第八十八話
「改めて確認しますが、あなたは私と契約をするということでよろしいですか?」
準備を終えたキャロは目線を合わせるようにして子フェンリルの目をじっと見つめて問いかける。
『……よくわからないけど、母さまがそうしろと言うし、おねえさんからはいい匂いがするから悪い人じゃないと思う。だから……お願いしますっ』
この世界でフェンリルは神獣と呼ばれるだけあり、人の善悪を嗅ぎ取る能力があった。
「フェンリルさんもいいんですね?」
側で見守っている親フェンリルにも最終確認をとる。
『うむ、お主たちなら任せてもいいだろう。先も言ったがどちらにしても我に残された選択肢は、お前たちに託すかそれとも我の最後まで共にあり、その後を一人で生きさせるかしかない。であるならば、お前たちに任せた方が安心というものだ』
ゆったりと語るフェンリルの思いを汲んだキャロは契約する決意をする。
「それでは、こちらに乗って下さい」
キャロの指示のとおりに子フェンリルが地面に置かれた魔法陣の上に乗る。
「私があなたに魔力を流しますので、あなたはそれを受け入れて下さい。次に私の問いかけに答えてくれればあとは私のほうで手続きをします」
優しい声音で語り掛けるようなキャロの説明に子フェンリルはこくんと頷いた。
「いきますっ」
キャロは自分の中で魔力を練ると、それを子フェンリルへと流し込んでいく。
『あ、なんか温かいのが流れてきたー』
それは子フェンリルにとって心地の良い魔力であるらしく、抵抗なくすんなりとキャロの魔力を受けいれていく。
「いい感じです。次に移りましょう。“我、契約を施行する。汝、我が呼びかけに応え契約することを誓うか?”」
『えっと、これが質問なのかな? 誓います』
きょとんと首を傾げながらも子フェンリルはキャロの言葉に応答した。
すると、魔法陣から光がこみあげて来たかと思うと、それに呼応するようにキャロと子フェンリルの身体が光を放っていく。
「おぉ、これが契約魔法か。初めてで成功させるとはすごいな」
少し離れたところからアタルはこの様子を魔眼で見ており、キャロと子フェンリルが魔力の帯で繋がったのがはっきりと見えていた。光が収まるとキャロと子フェンリルは自分たちを繋ぐものをしっかりと感じ取っていた。
『これで、我も、心置きなく……』
契約を見ていたはずの母フェンリルはそこまで口にすると力なくどさりと崩れ落ちた。その表情はとても安らかなものだった。最後に心残りだった子供の安寧が得られたからだろう。
『か、母さま!? 母さまっ!!』
母の異変に気付いた子フェンリルは慌ててそのもとに全力で駆け寄った。
「本当に最後の力を振り絞っていたのか……それでも強さを示したのは俺たちに舐められないようになんだろうな」
最後まで気高くあった母フェンリルにアタルは母親としての強さを感じ取り、尊敬の念を抱いていた。
「この子は私が育てますっ。安心して下さい!」
涙をじわりと浮かべながらもキャロは契約者としての使命感を持ち、亡骸に向かって力強く宣言した。
『母さまああああああっ!!』
母の死に子フェンリルはしばらくの間、徐々に冷たくなっていく亡骸にすがりつき、ぼろぼろと涙を流していた。アタルもキャロもそれを邪魔するつもりはなく、気がすむまで待ち続けることにする。
時間にして一時間はいかないくらいだろうか、そっと体を起こした子フェンリルは母親のもとを離れてとぼとぼとアタルたちの、正確にはキャロのもとへとやってきた。
『待っていてくれてありがとう』
「もういいのですか?」
慈愛に満ちた優しい笑顔でキャロは子フェンリルに問いかける。
『うん、もう十分泣いたから。お姉さん、これからよろしく、です』
吹っ切れたように頷いた子フェンリルは慣れない敬語を使い、主人となったキャロに挨拶をする。
「私の名前はキャロです。こちらの方は私のご主人様のアタル様ですっ。私に対しては構いませんが、アタル様への敬意は忘れないようにお願いします!」
『は、はい! アタル様、よろしくお願いしますっ』
キャロは相変わらずの優しい笑顔だったが、目の奥は笑っていないことを悟った子フェンリルは慌てて身を引き締めるとアタルに向かって頭を下げた。
「あー、いや、そんなにかしこまる必要もないんだが……まあいいか、それでお前の名前はなんていうんだ?」
なんと言ったらいいか困りつつもアタルがそう問いかけると、困ったように耳を垂らした子フェンリルから言葉が出なくなった。
「どうしました? なんていうお名前なんですか?」
明らかにおかしな様子の子フェンリルに対して、キャロは首を傾げながら焦らなくてもいいのだと穏やかに質問する。
『えっと……いや、その……名前、ない、です。母さま、僕のこと名前で呼んでなかったです……』
おずおずと顔をあげた子フェンリルは言いづらそうに答えた。
「そうか……だったらキャロ、お前が名前をつけてやるんだ」
「えっ! そ、そんな責任重大な!」
あっさりとしたアタルの言葉にキャロは驚いていた。
「何を驚いている。こいつと契約したのはお前だ、母親を失ったこいつにとってお前が親代わりになるんだぞ?」
「うぅ、そうでした。じゃあ……ちゃんと考えないと……」
名づけは責任重大だと感じたキャロは大きな胸の下で腕を組んであれこれと悩み始めた。
「さて、まだ時間がかかりそうだな。おい、お前にどれくらいの力があるのか少し見せてくれ」
『えっと、それじゃあキャロ様、行ってきますね』
主人であるキャロの許可を得た子フェンリルはアタルについて行き、少し離れた場所に移動する。
少し距離をあけて向かい合う一人と一匹。
「俺の武器はこれだが、今は使わずに戦おう。お前は全力で来ればいいぞ」
『これでも僕は気高きフェンリルの子なんだよ! 後悔してもしらないからね!』
武器を手放したアタルに対して、手加減されていると感じた子フェンリルはむっとしていた。
「いいからかかってこい。それともフェンリルというのは口だけなのか?」
『くっそー! いくぞおおお!』
まだ幼い子フェンリルはアタルの挑発にあっさりとのってしまい、噛みつかんとばかりにがむしゃらに突進していく。
「甘いぞ、もっと相手の動きをよく見るんだ」
だがアタルはその突進を軽やかに避ける。
『むう、くらえ!』
それでも子フェンリルはあきらめずに素早く方向転換してむき出しにした爪でアタルに襲いかかる。
「おぉ、その動きはなかなかいいな」
意外と動けることを褒めるアタルだったが、子フェンリルの頭に手を置いてひょいと動きを逸らしていく。
『くっそー! もういっちょ!』
まだあきらめる様子もなく左右の爪、更には牙を使ってアタルへ向かって連続攻撃を繰り出していく。
「うん、悪くないな」
全ての攻撃をアタルはひらりと避けていたが、徐々に動きに慣れてきた子フェンリルの攻撃が彼に当たりそうになっていた。
『これで、どうだ!』
何度も繰り返して好機をつかんだ子フェンリルの爪はアタルの胴を捉えており、命中する。
そう思われたが、それよりも早くアタルがげんこつを子フェンリルの頭に落としたことでその動きは止められた。
『いったああああああい!』
痛みに叫ぶその声は離れた場所にいるキャロの耳にも届いていた。
「な、なにごとですか!」
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