万物を蹂躙する雷霆
レティシア率いる奴隷軍二万がローマに向けて進軍し、タラキナの町付近の草原でエルトリア軍と対峙している頃、別行動を取っている奴隷軍三万は、ローマから遠ざかりつつあった。
彼等は数こそレティシアの部隊よりも多いが、構成員の多くはエルトリアへの復讐よりも故郷への帰還を望む者、戦闘に参加できないような女子供、老人が大半で、兵士と呼べる者は護衛の二千程度に留まっていた。
そのため、移動速度は軍団に比べれば遥かに劣り、もしエルトリア軍の追撃を受けるような事になれば、振り切るのは困難を極める。
レティシアの部隊がローマに向かった事もあって、エルトリア軍の注意はローマの方に向いており、敵と戦闘になるとしたら、それは単なる遭遇戦という程度だろうが、決して油断できるような状況ではない。
エルトリア軍に発見されるリスクを少しでも軽減するために、彼等は人目の少ない山道を進んでいる。
その軍勢の中にいる、一台の馬車の荷台には気を失ったパルタティアの姿があった。馬車の車輪が道の小石を踏んで、馬車が大きく揺れた時、彼女の閉じた瞼が僅かに動く。
「んん。……こ、ここは?」
覚醒してパルタティアが最初に見たのは青空だった。
最初の内は呑気に欠伸をしていたが、自分が意識を失う前の事を思い出す内にパルタティアの顔色は徐々に青ざめていく。
「お姉ちゃんッ!」
「あ。パルちゃん、目が覚めた?」
そう言ってパルタティアの視界に飛び込んだのは、バティアトゥス養成所時代から共に過ごしてきた奴隷仲間ネルエだった。パルタティアとは同い年くらいだが、戦闘能力は皆無で養成所では使用人を務めていた。
「ね、ネルエ?」
「パルちゃん、落ち着いて聞いてね。レティシア様からの最後の言葉よ」
「さ、最後?」
「このまま私達と一緒にアルプス山脈を越えて故郷へ帰って」
「なッ!」
パルタティアは絶句した。
レティシアは決戦を前にして自分を安全な地へと遠ざけたのだと察したからだ。
そう思い立った時、パルタティアは同胞達の制止を振り切って、目にも止まらぬ速さで来た道を戻っていった。
◆◇◆◇◆
タラキナの町付近の草原では、今まさに決戦の火蓋が切って落とされようとしている。
二万人もの大軍勢を従えたレティシアは、自ら陣頭に立ち、剣を天に向けて掲げた。
「目の前にいる小勢は、私達が自由と言う名の勝利を掴み取るのを阻む最後の障壁よ!あれを蹴散らせば、私達には永遠の自由が約束される!これが最後の決戦!エルトリアの王に私達の意志と力を、存分に味合わせてやりましょう!!」
「うおおおおおッ!!」
レティシアが先陣を切る。それに続いて二万人の大軍勢が雄叫びを上げながら地を駆けた。
自由を得るために剣を取り、強敵と戦う決意を固めた軍勢の勢いは大地を振るわせる。
しかし、その威容を前にしてもタルキウスは動じる様子を見せない。
奴隷軍を見据える幼い少年王の黒い瞳は瞬きで瞼の下に隠れ、その瞼が再び開かれた時には黄金色の輝きを放っていた。そして右手に握る雷霆の杖を軽快に振り回して握り直す。
それが合図であったかのように、彼の後ろに控えている親衛隊長官ルキウス・ウォレヌスは親衛隊の兵士達に後退の指示を飛ばす。
それを聞いた一千の兵達は、綺麗に揃った足並みで後退を始めた。
「じゃあタルキウス、僕等も一旦下がるから、気を付けてね」
フェルディアスがリウィアの手を引きながら、タルキウスの背を見てそう言った。
「おう! ちゃんとリウィアを守ってくれよ!」
タルキウスは振り返らずに背を向けたままフェルディアスの言葉に答える。
「ふふ。分かってるよ。この命に代えても守るから、タルキウスは前の敵に集中して」
そう言い残してフェルディアスはリウィアを連れて、タルキウスをその場に残して後退していく。
タルキウスが右手に握る雷霆の杖には、これまでとは違う異様な気配が纏っていた。やがて杖の先端にあるダイヤの周りには幾つもの雷が生じて、ダイヤに輪を掛ける。
「さあ、王家最強の秘術を見せてやろう。余にとっては初の実戦使用だ。光栄に思えよ、レティシア・バティアトゥス」
雷霆の杖を、天に向けて高々と掲げた。
そして、ダイヤの周りに生じた雷の輪は激しさを増し、タルキウスの足元には三重の魔法陣が浮かび上がる。
タルキウスの身体から膨大な量の魔力が杖へと注がれていく。その魔力は先端のダイヤに収束していくと、神々しい光を放つ。
王家最強の秘術の術式は起動した。それからはタルキウスの意思とは関係なく魔力が杖へと送り込まれる。
ダイヤから発せられる光に秘められた魔力は、人の領域を軽々と飛び越えて神の御業へと手を掛けている。
それはエルトリウス王家の祖神ユピテルが神々の視界を奪い、天地をひっくり返し、世界とその外側をも焼き尽くしたと言われる雷光を模倣した力。魔法化された神器と言ってもいい。
タルキウスが今、行使しようとしている魔法は放たれる前から異常な威圧感を周囲に放っていた。
「な、何だあれは?」
レティシアは思わず声を漏らす。しかし、地を駆けるその足を緩める事はない。自分の後に続く者達の勢いを削いではならないと思ったから。
「クリクスス、黄金王の初撃。防いでとまでは言わないから、少しでも勢いを削いでちょうだい」
そう言い終えると、レティシアの身体を赤紫色の魔力が包み込む。
空を切る雷鳴が轟く中、タルキウスが叫ぶ。
「天空神ユピテルが末裔にして、エルトリア国王たるタルキウスが名において命じる!今こそ、その霹靂を奏でよ!『万物を蹂躙する雷霆』!!」
大地を震撼させる轟音が鳴り、闇夜をも昼間に見せそうな雷光が一瞬、世界を支配した。少なくとも、この戦場に立っている者にはそう感じられた。
それは一瞬と呼ぶには、あまりにも長く感じられる瞬間だった。
この戦いの前に親衛隊の兵士達は奇妙な命令をタルキウスより受けていた。余が合図をしたら、可能な限り後退して目を閉じて耳を塞げ、と。これから戦うというのに、なぜそんな事をしなければならないのか、とこれを聞いた兵士達は思のだが、この一瞬によって、その意味を理解した。
雷霆の杖より解き放たれたエネルギーは、激しい音となって奴隷軍の兵達の耳から聴力を奪い、激しい光となって彼等の目から視力を一時的に奪い去る。
そして、一瞬の間に、無数の稲妻がうねりを上げて、大地を焼き払い、奴隷軍の軍勢を消滅させた。天空を歪め、大地を引き裂くその力は、正に神の力そのものだ。
雷が収まった時、タルキウスの視界には先ほどまでの緑豊かな草原は見る影も無く、まるで辺り一帯の地面を全てほじくり返した後のような荒れた荒野となっていた。そしてその上には、雷によって焼き尽くされた奴隷軍二万の黒焦げになった亡骸が転がっている。
それを見たタルキウスは両手で杖を握って体重を杖に預ける。肩で荒い息をして、全身からは濁流のように汗が流れた。
そしてそのままタルキウスは糸の切れた人形のようにその場に倒れ込む。
魔力を生命維持が困難になるギリギリまで消耗したためだ。
タルキウスを含め歴代の王達が、この凄まじい威力を誇る秘術を積極的に用いようとしない理由がこれである。
神器を遥かに上回る力を持つ魔法だが、模倣とはいえ神の御業に手を掛けて人間が無事で済むはずがない。全身の魔力を否応なく搾り取られ、魔力量の少ない者であれば命を落とす事さえある。並外れた魔力量を誇るタルキウスですら意識を保つので精一杯という有様なのだ。
「タルキウス様!!」
リウィアが愛する少年の名を叫びながら、ついさっき通った道を戻ってタルキウスの下へと駆ける。医療魔法に精通しているリウィアは、自分の魔力を他者に分け与えるという高度な魔法技量を有している。
これを使って消耗し切ったタルキウスの魔力を少しでも回復させる。これが今回のリウィアの役目である。




