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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第十三章 『特殊な部隊』を抜けられない理由

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第38話 ファーストミッション──走り出すのは足と策

「やってるな!」

挿絵(By みてみん)

 『ちっちゃくて偉大なる中佐殿』……クバルカ・ラン中佐は、広すぎる訓練グラウンドの端に立ち、夏の陽炎を愉快そうに目で追っていた。

 

 正午前の陽は高く、白く、容赦がない。真新しいトラックの白線が照り返し、熱で空がわずかに揺れて見える。


 今日も神前誠曹長の一日は、ランニングで始まる。

 

 ジャージ姿の隊員たちが、日よけ帽を片手に、遠巻きにその様子を眺める。実際に並走して汗を流すのは……この『特殊な部隊』で唯一『真人間枠』と噂される、パーラ・ラビロフ中尉くらいのものだった。

 

 他の隊員たちはというと、例によって、疾走する二人の遥か後方を……歩いている。まるで遠足の解散直前の列みたいに、ばらけて、ゆるく。


 このだらしなさは、もはや『特殊な部隊』の日常風景である。


「まじめだねえ……」

挿絵(By みてみん)

 西園寺かなめ中尉は、そもそもジャージに着替えすらしていない。

 

 制服のシャツの袖を肘まで捲り、アイスキャンディーを咥え、木陰からのんびり眺めていた。氷の棒から溶けた甘い滴が、指先を光らせる。


「あー、暑いなぁ」


 誠が折り返しで近づくタイミング、わざわざ聞こえる声量でぼやく。

 

 すれ違いざま、誠は息を切らせながら、嫌味をひとつ。


「西園寺さんは……サイボーグだから走らなくてよくていいですね」


 かなめは、まばたき一回ぶんの間を置いて、涼しい顔で返した。


「体力消耗はパーツの寿命を縮めるんだよ。つまりアタシは動かない方が金がかからねえの。……それとも何か?神前がアタシの義体の予備パーツの金を出してくれるのか?」


 鈍感力、圧倒的。嫌味は逆効果だ。

 

「払えません……うちは普通の一般家庭なんで」

 

「だったら黙って走れ!アタシの機嫌を損ねるようなことは言うな!部下として当然の配慮だ!」


 理不尽のシャワーを浴びつつ、誠は前を向く。熱気で遠くの倉庫が歪む。


「貴様はうちの草野球チームのエースになるんだ。体力は大事だろ?」


 第一小隊小隊長、誠とはもう10周遅れのゆっくりとした高齢者の足腰を維持するためのランニングペースで走っていたカウラ・ベルガー大尉が、ジャージ姿のまま仏頂面で的確な一言を誠に抜かれる瞬間にはなった。口調は乾いていても、横目に宿る『見ている』気配は確かだ。


「神前君!まだ走るの?神前君は午前中に20キロは走ってるんだからそんなに走ったらマラソンでもしてるみたいじゃないの!うちは何時から『陸上競技部』になったわけ?」


 パーラの声が背後から跳ねてくる。彼女は戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』……一般女性とは比べ物にならない体力を持つはずなのに、誠のペースにはやや眉を寄せ気味だ。

 

「僕、体力だけが取り柄なんで。大学の陸上部のハーフマラソンにも助っ人で呼ばれたことありましたし」


 そう言われて自分が今日走った距離を知った誠はまだ走れる自分に自信をもってそう答えた。

 

「……ああ、そうなの。……すごいわね……もしかして神前君て生まれる時に地球の陸上のオリンピック選手みたいに遺伝子操作でも受けたのかしら……」


 誠はパイロットとして三流以下……それが皆の共通認識だ。だが、かつて『都立の星』と呼ばれた左腕、野球で鍛えた身体能力は紛れもない本物だった。そして、ランにこの二週間の無茶に等しいランニングを強制されることで高校時代に鍛えた足腰が復活した誠にはこれくらいのランニングだけで仕事が済むのなら苦手な射撃訓練よりもよっぽど楽な仕事と言えた。

 

 そんないつまでたっても平気で同じペースで走り続ける誠を歩いている隊員達は不思議そうに見つめていた。


 体力は超一流と呼んでいいレベル。反射神経も人並み外れている。そして誠の何よりの売りの剣道場の跡取りとして仕込まれた護身術も、素手ではそれなりにやれる。


 ……なのに、どうして操縦だけはあれほど壊滅的なのか。周囲の七不思議の一つであった。


「そうだ!まずは体力!次に気配り!そして根性!それがあればあとはどうにでもなる!操縦技術?そんなもん知るか!経験を積めばどうにかなる!この『人類最強の魔法少女』であるアタシが言うんだから間違いねー!」


 竹刀を手にして誠だけがサボらないかどうかにらみつけていた指導教官のランは、8歳女児の外見で、体育会系の地獄の説法を高らかに宣言した。

 

 彼女の『新人教育』の矛先が誠に集中しているおかげで、他の隊員は見事にサボれている。だからランの誰がどう考えても無茶苦茶なランニングメニューの強制や誠にだけ浴びせられる罵声を誰も止めない。むしろ拍手を送る勢いだ。


「じゃあ、あと少し走りますんで……どうせ終業後30分休んだ後は筋トレをするんですよね?大丈夫です!頑張ります!」


 誠は釈然としないまま、駆け足に戻る。

 

『……なんで僕はこんなことを……というか世の社会人の人ってこんな生活をしているの?一日8時間走ってその後毎日4時間筋トレなんて……体力のない人なら死ぬような……ああ、だから世間で『過労死』が問題になるんだ……』

挿絵(By みてみん) 

 内心ぼやきながら、腕を振る。汗が目に入り、塩辛い。


「神前!良い走りだな!まだまだ行けるぞ!そうだ!今日も筋トレをしっかりやる!死ぬまで走れ!あのギリシャでマラソンを最初にやった人間も走り終わったら死んでるぞ!仕事が終われば死んで当然!それが社会人だ!」


 ランは満面の笑み。褒め言葉が、なぜか『加給命令』のニュアンスで飛んでくる。

 

「いや、普通に考えてパイロットの訓練ってこういうもんじゃないよな?こんなに走るのって……こんなに筋トレをさせて……この『魔法少女』は僕をどうしたいんだ?」

 

 誠の疑問は、夏空へ散った。


「じゃあパーラ。アタシは隊長に呼ばれてっから。神前がサボろうとしたらどつけ……殴っても蹴ってもいいぞ!」


 8歳女児にしか見えない幼女の口から出る単語に、パーラは青ざめる。

 

「私は嫌ですよ!パワハラなんて!それに終業まで神前君を走らせた後4時間筋トレを刺せるんですか?本当に神前君が死んじゃいますよ!」

 

 水色の髪をかき上げ、ひきつり笑い。パーラは『ラスト・バタリオン』である以前に、きちんとした『現代の社会人』でもあった。グラウンドは今日も平和で、不穏だ。


  


 そこは実働部隊・隊長室。

 

 扇風機が古めかしい金網を震わせ、机上の灰皿の灰をかすかに散らしている。

 

 壁際のスチール棚は、法律関係の本と、どう見ても『法律ではない』雑誌で半分ずつ埋まっていた。


 四十六歳バツイチには見えない若作りの『駄目人間』……嵯峨惟基特務大佐は、椅子を適度に傾け、風俗情報誌をぼんやりとめくっていた。ページ隅にはマックスコーヒーのシミが浮かんでいる。


 対して、8歳女児にしか見えない『中佐殿』、クバルカ・ラン中佐は、手を後ろで組み、無言で直立したままいつものように呆れた様子で嵯峨を見つめていた。

 

 体温の低い刃物みたいな視線で、上官のだらしなさを見下ろしている。


「おい、ちっちゃいの。俺はいつ、神前を立派な『陸上選手』にしてくれって言った?あんなに走らせたら……そのうち潰れちゃうぞ?それと、お前さんの残業と称する筋トレ4時間の後にかなめ坊が3時間ほど久しぶりに神前のピッチングを見たいから投げ込みをさせるとか言ってきたのを許可したらしいじゃないの……そうすると合計7時間だな。さらにその後アメリアは神前に運航部の女子が同人誌を収集する資金源にしている同人エロゲの原画を神前に描かせるけどいいかってお前さんに言ってきたらしいじゃないの……アメリアにそれってどれくらい時間がかかるのって俺が聞いてみたら一日3時間とか言ってた。つまり、アイツは通常の勤務時間8時間の間ずっと走っていて、その後4時間筋トレをして、3時間ピッチング練習をして、それが終わったら3時間絵を描くわけだ……一日あたり18時間はお前さんの監視下に置かれる訳だよな……通勤時間が1時間で、昼休みが1時間。つまりアイツが自分で使える時間は一日4時間しかないわけだ……その状況……どう思う?」


 嵯峨はグラビアの紙面から目を上げず、口先だけで言う。


「ずっと走ってりゃ、この前みたいに『出て行こう』なんてつまんねえこと考えられねーだろ?それに『うちに居つくように逃げ道をすべて潰せ』って、アイツが来る前にアタシにそう言ったな?隊長は。それに隊長がアタシと戦った遼南内戦ではアタシは3年間ほとんど一睡もせずに出撃を続けたぞ!確かにアタシの出撃命令について行けねえアタシの部下のもやしのほとんどはつかれたとか抜かしやがってアンタに堕とされて死んだ。でもそれはアイツ等が24時間365日3年間戦い続けるというアタシには出来て当然のことができなかったもやしだったからだ!アタシは悪くねー!」


 ランの胸を張ったドヤ顔。褒め待ちだ。

 

「逆効果だよ……疲れ果てて精神を病んで首でも吊られたら気持ち悪いでしょ?神前の逃げ道を潰す方はな、俺が各方面にねじ込んで『法的』に色々やっといたから。それと遼南内戦でお前さんがそんな誰が見ても無茶な戦い方をしなきゃならなくなったのは俺がお前さんと同じように戦い続けたらお前の部下が全滅するんじゃないかなあと思って俺が部下に指示してお前さんの部隊を一分でも休ませないように策を練ってそう仕向けたわけ。そいつ等がまともに機体の操縦もできずにパイロットが専業でない俺に簡単に撃墜されたのはその策を策だと気づかなかったお前さんが指揮官として無能だったと言う証拠だよ。威張るようなことじゃないから」


 さらりと嵯峨は物騒な一言を言った。

 

 嵯峨は引き出しから小さなバッジを取り出し、指先ではじく。

 

 ……東和共和国の『弁護士バッジ』。金色の小さな楕円が、安っぽい蛍光灯の下でも妙に存在感を放つ。


「だからさあ、『中佐殿』。お前さんは神前を『普通に教育』して人並みの兵隊さんやおまわりさんにしてやればいいの。お前さんのように24時間365日3年間戦い続けるなんてことをして平気なのはうちでもお前さんと俺とあともう一人……そんなレアスキルの持主は世の中にはたくさんいるわけじゃないんだよ。つまり『特殊な教育』はいらないの。うちはただでさえ『特殊な馬鹿』の集団だと思われてんだ。これ以上、俺に手間をかけさせんなよ……ホントに神前は、体力的に先に潰れるぞ?このままだと。アイツは三年間寝ずに戦い続ける続けることはできない体質なのは俺も知ってるから」


 雑誌のページを繰る指は止まらない。視線も落ちっぱなし。

 

 それでも、言葉だけは妙に正確で、いやに冷静だった。


「そんなことはねえ!人間その気になれば三年間寝ずに戦い続けることぐらい簡単だ!実際アタシはやって見せた!大丈夫だ、神前はタフだからな。あのくらいのしごきは屁でもねえ!それに社会人の駅伝選手は毎日もっと走ってんぞ。比べたら手ぬるいくらいだ」


 ランは高らかに反省ゼロ宣言をした。ランの辞書には『休む』という文字はない。ランが勤務中将棋しかしていないのは、彼女が本気で仕事を始めると『24時間365日3年間戦い続ける』のが当然だと思っているからだ。


 そんな働き方を隊員たちに強制するのは目に見えているので、嵯峨が説得して仕事を与えていない。


 それが、ランが将棋以外の仕事をしていない本当の理由だった。

 

 嵯峨はようやく顔を上げ、短く落胆の色を見せた。


「そもそも三年間寝ずに戦い続けるのは普通の人間には不可能なの。それと『駅伝選手』が年がら年中は知ってるのはそれは『駅伝選手』としてその会社に雇われた人たちだからでしょ?あれは仕事でやってんの。あの人達だって24時間365日3年間走り続けたら間違いなく死ぬよ。お前さんみたいに『魔法少女』じゃないんだから。一般人を『魔法少女』の基準で語るのはいい加減止めてちょうだい。それにウチは軍事警察だから走るのは訓練で会ってそれでお金をもらっている訳じゃないの。それに俺達は今戦争をしている訳じゃないんだから。……今の世の中、無茶な走らせ方は『しごき』って言って、労働基準監督署がパワハラ認定してくるの。二十世紀末の『体育会系社会』に似たのがあったのは事実だけど、違うでしょ、普通。たぶんそこでも24時間365日3年間働き続けたら地球人のその日本人たちは死んだと思うよ。お前さんや俺やあともう一人うちにいるあのどうしようもない奴じゃないんだから」


 嵯峨のまっとうな指摘にランは、あえて聞こえないふりを決め込む。

 

 嵯峨は肩をすくめ、法律屋らしい逃げ道の多い言い回しで続けた。


「ランよ。たしかに三年間寝ずに戦い続けることを求める会社はどこにでもある。でもそれは口では言うけど実際にそれを実行したら社員が死ぬことくらい理解してるから実際にそれをやらせてないよ……まあ、それに限りなく近い状況に置くから過労死が無くならないんだけど。でもね、そんなこと『知らなくて済む人』は、知らない方が幸福なんだ。世の中がそういうので満ちてることを、察している『残酷な賢い人』も黙ってるよ。そんな事を口にしても自分が損するだけだってわかってるから。……まあ、うちが『そうじゃない』とは言わんけど。じっさい、三年間寝ずに戦い続けることをやったと自慢している人が副隊長している訳だし」


 ため息。机の上の灰皿にタバコを立て、マックスコーヒーの缶をコースター代わりにしている。ランは『知らなくて済む人』という言葉に、少しだけ眉をひそめた。

 

「神前も馬鹿だよな。少しかなめが良いこと言ったらコロッと辞めるのやめるって……逃げりゃ楽だったのに。まあ、俺には残ってくれた方が都合はいいんだけどね」


 スルメをひと切れ、噛む。顎が鳴る。

 

「隊長は嬉しいんだろ?本当は。隊長の『敵』との戦いの手駒が一つ増えた。……良いことじゃねーか。西園寺の奴の事も褒めてやったらどーだ?」


 ランのにやりと笑った。

 

「それにしても誠の奴は純粋すぎるよな。若いってことなのかな。このまま行ったら本当にお前さんに三年間寝ずに戦い続ける生活を求められるぞ。そうなったら……死ぬな、間違いなく。でもまあ、俺もその前の段階でドクターストップを入れるからその時はお前さんは不満かもしれないけど我慢してね。それに比べて、俺たち……ちょっとひどい大人だったかな?」


 嵯峨は視線を机に落とし、スルメの袋口を指でつまんだ。

 

「かもな……でも、三年間寝ずに戦い続けるなんて簡単だぞ?出来ねえ奴は鍛え方が足りねーんだ!そんな奴は戦場に来る前に死ね!」

 

 ランは後頭部をぼりぼりかいた。短い沈黙の時が流れた。


「24時間365日3年間戦い続けたのがそんなに自慢……だよね、地球人には絶対不可能な『魔法少女』ならではの武勇伝だから。話は変わるというか……こっちの方がランを呼んだ本題でね。『中佐殿』。ちょっと、頼みたいことがある」


 嵯峨は雑誌を伏せ、オートレースの予想新聞の下から写真を一枚引き抜く。

 

 机上に滑らせたのは、軍人風の丸刈りの東洋人が写っていた。

 

 襟章、姿勢、目の据わり……『甲武国』の海軍中佐、意志の強そうなその瞳は彼が選ばれた『エリート』だと一目で分かる。写真の下にレタリングで『甲武海軍第六艦隊参謀部所属・近藤隆久中佐』の文字が躍っていた。


「なんだよ……この軍服。甲武国の海軍軍人……それも相当な『エリート』だな。面で分かるよ。その野郎をどうしろってんだ……あ隊長も甲武軍人だからアタシ流の三年間寝ずに戦い続けることができるようにそいつを鍛えろってことか?」


 ランの視線の先で、嵯峨はゆっくり目を閉じる。

挿絵(By みてみん)

「いい加減自慢話は止めてくれるかな?これは別の意味で命にかかわる話……俺達の本業絡みの話だから。ちょっと、『殺生』をしてくれ。別に手段は問わないからこいつを『社会的』にこの宇宙から消してくれ。『生物学的』消すかどうかについては興味がねえから。俺」


 嵯峨は静かな声で、冷たくそう言い放った。その様子にランのこれまでのいかにも自分のタフさを自慢するような明るい雰囲気が一瞬で消えた。

 

「『殺生』とは穏やかじゃねーな。でも、アタシは『生物学的』な『殺生』は得意だが、『社会的』なそれは得意じゃねーぞ……それをアタシに頼む……つまり、アタシに『殺しをやれ』と言いたいわけか……理由を聞こうか?アタシは遼南共和国で散々『殺生』をしてきたがそん時の理由の説明があいまいだったのが今でもアタシを苦しめているんだ……アタシが気楽に『殺生』が出来る理由を言ってくれれば部下であるアタシに断る権利はねー」


 そう言うランの口元にはとてもその見た目の幼さからは想像がつかないような残酷な笑みが浮かんでいた。

 

「まあな……軍事警察ってのは、どうしてもそういうことをする。嫌になるよ。得意不得意とか仕事は選べないんだ……とりあえず上からはそう言われてる。俺も動くが……場合によっては機動部隊の出番になる。そう言う話……まあ、これじゃあ曖昧過ぎて理解できないって言うんだろ?じゃあちゃんとした理由を言うよ」


 嵯峨は短くうなずき、部屋の気配を探るように視線だけを巡らせた。

 

 ランは肩をすくめる。


「ああ、この話に関心のある地球圏のどこかが仕掛けてそうな盗聴器の件だろ?たぶんある。前の大戦で対峙して、連中の優秀さは嫌ってほど知ってるから。……でも聞きたい奴は聞けばいいさ。そいつらにも、その情報をさらに利用する『ビッグブラザー』にも俺がわざわざ教えてやって、これから俺達が何をするのかの意味を教えてやらないと関心も持てない話だから。たぶんこの『殺生』は地球圏も『ビッグブラザー』も大歓迎だろうから。まあ、俺がこの『特殊な部隊』の隊長になった日からこの瞬間が来ることを知ってる唯一の存在である『ビッグブラザー』からのおこぼれを吸ってる遼州圏の諜報屋には関心ある話かもしれないがね。所詮、連中は『社会的』に人間扱いされてるだけの『有機物』だもん。俺みたいに『脳味噌』が入ってる『人間』の言葉なんざ、分からねえよ」


 嵯峨は薄ら笑いを浮かべながらランに向けてそう言い放った。


「隊長のその言い草、人を見下しているようで嫌いだね」


 ランは嵯峨のいかにも嵯峨らしい言い回しに苦笑した。嵯峨は肩をひとつ落として、熱の抜けた茶を一口含む。


「なあに、見下す見下されるなら、連中だって俺達の事を『特殊な部隊』って見下してるじゃん。ただそこで思考停止している人の『思い込み』のもたらす業ってやつをこいつが消えた瞬間にみんなが思い知ることになるのさ。コイツの『殺生』の際に色々俺達に興味を持ってくるだろう奴……『廃帝』の方は今回は静かだ。いまのところな。『ビッグブラザー』は俺がコイツをどう料理してその過程で何が起きるのか全部承知でガン無視だ。……当然だわな、東和共和国『だけ』の平和って目的とは俺がコイツをどうしようが関係ないから」


 嵯峨は机上のスルメをまた一切れくわえた。

 

「この写真の中佐を『社会的に抹殺』する中で、神前が『廃帝』対策のための『法術師』として『素質』を開花させる……それが俺の本当の目的。そしてこの宇宙の隅々まで『法術師』と言うこれまで存在しないとされていた存在があることを知らしめる。この中佐本人がどうなろうが、正直どうでもいい。『廃帝』と『ビッグブラザー』相手の戦いの『狼煙』くらいの意味しかないから……神前を『法術師』として覚醒させる必要性はお前さんも常々俺に言ってきてたじゃないの……その機会にこいつを殺すというタイミングに決めた。それだけの話。それならお前さんの『殺生』をする理由としては十分な理由になるんじゃないかな……どう?」


 乾いた沈黙が降りる。

 

 扇風機のブレードが、一定のリズムで空気を刻む。


「なあに、ぶっちゃけていうとこいつが『エリート』過ぎて……甲武の貴族至上主義過激派……『官派』を焚きつけて『クーデター』をやるかもしれない、って話。実際、その前準備としてそれに対応して出てくる可能性のある俺達の情報を……特に神前の野郎の一番質の悪い情報に食いついたらしいという情報を掴んだ。馬鹿だよねえ……あんなのに食いつくなんて……他の『法術』の基礎を学んでるどの国の組織も食いつかなかった最低の情報に食いつくとはお先が知れてるよ。そんな馬鹿が自分の力を過信して暴れだす前に面倒だから消えてほしい。……遼州同盟の偉い人の多数決の結果、そう決めたんだ。でもちょうどいいじゃん。神前の機体もこいつをどうこうする前にはここに届く。『法術師』の何たるかを神前の『力』で全宇宙の人達にお知らせするいい機会だ……ここまで説明すればお前さんがコイツを消すのを断る理由はないよね?分かった?」


 『大正ロマンの国』と東和の旅雑誌が持ち上げる大正時代そのままの風俗文化で知られる国、『甲武国』。

 

 しかし、その足元では、貴族や士族出身の軍部・官僚を中核にした『官派』と、現政権を支える平民達の民意に押されている『民派』が、互いに相手の喉を狙っている。


「確かにな、隊長の流した神前の情報の『松・竹・梅』の『梅』に食いつく馬鹿は死んで当然だな。それにしても甲武海軍は『民派』の砦だろ?そこで仲間外れにされた挙句に『クーデター』か……『廃帝』のお気に入りの甲武陸軍の『官派』は動かねーのか?」


 ランが写真を持ち上げる。

 

「今回は陸軍の『官派』は置き去り。俺のところに話がきた段階ではな。……が、コイツが動けば呼応するのは目に見えてる。……つまんねえ話だろ?もう少し経って覚悟が決まったら『海軍で我々『官派』は孤立しています!助けてください!』とか泣きつくかもしれないけど……俺も甲武の陸軍に軍籍があるから。甲武の陸軍の『官派』は俺を敵に回す怖さを知ってるから見殺しにされるだけ……哀れな奴だね」


 嵯峨は大きく伸びをして、椅子の背をきしませる。

 

「お耳障りは勘弁な、『中佐殿』。『甲武国』は俺の育った国だ。俺一人で処理できりゃ文句はないよね。今は無き『遼南共和国』出身の『中佐殿』の手を煩わせるのも筋違いだとは俺も思うよ。……いずれこの男が事を起こしたら、司法局実働部隊にも正式指示が出る。命令書の『書式』は知らないけど……志士を気どるこの男が実はその決起がただの『公開処刑』だなんて、たぶん死ぬ瞬間まで理解できないんじゃないかな?」


 タバコをふかしなおし、通俗雑誌に再び手を伸ばす。

 

「……以上。お話は終了。ご拝聴ありがとう!自称『善人』の『人間以下の糞虫』さん!」


 わざとらしく響く声量。だが視線は、終始グラビアに張り付いたままだった。

 

「隊長も好きだねー。そんなにできの悪い諜報員を虐めて楽しーのか?」

 

 ランは心底あきれた溜息を落とした。


 部屋の隅の時計が、針を一つ進める。

 

 扇風機の風が、机の端の弁護士バッジをかすかに回した。

 

 嵯峨はそれを見て、何かを『確認した』みたいに小さくうなずいた。ランは嵯峨の横顔を見つめながら、目の前には居ない誠のことを考えていた。


『……ファーストミッション、か。走らせるのは足だけじゃない。思考も、選択も、責任も。最初に動くのは、いつだって『誰かの意志』だ……神前よ……アタシが鍛えた成果を見せる時が来たぜ……オメーが知りたがっていた『力』。ちゃんとどんなものなのか教えてその使い方をアタシが指導してやる……なあに、簡単なことなんだ……アタシ等遼州人ならばな……』


 グラウンドではまだ、誠とパーラが周回を刻んでいる。

 

 照り返しの向こう、二人の影は薄く、しかし長く、伸びていた。

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