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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第十六章 『特殊な部隊』の特殊な専用機

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第42話 搬入の日、油の匂い

「来たぞ!」

挿絵(By みてみん)

 背後からの女性の大声に驚いたように誠は振り返った。

 

 機動部隊の詰め所の何の飾り気も無い掛け時計は17時過ぎの針を指していた。夕方の西日がブラインドの隙間から線になって机を横切り、書類の端を橙に染めている。詰め所の空調は相変わらずの弱音、蛍光灯は明滅の癖が抜けない。


「西園寺さん……何がですか?一体、何が来たんですか?」


 そこはいつもの司法局実働部隊・機動部隊の詰め所である。古いスチール棚の列、端に積まれた防炎ジャケット、壁には『安全第一』『火気厳禁』の黄色い標識と、誰が描いたのか『05式』の落書きが目立つ。

 

 夕方の厳しい西日が差し込む時間帯に、その机でぼんやりとたたずんでいた誠に声をかけたのはかなめだった。黒髪ボブを耳にかけ、拳銃整備用の布をポケットに突っ込み、いつもの勝ち気な笑顔だ。


「なんだよ、反応薄いじゃねえか……オメエの専用機だよ!待ちに待った専用機だ!もっと嬉しそうな顔しろよ!」


 かなめは、まるで自分の待っていた機体がやってきたかのように上機嫌で叫んだ。机の隅の『差し入れプリン(要冷蔵)』のメモをわざと誠の前に滑らせて、いたずらっぽくウィンクした。


「ついに来たか。私も『乙型』には興味がある。行くぞ、神前」


 端末に何かを入力していたカウラは、指を止めると滑らかな動きで立ち上がった。軍用マグの湯気がふっと揺れ、緑髪が肩先で光る。椅子が床を擦る甲の音も、どこか弾んでいる。


「僕の機体か……しかも『乙型』は僕しかその本来の性能を引き出せない『専用機』……戦場にも出たこと無いのに、まるでエースにでもなった気分だな……というかそもそもその『本来の性能』がどんなものかは僕には秘密って……なんだか順番が違うような気がしないでもないんだけどなあ」


 誠もワクワクといつものことながら自分だけ除け者にされているような感覚に囚われながら立ち上がり、肩に掛けた作業用のストラップを直して、かなめとカウラの後に続いて詰め所を出た。廊下のワックスがけの反射に、三人の影が伸びた。

 

 壁の掲示板には『本日:搬入あり(関係者以外立入禁止)』と赤マジックで書き足されていた。


「嬉しいだろ?神前。自分の専用機だぞ?しかもオメエが乗らねえと意味がない『専用機』だ。オメエの好きなアニメの設定みたいで燃えるだろ?でもあれか?もう機体に描くノーズアートとか決めてんのか?」


 振り向いたかなめは、悪戯でもしたかのような笑みを浮かべて誠に尋ねる。廊下の踊り場で軽くステップまで踏んで見せるサービス精神。


「ああ、僕は男のキャラが暑苦しいアニメは嫌いなんでロボットアニメは見ないんです。それとノーズアートですか?あれですよね、機体に絵を描く奴……それって普通、エースしかやっちゃいけないものじゃないですか?」


 遠慮がちに言う誠の肩を、かなめはぽんぽんと2回叩きながら話を続ける。叩くリズムが妙に軽快で、からかわれているのを自覚する。


「そんなのはったりだよ……オメエは操縦が下手だから、少しでも強そうな絵でも描いときゃ相手もビビるだろ?その分生存確率が上がる。それにオメエの機体はオメエしかその性能を引き出せねえ特別カスタムだからな。『これは遼州人の特別な人間が乗る機体なんだ!』というノリで敵をビビらせるためにノーズアートの1つや2つ有っても罰は当たんねえよ」


 かなめはまるで自分の専用機が納入されてきたかのようにハイテンションでそうまくしたてた。


「その操縦が下手な神前に格闘戦オンリーだったとして負けたのはどこの誰かな?それに私としては神前に機体の性能頼みの戦いはしてほしくない。ノーズアートなど無用だ。機体の塗装で勝負が決まるならそもそも戦闘兵器には武器など必要が無い。ただの塗料の無駄遣いだ。05式の大気圏突入にも耐える表面加工と塗装にはそれなりのコストがかかるんだ。貴様のように気分で機体の色を変えて喜んで何が楽しいのか理解に苦しむ」


 珍しく、いつもの無表情を皮肉めいた笑みに変えてカウラがかなめを見やる。言葉の棘が柔らかく、しかし刺さる。


「カウラ!テメエ!あれはまぐれだ!次は必ず勝つ!それとオメエもパチンコの時は色々縁起を担ぐと聞いてるぞ。だったら命を賭けた戦場で乗る機体の色に拘るのが何がおかしいんだよ!パチンコ依存症は黙ってろ!」


 誠に向けていた笑顔が急変し、かなめは眉を吊り上げてにらみつけた。階段の踊り場でほんの一瞬、火花が散る気配が張り詰めた。


「お二人とも……落ち着いて……」


 誠が慌てて間に入り、手のひらを見せて宥める。ふたりは鼻を鳴らしただけで、それ以上はやり合わなかった……いつもの呼吸だった。


「それじゃあハンガーに行くぞ」


 まるで専用機が来たのは自分であるかのようなご機嫌なかなめが先頭に立つ。隊舎のシャッターを抜けると、金属と油の匂いが濃くなる。風に混じる切削液の甘い匂い、遠くで鳴るエアツールの断続音、フォークリフトの警告ブザー……『現場の音』が一度に押し寄せた。


 三人がたどり着いたハンガーには、大型のトレーラーが待機していた。誠は、ツンとくる油と鉄の匂いに、なぜか少しだけ落ち着く自分に気づいた。

 

 荷台の側面には菱川重工のロゴがまぶしく誠の目に映った。タイヤは白いチョークでマーキングされ、荷締めベルトが夕陽を鈍く跳ね返している。床の黄色黒の斜線、フォークリフト通路、消火器の位置を示す緑のピクト、全てが『今日の主役』のために準備されていた。


 トレーラーの運転席の脇では、隣接する菱川重工豊川工場の制服を着た技術者と、技術部整備班長の島田正人曹長が言葉を交わしていた。

 

 島田は茶髪の白いつなぎに袖をまくり、首にタオル、耳にはいつものピアス……どう見てもヤンキーだが、レンチの回し方だけは一流の所作に見える。足元の安全靴は油で黒く鈍い。


「島田先輩!」


 誠は、技術者との会話を終えた島田に声をかける。声がハンガーの空間に跳ね返り、上方の梁で小さく反響する。


「おう、神前と……まあ皆さんお揃いで……見ての通り……お待ちかねの神前の機体……『05式特戦乙型』ちゃんと受領しましたよ」


 ニタニタ笑いで返す島田。ポケットから出したグローブを片手だけはめ、もう片手で髪をかき上げるしぐさが板についている。


「機体……どうなんだ?」


 カウラが短く訊く。視線はもう荷台の影、装甲の輪郭を追っている。


「ベルガー大尉。まあ、これまでの三機とはエンジンの出力が上ですよ。なんでも、これまでの三機に積んでるエンジンが試験製造中の07式と同型のエンジンなんですが、コイツに積んでるのは現在07式の正式採用後に改良が加えられ新型エンジンを積んでるんで出力的にはお二人の機体の20%増し……それに05式の欠点の重力制御パルス推進システムの見直しで機動性もかなりマシになったって話ですけど……まあ『焼け石に水』ってところですかね。05式の機動性の欠如は根本的に設計を見直さない限りどうにもならねえ致命的な問題ですから……ただ……」


 整備班長らしく『特殊な部隊』の保有する05式から誠の『乙型』に施された改良を語る島田だが、その表情は冴えなかった。


「ただ何なんだよ。班長だろ?問題点があるならちゃんと説明しろよ。かわいい後輩が乗るんだぞ……そんぐらい説明できて当たりめえだろうが!」


 自信なさげに手にした05式乙型の受領証にサインをする島田をにらみつけながらかなめはどなった。


「いやあね、どうもこうも……神前の野郎の『力』引き出すって言う触れ込みの例の『法術増幅システム』ってのが……ねえ……」


 島田は少し不機嫌そうに眉を寄せる。言い淀む、その珍しさ自体が不穏のサインだ。


「『法術増幅システム』……それなんですか?例の僕専用のシミュレータにあるゲージと関係があるシステム何ですか?」


 島田の言葉が言葉を濁す理由が理解できず、誠は素直に訊き返す。

 

 荷台の上、緑の装甲の肌理が夕陽に照らされ、蜂の巣状の継ぎの線がうっすら浮き上がる。


「そう、それなんだよな。オメエも知っての通りうちで採用している05式は重装甲が売りなんだ。ともかく装甲が厚い。大きく三つの層で構成されたハニカム装甲が装甲貫徹力に優れた大口径のレールガンの弾丸をその厚さと構造で何とか食い止めようって寸法なんだが……この神前の専用機の『05式特戦乙型』にはその真ん中の層に『理解不能』な素材が使われてんだ……確かにそれがあの『ゲージ』とリンクしてるってのはこいつのOSを見ればシステムには疎い俺にでも分かるんだけどな。でも、なんだかわからない原料で作られたなんだかわからない部品が機体に付いてるなんて……これを弄るのは俺達だぜ?なんでもうちではうちで一番若い整備班の兵長が『法術担当』ってクバルカ中佐に指名されてアイツに聞けばわかると思ってさっきそいつを締め上げて吐かせようとしたんだが。そいつはクバルカ中佐から口止めされてるの一点張りで俺には言わねえんだ。俺は班長で直属の上司で先輩だぞとか言って脅してもだんまりだ。まったく話になんねえよ」


 島田は苦笑いを添え、スパナの柄で装甲を『コン』と軽く叩く。澄んだ金属音ではなく、どこか鈍い、芯のある響きが返ってきた。整備班員が顔を見合わせる。


「『理解不能』な素材って!オメエは技術屋だろうが!そんなランの姐御とその若造しかその素材を知らねえなんてことが許されると思ってんのか!そんくらい自分で調べてなんとかするもんだろうが!神前は『法術師』だ。その『素質』を発揮するための素材だろ?材質は何だ?言ってみろ!言えるよな!ランの姐御が口止めしてるから知らねえ?そんな言い訳が世の中で通用するか!」


 いつになく遠回りな言い方をする島田に、かなめが噛みつく。声に笑いはあるが、牙は隠していない。


「西園寺さん……そんなこと言われても困りますよ……ランの姐御にも俺は聞いたけど『素材の材質と機能については担当の西に言ったから問題ねー』の一言で終いだ。それにその素材について問い合わせた俺の技術屋としての『師匠』に当たる人から『別にお前が知らなくても問題ないからいじんないでね!『アレは法術増幅触媒』と言う部品なんだけど材質も機能も今は秘密だから!』って言われちゃいまして……。『法術』の発動した時の反応については勉強しているはずのひよこちゃんまで『大丈夫ですから。機能は保証します』の一点張りだぜ?俺って……そんなに信頼されてねえのかな?俺。西の奴、クバルカ中佐の信頼が厚いってことで図に乗りやがって!上司に隠し事をするとはふてえ野郎だ!」


 島田は怒りの矛先を部下の西に向けて、困ったようにカウラを見る。愚痴を言いながらも、目は常に危険表示とセーフティピンの位置を追っている……職業病というより、習性に見えた。


「クバルカ中佐は知っているんだろう?だったらいつも一番中佐の世話になっている貴様が誠心誠意頭を下げればきっと教えて……」


「教えねえ!」

挿絵(By みてみん)

 つぶやくカウラの背後から声が飛び、全員がそちらを向く。

 

 小柄なクバルカ・ラン中佐が腕を組んで立っていた。夏用シャツの胸ポケットには、小さなドライバーと油で黒くなったメモ帳。背丈は小さくとも、ハンガーの空気を一瞬で握る声量だ。


「中佐……そこを何とかなりませんかね……俺達がいじるんですよ、こいつを。西の若造しか知らねえシステムを俺の部下の全員でいじるんですよ?見た限りその『法術増幅触媒』は乙型のほぼ全三層装甲板のすべてを覆い尽くすように装備されているんですよ?その部品の材質も機能も俺が知らねえなんて俺の面子(めんつ)が丸つぶれですよ。それにもしその『法術増幅システム』とやらが暴走とかして神前の身に何かあった時にはどう対処するんですか?西に責任を取れって言うんですか?アイツはまだ餓鬼だ。そんな責任を取れるわけがねえ。それに出動が有ってこいつが被弾した時は当然レールガンは第一装甲を撃ち抜くだろうから、劣化ウランの弾頭がそのなんだかわからない材質で出来た『法術増幅触媒』に触れるわけですよね?そしたら何が起きるんです?それに対応して修理をするのは俺達ですよ……そんなこいつをいじる俺達がそれを知らなきゃ対策の立てようがない。西の餓鬼一人で何とかなる代物なんですか?何かあった時の責任を取らされる俺の身にもなってくださいよ」


 島田の声音は低いが真剣だ。整備班員も手を止め、ランへ視線を寄せる。


「その心配はねー!それと『法術増幅触媒』が有る機体をレールガンで撃ち抜ける奴があるならアタシがお目にかかりて―ぐらいだ!それに『菱川製』の『法術増幅触媒』はそれ自体は安定した素材を使ってるから被弾同行の問題は起きねえ!もし万が一こいつが原因で何か問題が起きた場合はオメーじゃなくてアタシが責任を取る!それがアタシの役目だかんな!責任はオメーじゃなくてアタシにあるわけだから何の問題があるんだ?それに安定した素材で『甲型』の間の素材である変性セラミックと同様に扱っても構わねえ素材なんだから安心しろ!それとも何か?そもそもオメエはこの05式の甲型の素材の表面加工に使われてる技術で必要とされる素材の名前を全部言えるのか?言えねえだろ?それでも何の事故も起きてねー!オメーには何の問題もねーじゃねーか!」


 ランは迷いなく言い切り、さっとトレーラーの前へ。小さな影が夕陽の色を濃くする。その言い方が冗談ではないと、島田も班員も知っている。


 ランが『責任を取る』と言った時、それは本当に『何かを捨てる覚悟』を含んでいる。ちっちゃな副隊長はその小さい身体でそれを示して見せることで島田達屈強な男達で構成された整備班を従えてきた。


「こいつはな、これまでの量産型シュツルム・パンツァーにはどれにも無かったシステムを積んでる。一部の遼州人にとっては『画期的』な代物だ。『法術増幅触媒』を使った、『法術増幅システム』ってやつだ。いずれアタシの機体にも同様の装備をする……まあ、予算が付いたらだけど」


 胸を張る。誠は『予算』という単語に、現実に引き戻される。ハンガーの壁に貼られた『本年度:消耗品節約』『洗剤希釈比率』といった悲しい張り紙がなぜか目に入る。


「俺もこいつの仕様書の見方とその部品の発注書は目を通してるんで。俺のよく原料が分からないその『法術増幅触媒』とやらがトンデモナイ値段だってことは分かりますよ……うちの予算の予備費も俺は知ってます……つまり、いつまでたってもつかないです!そもそも2年前の隊の発足以来、機体にかける予算が出たことなんて一度も無いじゃないですか!それ用の予備費を司法局が用意してくれるんですか?」


 島田のツッコミは即答だった。整備班の何人かが肩をすくめ、笑いをこらえる。


 ランは島田の予算云々の言葉を無視して誠に目を向けた。そこにはまさに鬼教官の時のランの笑顔が見えた。


「そう言うわけだ。神前!こいつをカウラの機体の隣に立てろ。空いてんだろ?シュツルム・パンツァーを立てる場所が、あそこに」


 ランはかわいらしい指で、カウラの電子戦専用機の隣にある、エレベーター付きのデッキを指した。黄色い安全チェーンが外され、青い導光ラインが点灯している。


「へ?いきなり僕がやるんですか?マニュアルで?本当に中佐は僕の操縦の腕を知っててそんなことを言ってるんですか?」


 誠はランの言うことがすぐには飲み込めず、思わず聞き返す。喉がからからだ。


「このトレーラーは菱川重工・豊川の備品なんだよ。いつまでもここでテメエの機体を載せたまま待機させとく訳にはいかねえんだ。その間の延長のレンタル料……うちの予算で出せって言うのか?」


 島田に指摘され、誠は『はい』とも『いいえ』とも言えず、観念してトレーラー前部の梯子を上り始めた。鉄梯子は油で滑る。手袋をきゅっと締めなおす。


「なんならオートでやってもいいぞ……まあ自信が無ければの話だけどな!」


 明らかに挑発気味にかなめが言う。ヘルメットを片手で回しながら、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない。


「いや、自信とかそういう問題じゃなくて……普通、こんな大事なことはちゃんと訓練を受けてからやるものでは……?普通、機種転換訓練って半年くらいかけてじっくりやるもんじゃないですか?」


 誠は半ば泣き言のように言い、コクピットハッチに手をかける。

 

 サイボーグで脳に直接操縦が流し込まれるのが常識のかなめは、肩をすくめてごまかす。


「オメエ、もう乗るしかねえんだよ。腹くくれ」


 かなめはいつものかなめらしく、きっぱりと言い放つ。


「僕の命の扱いが軽すぎるんですけど……まあ、ここに来た時から僕の扱いがひどいのはいつものことで慣れましたけど」


 独り言は、金属の箱の中で自分に返ってくる。

 

 誠はそのまま緑色の自分の05式特戦のコックピットのハッチを開けた。油圧の小さな唸り、シール材の甘い匂いが鼻をついた。


「へー……やっぱりシミュレーターとおんなじ作りなんだな……僕には狭いかな……」

挿絵(By みてみん)

 そう言いながら乗り込む。

 

 バケットシートの硬さ、身体計測に合わせた肩の受け、ペダル位置の調整ノブ。耳の内側で微かな高周波——起動系の準備音が鳴り始める。


 ちょうど天井を見上げる形で身を預けた瞬間、誠の身体に異変が起こった。

 

 臓腑の底を撫でられるような脱力感。視界の端に、シミュレータで見た『法術ゲージ』がふわりと現れては、大きく振れた。骨伝導スピーカのノイズが細く混じる。


 吸い取られているのは命なのか、それともただのスタミナなのか、誠には判別がつかなかった。ただ、一度味わったら二度と忘れられない類の感覚だとは分かる。


『なんだ……この機体……命を吸い取られるような感覚がする……これが『法術増幅システム』の効果なのか?』


 疑問は次の瞬間、現実の作業音にかき消された。外でクランプが外れ、荷台がわずかに軋む。


『立てんぞ!』


 島田の声がコクピットに響いた。通信表示に『SHIMADA/MAIN/工』の文字。


「大丈夫です!行けますよ!」


 誠は息を整え、主電源を入れる。スイッチガードを上げ、トグルを倒す……『POWER/ON』。

 

 モニタに立ち上がる自己診断の羅列が全天周囲モニターの画面を走る。

 

「なるほど……エンジンは89式の核融合エンジンでは無くて、今はやりの07式に採用されたという位相転移式か……まあ歩かせる程度なら蓄電池とモーターでなんとかなりそうだな……ちゃんとバッテリーも満タンだ。歩かせる程度なら平気だろ」


 理系卒の意地で、流れる文字列から構成を拾う。駆動温度、バス電圧、サーボ音……一つひとつが『生き物』の脈に聞こえる。


 機体の角度がゆっくり変わり始めた。

 

 荷台の油圧が唸り、足回りが重力の方向を掴み直す。振動が背骨に、微細な震えが両踝に集まってくる。


「おう……これが……」


 雰囲気に浸る余裕は薄いが、それでも胸が熱い。自分の『背丈』が、ゆっくり人間を超えていく感覚。


『ベルガー大尉の緑色の機体の隣のデッキが見えるだろ?そこに立たせろ!』


 島田の声音は実務一色でそう言った。

 

 誠は操縦桿を握る手に汗を感じた。グリップのゴムが掌に吸い付き、心拍が一つ跳ねる。


「焦るな……冷静に……どうせ補助システムでうまい事動かしてくれるんだから。これでヘタッピ卒業だ」


 自分に言い聞かせ、左足を前へ……アクチュエータの遅れ、慣性、床面の段差。

 

 モニタ下辺には整備班員が豆粒のように見え、ヘルメット越しに手を振っている者もいる。


「よーし……できるじゃないか……」


 右足を台から抜き、荷台を静かに離脱。支柱の影が足元を流れ、姿勢制御が追従する。衝突警告は出ない……呼吸をひとつ落とした。

 

 そのまま、カウラの機体の前を抜けて、反転。デッキの係止位置に『カチン』と小さな金属音、固定ピンが噛み込んだ。


『オメエ……できるんだな……やれば』


 何かアクシデントを期待していたような島田の言葉が聞こえる。誠は返す気力も惜しい。肩から力が抜け、全身が一拍遅れて現実に追いつく。


「やりましたよ……」

挿絵(By みてみん)

 わずか数分の出来事だというのに、汗は背にまで滲んでいた。

 

 ハッチを開けると、そこにはアメリアが当然のように立っていた。蛍光灯と夕陽が混じる光の中、紺髪をひとつ払ってこちらを見る。


「大したものね……まあ、私は誠ちゃんならやれると思ってたけど」


「本当ですか……」


「嘘だけどね」


 いつもの台詞で、いつもの笑顔。誠は苦笑しながら、差し出された手に引かれて機体から降り立つ。着地の振動が膝に心地よい。


「よーし!ばらすぞ!総員、上腕の関節部から外して第一装甲を引っぺがせ!装甲の間に入ってる『訳の分からない板』は触るなよ! 材質も分からねえんだ!何が起こるか俺にも分からん!」


 島田の号令で、野次馬を気取っていた整備班員が一斉に動き出す。インパクトレンチの乾いた連射、トルクレンチの『カチッ』、マーキングチョークの白が増えていく。

 

 足元の油受けパンが列をなし、タグの付いたボルトが順にトレーに収まる。手際は良い、無駄が無い。現場の美しさだ。


「やるじゃねえか……」


 かなめとカウラ、そしてランが、地上に降りた誠とアメリアに歩み寄る。

 

 ランは胸ポケットから小さな紙片を出し、何かメモを取ってから満足げにうなずいた。


「オメーの機体は正式名称では『05式特戦乙型』って言うんだ……さっき言ったように『法術増幅触媒』を生かした『法術増幅システム』搭載の初の実戦型シュツルム・パンツァーなんだぜ」


 ランは得意げに言い、親指で装甲を示す。夕陽の反射がその親指の爪に小さな白点をつくる。


「あのー……だからその『法術増幅システム』ってなんなんです?説明してもらわないと使いようがありませんよ」


 誠は困惑を隠さず言う。命を預ける機体が“得体の知れない何か”を抱えているのだ。慎重にならない方がどうかしている。


「今は教えねー!でもさっきオメーはこいつを動かしたじゃないか。動くからいいんだよ!シュツルム・パンツァーなんざ要は動けばいいの!『法術増幅システム』は邪魔にはならねえし、オメエの身体にも害はねえから安心しろ!」


 ランはひらりと背を向ける。背丈は小さいのに、その言葉の『責任の重さ』は巨大だ。整備帯の風がシャツの裾をふわりと持ち上げ、また落とす。


『要は動けばいいか……』

 

 誠は胸の内で反芻し、自分の命を預けることになる機体を見上げた。

 

 巨大な装甲は西日に濡れ、継ぎ目の影が機体の曲面を強調する。各部の警告ラベル、『足元注意』『高圧注意』『挟まれ注意』がやけに生々しい。


 これが、自分の機体……。


「こうしてみるとでかいなあ……教習で乗った02式より1回りデカい。そして重そう。本当に、こんなのを動かせるのか……?」


 誠は小さく息を呑む。横でフォークリフトが走り過ぎ、風圧がシャツを震わせる。


「僕の機体……僕専用の機体なんだ……」


 言葉にしてみても、足元がまだ地に付かない。

 

 整備班の笑い声、レンチの音、コールサインのやり取り……その全部の向こうで、巨大な影は確かに『ここにいる』と主張している。

挿絵(By みてみん)

 ここに、とりあえず居る理由にはなるかもしれない。

 

 誠はそんな後ろ向きな考え方をする青年だった。だが、その後ろ向きは、動き出した『重量』の前で、ほんの少しだけ角度を変えた。


 夕陽はゆっくり傾き、ハンガーの天井クレーンが赤く染まる。

 

 『動けばいい』……その乱暴な言葉が、意外にも今日いちばん『優しい』言葉だった気がした。

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