水仙の剣
カプアの町は、市長主催の闘技会に合わせて公共広場を中心に広い範囲で露店などが立ち並び、お祭ムードに包まれて賑わっている。
闘技場で起きている奴隷反乱は、まだ闘技場近辺でしか知れ渡っておらず、大半のカプア市民は呑気に祭を楽しんでいた。
そんな町中をタルキウスは全速力で突き進み、闘技場を目指している。
とはいえ、多くの人で埋め尽くされている道路を正直に進んでいては、タルキウスの小さな身体では前に向かって歩く事すら困難になる。そこで今、タルキウスは道路の両脇に立ち並ぶ建物の屋根の上を走っていた。
しかし、ただ走っているわけではない。
加速魔法“閃駆”と呼ばれる魔法によって目にも止まらぬ速さで屋根の上を駆けている。
動体視力の高い者であればその姿を微かに捉える事もできるかもしれないが、そもそも屋根の上を走る者がいるなどと誰も思わず、地上にいるカプア市民のほとんどはタルキウスの姿を直視するどころかその存在に気付く事もできなかった。
「くッ!」
快調なペースで走り続けるタルキウスだが、彼が纏う黒地の布の下では、封印魔法の奴隷刻印が魔力に反応してタルキウスの身体を痛みで蝕もうとしている。
身体を無数の針で貫かれるような苦痛を常に与えられ、並の人間であれば気がおかしくなってしまいそうな状態になりながらも、タルキウスはそれを己の意志で耐え続けた。なぜなら、これから向かう闘技場に絶対にいてほしくはなかった人の魔力反応を感知魔法で捕捉していたからだ。
「リウィア! 無事でいてくれよ!」
リウィアを守るためならタルキウスはどんな苦痛にだって耐える。どんな苦難だって乗り越えられる。タルキウスにとってリウィアとは自分の命よりも大切な存在なのだ。
◆◇◆◇◆
─カプアの円形闘技場─
闘技場は正に地獄絵図という有様だった。逃げ惑う観客を反乱剣闘士が次々と惨殺していく。
そんな中、席が崩落して瓦礫の下敷きになっていたティティアヌスは、周囲の状況に気付くとそのまま瓦礫の下に身を潜めていた。
「く、くそ! 一体何がどうなっている? バティアトゥスはどこで何をしているのだ?」
この反乱事件の首謀者がレティシア・バティアトゥスだという事を知らないティティアヌスは、彼女が今、どこで何をしているのかが気になって仕方が無かった。
今日の闘技会では、バティアトゥスの剣闘士団が最も多くの剣闘士を出場させている。この場にいれば彼女に反乱奴隷の鎮圧をするよう命じていたのだが。
「よお、あんた貴族か?」
「ん? ……な、何だお前は?」
背後から呼ぶ声がしたので振り返ってみると、そこにいたのは地下の収容所でレティシアから神器【水仙の剣】を託された反乱剣闘士ガンニクスだった。
「ちょうど良い。新しい得物の切れ味を試したかったところでな。エルトリアの貴族様なら良い試し切りができそうだ」
「くぅ。この奴隷風情がカプアの副市長たる私にッ!」
ティティアヌスの身体から魔力が溢れ出し、身体の表面を膜のように覆っていく。
身体能力を向上させたりできる強化魔法の一つ“強装鎧”である。
「これでも昔は、エルトリアの将として蛮族と戦った身だ! 貴様のような若造に負けはせんぞ!」
ティティアヌスは丸腰ではあったが、一流の戦士にも劣らぬ戦意を漲らせている。
しかし、それに一切動じる様子も見えず、ガンニクスはティティアヌスに斬りかかる。振り下ろされた黄色の刃は、魔力で構成される強装鎧を紙を切るように容易く切り裂き、ティティアヌスの身体に一筋の傷を負わせた。
「ぐッ!」
強装鎧は、身体能力を強化する効力をもたらす。しかし、防御性能はあまり期待できない。剣で斬られれば傷も負う。
「おっとすまん。ほんの小手調べのつもりだったんだが、当たっちまった」
「お、おのれぇ。奴隷の分際で! ……くッ! な、何だ?」
ティティアヌスは急に身体から力が抜けるのを感じた。それは錯覚ではないのだと彼はすぐに理解する。先ほどガンニクスに斬りつけられた傷口から魔力が噴き出すのを感じ取り、その魔力はガンニクスの黄色い剣へと吸い寄せられていった。
「ほお。どうやらこの剣の能力は、斬った相手から魔力を吸い取る事らしい」
ティティアヌスが驚いていると、所有者であるガンニクスは興味深そうに右手に握る剣を見つめる。
しかも吸い取った魔力を、ガンニクス自身の魔力に変換できるのだと知ると、ガンニクスは気分良さげに下品な笑い声を上げた。
「ふははははッ! こいつは良いぜ。神器ってのは魔力消費量が多いのが難点だっていうが、こいつはその点の心配が無さそうだ」
「じ、神器だと? なぜ貴様のような奴隷がそんな物を? ……ん? 待てよ。その剣、見覚えがあるぞ。……ま、まさか、それは市長の邸で見たものか! なぜ、貴様がそれを持っている!? まさか市長が首謀者だとでも言うのか!? 答えろ、奴隷!」
「ちッ! うるせえな」
ティティアヌスの怒鳴り声を煩わしく思ったガンニクスは、彼の右足を剣で突き刺した。それは敵と戦うのではなく、弱者を甚振って楽しんでいるかのようである。
「ぐわあああああッ!」
痛みに耐えられず、ティティアヌスは声を上げた。
剣を刺された所から血が流れると共に魔力が溢れ出してガンニクスの身体へと流れていく。
「ふはははッ! 無様だな。それでもあのエルトリアの貴族かよ。……まったく腹が立つぜ。こんな奴等に奴隷にされたんだと思うとな」
ガンニクスは嘲笑いながら地に伏すティティアヌスを見下ろす。最初は楽しそうに笑っていたが、次第に不機嫌そうに眉を吊り上げてった。
剣を振り上げて止めを刺そうとしたその時、ティティアヌスは声を上げて命乞いをする。
「ま、待て! あ、そ、そうだ! 私は副市長だ! 私の権限でお前を自由にしてやる。いや、それだけではない! 望むだけの土地と金をやろう! ほ、他にも望む物を全て、ッ!」
ティティアヌスがまだ話している最中だったが、ガンニクスは【水仙の剣】を横一線に振ってティティアヌスの首を斬り飛ばした。
「見苦しい奴だ。戦えん老兵はさっさと失せな」
頭を失ったティティアヌスの身体は力なく地面に倒れ込み、そこへガンニクスは唾を吐き掛けた。
そして彼は戦場と化している闘技場を一望する。
「ふふふ。ここにいるエルトリア人を全員斬り殺せば、すげー量の魔力が集められそうだぜ」
血に飢えた獣のように、唇を舌で舐めた。
狙いを観客席の中を逃げ惑う一人のカプア市民に絞ると、ガンニクスは目にも止まらぬ速さで観客席を跳んで渡り、瞬く間にその者の身体を【水仙の剣】で切り裂く。
それからも目に付いたカプア市民を手当たり次第に斬り殺していった。これはまるで殺しを楽しんでいるかのようだ。
逃げ惑う市民は、こんなガンニクスを見て「あれは悪魔か?」と思わずにはいられない。
そんな中、次にガンニクスが目を付けたのは、恐怖のあまり観客席に座ったまま蹲っていたリウィアだった。
「おいおい姉ちゃん。そんな所で何してんだよ? さっさと逃げねえと、殺しちまうぞ!!」
ガンニクスは楽しそうに笑いながら剣を振り上げた。
「ひぃ!」
リウィアはただ恐怖に怯えてその場から動く事もままならなかった。




