれほど敵に無視できねー存在だったか思い知らせるような『力』を発動することになる!今はそれについては言えねえがいずれそれが分かる時が来る!今言えねえのはそれの発動要件にオメーがそれを知らねーことが前提になってることと、その『力』を知ればオメーが慢心して努力を止めることになるから言えねーんだ。そんくらいは察しろ」
そう言ってちっちゃなランは長身の誠を見上げた。
瞳は冗談を言っていない。守る者の目だった。
「ありがとうございます……でも、射撃は下手ですよ。それと、その『力』の発現条件、無茶苦茶じゃないですか?」
誠はランに褒められていることは嬉しかったが、ランが言った『力』の発動条件の残酷さが気になった。
どんな環境でどんな『力』が使えるかを『知らないこと』が条件だなんて、世界の方が理不尽すぎるように誠には感じた。
「まー今のオメーは自分が操縦が下手ってことを分かってるんならそれでいーんだ。それを理解して生かせるパイロットが伸びなかった例をアタシは知らねー。アタシは最初っからオメーにはそんなことを期待してねーんだ。それと『力』の発動条件が無茶苦茶なのは世の中みんなそんなもんだってこと。別にこれは軍隊や警察に限ったことじゃねえ。どこの会社に行っても特殊能力でも無きゃ達成できない無茶なノルマを課せられるもんだ。オメーの『力』の発現条件もそんなもんだと思え」
元気よくそう言うランだがはっきりと『期待してない』と言われるのはさすがに誠もカチンときた。
胸の奥で小さな火が点く。誰にも見えない、誠だけの熱だ。
「それなら、『伸びしろがある』とか言ってくださいよ……確かに僕の学生時代の知り合いも無茶なノルマを押し付けられて愚痴をこぼして来るのは事実ですけど……」
何とか反論する誠だったが、ランの笑顔はそんな誠の言葉を無視していた。
彼女は背を向ける……動き出す人間の背中は、たいてい優しい。
「まず言っとくが、オメーには射撃の才能はねー!それ以前に必要ねー!オメーの『力』には射撃なんか必要ねー!オメーには射撃は護身の為のお守り程度の物だとしか思ってねー!」
ランはそれだけ言うとシミュレータルームを出て行った。
扉が閉まる重い音。残るのは空調と、各自の息だけ。
「でも、僕だって現場に出るんですよ。いつも西園寺さんやカウラさんがいるとは限らないし……」
そう言いながら誠はかなめとカウラを見つめた。
二人とも何かを隠しているような気まずい雰囲気が流れているのを誠は感じながら、それを確かめることができない自分の気の弱さに少しがっかりしていた。
かなめは視線を外し、カウラは缶のプルタブを一度だけ弄んだ。
「ともかくオメーに射撃の腕は必要ねーんだわ……うん、うん。オメーはその格闘センスだけをひたすら磨けばそれで良ーんだ」
上機嫌でシミュレーションルームを去るランの言葉の意味が分からずに誠はただ茫然と立ち尽くしていた。
壁の時計は十七時五十五分。詰め所に戻れば、誰かの私物マグからインスタント味噌汁の匂いがする時間だ。
「射撃の腕……あった方がいいと思うんだけどな……僕の射撃下手は自分で言うのもなんですけど下手ってレベルじゃないですよ?僕の射撃の腕は。自分でもその点では軍人失格だって言う自覚は有りますし……」
誠は独り言を言いながらシミュレーションルームを去るランの背中を見送った。その背中は、自分を見捨てているようにも、誰よりも信じているようにも見えた。
仮想で汗をかき、現実で喉が渇く。ドアの向こうにある日常は、今日もちゃんと騒がしい。




