六話 怒りと愉悦
柔らかな秋の日差しが差し込むサンルーム。
暖かみのある色合いの調度品と食器、色とりどりのお菓子、壁際に控える見目麗しい侍女と侍従たち。
婚約者とのお茶会に相応しい。心地よく整えられた場だが、アレクサンドラは座らずに立ったまま……婚約者であるクレマンに罰を与えている。
「アレクサンドラ様!な、なにをなさいま……くっ!」
「お前!私が何も知らないと思って馬鹿にしているの!?」
「いっ!うぅっ!」
アレクサンドラは乗馬鞭を振るい、婚約者であるクレマンの肩を打ち据える。
クレマンは色素の薄い秀麗な顔を歪めてうめく。
今までも足を踏んだり扇子や手で叩いたりはしたが、鞭で打つのは初めてだ。流石に表情を取り繕えないらしい。
アレクサンドラは、引き続き怒りつつも嗜虐心をくすぐられた。
(ふん!ベルナール様ほどでは無いけれどイイ顔ねえ。もっと打って嬲って……ああ!顔以外なら怪我をさせてもいいわね!血が見たいわ!)
「知っているのよ!お前は!宰相である父親に!陛下をお止めするよう強請った!」
「わ、私はそのような……ぐっ!……うぅ……!してま、せん!」
クレマンが反論するのは珍しい。アレクサンドラは少しだけ手をとめた。彼は息を整えながら説明する。
「こ、国王陛下が……あ、アレクサンドラ様とオプスキュリテ辺境伯令息の婚約をお命じなされば、流通に打撃を受けるばかりか、内戦になりかねません。
だ、だから宰相と大臣たちはお止めし……ぐぁっ!」
「お黙り!」
(ふん!そんな理由!嘘に決まっているわ!東方は所詮、蛮族と化け物と魔獣しかいない僻地ですもの!だいたい大袈裟なのよ!強いといっても大したことないでしょう!)
時は少し遡る。
◆◆◆◆◆
オプスキュリテ辺境伯家に婚約を拒絶されたアレクサンドラと公爵は、国王に王命を出すよう強請った。
「奴らの無礼を罰して下さいませ!」
「そうです!そして私とベルナール様の婚約をお命じ下さい!」
謁見の間。玉座に踏ん反り返る国王はニチャリと笑った。
「ふむ。蛮族が調子に乗っているようだな。
良かろう。余が罰してやる。
あの地は交易がなければ食っていけない。まずは流通を制限して干上がらせて、弱った所を叩いて躾けよう。
あの小僧も、見てくれだけでなく中身もお前に相応しい従順な婿にしてやる」
「ありがとうございます!叔父様!」
「こらこら。一応は公の場なのだ。陛下と呼びなさい」
国王は本気だった。本気でそのように国政を動かそうとし、重臣を集めた会議で発表した。
しかし、クレマンの父である宰相ら重臣から猛反対を受ける。
「すでに整った婚約に介入すれば、諸侯からの信任を失います」
「オプスキュリテ辺境伯家および東の隣国との対立も避けられません」
「ふん!そんなもの、流通を制限して思い知らせてやれば……」
「交易が滞れば、むしろ我ら中央とその周辺が経済的な打撃を受けます」
「彼らが魔獣討伐を放棄したらどうなさるおつもりですか?」
「そもそも流通制限など無意味です」
「は?無意味だと?」
「はい。オプスキュリテ辺境領の自給率が低かったのは、昔の話です。現在では自給自足出来ているばかりか、輸出出来るだけの余剰があります。また、東の隣国をはじめとする他国との交易も活発です」
「左様。流通制限するとすれば、オプスキュリテ辺境伯家が中央に対して行うでしょうな」
大臣の言葉に国王は顔を歪めた。
「なんだと?奴らは戦うしか能のない蛮族ではないのか?」
「それはただの偏見です。交易の拠点を管理している辺境伯とその一族ですよ。愚か者には勤まりません」
「我が軍をもってすれば……」
「国軍と公爵家の私兵を合わせても、彼らには勝てないでしょう」
「これ以上あちらを刺激すれば、内戦になりかねません。陛下。思いとどまって頂きたく存じます」
国王は押し通そうとしたが、宰相と大臣たちは己の命を賭けて止めようとする。
「面倒な政務を押し付ける奴らが居なくなる」
この国王、政務をほったらかして女色にふけっている愚王である。
だが、有能な宰相らを失えば今の生活を失うことも理解していた。
特に宰相は失えない。私欲なく公務をこなし、しかも有能なのだ。
さらに、あまりにもしつこく止めるよう言われてやる気をなくしていく。元来、堪え性だとか忍耐だとか交渉根回しだとかは大嫌いなのである。
「やめた。面倒臭い。余は後継者を仕込むのに忙しい」
こうして国王は、オプスキュリテ辺境伯家を罰することも、王命でアレクサンドラとベルナールを婚約させることもやめた。いつも通り後宮で快楽を貪る生活に戻ったのである。
すでに王太子以下十人の子がいるというのに、お盛んである。
ともかく、国王が断念したとの報せが公爵家に届いた。
アレクサンドラは奇声をあげて憤怒し、もはや形ばかりとなった婚約者のクレマンを呼び出したのだ。
◆◆◆◆◆
「お前の父親を説得し、国王陛下に進言させなさい!私とベルナール様の婚約を!王命で命じて頂くの!」
「出来ません!王国の安寧のため、何卒こらえて下さ……ぐあぁっ!」
「未練がましい!お前が私と婚約解消したくないだけでしょう!身の程知らずが!」
アレクサンドラは上着やシャツが破けて血が滲むまで責めたてたが、クレマンは従わない。ひたすら暴行に耐えた。
「う……うう……」
アレクサンドラの気が済む頃には、整えられていた金髪は乱れ、秀麗な顔は汗に濡れて苦悶に歪んでいた。淡い水色の瞳も虚ろだ。
服の下は出血と打撲で酷いことになっているだろう。
(うふふ。もう飽きたと思ってたけど、痛みに耐える姿は中々そそるわね。お父様にお強請りして婚約したのだし、ただ捨てるのはもったいないわ。婚約を解消したら愛人の一人にしてあげる。
でも、それをいま伝えたら調子に乗るわね)
「クレマン。ベルナール様と婚約する目処が立つまでは婚約しておいてあげる。けれど、お前は所詮それまでの繋ぎよ。
弁えなさい」
「……はい。失礼いたしました」
「今日はもういいわ。帰りなさい」
クレマンは侍従に支えられながら退出した。
「はあ……。それにしても、ベルナール様にお会いできないなんて切ないわ。あのお方も私と引き離されて悲しんでるでしょう」
アレクサンドラは嘆きながら椅子に座った。控えていた侍女たちが甲斐甲斐しく世話をする。
「アレクサンドラ様、なんとお労しい……」
「どうぞ、ごゆっくりお休み下さいませ。アレクサンドラ様のお好きな菓子を用意してございます」
アレクサンドラは侍女たちが淹れたお茶を飲み、菓子を摘んだ。
「ああ、いっそ私がオプスキュリテ辺境伯領に行けばいいかしら?きっと、ベルナール様は喜んで出迎えて下さるわ」
妄想に執事が口をはさんだ。
「わざわざアレクサンドラ様がおもむかずともよろしいかと。春になれば、ベルナール・オプスキュリテ辺境伯令息は王宮夜会に参加されますから」
「まあ!本当なの?」
「はい。確かな情報です。婚約者であるフェイ・ホンファン嬢がデビュタントするのに合わせて、長期間滞在されるとか」
「ヒトゥーヴァの娘と!?まさかエスコートするんじゃ無いでしょうね!」
「その通りです」
執事は、アレクサンドラの怒りがまた爆発する寸前にニヤリと笑った。
「これは好機でございます。アレクサンドラ様とヒトゥーヴァの娘、比べればどちらが美しく高貴か自ずとわかるというもの」
侍女の一人が「素晴らしいお考えですわね!」と、後を引き継ぐ。
「デビュタントの夜会では、アレクサンドラ様は遠縁の娘か寄子の娘の身内として参加すればよろしいでしょう」
「他の夜会については言わずもがな。アレクサンドラ様は『黄金の薔薇』と讃えられるリュミエール公爵家の姫。参加を断られる夜会などございませんわ」
「まあ!それもそうね!お前たちは良くわかっているわ!」
アレクサンドラは、あっさりと機嫌を直す。
「つきましては、アレクサンドラ様に相応しいご支度を整えるべきかと……」
「ええ。お身体も、より一層の磨きをかけませんと……」
「そうね。お前たちに任せるわ。ドレスもジュエリーも全部変えるから、古いものはお前たちの好きにしなさい。
執事、お前は引き続きベルナール様の情報を集めるのよ」
「はっ!かしこまりました!」
「ありがとうございます!アレクサンドラ様!」
執事と侍女たちは目を欲望にギラつかせながら感謝した。
「うふふ。待っていてね。ベルナール様。ヒトゥーヴァの娘から解放してあげる」
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