成果
試合終了の礼の後、岡田君と視線がかち合った。誇らしげに微笑む彼は、さっきまでの闘志溢れる姿とは異なり、年相応の姿に見えた。
長らくプロ注目と言われる程の実力を残し続けた男の一端を見れて、それが少しだけ誇らしかった。ただ同時に、彼がもうそれだけ才能溢れる野球を辞めたことを惜しいとも思った。
多分、こんなこと彼に言うと、少しだけ不貞腐れた顔で文句を言うと思う。
思わず苦笑が漏れた。後日、この話を彼にしようと決意したのは、多分今日こてんぱんに僕達を負かしたことへの腹いせだった。
「まだ体育館の方は試合しているかな」
こじんまりとしたギャラリーを引き連れて、僕達は女子のバスケの決勝が行われている体育館へと向かおうとした。
しかし、校庭を歩き、玄関に差し掛かったところで僕達は足を止めた。
「紗枝」
和気あいあいとした雰囲気で、丁度バスケの試合に出ていたクラスメイトと僕達は鉢合わせた。各々が各々の友達と雑談を始める中、僕は幼馴染を見つけて声をかけた。
「あ、修也」
和気あいあいとしていたバスケチームのメンバーと違い、一人気落ちする紗枝。
僕は、彼女の様子からおおよそ試合の結果を理解するのだった。
「そっちは?」
「負けたよ」
紗枝に尋ねられて、僕は肩を竦めた。
「あたしも」
紗枝も、僕に倣って肩を竦めた。
「……修也君、今日の敗因は?」
「……そうだね」
時を同じくして、向こうの方から歓声が上がった。
あそこは確か、岡田君達のクラスが利用する下駄箱がある場所だ。
「……やる気の違い、かな」
今回の球技大会。
個々人の練習に任せた僕達クラスと違い、岡田君達のクラスは各部門で放課後に練習の時間を設けていた。そんなクラス、一年から三年まで見渡してもあのクラスぐらいだった。
最終的に野球は、特筆した才能を持つ岡田君が試合を支配した部分も多いにあるが、彼が試合を支配出来るよう、足を引っ張らないよう、置いて行かれないよう、努力を重ねた彼らクラスメイトもまた、賞賛だった。
「あたし達のクラス、負かしたいって言ってたもんね」
紗枝に言われて、そう言えばいつか岡田君がそんなことを言っていたことを思い出した。
「……目的、達せられてしまったね」
「気分はどう……?」
「悔しい……ってのも、多少はある。でも一番は、楽しかった」
「……あたしも」
男子は野球。女子はバスケ。見事に文化祭の雪辱を果たされた格好だったのに、不思議と気分は悪くなかった。
それはやはり、彼らの本気に触れることが出来たから。各々が各々、出来る最善を尽くそうと尽力した彼らの凄さを、肌で感じられたから。
「すごいなあ、本当」
まもなく、球技大会の閉会式は始まった。
表彰式は、三位から一位までを順に発表している形が取られた。
三位は三年のクラス。
二位は、僕達のクラス。
そうして一位は……言うまでもない。
「おめでとーっ!」
歓喜に湧く岡田君達のクラスを見ていると、次は負けたくないと言う気持ちが沸いてくる。この闘争心が、きっと僕達をもっと高みに成長させてくれるのだろう。
以前の人生では味わうことの出来なかった甘美な体験に、僕は身震いを覚えた。
そんな一幕を経て、粛々と球技大会は閉幕していった。
放課後のチャイムが鳴る頃には、もうすっかりいつも通りの時間に戻っていた。
「じゃあ、打ち上げに行こうっ!」
と思ったが、一人のクラスメイトの発案により、僕達クラスメイトは打ち上げにカラオケに向かうことになるのだった。
「修也、行こっ」
紗枝に言われた。
「……え?」
「何鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるの」
紗枝は、おかしそうに笑っていた。
「何だよ修也。打ち上げ来ないの? 野球の準優勝の立役者は、間違いなくお前だろ?」
同調したのは、板野君。
「えー、徳井来ないの?」
それだけではなかった。
「あんだけ盛り上げてくれたのに欠席出来ると思ってるの?」
「お前、将来アルハラで労組に突き出されるなよ?」
たくさんのクラスメイトに僕は声をかけられた。
……前の人生では、目の当たりにすることもなかった光景が、目の前に広がっていた。
「……いやその、ごめん。行くよ、行く」
胸の内で高ぶるこの感情は、一体何なのだろうか。
「ちょっと、持ち合わせが気になってさ」
「え、大丈夫なの?」
「足りなかったら借りるから大丈夫」
「それ大丈夫じゃないから」
教室に笑い声が溢れた。
頭を掻きながら、僕は財布の中身を確認した。持ち合わせが気になったなんて言ったが、本当はそんなの気にする必要は一切なかった。
……ただ。
ただ、本当に良いのか、と思っただけだ。
僕が。
僕なんかが……。
こんなに幸せな光景を、目の当たりにしていいのだろうか?
後ろ指を刺されても。
……誰から嫌われようと。誰から憎まれようと。
構わないと思った。
ただそれは、紗枝との交友に関しての話のみ。
この中には紗枝以外にも、かつて僕が傷つけた人が存在する。板野君がその最たる例。
それなのに今、彼らからこんな光景を拝ませてもらっていいのだろうか。
……わかっている。
ここには、かつてを知る人は誰もいない。
ならば、この光景を目の当たりにしていることを許せないのはただ一人。
それは、僕。
「……ごめん。ちょっとトイレ行ってから行く」
「早く来いよー」
「場所は連絡しておくから」
「わかった」
……まだ覚悟が伴っていなかったらしい。
少し、涼んでから行こう。
クラスメイトの喧騒な声が、少しずつ遠ざかっていく。
僕は、一度トイレに寄って教室に戻り、ゆっくりと帰り支度をしていた。
コンコンッ、と教室の扉がノックされたのは、その時だった。
そこにいたのは……。
「……恵美さん」
「みんなは?」
一歩一歩、ゆっくりと彼女は僕に近寄った。途中、教室内が僕以外蛻の殻であることに気付いてそう尋ねた。
「打ち上げに行った。誰かに用だった?」
そう尋ねて、僕は思い出した。
『あたし、何かを成し遂げられた時に、この気持ち……伝えようと思う』
そう言えば恵美さんは、野球の練習に付き合ってもらっていた時に、そんなことを言っていた。
何かを成し遂げた時。
球技大会で、彼女はバスケの部門でチームメイトと一致団結し優勝を掴み取った。
もしかしたら彼女は、相応の覚悟を持ってここに来たのかもしれない。
……ただ。
「ごめん。皆打ち上げに行ったよ。板野君も」
「……そう」
落ち込まないように諭すように言ったのだが、恵美さんからは気落ちした様子は見受けられなかった。
「徳井君は行かないの?」
「……ちょっと涼んでから行こうと思ってさ」
「そう。あたしと一緒だ」
「……一緒?」
恵美さんは、僕の前の席に腰を落とした。
「ウチのクラスすごかったよー。あなた達のクラス倒せたーって。お祭り騒ぎで、祝勝会に行くぞーって、さっさと行っちゃった」
「……君は行かないの?」
「うん。やりたいことがあったから」
それが何か、恐らく柴田さん達も察してはいたことだろう。
そして、僕も察していること。
一念発起した矢先に、意中の相手がいないこの状況が不憫でならない。
かける言葉も見つからず、僕は俯いてしまった。
「……告白しようと思って来たんだ」
恵美さんは言った。やはり、そうだったのか。
「この前話したよね。何かを成し遂げられたと思ったら告白しようと思ってたって。……クラスメイトには悪いと思っていたけど、あたしは少し邪な感情を持って練習に励んでいた。皆は、徳井君達のクラスを倒したいって張り切っていたけど……あたしは、その何かを成し遂げるために頑張っていた」
「……すごい団結力だった。今日は完敗だったよ」
「でしょ? 皆、すごいよ。文化系の部活の子だって一生懸命やっていたし、試合に出ていない子達も精一杯応援を頑張ったり……。こういうのが、一致団結って言うんだろうなって、あたし感動しちゃったよ」
少し、恵美さんの顔に陰が落ちた気がした。
「……それなのにあたしは、最低だなって思っていた。一人、別の理由で頑張って。試合に貢献出来たかも正直怪しい。皆にあやかって成し遂げた気になっているだけなのかもしれない」
「……君は、個人で今回の球技大会に優勝したのかい?」
「え?」
「違うよ。君は……君達は今回、クラスで球技大会に優勝したんだ。恐らく、君のように打算的な理由を持って練習に励んだ人だっていただろう。試合に貢献出来たか、わからない人だっていただろう。でも、全てをひっくるめて君達はクラスで表彰されたんだ。君達三十人分の成果が折り重なった結果がその優勝なんだ。だから、卑下する必要なんて一切ない」
「……優しいね、徳井君は」
恵美さんの顔は、完全に俯いてしまったために見えなかった。ただ、声は少し震えていた。
「……いつかもそうだった。今のあたしがいるのは、あなたのおかげ。あなたの優しさがあったおかげ」
「そんなことはない。僕は……他人に褒めてもらえる程、真っ当な人間じゃない」
本心だったが、恵美さんに今の僕の言葉がどう響いたかはわからなかった。わかる以前に、彼女がそれ以降、中々言葉を発してくれなくなったのだ。
一体今、彼女は何を考えているのだろう?
どうして、意中の人がいないこの教室に、彼女はまだ残っているのだろう?
……まるで、この教室に残った誰かに、伝えたいことがあるようではないか。
「……何かを成し遂げた時に、告白をしようと思ったの」
ゆっくりと紡がれる恵美さんの声は……。
「好きになった人に、告白しようと思っていたの」
弱々しく、震えていた。
……あの時とは。
『……だから、あたしと付き合ってくれませんか?』
淡々と、平静と語ったあの時とは、まるで違った。
今、気付いた。
本心を語る今、恵美さんの心理には恐怖が滲んでいるのだと。
……それでも彼女は、恐れに打ち克ち本心を伝えようとしているんだ。
一体、誰に?
……それは。
「あなたのことが、好きです……っ!」
震える声。
潤む瞳。
それらが捉えた彼女の意中の相手。
それは……板野君ではなく、僕だった。
告白をやり直すという章タイトルをつけた時にこうしようと思っていた。いつの話やねん。




