言訳
一体どうして、彼女は僕に告白をしているのか。
彼女が好きだったのは僕ではなく板野君。いつかそれは、本人の口から僕にまでも語られていたこと。
……嘘告白なのだろうか。
一瞬、脳裏を過ぎった。彼女はいつか、僕に嘘告白を仕掛けた。あれは結局、彼女の意思ではなく裏で糸を引いていた柴田さんの策略によるものだった。
まさかまた、彼女はあの時の行いを繰り返しているのだろうか……?
先日、柴田さんとは一応の和解を経たが、裏ではまだ彼女は僕のことを許してなくて、また恵美さんを利用したのだろうか。
「ち、違うよ……」
恵美さんの声が、震えていた。
その声は、いつか嘘告白をした時と違って、怯えているように見えた。
「これは嘘告白じゃない。正真正銘、あたしの気持ち」
「……どうして」
どうして、僕なんかに告白をする?
言葉は途中で途切れたが、これまでの経緯、このタイミング。彼女にも、僕の言葉の意図は伝わっていたようだった。
「……この前までは、板野君が好きだった。それは、本当」
ただ、この期に及んで心変わりした?
一時彼女は、板野君への秘めたる想いのせいで、コミュニティで迫害にも近いいじめに遭っていた。彼女が板野君ではなく僕に再び告白をしたのは、空気を読んだため?
いいや違う。
いつかの練習中、柴田さんだって、恵美さんが想い人に想いを告げることを後押ししていた。他でもない恋敵から彼女は背中を押されたのだ。
今更、コミュニティ内での空気なんて考慮する必要ないはずなんだ。
だったら……尚更、理解に苦しんだ。
「……本当だと思っていた」
「え?」
「格好良い彼を気付けば目が追っていて、いつか彼の隣に立てたらどれだけ幸せなんだろうって、そんなことをよく考えていた。でも、あたし気付いたの。それは結局、あたしの独りよがりの感情でしかない。なんていうのかな。遠目から見る富士山に見ていると思った。遠目から見た富士山はとても綺麗。でも、近くから見た富士山はたくさんの登山客が捨てたゴミで汚らしい。そんな感じ」
「……端から見て、君と板野君がそこまで絡んでいる姿は見たことがなかったけど」
「そうだね。ちょっと表現が違ったかも」
クスクス、と恵美さんは穏やかに笑った。
「幻滅したってわけじゃないんだ、言いたかったことは。……ただ、一番精神的に辛い時、彼はあたしを助けてくれなかった。それだけ」
今度は自嘲気味に、恵美さんは笑った。
「それもおかしな話なんだけどね。だって板野君とあたし、徳井君の言う通り全然絡みなかったもん。彼との関係を築けなかったのもあたしの責任。コミュニティの空気に流されて、時間を棒に振ったのもあたし。……でもね、でも……それは、君も同じだったんだよ」
不安げに俯いていた恵美さんが、上目遣いに僕を見た。
「……この前、人生で一番辛い場面にあたしは陥った。友達に売られて、一人途方に暮れた。その時にあたしを助けてくれたのは……板野君でも、親でも、先生でもクラスメイトでもなかった」
恵美さんの瞳は、少し潤んでいた。
「……あなただった」
恵美さんの瞳から、光る涙が滴った。
「あたしが悲しませた、あなただった……っ」
恵美さんの瞳から溢れる涙。一体今、彼女はどんな感情で僕にこの話をしているのだろうか。
考えても考えても、答えは出そうもなかった。
「……それで、僕のことを好きになった?」
黙って、恵美さんは頷いた。
自嘲気味に苦笑したのは、僕だった。
「……何度も言うけど、僕はそんな真っ当な人間じゃない。少なくとも君に好意を向けられるような行いを、これまで僕はしてこなかった」
「そんなことない」
「……そんなこと、あるんだよ」
「そんなことないっ!」
球技大会終わりの学校は、たくさんの生徒が疲労のせいか、打ち上げのせいか帰宅が早かった。いつもよりも静まり返った教室で、彼女の叫び声は遠くまで響いた。
「……あたしが一番助けを求めていた時、助けてくれたのはあなた」
ふと、思った。
「あたしのために他人に怒ってくれたのもあなた……っ」
どうして僕は今、陰険になって彼女の想いを否定しようとしているのだろう。
「あたしに親友を与えてくれたのもあなた……」
答えは……すぐにわかった。
「あなたなんだよ、徳井君……」
大粒の涙を流す恵美さんを、僕は直視出来なかった。
僕に伝えた数々の感謝の言葉。涙を流しながら伝えてくれた決死の彼女の想い。
最早、彼女が以前のような嘘告白でここに来たわけじゃないことは明白だった。
……ただ。
ただ、僕は彼女に今すぐに……この告白を引っ込めてほしかった。
今のは嘘です。
冗談です。
驚きましたか。
そんな言葉を待っていた。
いいや違う。
願っていたんだ。
嘘だと言ってほしかったんだ。
彼女が今言ってくれた言葉が全て嘘だったと、冗談だったと言ってほしかったんだ。
いつか思った。
以前の彼女の告白。あれが嘘だったと発覚した時に思ったことだ。
……僕は怖かった。
僕のことを認めてくれた恵美さんを。
僕なんかに好意を抱いてくれた恵美さんを……振って、悲しませてしまうことが、怖かった。
でも違う。
そうじゃなかった。
あの時は、僕は僕を認めてくれた人を悲しませずに済んだのだ。
だから僕は思ったのだ。
良かった、とそう思ったのだ。
……彼女から告白の言葉を聞いた時。
僕の中ではもう、答えは出ていた。
嬉しかった。
それは事実。
でも僕は、彼女の告白を受け入れる気持ちはなかった。
……それは、僕が彼女に相応しいような男ではないから。
いいや、違う。
この期に及んで僕は……言い訳をしようとしている。
そうじゃない。
僕が彼女の告白を受け入れようとしなかった理由。
僕なんかにこんなにも溢れる想いを告げてくれた彼女を悲しませる気になった理由……!
それは……。
「……ごめん」
胸が痛かった。
どうしようもなく、痛かった。
喉から漏れ出た声は、最早声というより呼吸に近かった。微かに空気を揺らしたそれが、彼女に耳に届いたのか。まもなく僕は、それが酷く心配になった。
でも、もう一度同じ言葉を言う勇気はなかった。
それ以外の言葉をかける根気もなかった。
「優しいね、徳井君は」
その声は、僅かに震えていた。
今の僕の言葉のどこを取って優しいと言えたのか。
僕は驚いた拍子に、いつの間にか俯いていた顔を上げた。
「ありがとう」
涙を伝わせながら微笑む恵美さんを見て、僕はもう何も言えなかった。
「あたし、そろそろ行くね」
そそくさと、恵美さんは席から立ち上がって教室を後にした。
足早に立ち去る途中、恵美さんは制服の裾で両目を拭った。まるで僕に涙を見られたくないかのように、拭ったのだ。
……また僕は。
また僕は一人、大切な人を悲しませた。
もう、とてもじゃないが紗枝達に呼ばれた打ち上げに参加する気にはならなかった。
3章終了。一体どれだけかかったことか。一旦離れると内容よりも登場人物の性格を忘れるから駄目だ。主人公は何故か大丈夫。面倒くさいってところが大体私の作品の主人公には一貫しているから。




