第百九十話
アタルは工具の作成方法については何も語らず、職人たちが工具を提出しなかったために自分で用意した工具以外には改造を施さなかった。
「……アタル様、あれでよかったんですか?」
工房の出た廊下を歩くキャロは心配そうな表情で質問する。
「まあ、仕方ないだろ。俺たちのことを信頼できないのはわかるが、雇い主が言っていることに反抗するんだからな。一人くらいは提出するやつがいるかもとも思ったが甘かったよ」
肩を竦めたアタルは誰も出てこなかったことを少し残念に思っていた。意地になってしまう気持ちもわからなくはないが、作業できないよりはマシだろうと感じていたのだ。
「デンズさんが何か言ってきませんかね……?」
しつこいと言われているデンズがどう対応してくるか。いまだ不安そうにしているキャロはそれを気にかけていた。
「そうだなあ……まあ工具は二つ用意したから一人分を作るくらいならなんとかなるだろ」
アタルは少し考えこむが、楽観的な結論に至った。
「おーい!」
それと同時に後ろから急いだ様子でデンズが走って来た。
「アタル様……」
やっぱりかとキャロは苦笑してアタルの名を呼んだ。アタルもなんとなくわかっていたのか黙って振り向く。
「あぁ、なんだ? 工具なら二つ用意しただろ?」
息を整えるデンズを見ながらアタルはもうこれ以上は手は貸さないという姿勢で返事をする。
「あぁ、いやそれはいいんだ。職人たちが先に工具を出さなかったのが悪いし、それでも君は二つ工具を用意してくれた。それで十分だ、謝礼の話をしておこうと思ってな。時間があるなら、応接室に来てもらいたいんだが……」
笑顔を浮かべているデンズはアタルの性格についてわかってきたようで、アタルの都合をうかがうように話を持ち掛ける。
「あぁ、それなら大丈夫だ。細かい話をすっ飛ばしてるから助かる」
思い出したように頷いたアタルはざっくりとした条件しか話していないため、今後どうなるのか考えていなかった。
「そのあたり、少し詳しく話させてもらおう。こっちに来てくれ」
アタルが頷いてくれたことに嬉しそうにしているデンズの先導で応接室へとついていく。
美術品などが飾られた豪奢な応接室に案内されると、メイドによってお茶とお茶請けが用意された。
「遠慮なく飲んでくれ……それで、馬車のほうだが要望のとおりのものが用意できそうだ。最新の機能で、魔道具によってタイヤが受けた衝撃を車体に及ぼさないようにする機構が使われているらしい」
これは最新型のもので、アタルの要望を叶えるにはこれだけのものが必要だった。これほど早く対応できるのは貴族ならではといったところだろうか。
「そいつは助かるよ。それだけのものとなると、かなりの金額だっただろ?」
アタルの質問にデンズは苦笑する。
そうだと言ってやりたいところだったが、それでは自分が出すには厳しい金額ということになってしまい、安いものだと答えればその程度のものを用意したと思われてしまう。どう答えたものかとデンズは笑ってごまかしていた。
「あー、答えづらいか。ならいいさ、恐らくだがそれだけのものを用意するとなると一般人では手が届かない金額になるよな。そういうことをしてくれるのであれば、もう一つ……ほい、これも渡しておこう」
デンズの表情から事情を察したアタルが取り出したのは別の工具だった。
「こ、これは、さっき職人に渡したものと同じものかね?」
まさか他にも工具が出てくるとは思っていなかったようで、デンズは驚いていた。
「あぁ、俺が持っている工具は全部で五つ、そのうち三つを使えるように改造したんだ。無駄に使わなければ二本で十分だと思うが、念のための一本だ。なんだったら、それを研究や分析してもらっても構わない。同じものが作れれば、それを売ったりすることで金も入るだろうからな」
アタルの提案はまさかといった内容だった。工具を渡してくれただけでもデンズはありがたいと思っていたのに、さらにはその技術を利用してもいいとアタルがあっさりと言ってしまったからだ。
「そ、それは私がそういったことをしても構わないということか?」
そういったこと、つまり同じものを作成して商売をしても構わないか? ということである。あれほど硬い玄武の甲羅を加工できる工具となれば他にも運用方法はあるだろうということは想像に難くない。思わずその計算を脳内でしてしまったデンズは焦る気持ちで問いかける。
「もちろんだ」
アタルにしてみれば、自ら研究して出した結果であればそれをどうこう言うつもりはなかった。その隣でお茶を飲んでいるキャロもその利用価値はわかっていたが、アタルがいいと言うのであればそれでいいと思っていた。
「それは素晴らしい! 今回はとてもよい取引ができた!」
ホクホク顔のデンズは立ち上がってものすごく喜んでいた。馬車を用意する金以上に儲けられるチャンスが到来したからだ。
「――それで、巨人族のほうは?」
そんなことよりも巨人族のエリアに行きたいというアタルの指摘を受けて、我に返ったデンズはソファに座り直した。
「おぉ、そうだったな。そちらも大丈夫だ、わしが懇意にしている巨人族の貴族がおってな、その者に紹介しようと思う。彼の後ろ盾があればあちらのエリアを見て回るのに問題はないだろう」
もちろん忘れていないと、デンズは大きく手を広げながら考えを説明する。
「なるほどな。説明してとりついで、その貴族が話に乗ってくれればそこで取引終了だな。――それはいつに?」
そのうち、と言われたらいつになるのかわからないため、アタルは期日を確認する。
「ふむ……明日の朝、連絡を入れるつもりだ。あやつはなかなか決断の早い男でな、早ければ明日の夜には会えると思う。遅くとも一週間以内には」
デンズの答えにそれならば待ってもいい――そうアタルは考えた。
「なるほど、それくらいならいいか。俺たちの居場所を明らかにしておこう……そうだな、毎日ブラウンズ工房にでも顔を出すことにするか。あそこなら恐らく毎日行っても大丈夫だろうからな、もし別の場所にいるようになれば連絡をいれるようにするよ」
アタルはこの街で確実にわかる場所ということで、ブラウンズ工房をあげた。恐らくブラウンであれば、アタルたちがやってくるのを拒むこともないと。
「あい、わかった。それならば、まずは明日連絡をいれよう。早速手紙を書かねばな……」
「それじゃ、俺たちはこれで失礼するよ。よろしくな」
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